第4話 面倒な依頼と優しさ
異世界に来て、一週間が経った。
生活は、すっかり安定している。
週に二回、薬草採取の依頼をこなす。森を散策しながら薬草を集めるだけの簡単な仕事で、毎回銀貨五枚が手に入る。
空いた時間は、釣りをしたり、料理をしたり、村の子供たちと遊んだり。
まさに、理想のスローライフ。
「エリナちゃん、おはよう!」
朝、井戸で顔を洗っていると、村の女性たちが声をかけてくれる。
「おはようございます」
にこやかに挨拶を返す。
もう、村での生活にもすっかり馴染んだ。
水面に映る自分の顔を見る。
金髪は、マリアに教えてもらって三つ編みにしている。この方が、動きやすいし可愛いらしい。
肌の状態も良い。田舎の澄んだ空気と、自然な生活のおかげだろう。
――この顔、意外と気に入ってきたかも。
前世では、鏡を見るのが憂鬱だった。
疲れた顔。くすんだ肌。目の下のクマ。
でも今は、鏡を見るのが楽しい。
「エリナちゃん、今日も薬草採取?」
「はい。ちょうど定期依頼の日なので」
「頑張ってね」
村人たちに見送られて、森に向かう。
◇ ◇ ◇
森の入口に着くと、見慣れた景色が広がっていた。
深い緑。木漏れ日。鳥のさえずり。
もう、この景色を見ると心が落ち着く。
「さて、今日も頑張るか」
森に足を踏み入れる。
もう、薬草の生える場所は大体分かっている。効率的に回れば、一時間もかからない。
最初のポイントに到着。
木の根元に、目当ての薬草が生えている。
丁寧に、根元から引き抜く。
「一本目」
袋に入れて、次のポイントへ。
この一週間で、森のことがだいぶ分かってきた。
どこに薬草が多いか。どこが日陰で涼しいか。どこに綺麗な景色があるか。
そして――どこに魚がいる川があるか。
薬草を集めながら、のんびりと森を散策する。
時々、リスや小鳥を見かける。彼らも、もう俺に慣れたのか、逃げなくなった。
「おはよう」
リスに話しかける。
もちろん、返事はない。
でも、なんとなく、コミュニケーションが取れている気がする。
――俺、この生活、結構気に入ってるな。
前世では考えられなかった、こんな穏やかな日々。
誰にも急かされず、自分のペースで仕事ができる。
ストレスフリーで、心も身体も健康的。
薬草を五本集めたところで、少し休憩することにした。
大きな木の根元に腰を下ろして、水筒の水を飲む。
木々の隙間から、太陽の光が差し込んでいる。
その光は、まるでスポットライトのように地面を照らしている。
舞い上がる埃が、光の筋の中でキラキラと輝いている。
――綺麗だな。
こういう些細な美しさに気づけるようになったのも、この生活のおかげだろう。
前世では、こんな風に立ち止まって景色を楽しむ余裕なんてなかった。
ふと、遠くで何か音が聞こえた。
「……ん?」
耳を澄ます。
鳥の声。風の音。木々の揺れる音。
そして――人の声?
「たすけて……」
かすかに、子供の声が聞こえる。
しかも、泣いているような。
「!」
咄嗟に立ち上がる。
声のする方向に向かって走る。
――子供が、迷子になってる?
この森は、村人にとっては馴染みの場所だ。
でも、子供が一人で入り込んだら、簡単に迷ってしまう。
「どこだ……」
声を頼りに、森の奥へと進む。
木々が密集していて、視界が悪い。
足元には、倒木や岩が転がっている。
慎重に、でも急いで進む。
「たすけて……」
また、声が聞こえる。
近い。
「待ってて! 今行く!」
大声で返事をする。
そして、茂みを抜けると――いた。
七、八歳くらいの男の子が、木の根元で泣いている。
服は泥だらけ。顔も、涙と土で汚れている。
「君! 大丈夫!?」
駆け寄る。
男の子が、こちらを見て――ホッとした顔をした。
「お、お姉ちゃん……」
「大丈夫、もう大丈夫だよ」
優しく、頭を撫でる。
男の子は、そのまま俺にしがみついて泣き出した。
「怖かった……迷子になって……」
「うんうん、怖かったね。でももう大丈夫」
背中をさすってあげる。
しばらく泣かせてから、顔を覗き込む。
「怪我はない?」
「……足が、痛い」
男の子の足を見ると、膝に擦り傷がある。
転んだんだろう。
血は出ていないが、痛そうだ。
「ちょっと待ってて」
袋から、清潔な布を取り出す。
水筒の水で濡らして、傷口を優しく拭く。
「痛かったら言ってね」
「う、うん……」
男の子は、じっと俺の顔を見ている。
その目には、安心と――少し、憧れのような色が混じっている。
――ああ、美少女に助けられて、憧れちゃってるパターンか。
複雑な気分になる。
中身はおじさんなのに。
「よし、これで大丈夫。歩ける?」
「……うん」
男の子を立たせる。
でも、足を引きずっている。
かなり痛いようだ。
「無理しなくていいよ。おんぶしてあげる」
「え、でも……」
「いいから。ほら」
しゃがんで、背中を向ける。
男の子が、恐る恐る背中に乗る。
――軽い。
子供だから当然だが、この身体の力でも余裕で背負える。
「じゃあ、村に戻ろう」
「うん……ありがとう、お姉ちゃん」
男の子の声に、安堵が滲んでいる。
――面倒くさいけど、放っておけないよな。
三十八年生きてきて、困ってる人を見過ごせない性格は変わらない。
たとえ、スローライフを目指していても。
◇ ◇ ◇
森を抜けて、村に戻る。
男の子を背負ったまま歩いていると、村人たちが気づいて駆け寄ってきた。
「あ、トミー!」
「エリナちゃん、どうしたの!?」
男の子――トミーの母親らしき女性が、慌てて近づいてくる。
「森で迷子になっていたので、連れてきました」
「まあ、トミー! 心配したのよ!」
母親が、トミーを抱きしめる。
トミーは、母親の胸で再び泣き出した。
「ごめんなさい……一人で森に入っちゃって……」
「もう、危ないって言ったでしょう!」
母親は叱りながらも、嬉しそうにトミーを抱きしめている。
「エリナちゃん、本当にありがとう」
母親が、深々と頭を下げる。
「いえ、たまたま声が聞こえたので」
「あなたがいなかったら……ありがとう、本当に」
周りの村人たちも、口々に感謝の言葉を述べる。
「さすがエリナちゃんだ」
「優しいねえ」
「美人で優しいなんて、完璧じゃないか」
――いや、中身おじさんなんだけど。
そう言いたい気持ちを抑えて、笑顔で応える。
「トミー君、もう森に一人で入っちゃダメだよ」
「うん……ごめんなさい」
トミーが、しゅんとしている。
「でも、怖かったら大声で助けを呼ぶこと。それは正しかったよ」
「……うん」
トミーが、少し笑顔になった。
「お姉ちゃん、ありがとう」
「どういたしまして」
頭を撫でてあげる。
トミーは、嬉しそうに笑った。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
マリアの家に戻ると、マリアが嬉しそうに迎えてくれた。
「エリナ、噂聞いたわよ! トミー君を助けたんですって?」
「はい。たまたまです」
「謙遜しなくていいのよ。村中で話題になってるわ」
マリアが、誇らしげに言う。
「みんな、エリナのことを褒めてたわよ。『美人で優しくて、完璧な娘だ』って」
「そんな……」
照れくさくて、頬を掻く。
「でも、良かった。トミー君も無事だったし」
「ええ。膝の擦り傷も、大したことないって」
ホッとする。
子供が無事で、本当に良かった。
「あ、そうだ。トミー君のお母さんから、これ」
マリアが、包みを差し出す。
「お礼ですって。手作りのパイよ」
「え、こんな……」
「受け取ってあげて。じゃないと、お母さんが気が済まないって」
――まあ、そうか。
ありがたく、受け取る。
「じゃあ、みんなで食べましょう」
「ええ!」
その日の夕食は、そのパイと、俺が釣った魚の料理。
マリアと二人で、楽しく食事をした。
◇ ◇ ◇
夜。
ベッドに横になりながら、今日のことを振り返る。
――面倒なことに巻き込まれた。
正直、そう思った。
スローライフを送るつもりだったのに、子供の捜索なんて。
でも――放っておけなかった。
困っている子供がいたら、助ける。
それは、三十八年間の人生で身についた習性だ。
前世でも、道に迷ってる人を案内したり、倒れてる人を介抱したり、そういうことは自然とやってきた。
別に、善人ぶってるわけじゃない。
ただ、放っておけないだけだ。
――まあ、いいか。
たまには、こういうこともある。
でも、基本は危険な依頼は避ける。
これが、俺の方針だ。
窓の外を見ると、月が綺麗に出ている。
満月に近い、大きな月。
月明かりが、部屋の中を柔らかく照らしている。
その光の中で、自分の手を見る。
白く、細く、小さな手。
女の子の手。
――まだ、たまに不思議に思うんだよな。
この身体が、自分のものだって。
でも、もう慣れてきた。
というか、慣れるしかない。
この身体で、この世界で生きていく。
それが、俺の現実だ。
「さて、寝るか」
目を閉じる。
明日も、平和な一日でありますように。
そう願いながら、眠りについた。
◇ ◇ ◇
翌日。
また、薬草採取の依頼をこなすためにギルドに向かった。
町に着くと、ギルドはいつも通り賑わっていた。
冒険者たちが、酒を飲んだり、依頼を確認したり。
「おはよう、エリナちゃん」
受付のミラが、笑顔で迎えてくれる。
「おはようございます」
「今日も薬草採取?」
「はい」
「堅実ね、相変わらず」
ミラがクスクスと笑う。
「あ、そうだ。エリナちゃん、ちょっといい話があるんだけど」
「いい話?」
「ええ。隣村の薬師さんから、薬草の買い取り価格を上げたいって連絡があったの」
「え、本当ですか?」
「ええ。エリナちゃんが採ってくる薬草、すごく質が良いんですって。だから、今後は一本につき銅貨六枚で買い取るって」
――おお。
今までは銅貨五枚だった。
つまり、一本あたり銅貨一枚の値上げ。
十本採れば、銅貨十枚、つまり銀貨一枚分の追加収入だ。
「それは嬉しいです」
「でしょう? エリナちゃんの努力が認められたのよ」
ミラが、嬉しそうに言う。
「それじゃあ、今日も頑張ってね」
「はい!」
意気揚々と、森に向かう。
――これは、モチベーション上がるな。
質の良い薬草を採れば、それだけ報酬も上がる。
つまり、手を抜かずにちゃんと仕事をすれば、ちゃんと評価される。
前世では、どれだけ頑張っても評価されなかった。
残業しても、成果を出しても、給料は変わらない。
そんな日々だった。
でも、この世界は違う。
努力が、ちゃんと報われる。
――やっぱり、この世界、いいな。
◇ ◇ ◇
森での薬草採取は、いつも通り順調だった。
今日は、特に質の良い薬草が見つかる。
大きくて、葉の色が鮮やか。根もしっかりしている。
丁寧に採取して、袋に入れる。
十本、十五本、二十本。
今日は、調子がいい。
二十五本目を採取したとき――また、人の声が聞こえた。
「――誰か、助けて!」
――またかよ。
思わず、そう思ってしまった。
でも、無視できない。
「はいはい、今行きますよ」
声のする方向に向かって走る。
茂みを抜けると――今度は、若い女性が木に登って動けなくなっていた。
「あの、すみません! 降りられなくて!」
女性が、困った顔で俺を見る。
――なんで登ったんだよ。
ツッコミたくなるが、我慢する。
「今、助けます」
木を見上げる。
高さは、三メートルくらいか。
女性は、太い枝に座り込んでいる。
「えっと、そこから飛び降りられませんか?」
「無理です! 高くて怖いです!」
――うーん。
仕方ない。
木に登って、助けるしかない。
「分かりました。今登りますね」
木に手をかけて、登り始める。
この身体、軽いから意外と登りやすい。
スルスルと、枝を掴みながら登っていく。
「すごい……」
女性が、感心したように見ている。
女性のいる枝に到達。
「じゃあ、私が先に降りるので、その後についてきてください」
「は、はい」
ゆっくりと、木を降りていく。
女性も、恐る恐る後に続く。
そして――無事、地面に到着。
「はあ……助かりました」
女性が、ホッとした顔をする。
「良かったです。でも、なんで登ったんですか?」
「あ、それが……猫が木に登っちゃって、助けようとしたら私も降りられなくなって……」
――猫……。
見ると、近くの低い枝に、猫がちょこんと座っている。
余裕の表情で、こちらを見ている。
――お前は自力で降りられるだろうが。
そう言いたくなったが、我慢する。
「猫は、自分で降りられますよ」
「そ、そうなんですか?」
「はい。高いところ、得意ですから」
案の定、猫はスルスルと木を降りてきて、女性の足元にすり寄った。
「ああ、良かった……」
女性が、猫を抱き上げる。
「本当に、ありがとうございました」
「いえ、気をつけてくださいね」
「はい。あの、お名前は?」
「エリナです」
「エリナさん。私、この恩は忘れません!」
女性が、深々と頭を下げる。
――まあ、いいか。
困ってる人を助けるのは、別に嫌いじゃない。
たまには、こういうこともある。
◇ ◇ ◇
その日、ギルドに薬草を納品したとき、ミラが不思議そうな顔をした。
「エリナちゃん、また人助けしたんですって?」
「え、なんで知ってるんですか?」
「さっき、助けられた女性が来て、お礼を言いに来たのよ」
――早いな。
ミラが、クスクスと笑う。
「エリナちゃん、どんどん有名になってるわよ。『美人で優しい冒険者』って」
「そんな……」
「いいことじゃない。評判が良ければ、依頼も増えるし」
――それは困る。
依頼が増えたら、スローライフじゃなくなる。
「あ、でも大丈夫。エリナちゃんは薬草採取の定期契約があるから、他の依頼を無理に受ける必要はないわ」
「そうですか。良かった」
ホッとする。
やっぱり、俺はマイペースでいい。
「それじゃあ、今日の分の報酬ね。薬草二十五本で……銀貨十五枚よ」
ミラが、銀貨を並べる。
――すごい。
一日でこれだけ稼げるなんて。
前世のバイト時代の日給より、よっぽどいい。
「ありがとうございます」
銀貨を受け取る。
ずっしりとした重み。
これが、努力の結果だ。
「頑張ってるわね、エリナちゃん」
ミラが、優しく微笑む。
「この調子で、のんびり頑張ってね」
「はい」
――のんびり、か。
まさに、俺が求めていた生活だ。
ギルドを出て、町の市場を散策する。
せっかく稼いだお金、少しは自分のために使おう。
市場には、色々な店が並んでいる。
食材を売る店。服を売る店。道具を売る店。
その中で、一軒の本屋が目に入った。
「本屋か……」
前世では、よく本を読んだ。
小説、ビジネス書、技術書。
読書は、数少ない趣味の一つだった。
店に入ると、古めかしい本が並んでいる。
この世界の文字も、なぜか読める。転生特典の一つだろう。
棚を眺めていると、一冊の本が目に入った。
「『水魔法入門』……?」
手に取って、パラパラとめくる。
魔法の理論、基礎的な呪文、練習方法などが書かれている。
――魔法、か。
この世界には魔法が存在する。
俺にも、使えるのだろうか。
試しに、この本を買ってみるか。
「これ、ください」
「はい、銀貨二枚になります」
本を購入して、店を出る。
――魔法、面白そうだな。
もし使えるようになったら、釣りに活用できるかもしれない。
水を操って、魚を誘導するとか。
いや、それよりも――
水を浄化する魔法があれば、生活がもっと便利になる。
料理にも使えるし、風呂にも使える。
――よし、勉強してみるか。
新しい目標ができて、少しワクワクする。
スローライフを送りながら、魔法も習得する。
悪くない人生だ。




