第1話
「フユキの従兄って、ルヌーに似てるよな」
何気ない友人の一言に、フユキは口にしようとしていたコーヒーを飲みそこねて、手元のテーブルにこぼしてしまった。
「あぁ、そう言われれば……」
フユキの隣に座っている友人はじっと横顔を見つめ
「でも、フユキは全然似てないわよね」
手近にあったキッチンクロスをフユキに手渡した。
それを受け取って、こぼしたコーヒーを拭きながら
「急に変なことを言うなよ」
と、顔をしかめて”ルヌーに似ている”発言をした友人を軽く睨んだ。
「だって似てるって。髪が金色で、瞳の色が青でさ。黒いスーツをびしっと着てたら、ルヌーとの区別がつかなくなると思うな~」
「その発言、今の状況の中では洒落にならないから止めてくれ!」
その言葉に軽く肩をすくめて
「そうだな。悪かった」
と言って苦笑した。
丁度その時、学校内のカフェテリアに設置されたスクリーンでは『ルヌー・グレーシャム失踪事件』についてのニュースが伝えられているところだった。
人類が月への進出を果たしたのが今から約150年前。基地への移住が本格的に始まったのはほんの20年前だったが、今では立派な都市として機能を果たしている。
資源が少ない月都市では、数日間だけ滞在する短期の旅行者と1ヵ月以上の定住者の扱いには大きな開きがあった。
供給する空気や水を確保するために、都市はブロックごとにわけられて人口が偏らないよう常にコントロールされている。都市内での移動にはIDカードが必須であり、これでどこに誰がいるのかは月都市の管理機構に常に監視されている。
もちろん、詳細な個人データは必要のない限り公開されることはないが、こういった監視下の元で長期生活する住民には完全なプライバシーは守られないものである、というのが常識になっていた。そんな月都市で”失踪する”なんていうことは、起こり得ない大事件だった。
ルヌー・グレーシャムは月都市では大人気の歌い手で、主にオペラの舞台で活躍している。独特な美しい声を持ち、主にトップ・テノールを担当。歌唱力はもちろん表現力・演技力も素晴らしく、現在の月都市でのオペラブームに火を付けた人物であった。容姿がステレオタイプの王子様向きのためミュージカルにも出演することがあり、月に定住する者は誰でも知っている有名人の1人だ。
地球でも歌い手としてすでに人気を集めていたが、娯楽が少ない月都市で絶大な人気を博し、今は定住者として月都市を中心に活躍している。
派手な舞台装置を極力仕様しない素朴な演出を好む傾向があるルヌーは、エネルギー資源を効率よく省力で使おうとしている月都市の方針ともあっていたともいえる。彼の舞台を見るために、わざわざ地球からやってくる観客がいるくらいだ。
そんな彼が2週間、消息不明になっていた。
事の発端はあるメディアから流れたゴシップニュース。
『ルヌー・グレーシャムに隠し子疑惑』
というものだった。
現在33歳で独身であるルヌーには、14歳にもなる娘がいた。という内容のもので、ありがちな中傷記事であり、もちろんそれを信じる人は誰もいなかった。
それにも関わらず、ルヌーは存在をあっさりと認め、娘を傷つけたくないというメッセージを残して姿を消してしまったのだ。
関係者は誰もわからない。
当然、大きな騒ぎに発展していった。
心当たりがある場所は全て調べ尽くしたが、徒労に終わった。
そもそも、人口管理が厳しい月都市で失踪すること自体がありえない現象なのだ。月都市内は利用目的別に細かくブロックわけされており、空気の安定供給を維持する目的でブロック間の人の移動が監視されている。公的な記録を確認すればすぐに居場所が判明するのだが、事件性がないものに対して個人のプライバシーは保護されるという月都市にある法を盾に、月都市の保安管理局は一切の情報を提供しなかった。
しかし、騒ぎが大きくなってきたため、先日になって月を出て行ったかどうかという記録は開示され、出て行った痕跡はないことだけは確認された。
ルヌーは月都市のどこかにいる。
これが住民たちのにわか探偵気分を盛り上げ、利用できるものを全て利用して、居場所を突き止めるということに夢中になっていた。
いくつかの特集番組が組まれて放送され、ネットワーク上でも常に話題の上位にあがり、多方面からの目撃情報を収集して分析された。それでも行方がわからない。
2週間を経過した段階で、ファンクラブが懸賞付きで情報提供を呼びかけた。
そんな中での友人の発言だったので、冗談でもフユキにとっては大迷惑なのだ。
「変な噂がたったらどうしてくれるんだよ」
情報提供を呼びかけ、連絡先が映し出されるスクリーンを横目に、渋い表情を友人たちに向けた。
「変な噂っていえば、ルヌーによく似た人物が追っかけまわされて保安局が出動する騒ぎがあったけ」
「そういえば裁判沙汰になりかけたこともあったよね~」
「いくら似ているっていっても、あれはやりすぎ」
「でもさ、この狭くて監視が行き届いている月都市で行方不明ってすごいよね。ルヌーってそんな才能もあったんだね」
友人たちはそれぞれに意見を述べ合っていた。
その様子を眺めながら、フユキは静かにため息をついた。