第4話
少女は大きなグリーンの瞳で見つめている。
表情が変わらないので、驚いているのか、困っているのかよくわからない。
北欧系を思わせる肌の色と顔立ちをした少女だった。
にっこり微笑むと
「お礼なんていりませんよ。当然のことをしただけですから」
当然といえる、断りの言葉だった。
それはそうだと思いつつも、何とか引きとめられないものだろうか?
という気持ちが入り混じって、次の言葉が出てこない。
「待たせている人がいるので、失礼します」
踵を返して立ち去ろうとする少女の背中に
「あの、それじゃあ、せめて名前でも……」
自分でも何を言っているんだ!?
と思ったが、考えるより先に言葉が口から出てしまっていた。
少女は足を止めて振り向くと
「ジュン」
と言った。
何かを警戒するように目を細めると
「ファウラーよ」
念を押すように、ゆっくりと静かに名乗った。
そして、今度はためらうことなく立ち去って行った。
「ジュン・ファウラー」
意味ありげに名乗った彼女の名前を小声で繰り返した。
その翌日から、彼女に再度会うことができないかと思案を始めた。
IDカードを手渡してくれた口ぶりから、彼女は中期もしくは長期滞在者に違いない。
居住ブロックはFかGに限定されているので、そのどちらかに住んでいるだろう。
2ブロックを合計しても3000名にも満たない人口だ。
再会できる可能性は極めて高い。
すれ違っても見逃さないようにしなくては、と思った。
人口管理が徹底されている月都市の管理機能を利用すれば、どこに誰がいるか、現在位置の詳細まで把握することができる。
もちろん、そのシステムが利用できるのはごく限られた者のみの非公開情報だ。
しかし、ラストネームの持ち主がどちらの住居ブロックに住んでいるのか程度は調べることができるし、月都市の定住民の間には公開されている情報だ。
調べてみると、Fブロックに2件の登録があった。
(長期滞在者かぁ……)
長期滞在許可は月都市で特殊な任務を持つものや限られた職種にしか与えられない。
年齢的に彼女がそんな任務を持ったり、特殊な職種に就いているとは考えられない。しかし、家族といえども全員に長期滞在が認められるとは限らないため、滞在許可がおりた理由が彼女自身にもある。
彼女は一体何者なんだろうか?
さらに好奇心がかきたてられた。
散歩でもしているうちにどこかですれ違うかもしれないと、ある日Fブロックへの散策をしようと足を運んだ。
ブロック間移動をするには、1人ずつIDカードの読み取りをしてゲートを通らなければならない。
そこには警備員も配置されているため、ブロック間移動は簡易入国審査のようだった。
最初は違和感があったが、毎回のこととなってくると気にならなくなってきた。
警備員の前に行ってIDカードを端末にかざす。許可のサインが出たらブロック間ゲートの前で数秒から数分待つ。そのうちゲートが開くので、次のブロックに移動する。
そんな手順だ。
月都市へ移住するためのレクチャーを受けた時に、医療関係の専門ブロックがないことを不思議に思った。
尋ねてみると、医療機関は全ブロックに配置されているので特別な区分けがされていないということだった。
ブロック間移動には時間を要するので病院施設を1ブロックに集中させることは不都合が生じるため。
という説明を受けた時はぴんとこなかったが、実際に住んでみて、なるほどと思った。
移動にこんな手間がかかるのでは、急を要する場合の対応が追いつかない。
Fブロックに入って、フユキは目を疑った。
標準的な月都市の無機質な街並みとはうってかわり、懐かしい地球の大地を思わせる風景が広がっていた。
美しく花を咲かせている花壇があり、綺麗に芝生も整備されている。
長期滞在者は特別だと聞いていたが、住居区画も特別仕様なんだと感心した。
それぞれの住居にも庭があり、ゆったりとした間隔を持って点在している。
フユキが住んでいるGブロックとは、比べものにはならない贅沢な空間だと思った。
地球では当たり前の風景が、ここでは珍しい。
彼女のことなどすっかり忘れて、久しぶりに感じる懐かしい空気に和んでいた。
視線をふと前に向けると、見覚えのある姿が目に飛び込んできた。