ようやく
湖の主でもあった巨大な魚を捌き、それを持って帰れるように色々と道具を準備していたら空にかかっていた太陽は、もうちょっとすれば沈んじゃうよと言いたげな方向に傾いていた。
骨はぶつ切りに斬った後、乾燥させて粉みじんにしてそこらへんにいたウツボに似た食人植物のでかい口を解体して作った籠の中に入れ右手に持ち、刺身は食べられそうな分を食べられる分だけ蔦で括り付けるようにして背負う。
魚なのに何故か生えていた角はとても固くかつ長かったので、これでも研いで武器にしようかと肩にかけるようにして左手に持ち、何かの薬にでもなりそうな鱗は角に串刺しにしておくことにした。
そして襲い掛かってくる動物たちを追い払いながら、すべての準備が終わった後、創志は帰ろうとして道が分からないことに気付く。
道中全力で走り続けた時、道なんて考えず適当に跳びたい方に跳んでいたため、精霊たちのいる方向がさっぱり分からない。
ここにきて、どうやら自分が迷子になりかけているらしいということに気付いたが、後の祭りであった。
「……どうすっかなぁ……」
野宿をしようと思えばいくらでもできるだろうし、ここを新たな拠点にすれば水の心配もない。だが、問題は創志がサバイバルできるかどうかではなく、このまま帰らなかったら赤ん坊が手を付けられないレベルで怒りそうだということである。
逃げようと思えば逃げられなくもないが、多分泣いてる。お気楽精霊たちがいくら慌てふためこうと極めてどうでもいいのだが―――むしろもっと困るべきだと思っているのだが―――流石に自分の育てた子供が泣いているのに逃げようなんて考えられるほど、創志は情が薄くなかった。
つまりできるだけ時間を掛けずに、元いた場所に戻っておいた方がよいと考えられる。根無し草の創志らしくない考えだが、そう考えるという時点で既に根無し草ではないということなのかもしれない。
広間から見る太陽のいつも沈んでいる方角と今現在沈んでいる方角、それと星座の位置を見て大体の進行方向を決めると、そちらに向かってのんびりと歩き出すことにした。駆けて行かないのは、荷物が多すぎてばら撒かれた時にすぐに拾いに行けないからだ。
しかしこうしてみると、ここはまさに樹海であるのがはっきりとわかる。足場は起伏も安定しないし、樹は創志が両手を広げても直径に届きそうもないものがわんさか生えている。来た時は、ほとんど空からだったので確認することもまともにしていなかったが、荷物を持ちながらだと実に歩きにくい。
つまりこれは魔物に襲われても対処しにくいというわけで、十分に周囲を警戒しておかなくては、荷物が奪われてしまう可能性も高い。
だからだろうか。普通なら気づかないくらいの遠方にいた、高速でこちらに向かってくる何かがいたのに真っ先に気付いたのは。
「何だこれ……俺より速い」
全力ではなかったとはいえ、それでも移動速度はそれなりに速かった創志よりもさらに速くこちらに向かってくる何か。周囲の魔力を最小限に引きずって移動する洗練された創志の移動方よりも遥かに荒く、周囲に魔力をまき散らして進む何かは、粗削りであるが故に創志よりも勢いがあった。というよりも、その勢いが空気中の魔力を媒介にしてこちらまで伝わってくるようになったので、もうあまり集中の意味もない。
まるで猪のように一直線にこちらに向かってくる様子から、森の中特有のモグラやミミズに似た地中の走り屋なのかとも考えるが、それならこんな簡単に気付けるわけもない。空気よりも固い媒体である地面は魔力が波紋として広がるのに抵抗が強いからだ。なのでどう考えてもこっちに来るのは地上の生き物だということになるのだが、それにしては森の木々を迂回する様子がない。粗削りなのに伝わってくる魔力にブレがなく、本当に一直線でこちらに向かってくる。
嫌な予感がビンビンしてきたので、こっそりとその射線上から避けようと右の方に少しばかり跳んでみる。”跳躍”の基本魔法を編み上げて凡そ三十から五十メートルほどに距離を取ったのだが、その分だけ何かも進路を変更しているように感じられる。更に嫌な予感が強くなったので、今度はもっと大きく距離を取ったら、ガクンと進路をこちらに向けて何かが進んできた。
これどう考えても狙いが俺だよなと確信するに至り、荷物を地面に置いて、腰に差していた木刀の柄に手をかける。これだけの速さであっても、一直線に飛んでくるだけならタイミングさえ合わせることであっさりと斬れるだろう。この場合重要なのは、正確に斬線を捉えることと勢いに持っていかれないだけの瞬間的な力である。木刀の強度と切れ味が低いことくらい、フォロー出来ないことでもない。
集中する。周りの状況を把握しながら、同時に自分の体の繊維の一つ一つを意識して、力を込めるところから木刀を振りぬく所までをシミュレーション。軽く息を吐き、全身に緊張を渡らせておく。
近づいてくる速度からタイミングを予想、およそ七秒後に左から右への振り抜きで敵を斬る。
七、六、五、四、
―――――おとおさぁぁぁぁああん
三、二、
――――おと―――さぁぁぁぁぁあん―――――
「お父さん!」
「はあ!?」
斬ろう斬ろうとタイミングを計っていたら、出てきたのは薄く光を通すレースのような長い緑の髪を流した幼女。全身が淡く光っており、しかもなぜかこちらを見て、涙を浮かべながらお父さんと言ってくる。
あまりにも予想外の事態に、剣を振りぬくことを直前でなんとか止める。流石に目の前の存在が敵意を持っていないことくらい目を見れば何となくわかったし、それ以上に今の言葉の意味を知りたい。自分はまだ女性と関係を持ったこともないのに―――――と混乱する。
ただ、そこで動きを止めていたのは失敗だった。
「ぐはっ!?」
「お父さぁぁぁぁぁぁぁあん!!」
顔を涙と鼻水でぐちょぐちょにして、とんでもない速度のままで幼女が創志の腹部に突っ込んできた。
幸いにして、幼女は見た目に反して羽毛のように軽かったのでダメージは薄かったが、突進の衝撃は完全には消せなかった。その場で少したたらを踏む。
男の意地で耐え切った後、何か説明をしてもらおうと幼女を見るのだが、ものすごい泣いていて声が聞こえそうにない。
幼女の来た方角の遠くからは精霊の気配がする。
「あ~。もしかしてまた何か厄介ごとだな」
事情は分からなかったが、どうせ今回もまともな事じゃないと取り敢えず冷静になるところから始めることにした。
★★★★★
「ふざけんなよこのアホどもがっ!」
冷静さは三秒で消えた。
幼女を追いかけていた精霊たちが言語による会話ができるレベルの知性があると分かり、その精霊たちがどうやら力を暴走させた幼女となったリナを止めるためにやってきた保護者的な立場であるということが分かるに至って、創志はキレた。
「なんで子供一人止めて置けないんだよ! というか世話役として任されたっていうんだったらもっと努力して俺に迷惑かけるなよ! まず第一に分かってる? 俺だって生後一年と三か月くらいの幼児なの、幼児! 年端もいかない子供に大事な巫女の世話を任せようとか思うなよ!」
「いや全くソージどのの言う通りなのですが……」
「それにそもそも人選から間違ってる。やる気がないんだったら担当変えろよな。何度俺が精霊の暴走を止めたと思ってる。久しぶりに見に来たらいつの間にか死んでましたとか洒落にならないんだぞ」
いつもの飄々と様子もどこへやら、叫ぶように説教していく創志。刃物もなく、美的センスも皆無であるために切らなかった長い髪を逆立てるようにして怒る姿は一種の獣を思わせるほどの迫力があり、その怒りを向けられている上級精霊各位は地面に両膝をたたんで座らされている。
一般に正座と呼ばれる方法で座らさせられている精霊たちの中には最初、不満そうにふよふよと地面から浮かんでいくものもいたのだが、そういう精霊は創志の”痛いけど切れてない”という泥棒捕獲用の剣技を使って容赦なく斬られて激痛に呻いている。いくら後遺症がないとはいえ、それを見てあえて逆らうものはいなかった。
それにそもそもここにいる全員が創志に一度くらいは斬られても仕方ないくらいのことをやらかしているので、礼儀を失してあえて斬られるかもしれないことは誰もやりたくなかったといえる。
正座している精霊たちの中でも一番眩しい精霊が躊躇いがちにとはいえ口を開く。
「しかし、我々にも事情がありまして……」
「ほ~。事情ねえ。事情ってのは何だ? 自分の子供を様子を見に行けないほど忙しいのに、子供を作る時間はあったっていう摩訶不思議な事情についてだったらぜひとも教えてくれないか? そんな子供の敵はちょっと斬っておくからさっさと話せ」
「なっ! 貴様精霊王様に対してそのような口を利くということがどんなことか……」
「黙れ」
創志の失礼な物言いに、口を挟まずにはいられなかった女性型の上級精霊を切り飛ばす。空中で三回転半して地面に顔面から落ちた精霊は、時折ピクピクと動くだけで反応が返ってこない。
はあ~、と大きくため息を吐いた創志は、敵意と恐怖のごちゃ混ぜになった視線で見てくる精霊たちに大して指を突きつけ、懇切丁寧に説明してやる。
「リナの父親が精霊王とかは今はじめて知ったがどうでもいい。そもそも俺が怒ってるのは、精霊の人選ミスとかよりもまず、一回も親が様子を見に来てないことだ。様子を見に来る余裕もないってんならなおさら人選はしっかりと選定するべきだし、少なくとも飽きっぽい原初精霊に任せるなよ。そもそもそういう人員がいないんだったらまず作るな。それともまさか、俺が低級精霊たちの懇願で世話を見てたからって、しばらくほっといてもいいって思ったわけじゃないよな? 俺がこいつの世話を見てるのは、単に情が移ったからと成り行きで、俺がいつどこに行ってもおかしくないんだぞ? 言葉にして頼みもしてないのに、そいつを大切な守り子の世話係にするっていうのはちょっと虫が良すぎるんじゃないですかね? それにようやっと時間が取れて様子を見に来たとかだったらともかく、いきなりリナの力が上がってからやってきて異常事態に気づくとかちょっと終わってるよね、それ」
「……全く持っておっしゃる通りです」
創志が今もしがみついて離れない見た目三歳くらいの幼女―――――急成長したリナを安心させるように撫でながら、考え付くだけの不備を上げていくと、何も反論できないようで精霊たちは俯いていく。
ちなみに原初精霊というのは、創志をここに連れてきたり、リナと一緒に遊んだりして常に傍にいた精霊たちのことである。誕生してからあまり年月も過ぎておらず、単純な思考と忘れやすい性質を持った子供みたいなものだ。しかもとびっきり厄介な悪ガキではあるが、頼まれたことを必死にやろうとはしていた。よくやることを忘れてて遊んでただけで。
「しかも力に目覚めたばっかりの子供一人止めらんないとか……。お前ら仮にも上級精霊なんだよね? それ真面目に正解してる? 嘘ついてない?」
「ソージ様がリナとお呼びになっている方は、精霊王様の系譜でありますが故に覚醒した状態での単純な力であれば我々では及びもつきませんので……木々もリナ様の意思を反映して、私どもの邪魔をしてきましたし……」
「だめじゃん」
何とも情けない言葉に、怒りも一周通り越して呆れに変わった。これが本当に自分よりも年上の存在なのかと脱力しかけてしまう。
相手の不甲斐なさに湧いた怒りに任せて怒っていたのに、不甲斐なさ過ぎて怒りが消えるとは何とも不思議な事である。少しばかり冷静さと余裕を取り戻し、一旦感情をリセットする。
やるべきこと。確認しておきたいこと。自分がやりたいこと。それらを考えるには、少々分からないことが多すぎる状況だ。
そんなところに幸いにして自分よりもいろいろ知ってそうなカモがねぎをしょってやってきたというのが今の状況であろう。
「……とにかく、今まで俺に何も教えてこなかったが、今回はやってきたんだ。俺の納得いくまで説明してもらうからな」
ニタリ、と笑いながら話してくる姿は、先ほどまでとは別種の迫力で精霊たちを震え上がらせた。