Ep10 いやなやつ
それは遠い昔、俺達が生まれる、ずっと前のこと。
『オンブラ』なる、ヒトならぬ存在が紺青を脅かし、沢山の人が犠牲になった。
率いていたのは、『ベルゼブ』と名乗る、名前を持たない、先王の双子の弟。
彼は巧みに人心を惑わし、紺青の忠臣であった人々までも自らの配下に置いた。そして、恐ろしいことに、互いを憎みあい、殺しあうよう仕向けたのだ。
そんな中、紺青の勇気ある若者達が、『神器』の大きな力を駆使し、恐怖と絶望の淵から救い出した。
紺青に刃を向けた者。紺青を救った者。
後者の筆頭は、橘右京。後の東邑公…直生の父上でもある。
そして、前者の筆頭は、一ノ瀬孝志郎。
清志さんと麗さんの、父上だ。
珍しく、早く目が覚めた。
二度寝しようかと思ったが、なんだか目が冴えてしまって…起き上がって、伸びをする。
肩の痛みは、だいぶマシになっていた。たぶん、夜になって実先生が持ってきた、『ジェイド』のおかげなんだと思う。脱臼くらい、自然に任せてよさそうなもんだけど…『念のため』とか、よくわからないことを言われたり。
「ふう………」
長いこと閉じこもっていた俺には、朝日がなんだか目に染みる。
庭の裏口を開けると、静かな街が広がっていた。まだ、人の動き出す時間ではないらしい。
「あれ?一馬」
どきっ、として振り返ると、親父が不思議そうに立っていた。
腰には…三振の刀。
昨日のことを思い出し、思わず目をそらす。
「早いねぇ。ゆうべはよく眠れた?」
「…まあまあ」
「そっかぁ、よかったよかった」
「あの………さ」
いつもみたいな道着じゃなく、きちんとした格好をしている親父に、どっか行くの?と…訊ねると。
「あれ?」
きょとんとした目で、親父は首をかしげてみせる。
「言ってなかったっけ」
「…聞いてないけど」
「そっか、決まったの昨日の夜だったっけ」
「………じゃあ、知らん」
「視察だってさ。俺はお伴」
「陛下の?」
「んー、なんか他の偉いさんも行くみたいだけどね」
「偉いさんて…三公とか?」
「そうそう」
相変わらず、親父のこういう言い方は、僭越この上ないと思う。
けど………なんだか。
「大掛かりなんだな。急に決まった割には」
「大丈夫だよ、一人は留守番で残るって言ってたから」
「…大丈夫って、何だよ」
まるで、何か起こりそうな言い方じゃないか。
けど、親父はにこにこ笑い、俺の質問をかわしてしまう。
「母さん頼むね。流衣とか夏月とかに手伝ってもらうと思うけど、道場もしばらくバタバタするだろうから…修繕も頼まなきゃならないし」
「………ごめんなさい」
「いやいや、全然いいんだけどね」
「一夜!」
母さんが、家の中から顔を出す。
「お迎え来てるわよ、そろそろ」
「あーごめん!今行く」
全然急いでいる様子もなく、ゆっくり俺に背を向けると、親父は庭を歩き出す。
「なあ、どこ行くんだ?」
「『艇』で、東へ」
「ふ…ね…って、あの、『ジェイド』で浮くってやつ?」
「そうそう!いいだろー」
あれは、ものすごい発明で…軍の限られた人間しか利用することが出来ないのだと聞いたことがある。
「いいなぁ………じゃなくて!やっぱり…大至急ってことだろ?」
歩みを止めた親父に、ちょっと薄ら寒くなりながら…訊ねる。
「何か………あったのか?」
「…何もないよ」
ないわけないだろ、と…思ったら。
「少なくとも、ここ数日間に何かあったってことはない。もし直生が心配してたら、そう伝えてやって」
「ここ数日………って」
「そうそう、それとね」
肩越しにちらりとこちらを見た親父は、何だかさっきまでと様子が違った。
瞳の奥に、冷たいものが潜んでいるような…そんな感じ。
ぞくり、と背筋が冷たくなる感覚。
滅多にないんだけど…こういう時、一瞬…親父がわからなくなる。
何?と聞き返すと。
「直生に、もう隠し事するなよって、言っといて」
「か…くし…ごと???」
何の…ことだろう。
呆然としていると、親父は再び、そうだ!と叫んで振り返り。
「これ、渡しとかなきゃいけないんだった」
放られた物をキャッチすると…ずしりとした重みが手にかかる。
「…これ」
「持ってて。何かあった時のために」
「………おい」
慌てて…『小通連』を握りしめ、親父の後を追う。
「あら、おはよう一馬」
母さんが目をぱちくりとさせて、俺を見る。
「母さん、親父が」
「あら」
母さんが不思議そうに俺と親父を交互に見つめ、ぽん、と手を打つ。
「そうね。私も、『大通連』は一馬にはちょっと早いと思うの」
「だよね?」
「何納得してんだよ二人共!」
『神器』は、特別に許された人間しか、携帯出来ない決まりになっている。軍の関係者だって、余程の地位じゃなきゃ無理だと、つい先日講義で聞いたばかりだ。
なのに。
何で、俺が『神器』を持つことありき、みたいな展開になってるんだよ。
「だいたいね」
親父の人差し指が、俺の額をちょん、と突く。
「癖云々、『神力』云々じゃないの。お前のタッパじゃ、最初から『大通連』は無理だよ」
「…たっ………」
き…気にしてるのに。
「大丈夫、そいつはそう見えて大人しいから。多分すねずに言うこと聞くよ」
俺達に背を向け、じゃあね、と片手を挙げる親父に、俺は最後の抵抗を試みる。
「ちょっと待てよ!だから、一体全体何で俺がこんなもの」
と。
母さんが、俺の肩に…そっと手を置き。
親父は、またさっきと同じ…冷ややかな目で、こちらを振り返った。
「備えは、万全にするに越したことはない」
「……………」
ごくり、と…唾を飲み込む俺に。
親父は、ふっと表情を緩めた。
「母さん達頼むよ…何があるか、わからないからね」
緊急に招集された総隊長会議の席に、何故かまた、書記として呼ばれた。
「持ち回りの筈では?」
「かまわんよ。今回は、君に頼みたい」
池内総隊長は、苦虫を噛み潰したような顔でそう言い、じろりと俺を睨めつけた。
「父上は、もう発たれたか?」
「発つ、と…おっしゃいますと」
なるほどな、と合点がいって…俺は背筋を伸ばし、答える。
「私は家を出ておりますので、父がどのような任にあたっているかは、何も存じておりません」
疑うように、しばらく俺の顔を見つめた後、隊長は立ち上がり、低く呟いた。
「そうか…ならよい」
一体…何があったというのか。
気にはなったが、職務外のことに首を突っ込むのは、主義じゃないのでやめておく。
必要なことであれば、すぐに明らかになるだろう。
十二神将隊の隊長が、一同に会するのだから。
「この度は、報告が遅れ、申し訳ございません」
頭を下げる玲央に、池内隊長が冷ややかに言う。
「謝罪はよい。どうせ貴様だけの判断ではないのであろう」
「…それは」
「東邑公を中心として、東の諸国は大変良く治まっていると思っていたが、あてが外れたようだな」
静まり返った会議室に、彼の声だけが冷たく響く。
「体の良い隠蔽ではないか。即時介入の決定を下された陛下は、懸命であったな」
弱々しく微笑んで、玲央は何も答えない。
「即時介入…って」
宗谷隊長が、強ばった顔で口を開く。
「何があったっていうの?一体」
「北邑公は、何も申されぬのですか?」
「そんなこと」
むっとした顔で、宗谷隊長。
「私の守備範囲外です。気になるなら、玄武隊長に聞くのが筋なんじゃないの?」
「そうですね」
皮肉っぽい笑みを浮かべた池内隊長は、不謹慎にも、少し…楽しそうに見える。
「確かに…北邑公ともあろうお方が、軍備上の機密に関わるお話を、奥方にはなさいますまい」
「…北では、何も」
玄武隊長が、おずおずと発言し、白虎隊長と朱雀隊長も、それに続く。
「ではやはり、東のみ、ということになりますね」
「…おい」
堪りかねた様子で、蓮が身を乗り出す。
「勿体ぶってねえで、早く話せ。対策を練るなり守備を固めるなり、やらなきゃなんねえことは山ほどあんだからよ」
池内隊長と蓮の視線がぶつかり、また…しばしの沈黙が流れ。
「そうであったな」
池内隊長は机の上で手を組み、玲央を促した。
「相馬隊長に説明してもらおう。私もまだ、概略しか把握していないのでな」
いそいそと無線で隊士達に連絡をしている、隊長連を横目に見ながら、太陰に戻ろうと部屋を出る。
と。
「朔月!」
予測していたこととはいえ、やっぱり…ため息をついてしまう。
振り返ると、そこに立っていたのは…一時の優越感に浸っているようだった、池内。
「何だよ」
険しい顔をして、俺を壁際に呼びつけ、低い声を出す。
「貴様、どこまで知っていた?」
「…はぁ?」
「東の件だ!貴様、相馬とも東邑公とも親しいであろう。それに」
「…しらねえよ」
「とぼけても無駄だぞ。先の時点では、もう知っている素振りだったではないか」
「今朝、実家に寄っただけだよ。愁兄が陛下なんかと一緒に東に発ったっつーから、何かあったのかなって…そんだけだ」
心配すんなよ、と…俺は池内の手を払いのけ、背を向けながら言う。
「玲央は本当に何もしゃべらなかったし、三公が知ったのが昨夜遅くってのも、多分ガチだ。俺が朔月の人間だからって、お前を追い越して情報が入ってきたりなんかしねえよ」
『いずれわかるよ』
玲央が前に言ってたのは…このことだったのか。
「それなら!」
なおも食い下がる池内に、うんざりしながら足を止める。
「なんだよ」
「貴様、隊士達を率いて何やら嗅ぎまわっているな」
すう、と、息を吸い込み…ゆっくり吐き出す。
「一体何を調べているんだ!?言っておくが、十二神将隊の序列は私の方が上だ、貴様には報告義務があるんだ」
「…報告することなんて、ねえよ」
報告出来るようなことがありゃ、いいんだけどな。
「ならば、一体何を」
「悔しいか」
皮肉っぽい笑みが、口元に浮かぶのが分かる。
「紺青で、三公の次席はお前の親父だ。一ノ瀬は色々あったから、実質機能してねえし、涼風は文官のトップ、朔月は第三者機関だからな…軍のトップは実質、池内中将ってことになる」
「……………」
「なのに…お前も親父も蚊帳の外で、ばたばた重要そうなことが動いたのが、悔しいんだろ」
やっと黙ってくれた池内に内心ほっとしつつ、敵意剥き出しの視線を背中に感じながら、俺は歩き出す。
「残念だったな。けど、俺に当たるのは筋違いってもんだぜ」
外に出たところで、ひょろりとした青白い顔の男と目が合った。
無線に向かって、何やらヒステリックに叫んでいたが。
「とにかく、至急戻る!」
キレた感じで無線をオフにすると、俺をじろりと睨んで、駈け出した。
「天后は相変わらず、忙しそうだな」
彼はぴたり、と足を止めると。
こちらに顔だけ向けて、露骨に顔を歪めた。
「どこかの誰かのせいでな」
「?」
「街医者が、診療所を留守にしているのだそうだよ。だからそのぶんの急患も、雪崩れ込んで困っている」
「…実先生、いないのか?」
「霞妃の容態を診に、東に発ったとか…よく知らんが、あっちの医者では対応出来ないことでもあるのか」
髪に手をやり、天后隊長は不愉快なため息をつく。
「奥方はいらっしゃるそうだが、手が足りないんだと。助手やってるご子息も、今日は学校らしい」
そっか…よかった。とりあえず、春はちゃんと学校に行ってるってことだな。
まったく、と…そっぽを向いて、彼は毒づく。
「お志は至極ご立派だと思うが…こういうときに、こちらにかかる迷惑も考えて欲しいもんだ」
「…おい」
聞き捨てならない、と思い…彼を追い越し、正面からじっと見据えてやる。
「お前なぁ…昔はあの人達、天后隊の病院でぜーんぶやってたんだぞ!?それに比べりゃ、お前らは普段楽させてもらってんじゃねーか。それをそういう言い草はねえんじゃねーの!?」
「そ…そんなこと」
腕っ節の確実に弱そうな隊長は、俺に睨まれて、怯んだように縮こまり。
たん、と地面を蹴って…俺の横をすり抜けて、走り去った。
「昔と今は違うんだ!部外者が、わかったようなこと言うな!」
世にも格好悪い…捨て台詞を残し。
…あーあ。
池内にしても、あいつにしても…僻みっぽくて、そのくせよく吠える。ああいうタイプが俺は、一番嫌いだ。
「マジで春…天后入って、あいつ潰してくんねーかな」
にしても…東、か。
学校は、朝から慌ただしい空気に満ちていた。
講義はいくつも休講になったし、俺達一年は全員講堂の整備に駆り出された。みんなぶつぶつ言っていたが、どことなく殺気立った教官達の手前、真面目に働く振りをする他なかった。
「何か、大事な話でもあるのかな」
空き時間、教室で同級生達に囲まれ…俺は困って首を傾げてみせた。
「さぁ…なあ」
『何かあったらいけないから』
親父の、冷徹なまでに真剣な眼差し。あんな顔、普段は絶対しないのに。
「橘、何か聞いてないか!?親父さんから」
「………え?」
無邪気な同級生の問いに、背筋が凍る思いがした。
「そうだよ!東邑公って、東の国統括してるんだろ?」
「三公の次に偉いとかって、噂で聞いたことある」
「なあ、どうなんだ?」
まるで自分のことみたいに自慢気な彼らの問いは、ちょっとやそっとでは止まりそうにない。
直生は困り顔で笑っていたが…内心、穏やかじゃないだろう。
かといって…俺じゃ、何の助けにも、なれないしなぁ。
その時。
「くだらないなぁ」
立ち上がって、聞えよがしに呟いたのは…悠斗。
皆の視線が集中する中、悠然と眼鏡を外し、袖で軽く拭いて、ゆっくりとかけ直す。そしてまた、勿体ぶった速度で皆を見渡し、口を開いた。
「午後になれば、わかることじゃないか。今から詮索したって仕方ないと思うけど」
「け…けどっ」
「悠斗、何か知ってるのか?」
俺の問いかけに、邪魔くさそうな視線を投げ、悠斗は不機嫌そうな声を出す。
「父上は、紺青に残っておられる。もし何か聞きたきゃ、王立図書館へ行くといい。ただ、国家機密に関わるようなことなら、おいそれと口になさる父上ではないけどね」
そして、また皆を一瞥すると、悠斗は教室を出ていってしまった。
しん、と静まり返った教室で。
誰かが、ぽつりと言う。
「俺…あいつ嫌いだな」
しばらく間があって、また一人。
「同感」
それからは先は、さざなみのように不穏な言葉が広がっていく。
「入学式んときから、気に食わなかったんだよ」
「なんかさ、上からって感じだよね。子供のくせに」
「やっぱ、親が偉いからって、自分も偉いみたいに勘違いしてんじゃないの?」
「頭でっかちだしさぁ…『神器』は遣えるんだろうけどさ、別に力強いわけでもないじゃん」
そんなことない、と反論する隙が見当たらなくて…俺は、直生と顔を見合わせる。
ふと、冷ややかな視線を感じ、振り返ると。
分厚い医学書から、二つの緑色の瞳が不機嫌そうに俺達を睨んでいた。
一人の女子が、ぽん、と手を打って叫ぶ。
「そうだ!あいつさぁ、何かと雪ちゃんのことも目の敵にしてたじゃない!?」
「『課題どうだった?』『演習どうだった?』『あーそうかぁ、まあ、君ならそんなもんだよね』って感じでさぁ、うざかったよね」
「宇治原さん、頭いいもんね!トップの座を脅かされるんじゃないかって、内心ビクビクしていたんじゃないの!?」
「えーそれ、まじちっさ!雪ちゃんかわいそー」
と。
バタン、と…分厚い本が閉じる音が、居心地の悪い空気を遮った。
彼女は立ち上がり、紺のカチューシャで束ねた長い髪をゆっくり掻き上げると、俺達をぐるりと見て…にっこり微笑んだ。
「時間だよ。そろそろ行かなきゃ、タチの悪い上級生にシメられちゃう」
「う……………」
絶句する一同を振り返ることなく、雪はつかつかとヒールの音を響かせて、教室を出て行った。
静かになった教室で、皆が顔を見合わせる中…どこからともなく、ため息が溢れた。
「…強いな、あいつ」
「ああ………」
「…じゃ、じゃあっ」
立ち上がって笑いながら、やっと声を出せた自分が…何だかすごく情けない。
「俺達も行こうぜ、直生!」
「あ…うん」
直生も、同じ気持ちだったのだろうか。
それとも…あの、複雑な笑みの裏には、何か別の心配事が隠されていたのか。
ジャケットの袖口で、『水鏡』がキラリと光った。
「なーつきっ」
振り向くと、雪がにこにこ笑って手を振っていた。
「一馬、ちゃんと学校来れたんだね!怪我も大したことなくてよかった」
「ああ…迷惑かけたな、すまない」
「いいのいいの、うちは好きでやってるから」
女子にしては背の高い方だと言われる私だが、雪の方はもっと高い。
蓮も清志も流衣さんも春も、それに玲央さんも…男どもはみな大きいが、女を見上げるというのはなんとなく、不思議な感覚だ。
「なんだろうね、話って」
「…そうだな」
全校生徒を集めて、重要な話があるのだ、という。
母さんの話では、陛下も王妃も、それに一ノ瀬公と朔月公も出払っているという。それだけでも大事の予感がするのだが、一体誰が話すのだろう。学長だろうか、それとも…
「古泉じゃないか」
背後から聞こえてきた、スカした声に…思わず顔を顰めてしまう。
不思議そうな目をして、雪が声の主を振り返ると。
そこには、女子生徒を大勢はべらせた、長身の同級生の男の姿があった。
ウェーブがかった黒髪に半分隠れた瞳は、濃いブルーで…色白な甘いマスクは、士官学校一の美形とも呼び声が高い。細身の割に武術も達者で、成績も良い。これで女子が放っておくわけがないのだ。
が。
「どうした?怖い顔しちゃって」
私は………こいつが、死ぬほど嫌いなのだ。
「それはそうと、麗見かけなかったか?講堂行こうって誘いに行ったんだけど、教室にはいなくてさ。てっきりお前と一緒だと思ってたんだけど」
麗にちょっかいを出そうとしてるのが、一番目の理由。
「それにしても、重要な話なんて…何事だろうね。うちの父上や兄上にも秘密裏に行われていたとしたら、かなり問題なんじゃないかなと思うんだけど」
親の七光りを全身に受けているのが、二番目の理由だ。
「池内…少し黙ってくれないか。お前がしゃべると周囲の女どもがうるさいんだ」
「えーそうですかぁ?」
「だってー、八雲様素敵なんですもんっ」
「こらこら、こんな風に言う奴もいるんだからさ…あんまり騒がないでやってよ」
この…はべっている馬鹿女がうっとおしく、かつ、それを当たり前のように受け止めているのが、三番目。
そして。
「お前も男まさりに武術剣術頑張ってるけどさぁ、そんなに肩肘張って生きてるともてないよ?せっかく可愛いのに、勿体無いって。麗みたいに、女性はやっぱり清楚でお淑やかであってこそだと思うけど」
この………想像を絶する男尊女卑思考が、四番目だ。
「あんまり怖い顔してると、皺出来るぜ?」
…むか。
額の皺を人差し指で揉みながら、黙っていると、誰かが背中をぽん、と叩いた。
「池内先輩は、いつも自信満々ですねー」
見上げると、満面の笑みの…雪。
「尊敬しちゃいますよー。古泉先輩に剣術で勝てないのに、こんなに自信たっぷりでいられるなんて」
とりまきの笑顔が凍りつき、池内の顔に若干赤みがさす。
「うちの兄もねー、池内先輩が剣術の試合で勝ちを譲ってくださったおかげで、あんな異常な飛び級を許可してもらえたんだって、感謝してるんですよ」
私も困ってしまうくらいの、雪一流の皮肉に。
「ふ………ふぅん」
池内は、あっぱれというか…鼻を鳴らして、胸を反らした。
「まぁ…僕自身、まだまだ本気は出してないからねぇ。実力ってのはさ、ほら、本当に必要なときにこそ発揮されるものじゃないか」
「はぁー、なるほどですねー。学校なんかじゃ実力発揮するまでもないってことですかぁ」
「おい、雪………」
さすがに止めよう…と、思った瞬間。
「そんなことも、ないさ」
池内は私の顔をじっと見つめ、にやりと笑った。
「もうすぐ、剣術大会があるだろ」
「…あ…ああ」
「陛下や三公もお目見えになる。実力をアピール出来る、格好のチャンスだと思わないか?」
彼はすっと右手を差し出し、背中に隠そうとしていた私の右手を、ぐい、と握る。
「その時は、正々堂々、全力で戦おうぜ!古泉」
「………ああ」
「まあ、負ける気はしないけど」
かちん。
彼は余裕満面の笑みのまま、雪の方を見る。
「君も、少しは慎みたまえよ。士官学校では序列が一番なんだ。いくら親戚といっても、後輩なんだし」
「…親戚?」
「えーーー!?そうなんですか!?」
「…とおーい、親戚ですけどね」
むっとした顔で、雪が言う。
「たしか、高瀬叔父の奥方の妹君が、池内中将の奥方でしたっけ。だいたい、貴族連中なんて近親婚多いんですから、嫌でもつながりますよ」
気持ち悪い、と…私にだけ聞こえる小声で続ける、うんざりした様子の雪に。
「私自身は、関係ありませんが」
「そうだろうね」
にっ、と口の端をあげる、池内。
「君達家族を『一族の恥さらし』なんて言う向きもあるようだが、僕はそうは思わないね。立派じゃないか、貧しい人々に寄り添う医療、身寄りのない子供達の援助、そんなの貴族の身で、なかなか出来ることじゃないからね」
雪から不穏な空気が漂い始め…嫌な感じがして、私は彼女のブレザーの袖をそっと引く。
が。
彼女は私の袖を振り払い、ポケットに両手を突っ込んで、にやりと笑った。
「父は、貴族じゃありませんが」
「…ああ、そうだったね。でも、そうは言ったって」
つかつかと、彼女は池内に近づき、じっ…と、睨みつけ。
低い声で、呟いた。
「家系図オタク」
しん…と、静まった廊下。
くるりとターンして、雪は講堂の中へ消えて行った。
雪………?
「…こわぁい」
取り巻きの一人が、小さく声をあげる。
「なんなんですか?あの子」
「言ったろ?親戚の子。良い子なんだけどね…今日はちょっと、虫の居所が悪かったんじゃないかな。女の子って、そういう日、あるでしょ?」
きゃー、やだー、と…スカスカな女共の悲鳴が上がり、私も連中に背を向けた。
やっぱり嫌いだ、あいつ。
とはいえ………雪の攻撃をああまで平然と受け流せるなんて…なかなか、見上げた根性かもしれない。
「夏月ー?」
講堂の中から呼ぶ、麗に…私は唇の前で人差し指を立ててみせ、池内の死角に誘った。