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Ep7 少年たちの憂鬱

台所へ降りると、お父さんが一人朝食の支度をしていた。

「おはよう、お父さん」

「おー、おはよ」

お母さんは、街の患者さんの様子を見に行ったという。朝早くから、なんて仕事熱心なんだろう。

「学校は?」

お父さんと、ゆっくり顔を合わせるのは久しぶりのような気がする。このところ、随分と忙しそうだったから。夕飯時に一人で、一馬の家にお邪魔することもしばしばだった。

みんな、私のこと気にかけている暇はないのかな、と思っていたから…お父さんの問いかけが無性に嬉しくて、私は頬が緩むのを感じつつ、こくりと頷いた。

「うん、楽しい」

「そか、よかったな」

「うん!………あ…でも」

「一馬か?」

「………うん」

あの、『天球儀』で昏倒した日からこっち…一馬は学校に姿を見せていない。

いや、というより………部屋に引きこもってしまっている。

『神器』に触れて倒れた、なんて…どんくさい一馬も、さすがにショックだったらしい。

最初は躍起になって、部屋から引っ張りだそうとしていた夏月も、さすがに呆れてしまったようで、一週間をすぎた頃からまったく口を出さなくなってしまった。

一夜さんも藍さんも、相変わらず一馬には甘いから…特に叱りもしいないみたいだし。

間に立って、一人おろおろしている橘くんが、何だか可哀想になる。

「ごはんもろくに食べないで、部屋で布団に潜って寝てるのよ?大丈夫なのかなぁ」

「…んー」

後で様子でも見に行くかな、とぽつり呟くお父さんに、お願い、と手を合わせ。

「…そういえばね」

一馬の言っていた…奇妙なことを思い出した。

「お父さん。あのさ、『神器』って………しゃべるの?」

「………は?」

「いや…あの………一馬がね」

『親父に似た若い男に殺される夢を見るんだ』

布団の中から、恨めしげな目をこちらに向け…一馬は小声で言った。

「しかも、しかもね!毎夜毎夜、一夜さんの『神器』が自分を呼ぶ声がするんだって言ううのよ?」

考えこむように、天井に視線を向け、お父さんは黙ってしまう。

「やっぱり………変…だよね」

「いや」

お父さんの言葉に…私は耳を疑った。

しゃべらないこともない、と。

ほんの一、二回だが、経験がないわけではない、と………けど、それは長年遣っていた、自分によく馴染んだ『神器』の話らしい。

「じゃ…そんな、触ったこともないような『神器』の声なんて…聞こえる筈ないよね」

「…触ったこと、ないのか?一馬」

「そうみたい」

そう。

『なんとなく気持ち悪い』なんていう、日常で『神器』を目にする機会のない他の生徒達から嫉妬されそうな理由で…一馬はあの日あの時間まで、『神器』に触れたことがなかったのだ。

でも。

そうだよね…やっぱり。

『そんなこと、あるわけないじゃん』と反射的に答えてしまった私にくるりと…布団の中で器用に背を向け、一馬はもっと小声になって呟いた。

『ならいいよ…お前なら分かってくれるかと思ったんだけど』

わかってあげたいのはやまやまだけど…そんなこと言われたって。

私だって、あの翌日の演習で、『神器』…欠片を埋め込んだだけの、到底『神器』と呼べるものではない代物だけど…それに触れたのが、一度きりなんだから。

何も聞こえなかったし、悪夢にうなされることもなかった…それどころか、そのへんの武器や道具とどこが違うのか、他のみんなは何をそんなに手こずっているのだろうと思うような、あっけない初体験だったのだ。前日にそこまでやれた人間はいなかったと、教官達は大騒ぎしていたけれど。

………そうだった。

あの日以来、頭の痛いこと…ないわけじゃないけど。

「時間」

お父さんの呟きに、時計を見て…思わず叫ぶ。

「いっけない行かなきゃ!」

「飯は?」

「いらない!ごめんねお父さん、いってきま」

「あ、ちょっと」

ぐっと私のネクタイを引っ張って、ネクタイ曲がってる、と…お父さんはのんびり言う。

「あ…どうしよ、えっと」

慣れないネクタイにあたふたする私の手をとって、お父さんは素早くそれを締め治してくれた。

ふわり、と柔らかい金髪が視界を過ぎり…一瞬、見とれてしまう。

ああ。

私はなんで…お父さんに似なかったんだろう。

「…ありがとう」

「おー、行って来」

「う…うん!」

鞄を掴んで、振り返る。

と。

「いいなぁ」

戸口でずっとその光景を眺めていたらしい、お母さんが不満気に眉を顰める。

「お母さん、お父さんのネクタイ直してあげたことは何度もあるけど、直してもらったことは一度もなかったのにぃ」

「え…えっと」

「なんか、雪だけ…ずるいなぁ」

もう、と目を細めて苦笑するお父さんだけど…どこか嬉しそうな様子に、ちょっとカチンときた。

「もー、私時間ないのよ!?二人とも、ノロケるなら私が行ってからにしてよ」

「あら、ごめんなさいね」

「いってらっしゃい」

私が小さな頃から、変わらず仲睦まじい両親に背を向け、玄関を出た。

いいなぁ…お母さん。

私も………私だって………いつか。

『いつかっていつだよ』

へらへら笑う、一馬の顔が脳裏に浮かぶ。

『お前の理想通りの男なんて、現れるわけねえだろ』

何度も言われたその言葉を思い出し、思わずむっとして…あれを最後に言われたのは、どのくらい前のことだっただろうと、また少し胸が痛くなる。

まあ、大丈夫よね…お父さん、見に行ってくれるって言ってたし。

…『神器』の声か。

ぼんやりしていたら、聞き慣れた声に名前を呼ばれ、私は立ち止まって手を振る。

「夏月!おはよー」

「おはよ。登校時刻ぎりぎりじゃないか、珍しいなぁ」

「夏月もね。それに…橘くんも」

おはよう、とちょっと困ったような笑顔を浮かべる橘、くん。

ということは…一馬、まだあのまんまなのか。

「今日という今日こそと思って、布団引っ剥がしたら、あの馬鹿…今度は道場の道具入れに隠れてしまってな」

まったく、と鼻息も荒く、夏月が腕組みして唸る。

「何を考えてるんだか、私にはさっぱりだ」

「…大変だね」

「雪は何か、聞いてないか?あいつから」

「…え?」

『『神器』の呼ぶ声がするんだ』

まさか…ね。

「ないよな、やっぱり」

「うん…ごめんね夏月」

「いや、お前が謝ることじゃないんだ。何もかも全て、一馬のわがままだ」

……………そうかなぁ。


正門の傍で、おはよう、という冷めた声が聞こえ。

振り向くと、涼風くんがこちらを睨むような目で見ていた。

「おはよー、涼風くんっ」

「…直生。ちょっと」

私からぷいと視線を逸らし、彼は橘くんの腕を掴んで、足早に校舎の方に去って行く。

そんな小さな彼の背中を見つめ、呆れ顔で呟く、夏月。

「あれもあれで…相変わらずだな」

「…うん」

ちょっと前から、実は気になってたことだけど。

どうやら涼風くんは、私を敵視しているらしい。

『涼風悠斗だ』

あれはたしか、入学式の日。

立ち上がって、ちょっと頭を上に向け、こちらをじっと見据え。

彼は鷹揚な口調でそう…名乗った。

『一馬の幼馴染だって聞いた。よろしく頼む』

子供のくせに、めいっぱい大人ぶって言う彼の姿が、瞼の裏に蘇る。

まるで、入学試験の成績が一番だったのは自分なんだから、自分の方が上だって、全身で表明してるみたいだった。

変な子。

街の色々なところ(しかも、木の上とか、平屋の屋根の上とか、堀端とか…変なところ)で本を読む、涼風くんの姿を見かけるようになったのは、つい最近のことで、それより前はほとんど、屋敷を出たことがないんじゃないかと思う。出ても、ごくごく近所だけだったのか。

一馬や夏月とあんなに親しいのに、一夜さんの道場に通っていたわけでもない。それだったら、絶対会ったことがある筈だもの。

そんな奇妙な初対面の後、彼は何かと私に張り合うようになった。宿題とか、演習の出来とか…学科試験もまだなのに、そんな些細な一つ一つのことをあげつらい、私の出来に目を光らせている。

そんな折、『神器』の演習で、私が教官に誉められたことが、どこからともなく耳に入ったようで。涼風くんには、それがどうもご不満らしい。

あからさまに無視してみたり、一生懸命こわい顔してこっちを見たり…実害がないにしても、まあ、しつこい。

お父さんには言わなかったけど、最近そのことで、ちょっとうんざりしてるのだ。

「あーあ」

らしくもない、重いため息をついた私に、夏月は苦笑いして言う。

「堪えてやってくれないか。あれはあれで、色々と苦労してるんだ」

「苦労…ねぇ」

紺青一の名家の御曹司、豪奢なお屋敷に住んで、食べる物も着る物も、読む本だって不自由しない、そんな彼に、どんな苦労があるというんだろう。

昔には比べるべくもないそうだが、今でも城下町や紺青から遠く離れた属国では、貧しさに喘ぎ、病気になっても医者に掛れない子供が、沢山いるというのに。

「涼風の家を継がなきゃって…プレッシャー感じてるみたいなんだ。体も弱いだろ?あいつ」

「…そうみたいだね」

何かにつけ張り合おうとするくせに、学校は休みがちなのだ。

「それなのに、紺青で三本の指に入る名家の跡取りだ。少しでも大きく見せたい…いや、見せなければと思うんだろう。士官学校に早く入学したのだって、涼風の子息がいかに優秀か、周囲に示したかったんじゃないかな」

「…そういうもん?」

ふっ、と目を細め、夏月は去っていく涼風くんの背中を見つめる。

「ま、私達には関係ない世界だけどな」

「…そうだね」

夏月も、優秀だから…関係ないんじゃないかな。

けど………


『お前、古泉道場の跡取りって自覚あるのか?』

叔父が、不愉快そうに歪めた。

『鍛錬が足らん』

夏月の苛立った顔。

まあまあ、と…それをなだめる中年の男達の声。

『まだ一馬は小さいんだ。もう何年か経てば、背も伸びるだろうし、剣術も上達するだろう』

『あまり早いうちから過度にプレッシャーを掛けるものではないぞ』

『練習あるのみね』

母さんの笑顔。

『まぁ、ぼちぼちやればいいんじゃない?』

愉快そうに笑う、親父の横顔。

みんな…言いたいこと言いやがって。

何が分かるってんだよ。

俺だって…出来るんだったら………

『一馬』

…まただ。

『ねえ、一馬』

うるせえ、聞こえねえよ。

『嘘。聞こえてるくせに』

聞こえねえっつってんだろ。

きっと夏月や親父には笑われるだろうし、母さんは心配するだろう。

だから…雪に相談したのに。

『あるわけないじゃん』

そうだよな。

『一馬』

うるせえ。

あるわけないんだ。

『かず…』

そんなこと…あるわけ………


「かーずっ」

耳に響く甲高い声と共に、ずしりとした重みが背中に掛かり…我に返った。

ぐえ…と…短い悲鳴を上げる俺の体をぽんぽん叩きながら、けらけらと楽しそうな笑い声が響く。

「ねーどうしたの!?病気なの!?かず」

「………うるせえ」

「あれぇ起きてるじゃーん!?せっかくいろは、お見舞いに来てあげたのにっ」

不満気な口調と裏腹に、日を追うごとに、大きく重くなっていくいろはは、うきうきと俺の背中の上で体を揺らしている。

「ゆうちゃんも、いろはがお見舞いに行ったら元気になったんだよー!かずにも元気になってほしくてっ」

「いらん。どけ、いろは」

「やーだもんっ」

みしみしとベッドが軋む。が…これが壊れる前に、まず…俺の背骨が折れる。

「頼む。どいてくれ」

「やーだっ」

「こら、いろは!」

弾んでいたいろはの体が、ぴたりと止まる。

「降りなさい、いろは。一馬が可哀想だろう」

「…はあい」

ほっ、と安堵のため息をついて。

俺は改めて、声の主達に背を向けた。

「登校拒否だそうだな、一馬」

「……………」

「体はもう、なんともないのか」

「……………」

「なんともないなら、いいんだが」

黙っている俺を非難するように、いろはが非難めいた声を上げる。

「ねーお母様!さっきはかず、いろはとおしゃべりしたんだよ!?」

…余計なことを。

「お母様とは、おしゃべりしたくないのかしら」

「…大丈夫だ。いろは、あっちへ行ってなさい」

微塵の反抗もせず、はあい、と元気よく返事をして、いろははバタバタと板張りの廊下を走って、どこかへ行ってしまった。

「一馬。話したくないなら…そのままでいいが」

くれはさんは、ため息混じりにもう一度、声を掛けてくる。

「何かあったなら、教えてくれないか?知らないかもしれんが…『神器』は私の得意分野なのでな。何か相談に乗れることが、あるかもしれん」

『あるわけないじゃん』

「何も…ないです」

「………本当か?」

「俺は…単なる出来損ないですから」

「………一馬」

親父や母さんや、夏月とは違うんだ。

蓮兄とも、清志さんとも…直生とも、悠斗とも。

俺だけが…こんな。

「あなたは、出来損ないなんかじゃないわよ」

はっとして、部屋の入口を見ると…母さんが、微笑んでこっちを見ていた。

「藍…」

「くれは、ごめんね。心配かけちゃって」

「いや、いいんだ。いろはの中で流行ってるんだ」

「…は?」

「なんというか、『お見舞い』が楽しいらしい」

「…迷惑な」

思わず呟く俺の前に、ちょこんと座り。

母さんは、じっと俺の目を見た。

「一馬」

「…はい」

「いい加減になさい。お母さん、まだ…怒ってないから」

ぎくりと体が硬直する俺と、それを不思議そうに見るくれはさんを横目に。

にっこり笑って、母さんが頷く。

「よし!いい子ね」

「………ごめんなさい」

「じゃ、お昼にしましょうか。一馬、今日はちゃんと出てきて食べるでしょ?」

「…はい」

「くれはも、いろはちゃんと食べてく?」

「あ…ああ」

腑に落ちない顔で頷いて、母さんの後を追うくれはさんが去り、また…一人になる。

『お母さんが怒らないうちに、機嫌直しなさい』

母さんが笑顔でそう言う時は…マジギレ五秒前なのだ。

親父にちょっと小言を言う以外は、いつもにこにこ穏やかな母さんだが、本気で怒ると…本気で怖い。

「…あーあ」

ハンストどころか、立てこもりすら出来ないなんて。

「俺って…本当、出来損ないだよな」


「おーい、橘ー」

教科書から顔を上げると、クラスメイトが三人、僕の机に向かって歩いてくる所だった。

「あのさ、あいつ」

彼らが目で指し示した先には、窓際の雪の机。

「雪ちゃんが、どうしたの?」

「いや…行き先知らないかと思ってさ」

二人のがっしりした体格の少年の一歩後ろに立っていた、ひょろりとした眼鏡の少年が、遠慮がちに口を開く。

「さっきの講義、一緒だったんだけど…帰りに上級生に声掛けられてて」

「上級生?」

うん、と…彼は両手で眼鏡を押さえながら、困った顔で頷く。

「多分、三年生だと思うんだ。三年の教室から出てきたから」

「野郎四五人に声かけられたんだってさ。で、こいつが止めたら『心配しないで』って…一人でついてったって」

「…えぇっ!?」

立ち上がった僕に、クラスの生徒達の視線が集まるが…そんなこと、気にしていられない。

「ちょっと、待て!橘!」

さっきのクラスメイト達の呼ぶ声を背後に聞きながら、僕は廊下を全力疾走して。

校舎を出たところで、呼び止められた。

「どこ行くんだ?もうすぐ次の講義、始まるよ」

「あ…悠斗!大変なんだ、雪ちゃんが」

「『雪ちゃん』って…」

眼鏡に手をやり、悠斗は呆れたようにため息をつく。

「お前、あいつのこと…もう名前で読んでるの?」

「え!?だって…一馬も夏月さんも」

「まあ、いいや。それでどうしたって?」

「…それが!」

僕は咄嗟に悠斗の腕を掴み、三年の教室のある校舎に向かって、再び走りだした。

「ちょ…ちょっと、直生!」

「一緒に来て!!!」


「で、お前…こいつが付き合ってくれって言ってんの、断んのかよ」

「ええ、申し訳ありません」

にっこり笑う私に、一瞬目を丸くした後…彼らは、剣呑な目で私を睨んだ。

「何でだよ?せっかくこっちから声掛けてやったのに…一年のくせして、調子乗ってんじゃねぇぞ」

「調子になんか…一年だって、断る権利はあります」

「…んだと?」

「りっ…理由を言え!理由を!!!」

友達の前でフラれて、面目丸つぶれになったらしいお兄さんが、真っ赤な顔で怒鳴る。

「そうだ、何が気に入らねえってんだ!?偉そうに」

加勢する一人の言葉を遮って、私は彼を見据え微笑んだ。

「私、あなたみたいなスカスカのピーマンみたいな人、駄目なんです」

「なっ………なんだと?」

「聞こえませんでした?私、筋肉馬鹿には興味ないんです。だから…ごめんなさい」

ぺこりと頭を下げた私の耳元を、一人の男の拳がかすめた。

ゴン、と…背後の壁が、大きな音をたてる。

思わずぎゅっと目を瞑って…ゆっくり開く。

と。

男たちは、指を鳴らしながら、怒り心頭に発す、という顔でこっちを睨んでいた。

「馬鹿だと?」

「…違うんですか?じゃあ」

「じゃあ、じゃねえ!」

「舐めんじゃねーぞ、このガキ」

ぎゅう…と、腕に男のごつい指が食い込む。

「い…痛」

「おう、痛えだろーよ」

「やめてくださいっ」

「やめてほしいか?」

煙草で黄色くなった歯をにっ、と見せて、男は卑下な笑みを浮かべ、他の男たちを見た。

「おい、思い知らせてやろうぜ」

「おー、やるか?」

「いいのかぁ?悪い奴だなぁおめーも」

…ちょっと。

「おっ…大声出しますよ!?あなた達、女性に乱暴なんて」

「別に、たいしたことじゃねぇだろ」

「それにな、こんな敷地の隅っこじゃ、悲鳴上げたってわかりゃしねぇよ」

「あ…あんた…達」

「お?怒ったのか?お嬢ちゃん。怖かったら泣いてもいいんだぜ?どーせ、誰も来やしねーけどな」

頭の奥で…何かが切れる感覚。

と、共に。

私は反射的に、そのぶっとい腕を掴み、足を絡め…体勢を低くして、ぐいっと引いた。


僕達が駆けつけた時は、丁度大柄な上級生が、ふわりと宙を舞うところだった。

続けて、ドシン、という、地面に叩きつけられる、重い音。

「なっ………」

一瞬怯んだようだが、残りの三人も目を血走らせ、彼女に飛びかかって行く。

しかし…そこからが、鮮やかだった。

雪はジャケットを脱ぐと、正面の男の頭にバサッと被せ、動きが鈍った彼の背中に回り込み、バックキックで蹴り倒す。

「てめ…!?」

右サイドの男の急所を鋭い声と共に蹴り上げ、うずくまった男の顔面に膝蹴りを食らわせ。

左サイドの男の眉間に拳を打ちこみ、一発で仕留めると。

よろよろ起き上がった最初の男の腕をひねり上げ、地面に擦り付けた。

「いっ…いででででっ………」

「先に手出してきたん、そっちやろ」

今まで聞いたことのない、低い声で…雪が男に語りかける。

「女ひとりに大勢で…ええ根性してんなぁ」

「たっ…たすけ………て」

彼女は、刺すような目で男を睨むと、再び、ぐっと腕に力を込めた。

ぎゃあ、と…情けない悲鳴が上がる。

「これで…わかったやろ?私…阿呆と弱い男は、嫌いなんや」

口元を歪ませて、彼女は…寒気を催すような笑みを浮かべた。

「もう二度と、こんなおいたしたらあかんで?わかった?」

「はっ…は…い………」

「…わかったらええ」

ごん、と鈍い音。

地面に顔面を打ちつけられた男は、ぐにゃりと伸びてしまい。

何事もなかったかのように、乱れた長い髪を整え、パンパンと制服の埃を払う雪を…僕と悠斗は、呆然と見つめていた。

「…あら?」

きょとん、とこちらを見る彼女に…何て声をかけていいかわからず。

「二人とも…いたんだ」

気まずそうに、微笑む。

「見て…た………よ…ね」

「つ………強いんだ…ね。雪ちゃん」

これなら…『大丈夫』なわけだ。

悠斗は、眉間にぎゅっと皺を寄せて、黙ったまま。

僕達を交互に見て。

雪は、ぱん、と両手を合わせた。

「お願い!このことは、誰にも言わないで!」

「………え?」

「特に、うちのお父さんには、絶対!ね、橘くん、涼風くん、この通り!」

「え…と………うん」

よくわからなかったが、僕が頷くと、彼女はほっとしたように笑った。さっきまでの剣呑な気配は、もうすっかり消え去ってしまっている。

「涼風くんも、お願いね」

黙ったまま、彼は僕たちに背を向け。

ばっ、と…逃げるように去って行ってしまった。

「…悠斗」

ふう、と…ため息をつく、雪。

「困ったなぁ…学校では絶対暴れないって、お父さんと約束したのに」

「…大丈夫なんじゃないかな。この人達も、まさか女の子にやられたなんて…言わないと思うし」

「そうだよね。でも」

彼女は、顎に手をやり、首を傾げる。

「なんであの子…あんなにムキになるのかしら」

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