第2話
フユキは第1期火星探査調査団の一員になるべく、月都市にある航空宇宙管理局直轄の養成学校に入校した第3期生。
両親が月都市開発の関係者だったため、幼いころから宇宙に出ることは当たり前のように思っていた。
家族は地球に定住しているが、新しく月都市に開校する養成学校に進学することを希望。入校規定最低年齢の18歳で入校試験に合格し、単身で月都市に住み始めて2年目にさしかかるところだった。
講義終了後、遊びに誘う友人たちを断り、急いで自宅のマンションに戻って行った。
「おかえりなさい。今日は早かったのね」
部屋のドアを閉めると、栗毛色の髪の少女がにこやかに出迎えてくれた。
身長がやや低め(165㎝)のフユキより数センチ高いが、見た目が柔らかなので向かい合っていても自分より大きいとは感じない。
身長が低いことが密かなコンプレックスであるフユキなのだが、彼女の前ではそれを刺激されることはなかった。
部屋の奥から甘い香りが漂ってくる。
今まで、趣味のお菓子作りに精をだしていたのだろう。
彼女は本当に料理が上手だ。
ここ2週間、ほとんど外出できないストレスを発散するかのように様々な料理をつくってくれるので食事に関しては豊かでいられた。
それはフユキにとっては嬉しいことだが、彼女にとっては不自由な生活になって退屈しているのだろう。
気の毒だとは思いつつも、状況が状況なので仕方がないことではあった。
フユキはそのままリビングルームに向かった。
ソファに座ってDVDを観賞しながら、ゆったりくつろいでいる黒髪の青年の前にフユキは立ちはだかった。
「何のつもりだ」
「何のつもりかはこっちが聞きたいですよ。
どうして外をうろうろ歩きまわるんですか」
「散歩ぐらい、したって構わないだろう」
「僕の友達が疑いはじめてます。
ここを知られたら困るのはあなたでしょう?
今日なんか、ルヌーに似ているっていう発言があって、心臓止まるかと思ったんですからね!」
「似てるもなにも、本人だからなぁ。
今まで疑われなかっただけでも奇跡みたいなもんじゃないか?」
そう言って笑うルヌーに
「あなたはそれでいいかも知れませんが、こっちの身になって考えて下さいよっ!
もう少し慎重に行動しようとか、少なくとも外出を控えようとか、そうは思わないんですか?
どうして何度注意しても、ふらふら出歩くんですか!」
フユキが本気で怒り始めたことを察して、ルヌーはからかうのは止めようと思った。
「悪かった。今後は外出を控えるよ」
「期待はしていませんけど、その言葉を聞けただけでも安心しました」
テレビの前から自分の部屋へと移動して、持っている荷物を床に置いた。
そんな2人の様子を見計らって、栗毛色の少女が焼き立てのスコーンとクッキーを山盛りにしたプレートを置いて、お茶の用意を始めた。
「今日はなかなかの出来だと思うの。沢山あるから、食べてね~」
と、声をかけてきたこの少女こそがルヌーの娘と取り上げられたジュンだった。
「お茶の後に一曲頼むよ」
紅茶の入ったカップをジュンから受け取りながら、ルヌーはフユキに声をかけた。
「駄目ですよ。
そろそろ進級試験なんです。演奏練習はしばらく中止にしてください。
今度の試験は絶対に落とせないすっごく大事な試験なんです」
すっごく大事、の部分を強調した。
そうでも言っておかないと、長い時間つきあわされる羽目になる。
フユキはパイロット養成コースへの進級を希望している。
その第1関門ともいえる試験が進級試験だ。現在は高等クラスにいるが、専門課程に進むためには高い倍率の筆記試験を突破しなければならない。
身体的にぎりぎりのところでパスしている分、十分な知識と能力があることを筆記試験で示さなくてはならない。合格すれすれでは意味がない。出来るだけトップに近い得点を取ることを目標としている。
航空宇宙局直轄のパイロット養成の専門コースに進級することが唯一の道である限り、絶対に落とすことはできない。得点が低ければ、別のコースを選択せざるを得ないのだ。
地球にいる両親や祖父母。そして妹がパイロットを目指す自分を応援してくれている。
養成校に合格した時は皆でお祝いしてくれた。
いつか、フユキが操縦する航空宇宙船に乗船することが夢だと言ってくれている。
その期待を裏切るわけにはいかない。
月都市で暮らしているマンションは航空宇宙局が提供している寮だった。
1人では十分すぎる広さである3LDKのマンションは、地球から遊びに来る家族や友人たちを宿泊させる施設も兼ねている。
夢と希望とプレッシャーとが入り混じった状態で月都市に居住を始め、パイロットを目指すために一直線で努力するはずの場所に、ルヌーとその娘であるジュンをかくまうことになろうとは想像すらしていなかった。
事の起こりは2年前、フユキが月都市に来たばかりの頃にさかのぼる。