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悪魔の弟

作者: みみっくす

R15くらいなんでしょうか。

出会いには…必然の出会いと、出来れば避けたかった偶然の不運な出会いがあると思う。


そんなことを、考えているのは珈琲の薫りのせいかもしれない。


私は、珈琲が好き。

仕事で知ったブラックで飲む味。

苦い中にもほのかな酸味と微かな懐かしい味がした。

疲れてなにもかも厭になりそうな時、珈琲を身体に入れるとほっとする。


目の前の男は珈琲をいれるのが上手い。

彼は、私が珈琲を飲む姿を見ているのが好きだという。

私は、彼の艶やかな顎から首筋、鎖骨のラインを眺める。

ずっと見ていたい。

幸せな気分になれる。


だから私たちは今日も寄り添うようにソファで珈琲を飲む。


乱れた昨夜の熱がまだ残るベッドから抜け出して。

二人で朝日を浴びながら。

※※※



「はじめまして、里歩ちゃん」


まるで天使のような微笑。

柔らかそうなサラサラの髪、真っ白な肌。いかにも女の子うけしそうな大きめな漆黒の瞳には、長い睫毛が憂いを落としている。


大人びた整った小さな顔…何よりも子供のくせに妙に落ち着いた物腰が利発そうだった。


この日、初めて私は天使のように愛らしく美しい弟と初めて会った。


「里歩ちゃん」


鼻にかかった甘ったるい声

「うん…よろしくね。え…と…」


「春希だよ。里歩ちゃん」きゅっ、としがみついてくる春希。


なぜか春希を見た瞬間に覚えた。

およそ…天使のような弟をみた時に感じるはずの、通常の感想とは異なる感情。


「里歩ちゃん」


恐れ、不安、嫌悪…なんともいえない落ち着きのなさ…

抱き着いてくる10歳児に戸惑う。


私の引き攣った笑顔をどう解釈したのか春希はさらにベタベタと纏わり付いてくる。


この時に感じた違和感。


※※※



「あんた…しょっちゅうここに来るけど家には帰りなさいよ」

「えー、今日はここに泊まってく」


拗ねたように唇を尖らせる。

高校生になって春希はぐんと背が伸び大人っぽくなった。


手足が長くて、中性的な綺麗な顔だ。でもこんなしぐさが年相応にどこか幼いから愛嬌がある。


「ね、まあ座りなよ。里歩ちゃん」


そう言って子供の頃と同じように私の腕を取って絡めると、ソファへ引っ張って座らせる。


サイドテーブルにはご丁寧に私の好きな珈琲まで用意してある。


この広いリビングは、春希の父の持つ独身時代のマンションの一室で、都内で複数のレストランや和食料理の店を経営する春希の父は、うちの母と再婚してからはここに泊まることはなくなった。


母が再婚して5年。春希の父や祖母の住む本宅でお世話になり、大学へもいかせてもらっていたのだが、無事卒業したことを句切に去年から一人暮らしをしていた。


「就活してるんだ?」


春希が聞いてくる。


マイペースな弟に根負けして私は逸らされた話題に乗っかった。


「うん」

「働きたいのならお父さんの店で働けばいいのに」

「それは絶対嫌」

「ま…里歩ちゃんはあんなとこには来ないよね」


業界人がよく出入りする父親の店は華やかすぎる。


「あたしには合わないよ」「お父さんは里歩ちゃんに一緒に働いて欲しいみたいだよ?」

「やめてよ…ただのバイトならいいけど、本格的になって社員なんてことになったら、あたし店潰しかねないよ」

くすくすと春希が笑う。


「確かに…里歩ちゃんうっかりしてるもんね」


人が真面目に言っているのに、春希は何が可笑しいのか笑いながらこちらに寄り掛かってくる。重い。


「ちょっと、春希」


抗議の声をあげ、春希をみた。身体を屈めて首筋に顔を寄せてくるから、春希の息がかかってくすぐったい。

「もー…あんた家に帰りなさいよ」

「ここも家だよ?」


春希は穏やかに笑う。

囁くような優しい声。


首筋から顔をあげずにくすくす笑う春希は私から離れようとしない。


ふと、嗅ぎ慣れないシャンプーの匂いに私は息を詰まらせた。


なぜかどきりとした。


「いいから、帰りなさい」

突き飛ばすようにソファから立ち上がりかけ―

私はすぐに春希の長い腕に捕らえられた。


後ろから抱きすくめられたまま。

春希の生暖かい息が髪に伝わり、抱え込まれて、身体が半分浮きかけている。


「…ちょっと!」


春希は乱暴に私を引きずってゆく。

そのまま、ぼふん、と柔らかなベッドへ放り込まれる。

「なに…ふざけてるの」

「動揺すると、口数が増えるよね、里歩ちゃん」


ひどく醒めた口調。

皮肉げな笑み。


何かつまらないものでも見るように。無表情に私を見下ろしている。


「里歩ちゃんが悪いんだよ」

知らない―――顔だった。


※※※


「里歩ちゃん」


何度も私の名前を呼ぶ。


いつもの甘えた鼻にかかった声ではなく、妙に醒めた、澄んでいるのに冷たい声色。


私は身動き一つ出来ずに春希の顔が首筋に降りてくるのを眺めていた。


自分の身体なのに、まるで誰かの借り物みたいだ。


自由がきかない。


身体が重くて、なのに春希に触れられたところが、やけに、熱い。


感覚がおかしい。


服を脱がされ、全身をキスされる。


春希の考えてることはいつだってわからない。


戸惑いと、恐怖。


春希の匂い。


触れ合う肌。


重なる呼吸。



飲み込まれて、ゆく―――


※※※



目が覚めると、眩しい朝日が部屋いっぱいに溢れていた。


一晩中、春希に愛撫され続けた。できるだけのろのろと支度をし始めるのは考える時間が欲しかったから。


太股に付けられた痣にそっと触れる。


まだ、痛い。


あちこち、痛い。首筋に、肩に、胸に、お尻に。


一面の、跡。



私は、異様なまでの…全身に付けられた刻印をそっとなぞった。

…からかわれたのだろうか。

23にもなってまだ彼氏の一人も出来ない…出来たことのない私をからかいたくなったのだろうか。


あの冷たい…冷ややかな瞳。

酷薄な微笑。


天使の温かみのカケラもない、ぞっとするほどの熱い息。物狂わしげな表情。優しい舌の動き…


昨夜の出来事を思い出して、体温がいっきに上がる。

…今まで知らなかった、快楽。

それを無理矢理とはいえ、春希に教えられ、自分でも知らなかった姿を全部見られた。


胸の奥に何かが張り付いて苦しい。

そこから、自分の中味が全て…皮一枚残してじとじとと焼け爛れてゆくような。

…このじりじりとした感情はなに。


それをなんと呼べばいいのか。



――『里歩ちゃん』



玄関のドアを開ける度に緊張していた。


胸の鼓動が不穏な高まりを示すが、それはいつも安堵に変わっていた。


今日も春希は来ていない。今日でやっと2週間。

春希は姿を現さなかった。いつも私のバイト先のドラッグストアにきては化粧品の販促員の女性と喋ったり、バイト後に立ち寄るカフェにひょっこり現れたり…そうでなければ、ドアを開けると春希がいた。


くすんだ空気の室内へ入る。

誰もいない。

気密性が高いマンションのホコリっぽい匂い。今までこんな匂いを嗅いだことはなかったのは、春希が空気を入れ換えていたからなのだろう。


がさがさとコンビニの袋から晩御飯を出す。


面倒なので温めなかったパスタを冷えたまま食べる。

なんとなく携帯を見る。


着信はゼロ。


メールは、友達からのが1件のみ。


春希に会いたくないくせに、いなければいないで不安になる。

憎むべきなのはわかってる。でも。まだ私は混乱していた。


私が悪いと言った春希。

わからない。

なぜ。

ぐるぐると想いが交差してとりとめがない。


パスタを食べ終わり、買って来た求人情報を見ながら、いつのまにか眠ってしまったようだった。


――初めて出会った時。


天使が私に微笑んだ。


『里歩ちゃん』


春の日だまりのような微笑。ほお擦りしてくる柔らかな存在。


しがみついてくる小さな身体が愛しくて。そっと抱きしめていた―――


目が覚めた時私はなぜか泣いていた。



※※※



温かい珈琲を二人で飲む。

お父さんのお店の珈琲は美味しい。


私はその店に、バイト帰りに立ち寄った。


「久しぶり、里歩ちゃん」

春希の父は厨房から驚きながらもいそいそと出て来て珈琲をご馳走してくれた。

食事にでもと誘ってくれたけど、明日も朝から仕事のお父さんに悪くて、さすがにそれは固辞させてもらったのだ。


そういえば。あれから、珈琲は飲んでいない。ほろ苦い酸味とコクが胸をチクリと刺す。

私は慌てて、にこやかに笑った。


「お父さん、忙しいのにゴメンなさい」


「いや、里歩ちゃんに会えてうれしいよ。最近、家にも帰ってないんだろう?真奈美さんが愚痴ってたぞ」


にこにこ、人の良い笑顔で春希の父はさりげなくたしなめた。


「お母さんか…そういえばずいぶん会ってないなあ」

「里歩ちゃんは大人だから、そんな心配もいらないんだろうけど。やっぱり親は子供の顔を見られないと寂しいもんなんだよ」


「そうかぁ…」

「たまには、帰っておいで」


呟くと、薫りを確かめるようにカップへ目を落とし、口をつける。


珈琲の湯気が触れているのは春希によく似た輪郭。


母親似だとばかり思っていたけど、顎や耳元のラインはそっくりだ。

私は春希を思い出してまたドキドキしていた。


お父さんは聞かない。なぜ春希が最近マンションに行かないのか、理由を聞かない。


「お父さんは」


気付くと声が出ていた。


「ん?」


私は迷った。

別にこの人に相談したかった訳じゃない。

困らせるようなことを言いたくない。

じゃあ私は、何が言いたいんだろう。


「なぜ…またお母さんとやり直す気になったんですか?」


ずっと聞けなかった質問。聞いてみたかった疑問。


「そうだねぇ…」

照れたように目を細めるお父さん。

コック姿が怖いくらい似合っている。


「春希の母親が亡くなって…」


淡々と話す。


春希は母親の顔を知らない。

留学中に知り合った、現地の女性との間に生まれた春希は、生後すぐに母親を失って、母親の実家で育てられていた。その頃、日本でお店を始めたばかりの父は春希とほとんど会えず、結局、再婚を決めた時に家族はまた一緒に住むことになったのだと聞いたことがある。


「真奈美さんは…君のお母さんは昔のまま、僕を受け入れてくれたんだ。お互い別の人と結婚したけど、また再び巡り会ったのも縁じゃないかと…自然に思えた」


幸せそうに笑う。


「お父さんは、幸せですか」


わかりきったことを思わず聞いてしまう。


一瞬、驚いたように瞳が瞬き、春希そっくりな涼やかかな目元に慈愛の熱が広がる。


「うん」


よかった。


お父さんは、車でマンションまで送ってくれた。



―時々ふと思う。いつもより穏やかな眠りにつくことが出来た…この日のことがなければ。

もしかしたら私は、春希にむしろ喜んで身を任せていたかもしれない。


血は繋がっていない。

私に執着する美しい男。

例えそれが一時の気まぐれだとしても、誰かに必要とされれば心は満たされるもの。

天使に求められれば、尚更だ。


その天使が。

例え、弟だったとしても。

※※※



次に春希に会ったのはすでに季節も春から夏へと変わりかけた頃だった。


雨が降ったりやんだり、晴れたと思ったらまるで真夏のように暑い日が続く。


気まぐれな気候だ。


春希はある日ひょっこり現れた。いつものようにハローワークに出掛けていた私は玄関に見慣れた靴があるのに気づいた。


春希の靴。


「春希…!」


急いでリビングへ入ると、ソファに座ったまま眠っている春希を見つけた。


学校帰りなのか制服のブレザー姿のまま、春希は俯いて静かに寝息をたてていた。顎のラインが髪の間から覗いている。


声をかけようとして―


止まる。

春希への恐れも。

違和感も。

全て消えていた。


胸の奥に張り付いていた何かが自分に迫ってくる。


声が、出ない。

背筋に氷を入れられたよう。私は震えた。


―ああ、そうか。


自分自身にも感じていた、違和感の正体。

どうして今まで気付かなかったのだろう。


外れかけた何かが、ぴたりと収まるのを感じた。


―どのくらいそうしていたのだろうか。

不思議そうに春希が呟く。

「里歩ちゃん…?」


ソファの前で立ちつくす青い顔をした私に気付くと、うっすらと瞼を開けた。


不自然な格好で寝ていたせいか軽く首を振り、身じろぎする。春希は肩を伸ばし、私をじっと見つめた。


「…春希」


春希の漆黒の瞳。


何の感情も表さない色は…全てを飲み込む闇夜の海を連想させる。


眼差しは私を捕らえて放さない。


すぅ、と。

息を吸い、私は気持ちを落ち着かせた。


「春希」


近づいても彼は目を逸らさず表情ひとつ動かさない。

私は押されるように、ソファのすぐ側の床に座った。


私たちはこんなに近くにいる。身体を伸ばしそっと彼の頬に触れてみる。びくりと、春希の肩が震えた。


「あたしは…」

心のどこかから、聞こえる声。


「あんたのこと、やっぱり嫌いにはなれない」


そう告げると、ようやく春希は口を開いた。


「…里歩ちゃん」


暗い、夜の海のように底がしれない瞳。

月の光もおそらく春希には届かない。


「俺は里歩ちゃんが」


春希の甘い吐息。


言わなければならない。


例え春希の一次の気まぐれだとしても。


「里歩ちゃん?」


「春希はね…私にとって大切な弟。大切な家族」


「…」

「大好きな、家族」


その家族を失いたくない。だから。


「里歩ちゃんとは血が繋がってなくても?」

「…家族は血の繋がりだけじゃないよ」

それは、自分に言い聞かせる言葉。


「俺は…里歩ちゃんしかいらない」


春希に抱きしめられる。


私の心は動かなかった。


春希の甘い言葉は続くのだろう。


「里歩ちゃん以外はいらない」

春希に床に倒される。


「好きだ」

カットソーに春希の指が入り、スカート越しに両脚を押し広げられる。


「里歩」


荒い息継ぎと春希の唇が重くのしかかってくる。


春希は苦しげに目を閉じ、うわごとのように私の名前を呼ぶ。愛撫の海に溶けてしまいそうになりながらも、私の心は片隅でひどく凍り付いたままだった。


「里歩」これは、罰だ。


物狂わしげな春希の声が、私の心と身体をじりじりと焼いてゆく。


春希はいつから、私をそういう目でみるようになったのか。


ただの姉弟、家族だったはずだ。


いつからその愛情がこんなにゆがんでしまったのだろう。


さらに律動が高まり、春希が私の中に押し入ってくる。痛みに耐えながら、私は繰り返し心の中で呟き続けた。


これは、罰。


ただの家族だった存在を、好きになってしまった罰だ。


私は。


どうして気付いてしまったのだろう。私の肌を蹂躙してゆく美しい弟は、私の好きな輪郭を持つ存在に驚くほどよく似ている。春希が目を閉じるとまるで――






私の気持ちを嘲笑するように、優しい珈琲の薫りがわずかにした気が、した―

初めての作品です。読んでくださりありがとうございました。

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