終わりは唐突に
「薬草は持った?」
「持った」
「非常食は持った?」
「持った」
「着替えの服は持った?」
「…持った」
「予備の武器は……」
「もういいから。取り敢えず落ち着きなさい」
はあ、とため息をついて、成長した創志はリナを押しとどめた。
五年の月日の間に、創志の肉体は青年といっても差し支えないほどには成長し、生前の感覚から恐らくは百七十センチほどの体格と予想できる体格となっている。
髪の毛はどうせ切る必要も無いので伸ばしっぱなしなざんばらの蓬髪だが、それでもそれなりに容姿が整っている。恐らくはそれなりに容姿のいい種族に生まれたのだろうが、生前と全く違うその顔に、偶に水面とかを見て驚いたりするのは結構ある。
そしてまた、その五年の月日の間にリナもそれなりに成長していた。
手を置くのに丁度いい位置に来る頭。流れるような緑の髪。見通すような翠の瞳。鼻梁の整った顔は実に可愛らしく、精神もしっかり者な性格に成熟していたのだが、如何せん、体が全体的に幼かった。最近、創志では無い女型の精霊にこれ以上成長するのかを必死に聞いていたのを知っている身としては何とも言い難い。
そんな心配性に成長し、いつまでたっても確認してくるリナに、創志はため息とともに手の平を差し出した。
落ちつけ、というジェスチャーによって勢い込んで質問攻めにしていたリナの勢いは止まったが、それでも創志の準備が気になるのは理屈では無いらしい。不安そうにチラチラと荷物の入った袋に視線を向けている。
前世からの年齢を合わせても自分より年上なはずのリナのこの落ち着きのない行動に、どうやって説得すればいいのかという何とも困った状態に陥ったのだが、そこは五年の月日の間に仲良くなった精霊ロドに助けの視線を送るとどうにかしてくれた。持つべきものは友である。
「リナ様。少々落ち着いてください。確認作業ならば昨日あれほどやったではありませんか」
「でも今日旅に出てから忘れ物とかあったりしたら……」
「いいですかリナ様。もし仮に忘れ物があったとしても、ソージならば簡単に取りに戻ることができますし、そもそもこの男は武器一つなくてもそうそう死にはしないほどに頑丈です。ですので忘れ物云々は一旦忘れてしまいましょう。もうすぐ旅に出てしまうというのに、ずっと忘れ物の話をしているというのも何ともつまらないとは思いませんか?」
「……そうだね。確かにもったいないよ。ありがとね、ロド」
「いえいえ、これでも人生の先達なので」
「お前精霊だろ」
話がまとまりそうなところで思わず突っ込んでしまう創志。しかしロドは慌てた様子もなく、「まあまあ細かいことは気にしない」と言ってきた。確かに細かいことだったので、創志も気にしないことにした。
そうやってロドと創志が話していると、若干不機嫌になったリナが声を荒げて割り込んでくる。
「ソージ!」
「はい」
「やっぱり、連れて行ってくれない?」
「うん」
「……どうしても?」
「駄目」
「……ひっぐ、えっぐ」
「嘘泣きでも駄目」
「ひぎゃっ!!」
創志がデコピンを顔を覆い隠して泣き真似していたリナの額にパコンと当てると、今度はそのあまりの痛みに涙目になって蹲った。
「ひどいよ!」
「いや、嘘泣き見るのもウザったかったから」
「ホントにひどい!」
全く悪びれずに発現する姿は確かに外道である。
しかし、いくらリナが可愛らしくお願いしてきても物事には筋というものがあり、結局今日にいたるまで創志に攻撃を当てることができなかったリナを旅に連れていくというわけにもいかないのだ。
本人が行きたがっているのだし、いいじゃないかと思ったりしなくもなかったのだが、勿論創志が連れて行かない訳にはそれ以外にもちゃんとした理由がある。
「リナ。両親がようやくお前と話し合えるだけの余裕ができたんだろ。別にすぐに懐けとは言わないが、せめて少しばかり一緒にいて理解しようとか色々だな」
「……」
プイッと顔を背けられた。長い髪が揺れ、まるで光を反射する絹のように広がったのは実に目の保養なのだが、その中心にある顔は実に分かりやすく膨れている。
…………リナの気持ちも分からなくはない。分かるといったら傲慢だろうが、少なくとも予想はつく。いくら仕方のない事情故に今まで構うことができなかったといっても、ずっとほっとかれたのはやはり気持ちの中で上手く整理がつかない部分があるのだろう。自分が同じ立場だったらさっさと島から出て行方をくらませていたであろうことを考えれば、今のリナの方が大人といえるのかもしれない。
とは言え、リナを連れていくことは、精霊王とその妻に土下座と縋りつかれて泣きつかれた時のことを思い出せば出来ないことである。しかも、同じように縋られていたリナも別に嫌いというわけでは無かったので、無下に切って捨てるわけにも行かなかったらしい。かといって創志が旅に出ないという選択肢は無い。理由はロドのもたらした情報だ。
「ロド。本当に氷霊ラルムライトは氷極の果てって場所にいるんだな?」
創志は念の為、ロドに再び確認をしておく。氷霊ラルムライトは、前世から今日において、あらゆる存在と契約できない創志についてきた実に物好きな精霊である。魔王討伐の旅において、最も近しい相棒ともいえる彼女は、精霊であるが故にこの時代にも生きている可能性が高いということでロドが教えてくれたのだ。
「ええ。まあ、私より古参の精霊ですし、今はもう知る者もいないといっても過言では無かったのですが……上手い具合に水の大精霊様に聞く機会があって、その時にその中でも異端に近い立場の方の話を教えてもらえたのですよ」
「あの女好きの美女か……仕事は真面目にやる奴だから、多分真実だな」
複雑な表情を浮かべて何度か頷く創志。彼の脳裏には、かつて会いに行ったときに仲間の大半が着飾られさせた苦い記憶がある。
女好きというよりは、男嫌いといった方が正しい彼女は、勇者パーティーの男性陣を全て女装させた強者でもある。なので創志はもう二度と近寄らないと心に決めていた。
「ええ。ちなみにあなたの名前を出したら『絶対来い』って言っとけと言われたんですが、何したんですか?」
「……さて、行くか」
それには答えず、創志は早速右手に構えたリナ特製の鋼製の名刀を振り下ろし、いつかの時と同じように海に道を作った。
「じゃあ、ラルムにあったらいったん戻ってくるからな。それまで元気にしとくんだぞ~」
「あ」
「いってらっしゃい」
口をポカンと開けたリナと、微笑んで手を振るロドに手を振り返して、創志は海底の底を蹴った。
★★★★★
「行っちゃったね」
「行きましたね」
風の強く吹く崖の上。東側の海が一望できるその端に、幼女と青年が立っている。
幼女の方は長い髪が、青年の方はその身に纏った法衣のような衣服が風にとられそうなものなのだが、そういうことは一切なく、二人とも特に風を受けた様子もなく立ったままだ。
そんなことは二人の正体を考えれば当然なのだが。
「というか、早かったね。ソージ。何も声を掛ける暇がなかったよ」
リナは、つい、といった様子で口を開く。その脳裏には、先ほど凄い速さで小さくなっていった創志の背中が思い起こされている。空を飛ぶワイバーンですら、あの速さには匹敵しまいといえるほどの速度だった。
そんなに旅に出たかったのだろうか。それとも自分たちはそんなに重石だったのだろうか。そんなリナの悩みを感じたのか知らないが、ロドはゆっくりと口を開いた。
「まあ、あれでいて彼も不器用ですからね。なんて言って行けばいいのか分からなかったんでしょう。逃げ足が飛んでもなく早かったということです」
ロドの言葉は本当に的確に創志のことを表しているといえるだろう。リナを育てたあの青年は、いつもいつも自分のしたいことをどこかに言い訳して正当性を求めていた節がある。
まるで自分の判断力を疑うかのように偏執的なまでに自分の正しさを精査していた。なにが一体そこまで不安だったのか、ついぞ聞きだすことはできなかったが。
それにしても……
「何だろうね。向こうの方から嫌な気配がするよ」
風に運ばれてか、精霊特有の自然に鋭敏な知覚能力が伝えてくるのは何らかの違和感。
まるでそこにあるのにそこにない―――幻覚のようなものを見せられている時に似た、何とも不愉快なもやもやが島の反対側から伝わってくる。
そのリナの反応にしばらく遅れて、ロドも違和感を察知した。
「これは……森が消えている? いや、消えてはいないのに、いきなり反応がなくなっているという方が正しいのか」
今の今まで、いろんなさえずりをバラバラにしていた木々たちが、突然みんなそろって同じことだけを繰り返しているような不気味な感覚にロドは思い当たる節がないのか考え込んでしまう。
故に、結論を出したのはリナが先だった。
「行こう」
「しかし……」
何の迷いもなく告げるリナに、ロドは流石に危険だと思ったのか反論の声を上げる。
それも致し方のないことだろう。ここ数年でリナの精神は急成長し、実力も着いたとはいえ、本来精霊ならば未だに赤子として扱われる年齢なのだ。
それでもリナは応じなかった。
「どっちにしても私たちは自然に属する精霊だから、森の木が大量に消えていくのだったら原因を知らないといけないと思う。私たち自身も手遅れになる前にさっさと原因を突き止めて解決しないと」
「……御意」
先々まで見据えた意見と、そもそもこの島において最も精霊力の強い存在がリナであることも相まって、ロドには反論の術は無くなった。
いざというときは、自身の身を盾にすることを誓って共に行くことを納得したロドであったが、まさか真実、自分が盾になるほどの脅威が迫っているとはこの時は思いもよらなかった。
★★★★★
「ふんふ~んふんふ~ん」
滝のように海の水が落ちて轟音を立てているのを背景に、創志は鼻歌まじりで走っていた。
上から大量の水が落ちてきて、下は水にぬれてドロドロの柔らかな土、後ろは恐ろしい勢いで水が向かってきて、左右は海の壁という前方以外に抜け道のない何とも危険な道を、全く気負いもせずに進み続けられるというのは、随分と豪胆な真似といえるのだが、その道を渡るのが創志ならば、その道を作っているのも創志なので特に気負う必要がないとも言える。
速くいかないと水に呑みこまれてしまう心配のあった移動速度も、足の裏に剣気を回転するような形に集中して走れば、柔らかい土は弾け飛び、堅い地面を踏みしめることができる。実際はこういう使い方の為に作ったわけでは無いが、”縮地”の応用的使い方に、自分でも多少驚いていた。
また一閃。空に向けて走った一直線の光にも似た刀の斬線が、落ちてきていた水を両断し、目と鼻の先まで来ていた水のカーテンを二つに裂く。
するとまた海の底に道ができて、創志は速度を落とさずにそこに突っ込むことができた。
「ふん~ふん~」
本来ならば、どんなに速度があっても力があっても、海を真っ二つにするなんてことは不可能に近い。しかも海を真っ二つにして、そこを歩くなんて芸当は不可能。まさに夢物語として語られそうな勢いの出来事である。
ただ、創志は知っていた。海であろうと空気であろうと、斬れる場所と斬る方法があることを。
水の連続性と海の張力を上手いこと狙って切断し、ついでに斬撃を残すような形で左右の水の崖の表面を覆えば、海は上空から入ってくる水でしか治らない。
狙うのは絶技。行うのも絶妙なバランスの上に成り立つ。そんな困難極める芸当を感覚に任せて行っては走っていた創志は、ふと、後方からよからぬ気配を感じたような気がして振り返る。
勿論振り返ったところにあるのは、落ちてくる水のせいで白く煙が立ち込める大瀑布なのだが、視線を向けるということは意識を向けるということだ。かつては視線一つが何らかの魔法や魔術に使われていたのはデラスフィアだけに限ったことではない。
水が大量に高速で動いているために、それに触発されてその部分の魔力も活性化状態になっているのだが、その活性化状態の魔力が霞むほどの勢いで、視線の先では魔力が荒れ狂っている。
場所は丁度、シナキリ島の辺り。
「――――っ!」
嫌な予感が背筋を走り、次の瞬間、創志は海を爆散させながら島の方向に全力で戻っていった。