Ep2 追いかけっこの結末
不安そうな顔で、きょろきょろしながら歩く一馬。
僕達は…その頼りない後ろ姿を、少し離れた物陰から見守っていた。
「大丈夫かな」
思わず呟くと、大丈夫大丈夫、と蓮さんは綺麗な笑顔を僕に向ける。
本当に…こんな風に、まるで役者か何かのような顔立ちや体型で…しかも地位もあって、強い人なんて、東では見たことがない。
「あいつの逃げ足は天下一品だからな!ちゃんと目的の場所まで奴らを誘導出来りゃ、街で騒ぎを起こした現行犯ってんで、全員お縄に出来るって寸法だ。それより」
赤い瞳が、まじまじと僕を見つめる。
「さっき聞きそびれちまったんだがよ。お前…もしかして、東伯公の嫡男か?」
「………はい」
やっぱりそうか、と笑う蓮さんの背後で、悠斗が目を丸くした。
「そうなの!?」
「…うん」
「だからかぁ…俺、お前に会ったことがあるような気がしてさぁ。覚えてねえか?いや覚えてねぇだろうなぁ。あん時はまだお前、こーんなガキで」
ぐっと身を屈めて言う蓮さんの言葉に…僕は首を振って尋ねる。
「東に…いらっしゃったことが?」
「そ。うちの親父と、義理の兄貴にくっついてさ。俺もその頃は、まだほんのガキんちょだったんだけどな」
「一馬の奴…何でそんな大事なこと、黙ってたんだよ」
呟いて、悠斗は不満そうに口を尖らせる。どうやら、自分の知らないことがあった…というのが、頭脳明晰の彼には不満らしい。
「僕…一馬に言ってない…し」
「………本当!?」
「………すごく急いでたし、聞かれなかったから」
「けど、苗字で分からないかなぁ普通…だって、あいつ名前は聞いてたでしょ?」
「一馬…名前しか名乗らなかったから…『お前は?』って聞かれて『直生』って…」
「………あの馬鹿」
悠斗は顔を赤らめ、困ったように頭を掻く。
「なんていうんだろ…こう…抜けたところがあるんだよな」
「まっ、それもあいつのいい所だ」
けらけらと愉快そうに笑って、蓮さんはまた、遠くの一馬に視線を向け。
ぴたりと、動きを止めた。
気になって、同じ方向に目をやると。
一馬は、いつの間にか…さっきの男達に、ぐるりと取り囲まれてしまっていた。
「何だよ、てめえら卑怯だぞ!?」
この状況でも威勢よく吠える一馬を、男達は愉快そうに眺めている。
「さっき卑怯な手使って逃げたのは、てめえだったんじゃねえのか?」
「お友達はどうしたよ?おめえを置いて逃げちまったのか?」
「そ…そんなんじゃねーよ、ばーか!」
「………なんだとぉ?」
………ああ。
同じ思いだったらしく…額に手を当て、俯く悠斗。
「馬鹿は…お前だ、一馬」
「このガキ、ふざけんのもいい加減にしやがれ!!!」
「…っと…その」
まずいことになった…という顔をして、蓮さんは隠れていた建物の影から身を乗り出す。
「仕方ねえ。さっきの作戦とは違うけど、とりあえず助けに」
「間に合うの!?蓮」
青ざめた顔で、悠斗が素っ頓狂な声を上げ。
ごく…と唾を飲み込んで、僕も同意して頷いた。
この距離で…あの状況じゃ、どんなに蓮さんの足が速かったとしても…一馬は無傷じゃ済まないだろう。厳しい表情で蓮さんは首を横に振り、親指の爪を噛んだ。
「わかんねーけど…行ってやるしか」
その時だ。
「わあああああーーー!!!!!」
一馬の叫び声が、街の賑やかな通りに響き渡る。
はっとして…大男達の中心にいた、彼の姿を確認しようと…目を凝らす。
が。
そこに………彼の姿は…なく。
「一馬!?」
僕達同様きょろきょろしていた男達の一人が、あっ、と通りの向こう側を指さした。
「あっちだ!!!野郎、人ごみん中に逃げやがった!!!」
男の言葉通り…駆けていく一馬の姿は、街を行き交う人々の間に見え隠れしている。
どうやら…大声を出し、驚いた男達の一瞬の隙をついて…逃げたらしい。
その後ろ姿を見送っていた蓮さんが、はっとした顔をして…叫ぶ。
「あーっ、あいつ!どこ行くんだよ!?」
そして、舌打ちをすると…人ごみを掻き分け、駆け出した。
「俺が指定したのと、まるっきり逆方向じゃねえか!あの馬鹿」
「…そうなんですか!?」
慌てて…僕と悠斗も後を追うが。
僕達より、蓮さんより…さっきの男達の方が、ずっと前の方を走っていて。
街の人々は、その奇妙な追いかけっこを…珍しそうに足を止め、眺めていた。
てめえ待てこらぁという、ぶっとい叫び声が…段々近づいてくる。
「やっべ…スタミナ切れてきた」
心臓は破裂しそうな勢いで高鳴っていて、今にも足がつってしまいそうで。
………ああ。
一体全体、何でこんなことに。
それは、ほんの数時間前のことだ。
『母さん、帰り遅いみたいだから、迎えに行ってやってくんない?』
どこかから帰ってきたばかりの親父に言われて、俺はしぶしぶ靴を履いて、通りに出た。
そして…直生って奴に出会って。
そいで。
そっからは………何だかずーーーっと走り続けてる気がする。
『お前は日頃の鍛錬が足らんのだ』
腕組みをして、偉そうな顔で頷きながら…姉ちゃんはそんな風に、いっつもいっつも俺に言う。けど、今日に限ったら…多分俺は姉ちゃんより、ずーっと運動してるだろうと思った。
直生………か。
何だか、不思議な奴だな。
あいつのせいでこんな目にあってるんだけど、何故だか責めるような気にならない。あいつのこと、なんにも知らない筈なのに…何故だろう、初めて会ったような気がしないのは。
そういや。
さっき蓮兄…直生に何か、言いかけてたな。
ていうか。
………あれ?
俺、何か…大事なこと忘れてるような………
その瞬間。
「これで仕舞だ!」
いつの間にか迫っていた男に、ガシッと首根っこを掴まれる。
そして。
げ…と思った瞬間、思いっきり地面に叩きつけられ。
慌てて受身を取るが…ゴチン、と骨が軋むような音がした。
「いっ…て」
「追い…つめた…ぞお………ガキ」
「観念…しやがれ」
息を切らしている男達に…俺は思わず、ため息をつく。
「お前ら、何でそんな思いしてまで…俺に構うんだよぉ」
「うるせえ!!!てめえのせいでむしゃくしゃしてんだよ!!!」
「いい加減その減らず口を…」
男のデカイ拳が、頭上高く掲げられ。
ぎゅっ…と硬く、目を閉じた。
………が。
それが俺の上に降り注ぐことは…無く。
………あれ?
恐る恐る目を開け………俺は思わず、明るい声で叫んだ。
「清志さん!」
男をねじ伏せ…彼は周囲の男達を、厳しい視線で制している。
「動くな」
「なっ…何だ!?」
「動くと、この男の腕…折れるぞ」
「おーーー!いいぞいいぞ清志!」
ピリピリした緊張感に包まれていた通りに、ノー天気な蓮兄の声が響き。
ぞろぞろと現れたのは…マッチョな太陰の隊士達。
気障な笑みを浮かべ、ぐるりと連中を見回して。
蓮兄は、親指をくいっと傍の男に向けた。
「よし、引っ立てい!」
「押忍!!!」
ぶっとい声で短い返事をすると、隊士達は慣れた手つきで、恨めしそうな顔の男達に縄を掛けていく。
ほっとしたら。
全身の力が…へなへなと抜けていき。
崩れそうになる俺の体を、清志さんがたくましい腕でぐい、と支えてくれた。
「大丈夫か?一馬」
「…せ…せいじさん、俺………」
うまく言葉が発せない俺を、清志さんは優しい笑顔で見つめている。
「見てたぞ…本当に、お前の逃げ足の速さは天下一品だな」
「こ…こわかった………こわかったんですよぉ俺」
「もう大丈夫だ。だから…そんなに泣くな」
けど、大きな手で撫でられると…余計に涙は止まらなかった。
昔っからそうだ。
物心ついてからずーっと、いじめっこに追いかけられては、こうやって幼馴染の清志さんに助けてもらっていた気がする。
そして…その度に俺は、救いだされた安堵感で、しくしく泣いては慰められた。
「おい、一馬?」
呆れたような、笑いを含んだ声が聞こえ。
「大丈夫かぁ?ご苦労だったなカズ坊」
愉快そうな…蓮兄の声も聞こえ。
その、にやついた顔を見たら。
「………れんにいいい!!!」
怒りと共に涙は乾き、抜けてしまった力が…戻ってきた。
「大丈夫…そうだな」
胸倉を掴み、震える俺を…蓮兄は不思議そうな目で見つめ、呟く。
「だいじょうぶなわけねえだろ!!!俺がどんだけ」
「なぁに言ってやがる。おめえが言われた通りに動かねえから」
「あの状況で動けるか!!!」
「馬ー鹿お前、逃げられたんだからちゃんと方向見定めて走ることくらい」
「出来るかよ!必死だったんだぞ俺は!」
「………あの」
俺達の罵り合いを遮る、遠慮がちな声と共に。
気まずそうな顔をして…直生が俺に近づいてきた。
「ごめんね…一馬。大変な目にあわせちゃって」
どうやら物凄く真面目な性格らしい直生は、自分の正義感から出た行動で、俺を巻き添えにしてしまったことを、相当気にしているらしい。
「そんなこと気にするなよぉ、お前はなんにも悪いことしちゃいないんだしさ」
「けど………これからお世話になるっていうのに、こんな」
「は?」
『お世話』って………
『今日は、とても大事な話があります!』
得意そうに笑い、親父がそんな風に宣言したのは、つい昨日の夜のこと。
『今度我が家に、家族が増えることになりました』
『……………』
『…ちょっと、お父さん!!!』
すかさず、顔を真っ赤にした母さんが、親父の耳を思いっきり引っ張る。
『いっ…いたいいたい』
『痛いようにしてるの!もうっ、なんなのその言い方!?勘違いしちゃうじゃないの』
『……………』
目を丸くする俺と姉ちゃんに、母さんはどこか焦った感じの笑顔を向けた。
『あのね!お母さん達の昔からのお友達の息子さんが、今度士官学校に入ることになって』
彼は生まれも育ちも東邑で、寄宿舎に入る予定でいたそうなのだが、それでは可哀想だと、うちの両親が下宿先になることを申し出たらしい。
『男…か』
つまらなそうにちょっと口を尖らせる姉ちゃんに、そうよ、とにこやかに頷いて。
母さんは、『新しい家族』なる、少年の名を口にした。
そうだ。
「直生…橘直生…だ」
思い出した。
「直生…お前、俺んちの下宿人だったのか!?」
「う…うん」
「なぁんだよ水くせえなあ、何で黙ってたんだよ」
「それは…」
「お前が、ちゃーんと挨拶しなかったからじゃないのか?一馬」
背後から聞こえてきた明るい声に、ぎくり、と体が硬くなる。
「…親父」
「『古泉一馬です』って、自己紹介したのか?」
「いやその…」
「心配したんだぞぉ。父さんや母さんや、お姉ちゃんだって…清志くんにお願いして、騰蛇隊にも探してもらって、もうそこらじゅう大騒ぎ」
「…ごめんなさい」
よろしい!と満足気に笑って俺の頭をぐりぐり撫でると。
親父は次に、楽しそうな目をして直生を見た。
「さて、直生くん」
「申し訳ありませんでした。僕が『街を見たい』なんて言い出さなければ」
「それはいいさ。むしろ、土地勘のない君を一人にした俺に責任がある」
親父は、そこまで言うと。
大きな目をぐっと細め、怖い顔をして立っている母さんに、ちらり…とご機嫌を伺うような視線を向けた。
「って…藍も言ってる」
「……………?」
不思議そうな顔をする直生に…ため息をついて、俺は首を傾けて見せた。
「で、そのことはもういいとしてさっ」
仕切りなおし、という風に手を叩き。
親父はぐっと背を屈めて、直生と俺の顔を交互に覗き込んだ。
「色々と慌ただしい初顔合わせだったみたいだけど…君たち、仲良くやれそうかな?」
再び俺と直生は、顔を見合わせる。
そして。
同時に………吹き出した。
「ったく、ガキの頭ん中は、どうなってんのかさっぱりわかんねーよ」
腕を組んで唸る俺に、玲央はくすくす笑いながら頷いた。
あんな大騒動の後だ。
泣く子も黙る十二神将隊を動員して、そりゃあ大変な騒ぎだったってのに。
「ずーーーっと笑ってやがんの、あいつら」
何度も息継ぎして…止めよう止めようとしている努力は、傍目にも分かった。
でも………どんなに頑張っても、止められなかったらしい。
「あんなんじゃ、俺の立つ瀬がねえじゃねーか、なあ」
思わず不機嫌な声になりながら、同意を求める俺に、玲央は世にも穏やかな目を向ける。
「まあ…箸が転がっても可笑しい年頃っていうじゃない?」
「それは女だ、お・ん・な!」
一馬の奴。
『怖かった』だの『死ぬかと思った』だの、散々俺にわめき散らした後だってのに。
何だったんだ…あの『あー楽しかった』みたいな顔は。
「怖ぇの通り越して、おかしくなっちまったのかな」
「さあ…ねえ」
困ったみたいにまた笑い、玲央は窓の外に目を向ける。
………それにしても。
「珍しいね…そんなに一馬が必死になるなんて」
丁度同じことを考えていたらしい、玲央の言葉に…頷く。
そう…なんだよな。
初対面の奴に、あんなに親身になるなんて…あいつらしくないっつうか。
「直生が紺青の土を踏むのは、今日が生まれて初めてなんだよね…確か」
「そ。親父さんの治める東邑を出たこと、ないはずだぜ」
だから当然、紺青を一歩も出たことのない、一馬と会うのも初めてなのに。
それなのに…まるで、ずっと一緒に過ごしてきた兄弟みたいな、あの様子はどうだ。
「二人には、何か深い………縁、みたいなのがあるのかもしれないね」
「縁?」
どういう意味だ?と尋ねる俺を、玲央はまたじっと見据えた。
褐色の肌は宵闇にひっそりと溶け込んでいて、それでいて短い髪は仄かな月明かりを受けてきらりと輝いており…明るい光を帯びた青い瞳を見ていると、俺はいつも奇妙な感覚に捉われる。
『あるかなきか』というか…こいつは、確かにここに存在している筈なのに、どこか別の世界からこっちを覗き見ているような、というか………まあそんなのは、俺の気のせいに違いないのだが。
「蓮は覚えてない?二人が生まれた日のこと」
生まれた日?
「………あーーー思い出した!!!そっか、あいつら生まれたの同じ日か」
「時間もだいたい、似たり寄ったりだったって聞いたけど。僕は燕支にいたけど、大人達がみーんな大騒ぎしてたの、よーく覚えてるよ」
そっか、そりゃ奇遇だ。
………けど。
「でも、それって…『縁』とかって、大袈裟なことか?単なる偶然じゃねーか」
「昔、いたんだよ…同じような境遇の人達が」
「………は?」
知らないの?と目を丸くする玲央に、俺は思わず口を尖らせる。
「知らね。俺はお前と違って『お勉強』は苦手なんだよ」
「そう?『嫌い』の間違いじゃないの?」
「…まあ、そうだけど」
「歴史とか、そんな大昔の話じゃないよ。僕達の、ごく身近な人」
「………誰だよ」
雲間の欠けた月に視線を向けたまま、玲央は不意に神妙な顔をして…ねえ、と再び声を掛けてくる。
「知ってる?直生が一馬んところに居候するって話出たときに、三公が難色を示した…って」
「ああ。何か理由は知らねーけど」
「あれね、三公っていうより…」
言わなくてもわかる、と言うように、俺は大きく頷く。
「どうせ朔月だろ?色々面倒臭い奴だもんな。こうるさいっつーか、頭固いっつーか」
「違うよ」
「………じゃあ、他に誰が」
玲央の唇から漏れた言葉に、俺は一瞬…耳を疑った。
「一ノ瀬?」
「…そう」
「だって…あいつ、王の決定に逆らったこと、今の今まで一度だって無かったじゃねーか。仕事にゃ厳しいっつー噂だけど、そうは言っても部下を怒鳴り散らすでもねえ、我を通すわけでもねえ、ただにこにこ笑ってるだけが取り柄みてーなおっさんじゃねーか…なぜか、清志には滅茶苦茶怖えけど」
「今はね」
「…今?」
振り返って、玲央はさびしげな笑みを浮かべ…床に視線を落とす。
「一ノ瀬公は、二の舞を恐れたんだと思う…『馬鹿馬鹿しい』ってみんなに宥められて、結局は折れたみたいだけど。同じ日に生まれて同じような境遇で育った二人の人間の末路って意味じゃ…色々、思うところがあったんじゃないかな」
よろしく、と笑顔で握手した、あいつらの顔を思い浮かべ。
ふう…と、思わず深いため息をつく。
「あのさ…玲央」
「何?」
「俺………全っ然わかんねーんだけど!」
「………そっか」
「そっかじゃねえ!笑ってねーでちゃんと分かるように説明しやがれ!」
怒鳴る俺を、また楽しそうに見て。
玲央は、また淡い月明かりの漏れる、暗い空を仰ぎ見た。
「いずれ分かるよ………そう遠くないうちに、ね」