過ごす日々
赤ん坊を育て始めて三か月。およそ生まれてから六か月が経った頃。
「……おい。遊んでないで手伝えよ。本当はお前らが世話するところだろ。もう俺の知ってる少ない育児知識位なら教えてやったんだから自力でやれや。そして森の外に出せよ」
呆れるようなため息とともに、仁王立ちした子供が空をふよふよ飛んでいた精霊たちに声を掛ける。かけられた方は、まるで聞こえない聞こえないとどっかの猿のように耳を塞ぐ仕草をするが、そんなのを大人の容姿の連中がしてもただただイラつくだけである。取り敢えず右手に持った棒を一振りして、剣撃ならぬ”打撃”を発生。近くにいた精霊を三体くらい空に打ち上げ、見事、お空の星に変えることに成功する。叫び声のような声が聞こえたけど無視。ちょっと遠くで光ったようにも見えなくないがそれも無視。
ちなみに今空の彼方に飛ばしたのは風の精霊なので、一日くらいかければ多分戻ってこれる。故に何の問題もない。
「―――――やれ」
どうしても子供ということで舐められている現在、やる時にはやることを決めている創志に一切の迷いは無かった。一応、剣撃を放たないだけの優しさはあるのだから十分だろうと、次の標的を決め始める。
一秒と立たずして、その場にふよふよ浮かんでは遊んでいた精霊たちが消え去った。
「ふぅ。全くあいつらは。なんでこうすぐにサボろうとするんだよ。自分たちの巫女くらい自分で世話しようとか思わないのか」
そうやってもう何度目かわからないため息を吐くのは、白髪を後ろで束ねた創志。なんともまあ呆れることについ数日前に完全な二足歩行ができるようになり、ようやく辺りをまともに動くことができるようになったのである。
愚痴るのは、何故か創志が担当のようになっている精霊たちの育てている赤ん坊の世話のこと。無論、創志が世話をする義務も義理もないのだが、ここ最近まで歩けないままにどうにかこうにか木々伝いにどっかに行こうとすると、道を塞がれてこの広間の中に閉じ込められて世話をするように泣き落とされていたという次第である。
やろうと思えば、木刀を用意した後だったので、叩き切って逃げられなくもなかっただろうが、そもそもどこに行くのかという疑問もある。どうせここからどこかへ行っても行き先も分からず、というか目的地自体がない。だったら孤独で誰もいない毎日よりも、多少は面倒でも騒がしい方がいい。
そう、決して涙と鼻水垂らして土下座して懇願してくる精霊どもに押されたわけでは無く、これは理論的戦略的な撤退なのだと自らに言い聞かせながら。
とは言え、こちらに全部厄介ごとを任せてさぼっているのを見ると、イラッと来るのは最早理屈では無い。
「せめてもうちょい飽きっぽいのを直してくれれば精霊もちょっとはましな奴らなんだけどなぁ」
すぐに泣きだして世話をするのが大変な赤ん坊の世話に立候補しては、三十分後にはふよふよ空を飛んでいるところを目撃するのは日常茶飯事。普通の精霊は言葉ではなく、感情で会話するので意思の疎通はどうにかなっているが、世話を放棄したときの実に九割が飽きたという解答だった時、もう意思疎通とかいらないなとブチ切れたのは記憶に新しい。創志も前世の言葉を話しているのだが、それで一応通じるのだからもうちょっと言葉に責任を持ってほしい。
そんな思いが愚痴るように吐きだした言葉には一概に言い切れないほどの感情が含まれている。怒り、脱力、後悔。なんだか自分が真面目に世話しているのが馬鹿に見えてきて虚しい。
取り合えずストレスでも解消するかと木刀を振るっては久しぶりの訓練をする。久しぶりと言っても今世では初の修行になるのだが。
上段から振り下ろし、切り上げ、斜めに袈裟懸け、横薙ぎに一振りして、自分の理想の動きと現実の動きのズレを確認、修正を行う。やはり前世の記憶にあるような感覚で剣を振ろうと思っても筋力が圧倒的に足りない体はあまりついてこない。ついでに体格の大きさも全然違うので感覚も随分と違うし、木刀自体の重心とかも以前使っていた刀と違うために動きにブレが生じている。
これはひたすら動いて誤差を修正していくしかない。そう思って今度は大きく振るうのではなく、同じ方向の斬り方を細かく分類する作業を行――――
「っておわ!?」
気付かないうちに足元に創志が育てることになった赤ん坊が寄ってきていた。
足の踏み込みをしようとした瞬間を狙うかのような絶妙なタイミングで着ていた服の足の端を掴まれ、転倒しかかるのをなんとか防ぐ。さっきまで寝てたと思ったのに、いつの間にやらこちらまで来ているとは赤ん坊の生活サイクルは予想もつかない。
「リナ。頼むから手を離してくれないか」
しゃがんでから柔らかくこちらのズボンの裾を掴んでいるリナと名付けた赤ん坊の手を掴んで、言ってみたのだが「いやいや」とでもいうように首を振ってから今度は足首まで掴まれた。音にするなら、う~だ、とでもいうような声とともに行う仕草は世の人間の大半を魅了するのだろうが、甘えられたとしても今は少々忙しい。
――――――てか、さっきまで君俺を困らせて遊んでたよね。俺が食料とか取りに行こうとしたの、泣き叫んでは邪魔したよね。
やっと寝たと思ったのに。なんで音も立てずに離れてから逃げたことに気付くのか。匂いでもするのだろうか。
精霊たちの巫女となる半人半精霊の赤ん坊であるリナを育てるのに協力する代わりに、働いた報酬として受け取った精霊の羽衣なのだがもしかしたら変な匂いがついているのかもしれない。和風の着物っぽい見た目の服で、結構お気に入りなのだが何故かこれを着ているとリナがどこまでも追跡してくる。
「リナさん頼むから離してください。俺はこれから食料を取りに森の中に行ってから、相変わらず食料の観念が希薄な精霊たちがおかしなものを取ってこないかを見張らないといけないんです」
「あ~う~」
「いや、首を横に振らないで。頼むから人の話を聞いて」
半分精霊であるが故か、知能はそれなりに高く、こちらの言っていることをちゃんと分かってくれているのだが、しかし感情は別物らしい。その緑の瞳には涙を浮かべ、泣きそうになっている。
結局その後、リナに中身が牛乳みたいにトロトロの果汁で埋め尽くされている堅い実を持ってきた精霊たちが帰ってくるまで、創志は離してもらえなかった。
★★★★★
そんな長い苦闘を経て、現在の一年目に至るわけである。
あの精霊どもは、リナの方は柔らかかったり甘かったりするものを持ってくるくせに、創志の食べ物になると動物の生き血やら肉やら野菜などの随分と適当なものを持ってきやがるせいで食生活がとんでもなく大変だった。歯もまだ生え揃ってないのにどうやって噛み千切るんだよと叫んだ次の日には、何故かとんがった犬歯が生えてきて精霊たちの悪戯を疑ったのも今となっては懐かしい。
そんな波乱万丈な幼年期を過ごした創志も一歳と三か月。とうとう体がそれなりに大きくなり、毎日動くので少しだけ体を維持する筋肉もついた。今の創志は五歳時くらいの体の大きさである。線は細いのだが、それでも成長が早すぎる気がする。というかありえないほどに成長が早いのだが、早く動けるようになる分には問題は無いので深く悩まないようにする。
そんな目下の創志の悩みはリナの成長の遅さである。
リナも少なくとも一歳になっているはずなのだが、全く成長した様子を見せない。最初に見た時よりもふっくらしており、食べたものが吸収されているのは分かるのだが、それが身長とか大きさに向かっている気がしない。
半精霊というのは、ファンタジーにあるような成長が遅い種族だとでもいうのだろうか。少なくとも以前よりは少しづつだが大きくはなっているのだが、それでも成長が遅い。創志と比べれば、三倍くらい違うんじゃないかと思うほどには成長の度合いが違うのだが、これは一体どういうことなのか。
創志の成長が早いのか、それともリナの成長が遅いのか。案外どっちでもあるような気がするが、もしこれが何らかの病気とかだったら早急に蘇生薬でも治療薬でも探しに行かないといけない。最初は成り行きとは言え、一年間苦労して育てた赤ん坊である。情だってあるし、できる限り危険性は排除しておきたい。
しかし将来的には金策も必要になるはずだ。少々気が早いが嫁に行くとなったら色々と物入りかもしれない。どうせなら材料集めにユニコーンやペガサスの角を折る時に金になる分も視野に入れておこう。
そうと決まれば話は早い。また精霊たちがリナの周りで遊んでいるが、今回はそれを無視。サクッとかりに出かけることにしよう。
こうして創志は誰のツッコミを受けることもなく、森の中に行くのであった。
★★★★★
体が軽い、ということがこんなに爽快感を及ぼすとは生前は思っていなかった。
飛ぶように駆ける。いや、むしろ跳ねるといってもいいくらいに縦横無尽に森の中を移動する。上下の平衡感覚が分からなくなるくらいに全力を出して暴れまくると、次の瞬間には体に強烈な風の勢いが吹き付けて爽快感を感じる。
未だ感覚の馴染まない肉体が、動きの一瞬一瞬の間に体のいうことを確実に聞き始めるのを確認する。
先ほどまでは慎重に行こうとか考えていた理性はとっくの昔に吹っ飛んで、今はただ自由に駆けずり回れることの楽しさにテンションが天井知らずに上がり続けている。
尖がっている大樹の尖端に足を乗せ、今乗っている樹よりも高い場所に跳躍する。
急速に流れていく地上の光景と少しだけ近づく空の雲を遠くに見ながら、次の場所を探しては飛び続けていく。
勿論、こんなアクロバティックなことが一歳児の素の身体能力でできるわけもなく、実際には裏側で干渉種としての能力を使用し、魔力による動きの補正という高等技術で能力の底上げを行っていた。
魔力とは可能性の素子であり、そのもっとも基礎的な力は「そこにいる」「そこにいない」という二つの可能性の属性を補完することができるということである。
創志は、まず跳躍の直前に自分は「そこの空間にいない」という魔力の性質を引き出し、初動を無くすほどのとんでもない速さで加速、次に「着地点のところにいる」という性質を引き出して、着地するといった能力の発動の仕方を行っている。これは一応干渉種の使う魔法に属する技術だが、ものすんごく基礎の基礎であり、性能と精度を度外視すれば、どんな子供でも無意識のうちに仕えている技術である。
速さや精度を上げるにはただ一つ、ひたすら走り込めばいいという実に簡単な技能であり、故に天性の不器用であり、一つを除いて魔法の適性がほとんどなかった創志にとっても扱うことのできる移動方法である。
魔法自体は、干渉種でも保有種でも、その精神の質と器自体が問題になってくるがために、創志が転生した今の体では使えないということもなく、故に高速で空を散歩することも可能。ちょいちょい速度がおかしいことになっているが、高速戦闘においては空気抵抗も周囲の魔力を引きずるのと同時に軽減するのが当たり前として刷り込まれていたため、体に当たる風は実に爽快と感じる範囲で収まっている。
木々の頂点をジグザグに跳び、山の方にあった谷を飛び越え、だんだんと自分でもよく分からない方向へと向かっていくその行進を止められるものはいない。野生動物はそのあまりの勢いと伝わってくる魔力の波紋に隠れ、魔物は必死に気配を殺す。それが故に、狩りを行おうとした創志の目の前に他の生き物は現れない。
というか、創志も最早当初の目的を忘れ始めて、ひたすら体を動かすことに夢中になっている。
「いいいいぃぃぃぃぃぃぃいいやっほうぅぅぅぅぅぅううううう!!!」
どこの野生人かと思われるような雄たけびをあげて、空中で縦に三回転を決める。長らく動けなかった鬱屈が今になってこの無駄に高いハイテンションとしてはっちゃけていることを考えれば、当然なのかもしれないが、それでも流石に声が大きい。
それを不快に思ったのかは知らないが、創志が空中で胡坐をかきながら後ろ向きに湖の上を跳んでいる最中に、水面から巨大な魚が姿を現した。
水面からは優に三メートルはあるだろうに、そんな距離無いに等しいといわんばかりの見事な飛び出しで、およそ全長四十メートルにも及ぶ巨大な魚が大口を開けて創志に向かってくる。全体を見れば胴体も普通に広く、体系的にはピラニアなどともあまり変わらないのに、その体表には無数の棘が生え、大きさは見上げるほどに大きい。
「あ」
バクン、とその大きい魚は宙にいた創志を丸呑みにする。それを創志は小さな呟き一つ上げた後、特に腕に持った木刀も振らずに素直に呑みこまれた。
湖の主でもある魚は、先ほどまで宙を飛んでいた猛禽鳥よりもうるさい小さな何かが自らに食われたことを認識し、そのことにどことなくすっきりした様子で、骨しか残っていない尾を左右に揺らして再び水中に戻ろうとする。
ただ、骨しか残っていないため、水を掻いて前進することは出来ない。しかし魚は、自分の胴体が骨を残して全てそぎ落とされていることに気付かないままに、水面に潜ろうとして失敗する。
自分の体が何故かいうことを聞かない。どうしてなのかと疑問に思って、ひたすら泳ごうとするもののそもそも前進すらできない。そして湖の主は、疑問に思ったままにその動きを永遠に止めた。それを冷静に見つめる視線が一つ。
「この魚でかいなあ。骨とか何かの薬とかで売れないかなあ。身は刺身で今日のご飯だな」
今しがた魚に斬ったことを認識させないくらいの速さと鋭さで魚を捌いた創志は、早速次の料理をどうするのかを考え始めることにした。