ユキヤの過去 後編
「忍びの主たる任務は諜報、傭兵そして――――暗殺です。
……私の初めての任務は暗殺でした。
王都で権力争いをしている二大貴族、その一方の世継ぎを消すというものです」
そして、ユキヤは初の任務である暗殺は失敗してしまった。
当然、暗殺の失敗が意味することは半蔵でもわかる。
しかし、それに少々違和感を感じた彼は首をかしげた。
「私には追手がかかり、里に戻れとの命を受けました。
里の結束は絶対です。任務に失敗しても、戻った忍びの命だけは守ります。
……たとえ、生涯里から出られぬとしても」
その出られないという言葉には違う意味が込められていることに、半蔵はすぐにわかった。
喜んでいいのか、悲しむべきなのか。ユキヤでもうまく感情を表せないらしい。とても複雑な表情だった。
当人でもないにもかかわらず、半蔵は心がズキリと痛んだ。
「私は少しだけ安堵しました。戻れということは、命を捨てるなという里の命令です」
一聞、彼女にとって吉報にも思えたが、ユキヤがそれを正した。
「しかし、戻った私を待っていたのは、私を始末するために武装した忍びたちでした。
そしてそこで聞かされたのです。……私の任務は『失敗するために仕組まれた』と」
半蔵は感じていた違和感に納得がいった。重要な任務である暗殺に、実践が初めての忍びに就かせるということはおかしい。暗殺ならば、もっと手練れの忍びをつけるはずだ。
結果としては、暗殺に失敗した事実と彼女の躯があればよかった。そうすることで、自らの世継ぎの暗殺の事実を公にし、相手を必然的に追い込むことができる。
「(殺伐としているな……いや、それはここも同じようなものか。知らないだけ、みつからないだけで、探せばいくらでもでてくるのだろう。)」
半蔵はそういう世界に生きたことがない、詮無き事であるが、半蔵は無知を恥じた。
「里に戻されたのは、確実に私を殺すためでした。
……ダークエルフの私は、里のものとはまず疑われない。
彼らにとって私は、初めから里の一員ですらなかった」
ユキヤの、そう語る声はいつの間にか――――震えていた。
「……私は『捨て石』だと、はっきりと告げられました。
……私に下された最後の指令は、『死ね』というものでした」
一呼吸挟み、すべてをあきらめたような表情で再び語り始めた。裏切られた、という感情ではなく、やはり期待などされていなかったというように。
「私は逃げました。なぜ逃げたのか、今となってはわかりません。もうどうなろうと、私の居場所はないのに……。
私は逃げるうちに徐々に手傷を負い、そして山の中へと逃げ込みました。無我夢中で山を走り、気づくと目の前には断崖が広がっていました。
……あとは御察しの通りです。躯を晒さないための、私にできる最後のあがきのようなものです」
「そうだったのか……」
「そして、次に目を覚ますと、主人に介抱をされていました。……ここは別の世界。そう、最後は世界からも捨てられたのです」
淡々と言い放ったユキヤの顔には、俺にはとても推し量れないほどの感情が渦巻いていた。
「これが、私がここに来るまでの経緯になります。……下らぬ話です。聞いていただきありがとうございます」
半蔵は、ここですべてを話してくれた彼女と向き合わねばいけないと感じた。
義務感や下心といったものは一切なく、一種の使命感とも言える。
だが、一体今の自分に、彼女のために何ができる? 拭えないもどかしさが、頭の中をぐるぐると回る。
「……私の生などどうでもいいように、路傍の石ほどの価値です」
「そんなことはない、俺は君と会えたことが嬉しいんだ! それは無価値などではない!」
「っ! 主人、私を慰めてくれるのですか? あなたはやはり、慈悲深い人なのですね」
半蔵の下手な慰めでも彼女は笑顔になった――――だがそれでは意味がない。半蔵はユキヤには心から笑ってほしいと願う。そう求めた半蔵は、無理をした笑顔は見ていてつらくなった。
これは、ただのわがままだ。
だが、半蔵にはこれを曲げるつもりはない。
「……私はできそこないの忍びです。すべてを失いました。
いえ、最初から何も持っていなかった、己の命以外は。
……思えば自らの命、顔も知らぬ母から唯一頂いたもの……それだけは最後までもっていたかった、誰かに奪われたくなかった、のかもしれません」
心中を吐露すると、向き直り、遠くを見ていた眼は半蔵をしっかりと見つめる。
それに答えるように半蔵も真剣な表情で見つめ返す。
「私はもう一度、この世界で忍びとして生きてみようと思います。今度こそ主を見つけ、居場所を作ります」
「どうやって……」
「大小あれど人の争いは絶えることはありません。きっと争いの闇のなかに、私がいるべき場所もあります」
「だが、君の――――っ」
言おうとして淀む。
「(なぜ俺は『君の居場所は見つからないかもしれない』なんて言おうとした?)」
いや、とっくにわかっている。彼女に――ユキヤには離れてほしくないと思ってしまっている。半蔵は共に過ごしてきた数日で、俺はユキヤに一緒にいてほしいと願い、求めてしまっていた。
「(情けない、俺はまだあの事を引きずっているというのか……)」
「主人、この囲炉裏で介抱されたひとときは、とても暖かかったです。生涯この御恩は忘れません。いつか必ず、お礼はいたします故」
今にも出ていきそうなユキヤ。半蔵は彼女を止めるために咄嗟に――――
「……だったら、俺を主にしてみないか?」