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将棋と小説は似ている

作者: 叶エイジャ
掲載日:2016/02/15

 将棋と小説は似ている。

 最初から最後までストーリーがあること。ルールがあること。上達の足掛かりになる定跡があること。強くなればなるほど、無駄がなくなっていくこと。勝った負けた、面白い面白くないという評価が下されるものであるということ。

 元来、強さがすべてということ。

 目に見えないものの成果物であるということ。

 将棋そのものは対戦相手ありきであるし、小説は純文学をはじめ多種多様なジャンルがある上、読む人によって評価が分かれうる。どこまでも同一とは言い辛い。

 しかし物の見方次第で、重なる部分は広いと思っている。


 最初は駒の動かし方を習う。歩は前方一マスしか進めないとか。香車は前へどこまでも進めるとか。動けない場所とか。覚えたての頃は、とりあえず自由に動かしてみる。対戦してみる。交互に打つので、相手より価値のある一手を打たなければならないと、漠然と理解する。たいがいは王に早く迫ればいいと思う。

 よって、攻撃が上手くなってゆく。どんどん苛烈になっていく。しばらくすると、簡単な防御を覚える。稚拙な攻撃は簡単な防御で防げる。その防御を打ち破るためには、それなりの準備をして攻めなければならない。準備には時間がかかる。相手の攻撃も防ぎながら、早急に攻撃態勢を整えることが肝心だ。

 この時点では、その意図は相手から丸見えである。

 攻撃してくるなら、それ相応の防御をすればいい。あるいは、攻撃に手を割いている分、防御がおろそかなので先に攻撃する。人間というか生物はそうであるというあらわれなのか、防御より攻撃が先に発達する気がする。

 小説の話? しばしお待ちください。

 覚えたての子ども同士が対戦するとしよう。今まで攻め一辺倒で勝ってきた子は、攻められた途端失調する。防御に慣れ親しんでないので、攻めがあれほど鋭く苛烈だったのに……と驚くほど、駒の動きが幼くなる。鈍くなる。

 攻撃以上の防御を見せつけられた時もそうだ。自分より上手い人と戦うと、それまで『どんな盾でも貫く矛』だった攻撃が粉々にされて、気付けば相手の手に武器が増えているという状況になる。途方に暮れる。

 囲碁や将棋などをやっている子どもは、人生に『途方に暮れる』瞬間が早く起きやすいと思う。

 経験上、面白いのは、そこで投げ出す子もいれば、頭をフル回転させて残った駒で一矢報いようと考える子もいるということ。後者の子の方がおそらく伸びる。今まで想像もしなかった状況になって、今まで注意を払ってなかった駒について考えが及んでいる。実戦で成長する瞬間でもある。そして実際に、投げ出さなければ勝つ場合もたまにある。手負いになったこちらに対し、相手は、有利になったと気が緩むからだ。しかしこれで逆転勝ちできるのは「うっかりミス」をしやすい子どものうちで、大人相手では大概負ける(大人でもうっかりはある)。負けると、一番口惜しかった部分が頭の中で思い返され、あるいは自分で盤の上に駒を並べて、どうやられたかを再現する。こう動かれた、だからその前にこう動けばやられずにすんだ。失敗を学んで仕返ししに行く。たいがい目先の失敗しか分かってなくて、もっと手前で失敗してたと気づくまで、黒星が続く。時には泣いて、この世で一番嫌いなものが将棋盤と駒で、憎い人物が対戦相手になる。

 囲碁や将棋などをやっている子どもは、人生に『憎悪する』相手や感情が早く現れる気がするのだが、どうだろうか。あるいはそれは、幼稚とはいえ殺意の一種かもしれない。

 ちなみに勝てば、記憶の中から綺麗さっぱり消える。抹殺完了と言うわけだ。


 そうして勝ったり負けたりしているうちに、定跡を覚えるか、覚え出した人と対戦することになる。相手の実力に関係なく、妙なものを感じ始める。半ば決まった順番で動いていく相手の陣地に、不思議な圧迫感を覚えてしまう。

 それが先人の知恵と、攻防のバランスの良さから来ていることに気づくのは、だいぶ時間が経ってからだ。そうしたことを頭で理解するより早く、まずは真似をすること、あるいは弱点がないか探すことになる。結果、遅かれ早かれ自らもまた定跡を知るということになる。


 ここで、小説の話に移る。

 定跡に入るまでは、国語教育と言った方が良い。句点をつける。読点をつける。ひらがなは、カタカナは、漢字は。あの物体はなんという言葉で表すのか。等々。駒やその使い方、言葉やその使い方を学び、相手と戦うものであること、相手とコミュニケーションするものであると感覚で理解する。そういった基礎がこの段階だと思う。言葉の方がより多くのことを覚えなければならないが、毎日使う母語なので、日常で使う際には困らないレベルの使い手となっている。


 定跡は、覚え始めた頃は「作文」と出会った気分になる。

 この話は、またいずれ。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  「優勢な局面から如何にして勝ちきるか」が将棋において最も難しいと言われてますね。  かく言う私も、駒落ちには自信がありますが、平手で優勢になったときに指し手が疎かになりやすい。  小説も…
[一言] 非常に面白い話でした。 ぼくが思うに、将棋と小説の一番の共通点は、「人間性が表れること」ではないかと。 将棋に限らず、こういう一対一の勝負って、相手の性格がそのまま表れるような気がします。 …
2016/02/15 17:19 退会済み
管理
[一言]  叶さん、この話は興味深く読みました。    もう少し表現方法を変えればなろうに衝撃が走るとおもいます。  私は将棋は知りませんが、麻雀は並べるくらいならできるのですよ。  あるとき低レ…
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