Ep4 騒ぎの余韻
あの様子、初めての学校に戸惑っている…というのとは、ちょっと違うみたいだ。
「橘…何かあったのか?」
俺が朝聞いた話をしてやると、周りの友達はほお、と目を丸くした。
「そら…大変だったな、あいつ」
「大変…で…済むか?だって、東はすごーくのんびりしてて、犯罪なんてほとんど起こらないような所だって聞くし」
「でもまあ…朝生伍長がいてよかったよな、さすがの古泉先輩でも、刃物持った相手じゃ」
好き勝手言っている連中越しに、直生の方を盗み見ると。
彼はぼーっと…窓の外を見ていた。
憂鬱そうな、大人びた横顔。
「でも!」
女子の一人が、俺の肩をぐい、と引っ張る。
「素敵よね、朝生伍長って」
うっとりした目で頷き合う女子一同を眺め、男共が顔を見合わせ。
「はあ!?」
一斉に…叫んだ。
「どこがいいんだ!?あの奇人変人の」
「何てこと言うのよ!?朝生伍長、強くてかっこいいじゃない!」
「しかも、そういうちょっと冷たいくらいな所がまた…」
ちょっと…か?
「しかも、中性的な感じで素敵よね。さすが生まれも育ちも花街っていうか、男性なのに色っぽいっていうか…」
げー、と男共が一斉に反論する。
「あいつ、剣術めちゃめちゃ強いんだぞ!?どこが色っぽいんだよ」
「だって」
こほん、と軽く咳払いをして、両親が街で酒屋を営む同級生の女子が話し始める。
「前にね、うちのお母さんが『桔梗』に品物納めに行った時にね」
『流衣』
見廻りだか休憩の最中だかで…ふらりと実家の『桔梗』に立ち寄った流衣に、桔梗の女将は楽しそうに声を掛けたそうだ。
『こちらの女将さんが、お前の舞を見たいそうだよ』
『え!?…あの、かほりさん、私は『舞が舞えると聞いたけど本当?』って聞いただけで、見たいとまでは………』
不思議そうに見つめる流衣に、恐縮して顔を赤らめた酒屋の女将は、そう言って辞退したが。
流衣は、穏やかに微笑んで頷いたのだという。
『いいですよ。母さん…何か弾いてくれますか?』
そして、かほりの三味の音に合わせ、彼は女将の前で一節舞ったそうだが。
その、流れるような所作は…人気の花姫達も、裸足で逃げ出すくらいの美しさだったのだという。
自慢気な酒屋の娘の話に、女子達は…甘美のため息をついた。
「やっぱり素敵…朝生伍長」
「あーあ、私も流衣様の舞、見てみたいなあ」
「そう………かぁ???」
俺も見たことないけど…見たいなんて毛ほども思わない。
「お前ら本当、あの『夜叉』のどこがそんなにいいんだよ?」
吐き捨てた俺に、女子たちは一瞬目を丸くして…すぐに、すごい勢いで噛み付いてきた。
「…ちょっと古泉、『夜叉』って何よ!?」
「あんた、朝生伍長とちょっと親しいからって、そんなひどい呼び方していいと思ってるわけ!?」
「親しくねえよ、俺は」
それに、親しくしたいとも思わない。
「あいつ、いっつもヘラヘラヘラヘラしてるけどさ、何考えてんのかさっぱりわかんねーじゃん。気持ち悪いとか思わねえの?」
「…そう???」
不思議そうに顔を見合わせる同級生達は、感じたことがないんだろうか。
傍に立った時の、あの………身を切られるような冷たさ。
あいつが陰でなんて呼ばれてるか…『夜叉』なんて、滅多なことがなきゃ言われないだろうが。
話してても、確かに笑顔なんだけど…目は完璧に、笑ってないし。
そのくせ…夏月には、やったら優しい顔をして、猫撫で声で話すのだ。
どういうつもりなのか…っていうか、まあ、そういうつもりなんだろうけど、さ。
夏月はなんだかんだで面倒な姉貴だけど、美人なのは間違いないからな…
そんなことを考えていたら…いつの間にか、外を眺めていた直生が、じっとこっちを見ているのに気づいた。
「何だ?直生、どうかしたか?」
何となく、その目が尋常じゃない感じがして…尋ねると、直生は慌てた様子で笑い、首を振った。
「いや…何でもない」
「ねー、そんなに冷たいかなぁ?朝生伍長って」
女子たちは、まだそんなことを囁きあっており。
中の一人が、直生の前の席で、話の輪に入らず教科書を眺めている少女に声を掛けた。
「ねえ、雪ちゃんはどう思う?」
「…なあに?」
不思議そうに首を傾げる雪に、女子の一人が今の話題をかいつまんで説明する。
「ねえ、素敵よねえ?流衣様」
「…そう?」
穏やかながらも意外な反論に、女子だけでなく男子も目を丸くする。
が。
まあ………俺にしてみりゃ、当たり前の回答だ。
それなのに、懲りない誰かが、何で?などと尋ね。
彼女は微笑んでゆっくりと長い髪を掻き上げ…興味ないの、と応える。
「興味…ない…の?」
「ええ」
「だって、雪ちゃん、朝生伍長とも会ったことあるでしょ?それに」
「私ね」
何か思い出した様に立ち上がり、廊下に向かいながら、雪は穏やかに、だが…きっぱりと言い放った。
「馬鹿は嫌いなの」
職員室行って来る、と言い残して去っていく彼女の背中を、皆…呆然と見送り。
同じように不思議そうな顔をしている直生を見て…俺は、思わずため息をついた。
紺青に着くなりこんなんじゃ…本当、災難だな。
今日は陽射しが強くて、何だか肌がヒリヒリする。
でも、そよそよ吹く風は爽やかで…優しく頬を撫でて通りすぎていく。
「直生!」
一緒に歩いている一馬の姿に、一瞬躊躇したが…今朝のぼんやりした表情が気になっていたので、思い切って声を掛けてみる。
と。
彼はきょろきょろと周囲を見回した後、一馬に促されて校舎の屋上を見上げ、大きな目をさらに見開いて、驚いたような表情をした。
「あの子?」
背後から聞こえるフルートのような声に頷いて。
「上がって来ないか?」
私は頷いて、また大声で呼びかける。
「紹介したい子がいるんだ」
「姉ちゃん、俺も行っていい!?」
きらきらと目を輝かせる一馬に、お前は駄目だ、と言いたかったが。
それだと余計警戒してしまうだろうと思い…今日は特別に、屋上に上げてやることにする。
「こんちわ、麗さん!」
物凄い勢いで階段を駆け上がってきて、一馬は一直線に麗の前に駆け寄った。
「なんか、久しぶりですね!お元気でした!?」
「ええ…一馬くんも、学校慣れてきたみたいね」
はい!と力強く頷く一馬に、呼吸の乱れは一切ない。
たく………ちゃんと鍛えりゃ見込みはあるってのに、勿体無いったらありゃしないんだから。
「何かご用ですか?」
…そうだった。
怪訝そうな顔をする直生に、強ばらせた顔を慌てて元に戻す。
「いや、友達を紹介しようと思ってな。お前の父上とも縁のある方の娘で」
「直生!」
澄ました声で、一馬が得意げに言う。
「紹介するよ!こちら、一ノ瀬麗さん。一ノ瀬公のご令嬢で、容姿鍛錬、成績優秀、おまけに優しくてお淑やかな、士官学校一のお嬢様なんだぜ」
「一馬くん…誉めすぎよ」
「いや、麗さんてばそんなに謙遜なさらず!とにかくすごい人なんだ!なんで夏月なんかと親しくしてくれてるのか俺には全く」
「か・ず・ま?」
低い声で言うと、一馬は首を竦めてすごすごと引き下がった。
たく。
目を丸くしている直生に、ひたすら恐縮して小さくなっている麗を改めて紹介する。
「お兄様にも、昨日お会いしました」
直生は、礼儀正しくそう言ってにっこり首を傾げる。
「ええ、そうみたいね。兄様おっしゃってたわ、『見どころのありそうな子だった』って」
「………え?」
「私には良くわからないけど…武道を嗜む方だと、気配でなんとなく分かるものなんでしょう?」
目を丸くして…直生は、私と一馬にちょっと視線を向けた後、また麗に向かって微笑み、頷いた。
「確かに…そう聞いたことがあります。清志さん、やっぱりすごい人なんだ…凛々しくて勇ましくて、それにあんなに強くて」
「そうね。私の自慢のお兄様」
嬉しそうに微笑んで、麗は私の方を見た。
引っ込み思案な麗だが…どうやら、ちょっとは打ち解けてきたらしい。
「麗は私と同期なんだ。それに、幼馴染で…さっき会った槐、覚えてるか?」
「はい」
「あいつも、麗の親友でな…小さい頃から、ずーっと一緒だったんだ、私達」
「槐に会ったの?」
嬉しそうに麗が尋ねる。
「ああ。朝花街を散歩してて」
言いながら…胸がズシンと重くなるのを感じる。
きっと、妙な顔をしてしまったのだろう、どうしたの?と心配そうな顔で麗が言い。
「それがですね、麗さん」
一馬が得意げに、今朝の事件を、まるで見てきたように解説してみせ。
それだけでも、浮かない気持ちに拍車がかかった…というのに。
「もう…しょうがないわね、流衣さんたら」
ごくごく些細なことのように麗が笑うので…私の心はがっつり沈み込んでしまった。
『ったく、しょうがない奴だなぁ』
それは…父さんと、全く同じ反応だ。
「あの…夏月さん」
大丈夫ですか?と小声で囁く直生は、本当に出来た奴だと感心する。
「ああ…ありがとう」
「夏月さん、ちょっと」
ブレザーの袖を引っ張って、はしゃいだ一馬とちょっと困り顔で笑う麗に聞こえないように、私を少し離れた所へ誘い。
彼は…厳しい表情で、きっぱりと言った。
「僕も、あの人はやりすぎだったと思ってます」
「…直生」
強い眼差しに戸惑うが…やましいことは何もないのだ、私もまっすぐ見つめ返す。
「あの人…流衣さんが、さっき言ってたことですけど」
頷くと、彼は屋上から見える、紺青の城に厳しい視線を向けた。
「『奴は武器を持ってた』『気がたっていた』って…それは確かでしょうけど。彼は明らかに、自分のしでかしたことに動揺して、むしろ周囲に怯えていました」
「………ああ」
「『窮鼠猫を噛む』とは言いますけど…彼は得物をこう」
彼はそう言って、短刀を握るような仕草をする。
「こんな風に握ってました…覚えてますか?」
………驚いた。
「…いや」
あの混乱の中…どうしてそんなこと。
『直生は、ああ見えて一流の剣術の遣い手らしいから』
今朝方の、父さんの言葉が脳裏を過ぎった。
『色々話してみるといい。夏月にも、いい刺激になると思うよ』
………そうか。
動揺で、視界が狭くなっていた自分を恥じた。
「夏月さん?」
「あ…ああ、すまない。続けてくれ」
頷いて、直生はまた声を低くする。
「あの握り方では、一度構えなおさないと攻撃態勢は取れません。ですから、彼が誰かに危害を加えようとしたとしても、逃げたり反撃したりする時間は、十分に取れたと思います」
すう、と息を吸い込んで、若き剣士ははっきりと言い放った。
「あの人の言っていたことは、詭弁でしかありません」
『こういうのは、僕が引き受けるから』
別れ際の、流衣さんの冷たい笑顔が蘇った。
「…そうだな」
父さんがもし…あの場面に出くわしていたら。
父さんは、あの人を窘めただろうか。
もしかしたら、やっぱり笑うだけかもしれない。
けど………気づいてくれたに違いない。
「ありがとう、直生」
微笑んで、私も美しくそびえる紺青の城に視線を移した。
「そういえば」
ぽん、と手を打ち、一馬と同じ年の少年の表情に戻った直生が言う。
「僕…昨日、涼風公のご子息にもお会いしたんです」
「ああ…悠斗のことか」
そういえば、今日は一度も見かけないな。
「今日、欠席されてるみたいなんです」
「…そうなのか」
「よくあることだよ」
可笑しそうに笑って一馬が言うと、直生はまた、不思議そうに首を傾げる。
「よくある…って?」
「昨日の大暴れが祟ったんだろ。あいつ、滅茶苦茶体弱いからさ」
額にひやりとした、何かが触れ。
うとうとしていた僕は、びっくりして飛び起きた。
が。
くらりとして…また、柔らかな枕に沈み込む。
「びっくりしたぁ」
まだあどけない、呑気な女の子の声に、思わず不機嫌な顔をしてしまう。
「どうしたの?悠ちゃん、怖い顔して」
「…うるさいなぁ」
「いろは、お見舞いに来てあげたんだよ!」
はしゃいだ声で言って、いろはは黒い瞳をきらきらさせる。
「ああ…ありがと」
「鬼ごっこしたんでしょ!?カズと」
「………それ、誰から聞いた?」
「父様」
………そう。
ため息をついて、僕は頭から布団を被り直した。
「ねーねー悠ちゃんっ」
「わるいけど、あっち行っててくれない?頭痛くてさ」
「いろはが『痛いの痛いの飛んでけ』って、してあげようか?」
「馬鹿にしてるだろ」
「ちょっとね」
羽布団を通して聞こえる、クスクスという笑い声が、暗澹たる気持ちに拍車を掛ける。
ちょっと前まで赤ちゃんだと思ってたのに…いつの間にか、ませたガキに成長しちゃってさ。
こうやって僕が寝ている間に、一馬は大人になってしまって、いろはにも追いつかれてしまうんじゃないか…馬鹿な空想だって分かってるけど、僕は最近、そんな夢にうなされることがたまにある。
たったあんだけ、走っただけなのに。
一馬も…あの『直生』って、東伯公の息子も、今日は元気に登校している筈だ。
また一つ、重い溜息をつく。
朔月公がご存知…ということは、昨日の騒動は、父上の耳にも入っているということだ。
子供じみたことをして、しょうがない奴だって…思われてるかな。
いや………それだけなら、まだいい。
そのくらいの事で、こんな風に高熱出して寝込むなんて…情けない奴だって。
ぞくっ…と、背筋が寒くなる。
僕は、涼風の家を背負って立たなきゃいけない人間なのに。
「いろはちゃん?」
母上の声がする。
「悠ちゃん、頭痛いんだって。いろはもう行くね」
おば様ごきげんよう、と、澄ました調子で言って。
丸まっている僕の背中をぽん、と叩き、いろはは部屋を出ていった。
「悠斗さん?」
「あ…母上。大丈夫です、あいつがちょっと煩わしかったもので」
「本当に?」
「はい。ご心配をおかけして申し訳ありません」
ごめんなさい、と…母上のか細い声がする。
「あなたのこと…丈夫に産んであげられなくて」
「…母上!?」
がばっ、と布団を剥いで起き上がると。
戸口に立つ、黒髪の女性と…目が合った。
「………あ」
母上も、その時…初めて気づいたらしい。
口元に手を当て…驚いた様子で目を見開いている。
無表情に壁にもたれていた彼女は、僕達を交互に見て…ふっ、と表情を崩した。
「そういうこと、容易に口になさるものではありませんよ…志乃様」
「………くれは様」
翡翠色の瞳を潤ませる母上に、彼女はそっと手を掛ける。
「ご心配はわかります。ですが…母上にそのようなおっしゃられ方をされては、悠斗も立つ瀬がないでしょう」
「………そう…ですね」
「少し、悠斗と話したいのですが…よろしいでしょうか?」
「ええ、勿論」
ふう、と小さく深呼吸して…母上は、いつもの穏やかな笑顔に戻り、頷いて部屋を出て行った。
二人になった部屋で、彼女は再び、壁に背を預け…じっと僕を見据える。
「顔色が悪いな、悠斗」
「…ええ」
いろはを差し向けたのはあなたでしょう?と尋ねる声が、ついつい不満の色を帯びてしまい。
彼女は可笑しそうに口の端を上げ、いや…と首を振った。
「あれなりに心配しているのだよ…お前さんのことを、な」
「そうでしょうか………それより、話って何です?」
くれはさんは、窓の外の青い空に視線を移し…ちょっと目を細めた。
「直生と会ったそうだな」
「…はい。朔月公もご存知と伺いましたけど」
「彼は、何か言っていたか?」
「…何か?」
その厳しい表情に、質問の意図が汲み取れず…困惑してしまう。
「それは…どういった類のことですか?」
「そうだな」
視線をモスグリーンのカーペットに落とし、彼女はゆっくりと長い髪を掻き上げる。
「例えば………紺青へ来た目的とか」
「それは…士官学校があるからなんでしょう?それとも…他に、何か目的があるって言うんですか?」
「いや…それは分からん。分からんが………東で何か起こったとか…そういったことは?」
「何も…聞いておりませんが」
「…そうか」
ならいい、と微笑んで、彼女は僕の髪を優しく撫でた。
「邪魔したな。今日はゆっくり休んで…早く元気になって、いろはと遊んでやってくれ」
「あの、くれはさん」
部屋を出ようとしていた彼女は、何だ?と怪訝そうな顔で振り返るが。
何?は…こっちの台詞だよ。
「どうして、直生本人に聞かないんです?それに、聞くなら古泉ご夫妻とか、一馬や夏月に聞いたほうが」
「いや…いいんだ。私の思い過ごしで、皆に妙な心配を掛けたくない」
「じゃあ…どうして僕に?」
「決まってるだろう」
にやりと笑って、彼女は僕の目をじっと見た。
「お前の意見が一番客観的で、信用に足る、と…思っているからだ」
「……………はぁ」
体温が…もう一度、上がったような気がした。
僕は…また、温かい布団に潜り込み。
廊下に響く彼女の靴音を、心地良く聞きながら…目を閉じた。
勾陣の道場で、奴は一人、竹刀を振るっていた。
「流衣」
俺の呼びかけに気づかないのか…いや、気づかない振りをしているのだろう、流衣は返事をせず、同じ動作を黙々と繰り返している。
「流衣!人が呼んでるっていうのに」
「稽古中」
…ほら、やっぱり聞こえてる。
「邪魔しないでくれない?役付だとね、何かと忙しくて…こうやって稽古する時間、なかなか取れなくてさ」
「そんなことは分かってる!」
横柄な態度にカチンときて…俺は駆け寄って、竹刀を握る右手をぎゅっと握りしめた。
「何?痛いんだけど」
「お前、今朝…民間人を傷つけたらしいな」
不思議そうに俺を見つめ、それが?と聞き返す、流衣。
「これで一体何度目だ…さすがに、蓮だって庇いきれないぞ」
「蓮が…そう言ったの?」
「……………いや」
あいつは、隊長連では一番若い。先の朔月公の嫡子と言っても…総隊長でもないあいつが、何か強い決定権を持つような場面は、いくら何でも無い。
だが…蓮のことだ、流衣のことで立場が悪くなったとて、俺達にそれをこぼすことはないだろう。
…だからと言って。
「お前…自分のせいで蓮や宗谷隊長に迷惑が掛かるとか、そんな風に考える頭はないのかよ?」
俺の怒る理由が全く理解出来ない…という顔をして、不思議そうに流衣は言う。
「二人が迷惑だっていうのなら、伍長を降ろしてくれても…僕は全然構わないけど」
「…あのなぁ!」
…いけない。
大きく一つ、深呼吸をして…激しい怒りが収まるのを待つ。
「そう、かっかするなよ清志。僕はちゃんと上に報告もしてるし…別に罪のない民間人を手に掛けた訳じゃないんだから」
こいつ相手に、感情的になるだけ…損だ。
「そりゃ…そうだろうが」
言い淀む俺に、流衣は肩をすくめて、くすつ、と笑う。
「だったら…いいじゃない」
昔は、こんなじゃ無かった…と、思う。
ガキの頃は、一緒に笑ったり怒ったり泣いたり…俺達と同じだったのに。
一体いつからだろう…こいつが、こんな血も涙もない、怪物みたいな男になってしまったのは。
「正義感が強いんだね、清志は」
「…まあな。けど」
効くかどうかは分からないけど…今の俺の切り札だ。
「一夜さんも、気にしてたぞ」
「………師匠が?」
濃い紫の瞳の奥に、微かな動揺が見えた。
「ああ…それに藍さんも。あの人達に分からない訳ないだろ?お前はやり過ぎだ、明らかにな」
表情に変化はないが…かかった、と…思った。
「そっか」
「そうだ!だから、悪いことは言わん、自重しろ流衣」
「そうだね」
………何だ。
今日は…やけに、素直だな。
「清志、直生って子に会った?」
「…ああ。昨日な」
「あいつ…ちょっと、おかしな所あるよね」
「………どういう意味だ?」
「あの年のガキにしては…しかも、東伯公のお坊ちゃまにしては、随分と醒めてるだろ?あいつ」
竹刀を壁に立てかけ、射しこむ月明かりに目を細め…流衣は、静かな口調で言う。
「東で…一体、何を見てきたんだろうって…思ってさ」
「………だから」
「それだけじゃない。あいつ、どうして…一ヶ月も遅れて紺青に来たんだろう」
…そういえば。
「それにさ…こないだの事故」
青龍隊の相馬隊長の報告。
『東の洞窟で落盤事故が起こり、多数の死者が出た』っていう…あれか。
「それ以外にも、最近色々あるだろ?東に獰猛な野生動物なんて、以前はそう居なかった筈だ。それなのに、こう立て続けに死傷者が出るなんて…妙だと思わない?」
「玲央…相馬隊長が、何か隠してるって…言うのか?」
「玲央が、じゃない。東伯公もグルになってさ…東の連中皆で何か、共有してる秘密があるんじゃないかってさ…僕は、そう思ってる」
「………そう…か」
だとしたら…それは。
「何だと思ってるんだ?お前は」
「わかんない、でも…」
「…何だよ」
「もしかしたら、師匠や藍さんが望まないようなことが、僕達のもうすぐ傍まで迫って来てるのかもしれないよって…伝えてやってくれる?師匠達に、さ」
それと。
そう言って、流衣は世にも楽しそうな笑い声を上げた。
「僕に言いたいことがあるんなら、怖がらずに直接言いに来いって…それも、ついでに言っといて」