門を開いた少女
精霊というのはどうしても、最初に生まれてしまったときの宿ったものに縛られる。例えば水たまりの水に宿ってしまった水の精霊は、水がない場所には容易には動けない。動けるにしても、その精霊は人間の赤子にさえ劣る能力しか発揮できず、すぐにでも倒れてしまうだろう。
反面、同じ属性の物の中ならば、ほぼ絶対的な支配権を行使することも出来る。最もそう言った物にも能力の個人差は存在するのだが。
要は、精霊というのは環境に非常に左右されてしまう存在なのだ。それが自然に起こった災害であれば、耐えることも適応することも非難することも出来る生き物であるが、突発的な人為的災害にはどうしても弱い。
――――だから今、自然の何もかもが急速に朽ちていく島で、そこにいた精霊たちは自らの力を失っているということである。
「頼むから、私の術式で開いてね……!!」
仮に力を短期間に、大量に失えば、精霊としての存在維持すら危うい。精霊にとって、身近な場所の自分と同属性の自然というのは、他の生き物で言えば空気にも等しい。しばらくなくても持ちはするが、長期間なくなればすぐに死が訪れる。
だからこそリナは、精霊が死なないための精霊界への道を開かなくてはいけない。
「 ■ ■ ■ ■ 」
術式を展開する。
まずは中空に金色の文字列で作られた光の円環を描き出す。頂点からはじまり、時計回りに文字が一周した後、徐々にその円環に回転を加えていく。
そして回りだした円環を挟み込むようにして、今度は前後に二つの円環を描き出すために銀の文字列が書きだされていく。
この時点ですでに、幼いリナの精神には多大な負荷がかかっている。
「 ■ ■ ■…ぐうぅ……」
銀の円環が完成しようという段になって、リナに体の上に岩でできた象が乗ったような疑似的な重圧がかかる。
身動きも取れないと思うほどの重圧の中で、なんとか膝を折らずに耐える。体感的には十分も過ぎ去ったように思えるのに、実際には何秒と立ってないだろう。そんな一瞬の長時間を経て、銀の円環が回り始めてようやくリナの体の負荷は減少を始める。
陣の円環の回転は、そもそもの術式の安定性を術者の精神に寄らずに行うためだ。それがどうにか完成した今、リナの負担は大きく減る。
これで門は呼び出した。
「はあ、はあ、はあ、ふ――」
総体という大きな枠組みで連続していて、しかしそれぞれの個では必ず変化を起こしては一つとして同じものを残さない、そんな自然に宿る精霊たちの真の意味でただ唯一休める場所。精霊の宿る場所を精霊自身が自由に選べる場所。精霊界はそんな既存の常識を無視してかつての精霊王と四大精霊が作り上げた精霊の楽園だ。
そこへ繋がる術式は並大抵の難易度ではない。
必要なのは、門を呼び出し、三つの閂を外す術式と一つの鍵を外す条件。
リナの額に汗が滲む。
自然と彼女は、息を思いっ切り吐いて、吸っての深呼吸を繰り返していた。
三つの閂、実は創志の知ってた裏技で時間を掛けずに攻略できる。
リナが今よりも更に幼く、すぐに泣いてしまう子供だった時、創志は自分が旅をした時に見たものを色々と話してくれた。その中に、精霊界へと向かう勇者の話があったのだ。
本人は精霊界に入ることを許されなかったらしいが、門の前で勇者を見送って待つことはできたらしい。
その時に、創志は精霊界への門の閂の外し方を大体で知っていた。
干渉種という枠組みにあろうと、周囲の魔力の分布に干渉できる時点で、目の前の魔力の動き自体はどのようになっているかを把握することはできる。
故に、術式の把握までは至らずとも、どういう現象で閂を外せるかまでは知っていたのだ。
「 ■ ■ ■ 」
多少、負荷の軽くなった中で、自分にできる限りの精度と速度で新たな術式を展開する。
高速で回転する円環の中心に、ふわりと浮かんでいるのは、盾の上に二つの剣を交差させたそんな物。
それこそが鍵であると確信し、交差する二つの剣を重ねるように回転させる。
剣が丁度二本そろって天を向いたとき、重なり合っていた二本の剣は合わさって、一本の大剣になった。
(これで一つは無くした)
ついで、大剣の切っ先を盾の方向に向けることで、盾と剣を互いにぶつけ合う。
その次の瞬間には、剣と盾のあった場所には血のように紅い宝玉が浮かんでいる。
(二つ目も三つ目と一緒に破壊)
本来は、こんな風に封印同士をぶつけてから対消滅させるなんて言う解き方は邪道なのだが、そんな上品なことを言っていられる余裕もない。
残った紅玉に、リナの中の精霊王の血を風によって運べば、そこにあった封印はすべて解けた。
宙に浮かぶ丸い歪みこそが精霊界へとつながる道。
空間が揺らいで見えるのはその場所にいくつもの未来の可能性が集中しているから。
あらゆる時の可能性。
あらゆる空間の可能性。
あらゆる変化の可能性。
あらゆる不変の可能性。
それらを混ざり合わせて作られた扉は、リナの記憶にはない”根幹として不安定”という感触を伝えている。
仮に精霊単体であれば、自身の身一つで行くことも可能ではあるが、原初精霊にはそういった精霊界に行くだけの術式の技量がない。
そして、他の精霊まで通れる扉を作るとなると、それには精霊王またはその血族であることが必要になる。
故に、今ここでこの島の原初精霊たちを助けられるのはリナしかいない。自分を最も幼い時から面倒を見て、育てて、遊んでくれていた家族たちを逃がせるのは自分しかいないのだ。
だからこそ道を作った。維持に負担がかかっているからと言って、折れるわけにはいかない。
「皆! 行って!」
リナは周囲にいた原初精霊たちに声を掛けた。
既に島から自然がなくなり始めて十分は過ぎている。息苦しさにも似た閉塞感で苦しんでいた原初精霊たちはその言葉に我先にと門の中へと飛び込んでいった。
門というのは通るためにある。
しかし、その通る人数が増えれば増えるほど、その門が不安定であるが故にそれを繕い、支え、維持する者には急激な負荷が掛かっていく。
現実に今、リナの術式領域の精神には、過度の負荷がかかっていた。
(……ぁ……が……)
声を出さない、否、声すら出ないほどの精神的負荷がリナを襲う。
意識が飛びかけた。
(ソージも特訓の時はむちゃくちゃだったけど、ロドも結構無茶を言うよね!)
渾身の力を振り絞ってそれを耐えたが、更に原初精霊が門を通るにしたがって負荷はリナの実体にすら影響を与えてくる。
腕に傷が生じる。
足から血が出てきて、立っているのも困難になる。
吐血する。
過剰というにも生温い強烈な負荷が、リナの現実側面の本体にもダメージを反映し始める。そもそも半精霊であるリナであれば、精神的ダメージはそのまま存在の損傷へと変化していく。
今通ったのは五十三体。島にいた精霊たちは二百体以上。残りは今通した数の三倍以上がいると思うとただでさえ霞みそうになる意識が更に遠のきそうになる。
ぎりっ、と歯を食いしばった。
原初精霊たちは恐慌状態だ。初めて自分の身の回りから自然が失われてしまうという状況に恐れて、パニックになっている。
もちろんリナよりも生まれてから長く存在している精霊もいるのだが、彼らと自分ではそもそもの潜在能力が違う。
本当にこの状況で彼らを助けようと思えば、自分が身を張るしかない。その自己犠牲にも似た献身的精神が、リナに術式維持を耐えさせている。
全部―――の精霊は救えない。恐らく、本当に生まれて一年もたたない精霊は、自我も意思も曖昧だから、自分がなぜ苦しいのかも理解できずに動けないだろう。
でもだからこそ、救える精霊たちだけでも救えるように、リナはここで門を維持するのだ。
「 ■ ■ ■ ■ ■ 」
不思議な旋律。
意味のある言葉を放っても、それが世界にとって何らかの術式となる意思と形を取れば、それはそのまま現象へと昇華する。
それであるが故に、術式を言葉に出せば、まともな言語は残らない。あるのはそれをあらわす符丁となる形と旋律。
歌うように滑らかに、謳うように高らかに。この五年、創志と上級精霊の間で術式を磨いてきたリナの技術は既に、一流の手前まで到達している。
信じがたいほどの才能。そしてそれに驕らない血のにじむような修練。その二つが、強烈な危機感を及ぼすと同時に、実力として花開き始めていた。
★★★★★
何体の精霊たちが精霊界へと向かっただろうか。
既に術式領域を超えて、感覚器官の大部分を占める領域までもが術式に侵食された現在では、時間の感覚も鈍い。
体に当たる風もほとんど感じられず、音もどこか遠い世界から聞こえるような感じだ。
視界に至っては、中央付近以外が黒の闇に覆われている。
それでも術式は止めない。術式を維持して、精霊を向こう側に送りつづける。
もしかしたら、本来は精霊界に来れない原初精霊が大量に送られたことであちら側の管理者の誰かがこちらへと来てくれるかもしれない。
そして、今も戦っているであろうロドの援護に来てくれるかもしれない。
そんな淡い可能性も引き寄せられると思えば苦痛でもなんでもない。
「……流石にこれは予想していなかったな。雷精がこちらに向かってきた時点で何かあるとは思っていたが、まさかこんな原石が隠されていたとはな」
不意に、リナの後ろから声が響く。落ち着いた低い声で、誰に媚びることもない絶対の自信を持った者だけが発することのできる強者の声が。
リナはそれを耳に入れ、およそ三秒ほどのタイムラグを経て疲れ果てた思考力でようやく認識し、後ろを振り向く。そこに立っているのは、肩に気絶した青年を抱えた男だった。
まるで月の無い夜を体現したかのような圧迫感に、体内から感じられる圧倒的な魔力量。
リナは、しかし術式を乱すこともなく、無感情に口を開く。
「……誰?」
「誰、と来たか。まああ、別に隠すわけでもないが……そうだな。シェヴァストロ・アルテ・カルド二ア。まあ、一番古い吸血鬼だな」
「……何の用?」
「用か……取り敢えず俺がこの島に来た理由にはいくつかあるが、お前に関しての理由だったら、「連れ去れ」と頼まれたからだな。まあ、俺も丁度暇になったし、新しい力を試す意味でも特に不満は無かったからな」
「……一つ聞きたい。貴方が島を朽ちさせたの?」
「そうだ、といったら?」
「消す」
リナはその無感情のまま、いくつか自然系統の術式を発動する。
ただそれは、発動の瞬間に男の強烈すぎる魔力の奔流に術式を編む前にかき消されてしまった。
「……まあ、確かに速い。術式の構成速度は、俺が魔力でお前の押し流す前に既に八割方完成していた。ただし強度が足りない。そんな不安定な力場で作れば、速さはあっても妨害は簡単だ」
「……」
しかしリナは止まらない。
男が話した欠点など術を使っているリナが知らないわけがない。既に次の術式は編んであった。
極太の光の束が、空から落ちる。
轟音を立てて、光の雨が降り注ぐ。ただ、その狙いであった男は軽く腕を上げてその手の平から黒い霧のようなものを展開し、傘のように広げることで完全に”雨”を防ぎぎっていた。
「ふむ……太陽の光を集めた高熱の光線による一撃か……悪くは無い。確かにヴァンパイアは光に弱いし、それを攻撃に使うという発想は間違いではないが……どうやら判断力を失っているようだな。こちらに貴様の味方がいることが認識できていない」
男は未だに門の術式を解かないリナの様子からリナの状態を推察。疲労と負荷でもうほとんど意識がないことを理解する。
「眠っていろ」
故に戦うまでもなく、隙だらけな彼女の背後に昏睡の魔術を掛ける。今の今まで振っていた光の雨は止み、維持されない門は閉じた。
男は肩に背負っていたロドを地面に乱暴に転がし、倒れたリナの方へ近づいていく。
「…………ま……」
「止めておけ。お前の精霊力はすべて吸い尽くした。後はもう僅かに残ったお前の寿命が尽き、消えるのを待つしかない。そんな状態では声も出せん」
ロドのか細い、とぎれとぎれの声が、シェヴァストロの極めて優れた聴覚に届く。ただ、そんな言葉で彼は止まりはしない。
「強い意思が何かを成し遂げる。正解だろう。だが、それも圧倒的な力の前には無力だ。雷精よ。お前は確かに強かったが、残念なことにお前の願いを叶えるほど、お前は強くは無かった。敗者はそこで指をくわえてみているといい」
シェヴァストロはそう告げて、その右手をリナの方に近づけていく。
だが、触れるか触れないか、髪の毛一本ほどの場所へきて、ピタリ、と動きを止めた。
止めたのは、背中に切っ先が突きつけられているから。
「――――――取り敢えず、お前が敵でいいな?」
仲間を傷つけられて、怒りに燃える剣士がそこにいた。




