世界の在り方
精霊という存在について語るならば、その過程においてどうしても世界という存在について語る必要がある。
そしてデラスフィアという世界について語るのであれば、魔力について語る必要がある。
本来、世界に存在する者は、自身のいる世界について名付けることはしない。
何故ならば、名付けるという行為自体が一種の”分類”であり、他者との”区別”であり、明確な他からの”確立”であるが故に、”世界”という生物にとって認識すらも不可能とさえ思える困難な存在が、他に存在するということを知覚するには信じられないほどの労力と知識と時間とそして何よりも幸運が必要となるからだ。
だがしかし、今現在創志がいる世界には、デラスフィアというこの世界の存在がつけた名称が存在する。
何故か? という疑問に対し、答えは簡潔で端的だ。この世界に魔力が存在したから。
そもそも魔力とは何か、という問いに対し、この世界では明確な解答が存在する。それは叶わなかった夢の残滓。砂上に浮かぶ幻の城。ありとあらゆる意思を持つ存在の精神と起こしたかもしれない可能性であり、起こしている可能性であり、起きるかもしれない可能性とを結び付ける世界の境界と狭間の向こうに存在する何か。物質とも、媒体とも、存在ともつかない曖昧な、しかし確実に心と世界を強く結びつける相互に引っ張り合う鎖のようなもの。
そしてその存在は意思の無意識に潜み、人の意識の奥にも潜んでいた。
日常的に使う手について、気づかない人間がいないのと同じように、発生からしばしの時を経れば、あらゆる意思を持つ存在が魔力というものを認識し、世界に重なるように存在するいくつもの可能性を認識することができた。まるで折り重なるようにいくつもの分岐点の見える世界で、しかし唯一、もっとも可能性を具現する意思の強い世界がこの世界として現れる。数ある並行世界の内、最も望まれた世界が現れているのが今の世界といえばいいかもしれない。そして”今ある世界”と”ありえたかもしれない世界”を区別するために最初に使われた言葉が、デラスフィアという名称であった。
故にデラスフィアにおいて、その名は古き存在ほど認識されている。神も然り、最初期の文明然り。
このことから、いかに世界というのが実に移ろいやすく、傾きやすいのか、それはこの世界を構成する魔力という存在が大きく影響していることは明白であろう。世界の成り立ちにしてからそうであり、そこに誰しもが疑問を挟む余地もなかった。
では、世界は絶対に安定しないのか。そこにいる生き物の意思でそのあり方をすべてを決定できてしまうのかといえば、それは否。世界には世界自身の意思があり、生き物でなくても世界を構成する存在の中に意思を持たないものは存在しない。そして、意思を持ち生物であるとは呼称できないが、しかし確かに生きている存在というのが精霊であった。
精霊は世界の意思により発現した現象に宿った心を持つ存在だ。火が生み出し、水と風が世界を安定させ、土が元に戻し、空が境界を支える。始まりは世界が存在するだけであったのに、魔力という存在がそこに意思を生み出した。全ての生きる生き物が世界を望むように動かしたいと願うなら、どうして動く側の世界に意思が働かないことがあるだろうか。何処かで魔力が揺れるたび、世界はそれで壊れた安定を修復するように願う。そしてそこに魔力が宿り、精霊が生まれるのだ。
だから精霊の存在意義、根底における欲求は「世界の綻びを繕うこと」。世界の調停者とも代名詞される彼らの存在は、生物が生きようとするのと同じだけの自然さで調和と平衡を取ろうとする。
だから精霊が忙しいなんてことは本当はあってはならない。この地上で最も暇しておくべき存在こそが、精霊なのだ。
だというのに、
「……っ!」
ぎりっ、と喰いしばった歯から軋りあう音が漏れる。
世界の真実を知る一人として、何よりもこの世界を守りたかった勇者の生き様を知るものとしては、予想以上の状態の悪さについ力が入ってしまう。
精霊の、特に上位に位置する精霊たちが彼らの王の子供であるリナにすらまともに関われないほどの忙しさという言葉を聞いて、まず初めに浮かんだのは精霊に対する怒りであったが、次に浮かんだのは現状に対する深い憂慮だった。
基本的に精霊は存在するだけで世界を安定させる。精霊が意識して調和に動かなくてはいけないのは、それだけの大きさで世界が改変されて歪みが出た時くらいである。
世界が精霊に調和してもらわないといけないレベルで改変される時というのは、創志の知る限り”神”である絶対者が力を行使した時と、魔王がこちらを攻めていた時くらいであった。逆に言えば、本来は世界において精霊が活発に働くことなどあり得るわけがない。
本来でありえないならば何者かが作為的に行っている以外にはあり得ないのだが、見事にそれが的中した。歯を食いしばるほどの怒りの矛先は、その何者かに対してのものだ。
「……事情は大体分かった。短くまとめりゃここ最近、世界の安定を乱せるだけの力で能力をバンバン行使する奴らがいるせいで、随分と安定が乱れていて、それを治すために必死になって精霊たちが動いているってわけか。ならリナの強烈な衝動を感じてこちらに来たのも理解できる。リナが生まれた当時は、まだ精霊王にも余裕があったのに、ここ二十年くらいで大きく状況が変わったってことか」
「そういうことです」
精霊の長い話を端的にまとめ、苦虫を噛み潰したような表情になる創志。その世界の安定を乱す奴らというのが個人個人であれば問題は無かったのだが、精霊から聞いた話を信じる限り、どうやら集団組織であるという事実がある。それだけ派手に術式を行使している集団なら、外の世界に出れば簡単に裏が取れるだろう。つまりこの精霊の話は高い確率で嘘ではない。
唸る創志。唸るほど悩むなんて人生初かもしれないと思いつつ、ひたすら首をひねる。
一言でいえば気に入らない。どんな理由があれ世界の安定を壊すということは、かつての魔王という世界を乱す敵を討った勇者の志を否定するということにつながる。そこに死者を戻したいとか、仲間が死にそうだったからとかいう理由があったとしても、かつて涙ながらに聖剣を取った勇者を見てしまった以上、創志は彼女の意思に反するような世界の在り方は認めたくない。
それはわがまま。だが、世界の安定を壊していることを、使っている術者たちが気づかないなんてことがあり得るわけがない。つまりそいつらは、世界が最終的にどうなってもいいという思いで安定を壊している。
それはつまり自分と自分の前世と今世の仲間を殺そうとしているに等しい。だからそいつらは間違いなく”敵”だ。
だったら勇者を探す前に、後顧の憂いを断つ意味でも、先にその集団を壊滅させるか……それとも先に勇者を探すか……結局創志が悩んでいるのはそこであった。敵は既に壊滅が決まっている。
ひたすら悩む創志。そしてそれをじっと見つめる上級精霊。推し量れない心の内を測るように、冷静で、しかし熱のこもった視線で創志を観察し、見極めようとしている。
上級精霊はそもそもこんな反応が返ってくること自体が予想外だった。目の前の彼は、長寿種の匂いを持つとはいえ未だ若い子供。しかし、その魂格に関しては、精霊が今まであったどんな人間よりも強靭であり、歪。恐らくは眼の前の存在こそ、最も世界の安定を壊すことを容易く行える人物であろうと確信ができるくらいの意思の強さを持つ人物。
故に、世界崩壊の危険といえど狂人特有の独自の思考であっさりと回答を出すのかと思ったが、それともまた様子が違う。何に悩んでいるのかは分からなかったが、狂気に塗れた短絡的な回答を行うような気配はない。むしろもっと慎重に考えているような気配が、魔力に敏感な精霊特有の感覚に引っかかる。
原初精霊が最初に彼をここに連れてきたのはまったくの偶然。恐らくは泣き止まないリナ様をどうにかして慰めたいと、自分よりも大きな魂格を持った人物を探したが故の結果であろうが、それがここまでの大物を引っ掛けるとは。これが俗に人の言う縁というものだろうか。
そうやって精霊が創志のことを観察していると、ふと顔を上げた創志がそれに気づいて、何やら奇妙な表情をした。
憮然とした表情で、しかし不機嫌であるというわけでもない顔に、はて? と内心首を傾げる精霊。
黙って創志を見てると、先にあちらの方が口を開いた。
「……言っとくが、それでも殴ったことは謝らないぞ? 忙しいとか言っても最低限の礼を失しているのは間違いないし、そもそも今の俺は誘拐を喰らった状態だからな」
殴ったわけでは無く、斬られたような気がするのだが、そこに突っ込むのは無粋というものだろう。それにもしかしたら、創志は斬ったといえるほどに真面目に剣を振ってなかったという可能性もある。あの斬撃でそんな恐ろしい可能性は考えたくないので、黙っておこう。
代わりに、精霊が思っていることをそのままいうことにした。
「いえ。別に謝らなくても結構です。我々も、幼子の同族をずっと放っておいたことに関して思わなかったわけでもありません。一回や二回くらい、押し付けた貴方に殴られることは覚悟していました」
「……お前本当に精霊か?」
信じられない、と顔面に書いてあったが、まあそれもそうだろうと精霊も納得する。全体で見れば、精霊の性格は基本的に大雑把で飽きっぽくて適当という今の自分からは正反対な性質なのだから。
「一般に認識される精霊的性格からは離れていますからね。とは言え、四大精霊様も皆々様私よりも落ち着いていますので、もしかすると精霊が長い年月を経ると皆私のような性格になるのかもしれないと思ったことはありますが」
「……ああ。そう」
そのことの疑問を解消するために口を開いたはずなのに、何故か創志はより深い困惑と疑問を顔に浮かべて言葉を切った。諦めのような感情がこちらに伝わってくるのは何故だろうか。
しばらく無言で空を見上げる創志。じっと待つのはいいのだが、結局いつまで正座をさせられていればいいのか怒られたことが無いので分からない。仕事もあるし、出来れば早めに返してほしいのだが。
「……そういえば勇者ってどこにいるかわかるか?」
不意に、まるで思いついたように聞いてくる創志。
どうでもいい話をしているように見えて、どこか切実な声でこちらに尋ねてくる。
「勇者とは……勇者アベルのことですか? それとも勇者ロカ?」
「え、誰だよそれ。俺が知ってる勇者ってのは、風の大精霊と契約して、精霊王と友好を結び、竜と盟約を結んで、聖剣使えて魔王ぶち倒した奴のことなんだが」
これ以上ないくらいの功績の羅列は、個人を完全に特定するためのものだ。勇者という名前で、いくつかの名前が出たということは複数の勇者がいるということで、それを考えて創志は達成した偉業で精霊に聞きなおしてみた。
精霊は、少々驚いたような顔をした後、随分と懐かしげな表情に戻って口を開く。
「それは勇者リコルのことですか? 伝説に語られる、世界最初の勇者にして、最強と語られる四千年前の勇者ですね。今では名前を知るものも少ないですが、一体どこからその名前を」
お知りになられたのですか。という精霊の言葉は形を取らなかった。
その瞬間、あまりにも劇的に、創志の顔から表情が消えたからだ。
どうしたのか―――その疑問を口にする前に、創志が口を開いた。
「そうか。唐突にこんなこと聞いて悪かったな」
先ほどまでにあった仄かな悲しみのような色が消え、全くの白紙の感情しか見えない。突然すぎる変化。一体その奥に、いかなる感情を隠しているのか。そこには不吉と不安の匂いしかしない。
「俺が聞きたかったことは全部聞けたかな。世界の状態も、情勢も、今の社会のことも大体聞けた。もう俺から聞きたいことは無いし、戻ってもいい」
このままにしてはいけないと精霊は感じた。漠然と、何かが壊れてしまうかもしれない予兆。柔らかいものが壊れてしまうような、そんな不安。
「待っていただきたい! お頼みしたいことがある!」
口が動いた。
今ここで、彼に声を掛けなければ、遠からず災厄の芽となるかもしれないという漠然とした思いと、
自分の王の娘を育ててくれた恩人と敵対はしたくないという希望が、
「我々の王は今後も調律の為に動かなくてはいけません。故に、王の娘であるリナ様の様子を毎回見に来ることができません。どうかリナ様の傍にいてはもらえないでしょうか?」
確信があった。
リナという被保護者さえいれば、目の前の男は決して道を誤らないと。
半ば誘拐されて連れてこられて、なんだかんだ言いながら自分の得にならない世話をするのだから、目の前の存在は相当なお人よしだ。その気になれば逃げることだってできたし、正面から全部倒していくことも出来たのに、それをしないで一番面倒な選択肢を選んでいることが何よりの証明だ。
そして多分、目の前の歪な心をした生き物は、だからこそ守るものがあれば絶対に堕ちない。堕ちれない。そういう精神の構造なのではないだろうか。長い間生き物を眺めてきて、どうしても何かを捨てられない同じような存在を何度か見たことがある。
それに。
「今の世界の調和を壊す輩たちの目的が、もし世界を壊すというものであったとき、その最大の障害である精霊を狙うのは確実。故に、リナ様の身が狙われるやもしれません。それが故にこんな絶海の孤島でお世話しているのです。我々では守り切れないかもしれません。守るための一助となって下さらないでしょうか」
そう、精霊王の娘。数多の精霊たちのよりどころとなる精霊界に入る門を開ける数少ない存在であるリナは多くのモノに狙われやすい。それを守りたくても手が足りず、危険のないところで育てるしかなかったのは苦渋の選択だった。
そして今になってその危険は高まっている。もし万が一、その集団の目的に精霊が関わってくれば、世界を乱せるほどの実力者に狙われるのは確実なのだから。
あらゆる理由で頭を下げた代表の上級精霊。周りの精霊たちは、何故そこまでこの精霊が必死になって頼むのかが分からず、困惑する空気を向けている。
そして頼まれた創志はというと、先ほどまでの無表情ではなく……形容しがたい歪んだ顔で止まっていた。
「……お前さ。真面目なのはいいけどそんな簡単に自分たちの内情を話したら駄目だと思うんだけど。俺が敵に回ったりしたらどうするんだよ」
「! 回るんですか!」
「……回らないよ」
創志は疲れた様にため息を吐いた。何故かこの精霊の相手は、前世であった仲間を思い出して調子が狂う。
優秀なのに、一生懸命すぎてポカをするタイプだ。厄介なことこの上ない。
そして一番厄介なのは、そういうタイプの頼みが断れない自分の性格だろうか。
「……しばらく、あんたらが暇になるまでの間だったら、見てやらんこともない。だから急いで仕事しとけよ」
それだけを告げて、精霊たちから離れる方に歩を進める。
少しばかり、顔が熱いのが嫌だった。