剣士と不吉3
―――――その日、大陸の辺境で、豊穣の海沿岸沿いの港町に住んでいた人々は、遥か遠くの空の方角で、とんでもない勢いの黒の雷光が東の空へと抜けていったのを見た。
遠く遠方から東の空を夜と見まごうほどに黒く染めるほどの大きな雷は、それから数秒の間、轟音とともに明滅し、空に大きく後を残した後、徐々に細くなって最後には消えた。
ただ、その強烈な閃光を見ていた人々の記憶には、禍々しいまでの雷はしっかりと残った。
「おいおい。いったい何だっていうんだ!? あんなところに古代龍なんていたか!?」
「おい。お前、あれを見て古代龍なんて判断したのかよ。どう見ても違うだろ! きっとありゃあ悪魔か何かの魔術だぞ!」
「いや、失われた術式の使い手が何か大規模な実験をしたんじゃないか?」
「そうか? どちらにせよ、これはどっかに言わないと不味いだろ。あの雷がもしこっちを向いてたら間違いなく町の結界を突破して焼き尽くしたに違いないんだからな」
「不味いな。今はSランクがこの周辺にいるって聞いたことないぞ。もしかしたら俺たちだけでも対抗しないといけないかもしれない」
「確かあっちの方は……無人島が一個あったはずだな」
「じゃあ、あそこで何か起こったってことか!?」
人々に不安と恐怖を抱かせ、疑念と憶測を呼び、新しい災害が来るかもしれないという噂が、港町カトスを中心に広がっていった。
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新月の夜よりもなお暗く、地獄の闇よりも色濃く残る漆黒の雷剣は、シェヴァストロが振り下ろしたのと同時に、刀身に纏っていた黒の雷を前方の敵に向けて迸らせた。
術式の刻まれた刃から放たれた雷は、自由を得た鳥のように暴虐の限りを尽くし、空へと登った。それは創志との激突で作られていた半球状の魔力のドームを突き破り、二人の激闘に邪魔を入れない役割を果たしていた結界を完全に掻き消すほどの威力。
故に、シェヴァストロは、自分の視界全てを覆うほどの極太の黒雷が消えるその瞬間まで、自分の勝利を確信していた。
例え創志が雷の術式を認識できていたとしても、あの位置では防御の為に武器を引き戻すのも間に合わないし、そもそも創志は魔力を使った雷球などの攻撃を防ぐときに、必ず魔力で構成された術式の方を崩して防いでいたので、直接雷を防御していたわけでは無い。そして今回は、術式の本体がシェヴァストロの持つ黒剣に刻まれていた以上、その黒剣が無事ということは、創志が雷を防げなかったということだ。
もし仮に、創志がこの攻撃を奇跡的にでも耐え切れたとしても、再生能力も回復術式も持たない創志ならば確実に重傷を負わせているに違いない。先ほどまではギリギリのところで拮抗していたが、それならば残りは一気に肩をつけることができると。
シェヴァストロのその目論見は、黒雷が目の前にある何もかもを抉り切って、上がっていた土煙の中から刀がシェヴァストロの顔面に向けて飛んできた瞬間に霧散した。
「なっ!?」
それ以上の言葉を発することは叶わず、シェヴァストロは首を横に曲げることでどうにか紙一重、頬に浅い傷を一つで刀を回避する。
と、思った瞬間に斬れた左頬から更に深く斬撃が斬り進んでくる。当たっただけ、掠っただけで、物体を真っ二つにする”割断”という剣技。頬がざっくりと斬れ、口内の牙まで到達し、舌に当たるところまで食い込んだ後、斬撃は消滅する。この剣技のことはシェヴァストロも知っていたのだが、生憎と創志はシェヴァストロに気付かれない様に、魔力をできる限り隠蔽していた。
吸血鬼といえども変わらない赤い血が頬から噴き出し左の視界が狭まる中、シェヴァストロはすぐに振り下ろしていた剣を左の前方へと振り抜きに行く。自分の眼前に既に創志はいない。ならばいる場所は自分の死角だろうとほとんど反射で剣を振る。
戦士としては破格の反応だろう。自らの傷に怯まず、即座に敵に反撃を加えるという一連の動作に、動揺も停滞も一切見られなかった。
ただ、創志ほどの剣士を相手にして、見えない状態で剣を振るというのは些か焦りすぎた
横薙ぎの一撃を放つシェヴァストロの右手を手首から紫の短刀で斬り落とし、ついで藍色と緑色の混じり合った混色をした短刀で右足の腱を断つ。
シェヴァストロの左半身が超速で再生し、左腕ができるまでに体勢を崩した足を切り飛ばし、腿と二の腕に差し傷を開けて要所要所の体の神経を断裂させながら、末端を走る血管を斬り続けていく。シェヴァストロが反撃の為に右腕を動かそうとすれば、右の腕の腱を断ち、膝をいれてこようとすれば掌で抑え、魔術を放とうとすれば喉を裂き、後ろに退こうとすれば足を飛ばす。
シェヴァストロが次に何かをしようとするたびに、まるでその位置が分かっているかのように先んじて拳で殴り、手刀で斬り、膝を入れて、短刀で裂く。動きの兆候となる筋肉の緊張から相手の次の動きを推察し、術式ですらも切り飛ばしては反撃を許さない。一方的なまでの蹂躙に、倒れることも許されない。
シェヴァストロが再生と同時に動こうとしては、確実に動きを斬られて止められる。戻りかけの肉体の動きを推測し、観察して攻撃できるのは創志の筋肉の収縮を捉えるほどの視力だけでは無く、彼の戦闘経験からくる勘とシェヴァストロが体内を循環させる魔力の流れ、剣を持つ存在がどのように体を動かすかという合理的な戦闘技術の知識が、曖昧な予測をほぼ百パーセントの確信へと変えている
ただ、シェヴァストロも長い年月の末に、あらゆる戦闘経験を積んだ達人だ。創志がどのように判断しているのかが分からないわけでは無い。
だが動けない。何故なら戦いにおける達人の動きというのは体に染みついた癖のようなものである。どうしても動こうと思えば隙ができ、それを見逃すほど創志は甘くない。隙の無い動きはすべて創志に看破され、意表を突く動きでは隙が大きい。
故にシェヴァストロは、再び体を捨てた。自ら創志の振るう剣に突き刺さりに行き、あえて肉を切らせることで創志の刀を止める。
創志が反応できないほどの速さで瞬間的に動くことは出来ない。だが、だます様にして魔力を急激に集中し、相手の武器をからめとるだけの時間を稼ぐことはできるはずだ。
故にシェヴァストロは創志の刃を受けた。腕を斬られている途中から瞬間的に魔力を集中させ、斬撃に耐えるだけの耐久力を発揮させた。
その瞬間、創志はまるでそれが分かっていたかのように刀から手を離す。からめとろうとしたシェヴァストロはまたしても動きが後手に回った。
右手に握っていた刀を手放した後、創志は右薙ぎの一撃から流れる様にそのまま右の手刀へと移行し、シェヴァストロの腹部に手を当てた。
瞬間的に腕に魔力を集めることに集中したせいで、シェヴァストロは創志の右の手刀を起点とした”割断”の剣技を防げない。当たったところから見えない斬撃が胴体を進み、シェヴァストロは上下に分かれる。
ぐらついて倒れていくところに更に十の手刀と二重の打撃、そして止めとばかりにあのシェヴァストロを叩き切った足刀を放った後、空中を舞っているシェヴァストロの右腕にあった刀を引き抜いて心臓に突き立てた。
地面から浮いたところに貼り付けになるシェヴァストロ。さきほどまで常時再生していたはずの体は治らず、両腕は切られた格好のまま治らない。
人体の要所から大量の血を吹き出し、辛うじてまだつながっていた首を上げて、創志の方を見た。
「……後学の為、どうやってあの雷を凌ぎ切ったのか教えてくれないか」
シェヴァストロは体がバラバラに切り刻まれ、五体がないことなど全く気にしてないかの如く創志に問いかける。事実、シェヴァストロは自分の体がすでに再生しないことを悟っていたが、それよりもどちらかといえばどうやって創志があの雷を防ぎ切ったのかが気になった。
対して心臓に刀を突き立てている創志はというと、全身が熱で火傷を負い、皮膚があちこちずる剥けになってボロボロの状態になりながらも、未だ五体満足にまっすぐとシェヴァストロの方を見ていた。
「別に凌いだってほどのことじゃない。雷だって、電位差の高いところから低いところに流れるっていう本質は変わらないはずだ。そう認識して、その認識に雷の次元を落とし込んだ後は、雷の流れの要所を小太刀の”柳緑”で斬った。流れが速いのと、高熱を発していることさえ気にしなければ特に何のことは無い、海や水を斬るのと同じように斬線を捉えて斬ればいいだけのことだった」
「なるほどな……」
シェヴァストロの最大の失敗は雷の術式が創志には通用しなかった、と想像できなかったという点だろう。そしてもう一つ、創志はあえて教えることはしなかったが、黒の雷は熱と速さは再現していたのに、雷による麻痺などは一切なかった。恐らくはその点を再現しないで速さと威力に特化した特製の雷だったのだろうが、それでは至近距離で斬っても動きを止めることはできない。そもそも至近距離に近づいただけで焼けちるような熱さがあったので、”熱”も同時に”沈藍”で斬って遮断しなくては防ぎきれるような威力でもなかったからあえて必要なかったのかもしれないが。
「で、言い残すことは? 分かってると思うが、お前の体と精神に合った魔力は流れごと全部俺が斬って崩したせいで再生は発動しない。ついでにお前についていた外部からの魔力供給経路も斬っておいたから例え長命種でもそう間を置かずに消えるだろう」
油断の無い視線をシェヴァストロに向け、言葉を向ける創志。戦いの最中はこちらが負傷していたこともあって余裕なく、短期で決着する為にも相手と会話することは無かったが、勝敗が決まった今、できればある程度の情報を手に入れておきたかった。
そもそもシェヴァストロがもし遠距離での戦いの有利を放棄せず、創志を追い詰める様に戦っていれば決着は未だに分からなかった。この一点だけ見ても、そもそもシェヴァストロは目的だけを追い求めるタイプでは無く、狂戦士のように戦いの中に生きがいを求める狂人だというのは創志には容易に想像がついた。
ただ楽しむためだけに自らの有利を捨て、互いに五分の場所へと飛び込んでいく。今回は創志の方が近距離戦において勝っていたが、それでなくとも創志にリミッター解除である”対勇者”を使わせた後、斬撃融合という剣技の奥義まで使わなくてはいけなかったのだから相当である。
こういうタイプは自分が満たされた後、ペラペラと話してくれるのが筋というものなのだが、今回は少々違ったらしい。
「……そうだな。まあ、最期は自分の末裔に殺されたのだから私の方は良しとしようか。次までにもっと強くなっていろ」
「どういうことだ?」
謎の多い発言に創志がもう一度シェヴァストロに問いかけた時、吸血鬼の真祖は既に安らかに目を瞑っていた。
結局、シェヴァストロが襲ってきた理由は分かっていない。
そもそも、この男が一体何者だったのかさえも不明だ。
目論見がはずれ、謎ばかり残る結果に、この先も面倒事がありそうな嫌な予感を感じつつ、シェヴァストロの遺体が確実に砂へと変わったことを確認して、創志はひとまず二人の待つ場所へと戻るのだった。