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Sakura Flavor  作者: 池田瑛
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Sakura Flavor

「あなたのSFコンテスト」参加作品。

 大学院の研究室にアフリカのブルキナファソという国から留学生がやってきた。日本の農業を学びにきたらしい。ブルキナファソという国の名前を最初に聞いて、私はアフリカの何処にあるのかもはっきりとは分からなかった。

 留学生の彼女曰く、海に囲まれた日本という国に憧れがあった。だから、その日本で農学を学べるという大変貴重な機会を得ることが出来てうれしい、ということらしい。私が言うのもなんだけど、ちょっと聞き取りにくい英語の発音だった。フランス人が話すような英語を彼女は話した。


 彼女はWatermelon、つまり西瓜スイカの栽培方法を学ぶのが目的。日本に昨日来たばかりなのに、7月末には大学が持っている長野県の演習農場に行って、実地で西瓜栽培を学ぶというカリキュラムとのことだ。長野の演習農場には私も大学生の時に2週間行ったけど、何もない長野の田舎で、しかもオンボロな宿泊施設。私は3日で帰りたくなった。彼女はそこで1年間生活するなんて、すごい根性だと思う。彼女は、雪を見たこともないらしい。冬、大丈夫だろうか。紅く染まった烏瓜のような色の生地に、サバンナの色を思わせるような深い黄金色の刺繍の入った、サリーのような民族衣装を彼女は着ているけれど、これは完全に夏服だ。本当に冬、大丈夫かな。


 そんな、すぐに現地実習に行ってしまう留学生の彼女だけど、一応うちの研究室の所属ということらしいから、ささやかな歓迎会をすることになった。歓迎会と言っても、スナック菓子とお茶(彼女は宗教上の理由でお酒を飲まないとのこと)を用意して、「Welcome to Japan」とA4用紙に印刷してセロハンテープでつなげて作った横断幕を飾っただけの、本当にささやかなものなんだけどね。


 そして、余興は、日本らしさをイメージして、「さくら さくら」を研究室のメンバーで歌った。Youtubeで見つけたカラオケに合わせて、みんなで歌った。1回目は、日本語で、2回目に英語訳で、3回目は彼女にも歌詞を渡して、一緒に英語で歌った。教授は定年間際のおじいちゃんなのに、綺麗なテノールで歌ったのにはびっくりだった。


さくら さくら 

やよいの空は 

見わたす限り 

かすみか雲か 

匂いぞ出ずる 

いざや いざや 

見にゆかん 


 彼女は、桜を見たことがないとのこと。


「SpringにSakuraを見れるのを楽しみにします。Sakura() Flavor()楽しみです」と、彼女は日本語で言った。日本語をまだ勉強して3ヶ月らしいが、それなりな日本語をとっさに話せるのはちょっとすごいと思う。



 歓迎会が終わったあとの片づけをしていたとき、2年生の山崎先輩が言った。


「佐々木さん、ふと思ったんだけどさ、桜の香りって、どんなのだっけ? 」


「え? どんなのって言われても。春に研究室で花見をしたときに…… 。あれ? どんな匂いでしたっけ? 」


「でしょ! 。桜が咲いている光景は簡単に浮かぶんだけど、桜の匂いってどうにも思い出せないんだよね。って、そもそも匂いがあったことすら分からないって感じ」


「そうですね。桜餅を食べたときは、匂いがした気がしますけど…… 。花見をしていても、あぁいい香りだなぁって思った記憶がないです。綺麗だなぁって思った記憶しかないですね」


「戻りました。ってすみません。片付けさせちゃって」と、研究室に戻ってきた加藤君が言った。彼は、私と同じ1年生だ。教授と一緒に、留学生寮に彼女を送り届けに行って戻ってきたのだろう。


「あ、別にいいよ。それよりさ、さっき歌った桜の歌だけど、桜の匂いって、どんなのか思い出せる? 」と、山崎先輩が言った。


「桜ですか、この前、桜の香りの入浴剤で風呂に入りましたから、ばっちりですよ」と、加藤君が言った。加藤君が桜の香って、なんか微妙だと思った。


「あ、いや。桜の木から直接、匂いを嗅いだことがあるかってこと」と山崎先輩が言った。


 加藤君も、少し考えた後、思い出せないと言った。



「今日は、みんなありがとね。彼女も喜んでたよ」と、研究室を覗きに来た教授が言った。


「あ、ありがとうございます。先生、とても歌、お上手でした」と私は言った。


「佐々木さん、ありがとう。私は、実は、高校の時に合唱部でね。シューベルトの魔王をソロで歌ったこともあるんだよ。その時は、女学生から恋文を何通ももらったものだよ」と、教授がさりげなく、往年の自慢話をした。


「教授、桜の花って、香りってありますか? 花見している時に嗅いだ記憶がないんですが」と、山崎先輩が聞いた。流石山崎先輩、好奇心旺盛、研究熱心な先輩だ。


「桜の香り? ソメイヨシノだと香り成分であるクマリンは、桜の花にはエスクリンの状態で存在している。つまり普通に嗅いでも匂いはしない。佐々木さん、エスクリンの化学式は? 」


「エスクリン? あ、分かりません。初めて聞いた名前です」と、私は言った。


「C15H16O9で」と教授が言った。


「では、山崎君、クマリンの科学式は? 」と、教授がさらに聞いてきた。


「すみません。分からないです」と山崎先輩が言った。


 へぇ、山崎先輩でも知らないことがあるんだ。でも、知った振りをしないで、知らないことを知らないという山崎先輩の謙虚な姿に尊敬。


「C9H6O2だ。君たち、勉強不足だな」と教授が言う。そんな先輩も知らないようなマイナーな物質の化学式を学生に尋ねる教授はひどいと思う。


「クマリンの状態だと芳香性を持つようになる。桜餅の匂いはこの状態にまでエスクリンが加水分解されているからだよ」と教授は言った。


「じゃあ、さっき歌った、さくら さくらの匂いぞ出ずるって、なんなんですか? 」と私は聞いた。


「さてな。歌詞の間違いか、香りを持つ桜の品種があるのか。まぁ、桜は、見て楽しむものじゃ」と言って、教授は研究室から出て行った。教授はいつも、都合が悪くなると、相変わらずすぐに何処かへ消えてしまう。


「桜、結局、香りってどうなんですか? 」と、加藤君がゴミ袋の口を結びながら言った。会話に入ってこないと思ったら、加藤君は片付けをしていたみたい。


「昔は香ったけど、今は香らないってことなんじゃない? 教授が言ってたソメイヨシノは、戦後に植えられたのがほとんどのようだね。さくらの会という団体は、1966年から植樹事業を開始して、累計300万本を植えたみたいだね」と、山崎先輩がパソコン画面に向かいながら言った。疑問に思ったことはすぐ調べる。山崎先輩さすがです。


「300万本ってすごい数字ですね。日本全国に桜があるのも納得です。でも、平安時代くらいから日本全国の川原沿いには桜が植えられていたイメージだったんですが、意外と歴史は新しいんですね。って、私達が生まれる前の話ですけど」と私は言った。


「ああ、なんかその話を聞いて、腹に落ちました。さくらって、なんで学校に植えられているのか、不思議に思っていたんですよ」と加藤君が言った。


「学校の入学式と言ったら満開の桜がないと始まらない感じじゃん。何が不思議なの? 」と私は言った。不思議なのは貴方よ、なんてことは言わない。


「あ、ちょっと待って。うん、そうだね。ネットで『入学式』って単語で画像検索したら、半分くらいが桜と一緒に記念撮影されているね」と山崎さんが言った。調べるの早っ!


「そうですよね。入学式の定番って感じ。だけど、桜は何が美しいとされる? 」と加藤君が私の質問に質問で返した。


「散りゆく姿が美しい? 」と私は言った。


「そう。あと、桜の儚さが、日本人の感覚と合うとかよく言われない? 」と加藤君が言った。


「あ、聞いたことある。はかなさとか、諸行無常、もののあわれ」


「そう。そんな感じ。それでさっきの答えだけど、儚さとか、散る姿が美しいと思われている花が、入学式にあるってすごい奇妙だったんだ。小学校に入学するとしたら、7歳だよ。やっと七五三の七才を向かえ、死亡率が高い時期を乗り越えた、そして入学だって時に、学生を迎える花が、「儚さ」「散り行く」花だよ。おかしくないかなって思っていたんだ。でも、満開の桜の下でも入学式が、戦後に生まれた風物詩だって分かって納得できた」と、加藤君が言った。うん、加藤君の言っていることが分からない。


「ごめん、あんまり加藤君の言っていることが分からないかな」と私は言った。『あんまり』じゃなくて、『全然』分からないんだけど、婉曲した。


「つまり、入学式の桜が、日清・日露戦争、第1次・第2次世界大戦とかの時代からあったとしたら、奇妙というか、悲しいってこと? 」と山崎先輩が言った。


 どうやら山崎先輩は加藤君が言わんとしていることがわかったらしい。さすがである。普段の白衣姿も素敵だけど、今日のラガーシャツもかっこいい。


「はい。そうです。国家の陰謀って感じがしてすごく気持ち悪い感じがしていたんです。子供の戦死報告を聞いた親が、息子は、あの入学式の時に咲いていた桜のように散ったのか、なんて想いながら悲しみに沈むように仕向けられた入学式の桜って感じがして」と加藤君が言った。


「満開の桜と、入学式をセットにすることによって、その子供はいつかは戦争で儚く散っていくっていうことを親の頭に刷り込もうとしたってこと? 」と私は言った。


「そういうこと」と加藤君が言った。


「でも、桜が全国的に植えられたのは戦後なら、それはないんじゃない? 想像というか、深読みしすぎ? ってか時代背景が合ってないし」と私は言った。


「だから、入学式に桜が咲いているのが腹に落ちたっていったの。戦後に植えられたなら、単純に綺麗だし、時期も丁度良いとか、そんな理由なんだろうなって」と加藤君が言った。


「あ、面白い話見つけた」と山崎先輩が言った。


「どんな話ですか? 」と私は聞いた。


「桜の樹の下には屍体したいが埋まっている! だってさ」と山崎先輩が言った。


「え~嘘ですよね。そしたら日本中、死体だらけじゃないですか」と、私は笑いながら言った。


「梶井基次郎の『桜の木の下には』ですよね」と加藤君が言った。え? いきなりネタばらしするとか、なんなんだろう。加藤君、夏休みの間、馬に蹴られないように注意してね。


「そうそう。そういう小説があるって話」と山崎先輩も笑った。先輩の笑ったときに見える八重歯がかっこいい。


「でも、そういう恐そうな話が、今の季節に合いますね。夏は恐い話で、背筋から冷たくなりましょう! あ、あと花火ですね」と私は言った。


「そういえば、もうすぐ花火大会あるよね。今週の金曜日と土曜日だよね」と、加藤君が言った。加藤君、ナイスだよ。その流れ。


「あ、そうですね。みんなで行きますか? 」と私は言った。確か、加藤君は、月・水・金の夜はバイトだったはず。みんなで行くとしたら金曜日だ。そしたら、先輩と私の2人だけで花火デート!


「あ、ごめん。俺はパス」と山崎先輩が言った。


「え? どうしてですか? 」と私は聞いた。


「実は、この前、彼女が出来てさ。一緒に行こうってもう約束しちゃったんだ」と山崎先輩が言った。




先輩(S)に、振られた(F)、そんな夏休み前の研究室での出来事でした。



「さくら さくら」の歌詞を掲載しておりますが、これは江戸時代に作詞されており、作者の没後から51年以上経過しているのが確実なので掲載しています。


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