一話 暴走
「なあ、母さん。一体何してんだ?」
熱いコーヒーを入れたカップをテーブルに置き、四葉幸大はたくさんのコードに繋がれた『装置』をいじっている母、ユリアに問う。
「ん~? な~いしょっ!」
間延びした口調で何も答えない。
いつものことなため、幸大は特に気分を害さず自分用に入れたコーヒーを味わう。
「せっかく入れたんだ。母さんも飲んだらどうだ?」
「そうね~。そうしましょう」
片手に工具。顔にべっとりと油をつけてせっかくの美貌が台無しとなっている。
仕方ないな、とタオルに特殊な薬品をつけてユリアの顔についていた油を拭き取ってあげた。
そんな優しい息子の気遣いに、母の頬は綻んでいた。
「で、作業は順調なのか?」
「もうそろそろよ~。ソフトウェアはすでに完成してるんだけど~。ハードの方がねえ~。やっぱり一人だと大変なのよ~」
「じゃあ、人を雇えばいいだろ。母さんの名声さえ使えば、いくらでも人なんて集まるだろ」
「それは……ねえ、難しいかな~」
やんわりと、だが強く否定する。
幸大の母……と父は、世界的にも有名な科学者……だった。
とある科学実験の事故(幸大は詳細を知らない)により、父は他界をしてしまったのだ。
ユリアはそれを気に表舞台から去り、今はこうして着々と何かを作っている。
ちなみに、現在ユリアは無職だが、科学者時代に稼いだ莫大なお金で生活には全く困っていない。
「全く、一体何を作ってるんだが……」
幸大は完成間近の装置を見上げる。
全高十五メートルの無機質な物体。何の変哲もない一軒家の地下に作られた物。
円柱状に伸びるそれの中央はダイヤ型にくり抜かれ、そこに収まるように紫色に妖しく輝く石があった。
気持ち悪い。
それが、幸大があの石を見ていつも抱く感想だ。
何で? と問われれば、何となくとしか答えられない。
だからいつも三秒と目を合わせない。
すぐに視線をユリアに戻し、コーヒーに口をつける。
「さて、そろそろ学校に行く時間だ」
「もう~? 学校なんて、行くだけ無駄よ~」
「無駄って……。父さんが言ってただろ。高校ぐらいは卒業しろって」
「むぅ。そこで、一郎さんを出さないで~」
ぷくぅと頬を膨らませ、まるで幼子が拗ねたようだ。
大人がそんな態度をされれば作っているように見えるが、中学生に見える童顔と容姿では妙にマッチしている。
幸大はカバンの中を見て、忘れ物がないか確認する。
教科書もノートも学校に置いてきているため、入っているのは筆記用具と昼食用の弁当だけだ。
「母さんの昼食は冷蔵庫に入れてあるから、チンして食べるんだぞ」
「う~ん。ありがとうね~」
手を振るユリアに手を振り返して、地下から出るためのエレベーターのボタンを押そうとした瞬間──
──ブッッ! ──ブッッ! ──ブッッ!
「何だ!」
けたたましいサイレンが鳴り響き、地下空間が赤く点滅する。
それが何かしらの危険を知らせるものだと気付き、何があったのかユリアに聞こうと先程までいたテーブルに目を向けるも、彼女はすでにそこにいなかった。
ユリアは、『装置』の制御をしているコンピューターが出力する数値を食い入るように見ている。
その顔は、息子に見せていた柔和なものではなく、鋭く研ぎ澄ませれていた。
「どういうこと? 何故急に『スプリーム・ジュエル』が起動を……。嘘……ハードが完成してないのに。この数値は……暴走? このままじゃ、ここら一体が消滅する」
「か、母さん?」
何の変哲もない一軒家の地下にこんなものを作る母親を幼少期から見ているため、幸大の常識は同年代から見ても大きくズレている。
一般的な十六歳が「消滅する」という言葉を聞いても、大体冗談か頭がおかしいヤツが言う戯言と捉えるだろう。
しかし幸大はそれが事実と捉え、語尾が間延びしていないことから現状の深刻さを把握した。
「母さん、方法は?」
幸大の言葉は不明瞭だ。
だが、伊達に十六年母親をやっていない。その言葉が、「どうすればこの『装置』を止められるか」という質問だと解釈する。
「方法は一つしかないわ。幸大に出来ることはないから、衝撃に備えて何かに掴まってて」
ユリアに言われ、すぐ近くの手すりに捕まる。
何も手伝えない状況に、歯噛みする。
こんなことなら、工業関係の知識を得ておけばよかった。
そんなことを今思っても、後の祭りである。
母親が激しくキーボードを叩く姿を後ろから眺め、事が無事終わること祈ることしかできない。
「これで──!」
ユリアはいくつものスイッチを入れて、レバーを下ろした。
すると、どこからかブゥーンという音がそこかしこから聞こえてきた。ユリアの顔から緊張感が取れ、ふぅと息を吐く。
それで暴走を止めたのだと悟り、ユリアの元に行く。
「母さん、大丈夫か?」
「う~ん、大丈夫~。ごめんね、こんなことになって~」
「いや、いいよ。ちゃんと制御してくれ」
「あっ、待って。周りに異常がないか観測しないと」
「異常があったら困るんだが……」
幸大の言葉を聞こえなかったフリをしたのか、あるいは単に聞こえなかったのか。何も答えず、自宅の庭に取り付けた監視カメラで辺りを伺う。
すぐに「あらら?」といかにも不思議なことが起きてると言いたげな呟きを聞き、不安を覚えた幸大も監視カメラが捉えた映像を見る。
だが、幸大も「おや?」と首を傾げざるを得なかった。
なにせ、映像には鬱蒼と生い茂る木々しかなかったのだから。
四葉家は別に、ジャングルに建っていない(というより、ジャングルに家を建てるもの好きな人間はそうそういない)。
閑静な住宅の一角にある。
庭に一本や二本生えてはいても、まるで富士の樹海のような景色が見られる場所は皆無だ。
「どうなってるんだ……一体」
「ん~とね、原因はわからないけど結果はわかったよ」
「教えてくれ」
「どうもねえ……。データを見る限り~並行世界に跳んでるわ~」
「───はあ?」
とてものほほんとした雰囲気で言われても、反応に困る現実を幸大は突きつけられた。