第3話 薬草マスターへの道
リバーサイドの町を出て、近くの森に向かう。
マリアは町で買い物をするとのことで、俺は一人で依頼をこなすことにした。
「気をつけてね、エリナ」
「はい。大丈夫です」
マリアに手を振って、森の入口に立つ。
目の前に広がるのは、深い緑。
木々が生い茂り、その合間から木漏れ日が差し込んでいる。鳥のさえずり。風が葉を揺らす音。遠くで小動物が走り回る気配。
――ああ、いいな。
前世では、こんな自然の中で過ごす機会なんてほとんどなかった。
たまに休日に山に行くくらいで、それも混雑した観光地ばかり。
でも今は違う。
誰もいない、静かな森。自分のペースで、のんびりと薬草を探せる。
「よし、行くか」
森に足を踏み入れる。
足元には落ち葉が積もっていて、サクサクと心地よい音を立てる。空気は湿っていて、土と草の匂いが鼻腔をくすぐる。
ギルドでもらった見本を手に、薬草を探す。
緑色の、ギザギザした葉っぱ。高さは膝くらい。日陰を好む植物らしい。
しばらく歩くと――あった。
「これだ」
木の根元に、目当ての薬草が生えている。
慎重に、根元から引き抜く。土が少しついているが、問題なさそうだ。
「一本目、ゲット」
小さくガッツポーズ。
そのまま森の奥へと進む。
不思議なことに、この身体は森歩きに向いているようだ。
軽い身体だから、枝を避けるのも楽。視力も良くて、薬草を見つけるのも早い。
それに――なぜか、植物の位置が分かる気がする。
直感、というか。第六感というか。
「あっちに薬草がありそう」と思った方向に行くと、大抵見つかる。
――これ、もしかして魔法的な何かか?
この世界には魔法が存在する。
もしかしたら、この身体には何か特殊な能力があるのかもしれない。
まあ、考えてもわからない。
とりあえず、この感覚を信じて薬草を集める。
二本目。三本目。四本目。
順調に、薬草が集まっていく。
そして、五本目を採取したとき――
「ん?」
近くの茂みに、見慣れない植物が生えているのが目に入った。
赤い実をつけた、小さな低木。
――これ、もしかして。
前世で、サバイバル系の番組を見た記憶が蘇る。
食べられる野生の実、というやつ。
確か、赤い実で、葉っぱがハート型で――
「ワイルドベリーか?」
試しに一つ、実を摘んで匂いを嗅ぐ。
甘酸っぱい香り。
これ、多分食べられる。
一口、齧ってみる。
――美味い。
甘くて、少し酸っぱくて、ジューシー。
まさに野生のイチゴだ。
「これ、持って帰ったら喜ばれるかもな」
薬草採取用の袋とは別に、このベリーも少し摘んでおく。
村の子供たちにあげたら、喜ぶだろう。
◇ ◇ ◇
一時間ほどで、目標の十本を達成した。
それどころか、ついでに十五本も集まってしまった。
「余裕じゃん」
薬草の入った袋を見て、満足げに頷く。
これなら、定期的にこの依頼を受ければ安定収入が得られる。
しかも、危険もない。
魔物にも遭遇しなかった。
ただ森を散策して、薬草を摘むだけ。
――これ、俺の天職かもしれない。
森の中を、のんびりと歩いて戻る。
せっかくだから、少し遠回りして景色を楽しむことにした。
木々の合間を抜けると、小さな空き地に出た。
そこには、小川が流れている。
「おお……」
思わず、足を止める。
透明な水が、岩の間を流れている。水深は浅い。そして――魚の影が見える。
――これは。
釣り人の血が騒ぐ。
この川、絶対に魚が釣れる。
しかも、人の手が入っていない天然の川だ。大物がいるかもしれない。
「よし、ここ覚えておこう」
周囲の景色を記憶に焼き付ける。
大きな岩。特徴的な形の木。川の流れる方向。
これで、次からここに来られる。
釣り竿を作って、ここで釣りをする。
それが、俺の次の目標だ。
川のほとりにしゃがみ込んで、水を手で掬う。
冷たい。そして、綺麗。
顔を洗って、一息つく。
水面に映る自分の顔。
金髪が、風に揺れている。碧眼が、太陽の光を反射して輝いている。
――まだ慣れないな、この顔。
でも、嫌いじゃない。
むしろ、便利だ。
この顔のおかげで、村人たちも優しくしてくれるし、ギルドでも親切にしてもらえた。
美少女特権、活用させてもらう。
「さて、そろそろ戻るか」
立ち上がって、森を出る。
太陽の位置を見ると、まだ昼過ぎくらいか。
予定より早く終わった。
――これなら、午後はのんびりできるな。
町に戻る道を、ゆっくりと歩く。
道端には、色とりどりの花が咲いている。名前は知らないが、綺麗だ。
時々、蝶が飛んでくる。
黄色い蝶。白い蝶。青い蝶。
前世では、こんなにたくさんの蝶を見たことがなかった。
――平和だな。
心の底から、そう思う。
こんな穏やかな時間を過ごせるなんて、前世では考えられなかった。
◇ ◇ ◇
町に戻ると、マリアがまだ買い物をしていた。
「あら、エリナ。早かったわね」
「はい。意外と簡単でした」
「それは良かった。じゃあ、先にギルドに行って報告してきたら?」
「そうします」
冒険者ギルドに向かう。
扉を開けると、昼間だというのに何人かの冒険者がいた。
みんな、酒を飲んだり、談笑したり。
――昼間から酒かよ。
おじさん視点では、ちょっと複雑な気分になる。
まあ、自由業だし、いいのか。
「あ、エリナちゃん! お帰り」
受付のミラが、笑顔で手を振る。
「ただいま戻りました」
「早いわね。どうだった?」
「これです」
薬草の入った袋を、カウンターに置く。
ミラが中身を確認して――目を見開いた。
「え、十五本? 依頼は十本なのに」
「ついでに、もう少し採ってきました」
「すごいわね。しかも状態も良い。根元からちゃんと採れてるし」
ミラが感心したように言う。
「初依頼でこれだけできるなんて、才能あるわよ」
「そうですか?」
「ええ。普通の新人は、十本集めるのに半日かかるもの」
――マジか。
そんなに難しいのか、薬草採取。
俺にとっては、ただの散歩みたいなものだったのに。
「じゃあ、報酬ね。依頼分の銀貨五枚と、追加の五本分でボーナス二枚。合計、銀貨七枚よ」
ミラが、銀貨をカウンターに並べる。
キラキラと光る、綺麗な銀貨。
「ありがとうございます」
銀貨を受け取る。
ずっしりとした重み。
これが、この世界で初めて自分で稼いだお金だ。
「それと、これ」
ミラが、何かの紙を渡してくれた。
「え、これは?」
「薬草採取の定期依頼の契約書よ。エリナちゃんの仕事ぶりが良かったから、薬師のおじいさんが指名してきたの」
「指名?」
「ええ。週に二回、薬草を十本ずつ納品してくれたら、毎回銀貨五枚払うって」
――おお。
これは、美味しい話だ。
週に二回、森を散歩するだけで銀貨十枚。
しかも定期収入。
「受けます」
即答する。
「あら、早い決断ね」
ミラがクスクスと笑う。
「でも、賢明よ。安定した収入は大事だもの」
「はい」
契約書にサインをして、ミラに渡す。
「じゃあ、次は二日後ね。頑張って」
「はい。あ、それと」
袋から、採ってきたワイルドベリーを取り出す。
「これ、森で見つけたんですが……食べられますかね?」
ミラが、ベリーを手に取る。
「あら、ワイルドベリーじゃない。食べられるわよ。むしろ、この辺じゃちょっとした珍味なの」
「そうなんですか」
「ええ。市場で売れば、結構いい値段になるわよ」
――マジか。
これも、副収入になるかもしれない。
「じゃあ、これも買い取ってもらえますか?」
「もちろん。えっと、これだけあれば……銅貨十枚ってところかしら」
「お願いします」
こうして、俺は初日から予想以上の収入を得た。
銀貨七枚と銅貨十枚。
この世界の貨幣価値がまだよく分からないが、マリアの話だと銀貨一枚で一週間分の食費が賄えるらしい。
――ってことは、今日だけで一ヶ月以上の食費を稼いだのか。
これは、思ったより効率がいい。
「ありがとうございました」
ミラに頭を下げて、ギルドを出る。
外は、相変わらず良い天気だ。
――よし、スローライフ、順調すぎるぞ。
◇ ◇ ◇
その日の夕方、村に戻った。
マリアと一緒に、荷物を抱えて家に帰る。
途中、村の広場で子供たちに会った。
「あ、エリナお姉ちゃん!」
「おかえりー!」
子供たちが駆け寄ってくる。
「ただいま。あのね、いいものあげる」
袋から、残しておいたワイルドベリーを取り出す。
子供たちの目が、キラキラと輝いた。
「わあ! ベリーだ!」
「美味しそう!」
ベリーを配ると、子供たちは大喜びで食べ始めた。
「美味しい!」
「エリナお姉ちゃん、ありがとう!」
無邪気な笑顔を見ていると、心が温かくなる。
――悪くないな、こういうの。
前世では、こんな風に誰かに喜んでもらえることなんて、ほとんどなかった。
仕事は評価されず、残業ばかり。
誰にも感謝されず、ただ疲れていくだけの日々。
でも今は違う。
ちょっとしたことで、人が喜んでくれる。
それが、嬉しい。
「エリナは優しいわね」
マリアが、微笑む。
「いえ、これくらい」
照れくさくて、頭を掻く。
でも、長い髪が絡まって――
「あいたっ」
「あらあら」
マリアが笑う。
「まだ髪の扱いに慣れてないのね」
「はい……三十、いや、えっと」
危ない。
三十八年間、短髪だったって言いそうになった。
「記憶がないから、長い髪の扱い方が分からなくて」
「なら、今度教えてあげるわ。髪の結び方とか、手入れの仕方とか」
「お願いします」
こういうところも、面倒くさいんだよな、女の身体。
髪の手入れ、服の選び方、化粧――
――って、化粧もしなきゃいけないのか?
いや、待て。
この顔なら、化粧しなくても十分綺麗だ。
むしろ、素顔の方が清楚で好感度高そう。
よし、化粧はパスだ。
◇ ◇ ◇
夜。
夕食を済ませて、自分の部屋に戻る。
今日稼いだお金を、机の上に並べる。
銀貨七枚。銅貨十枚。
これが、この世界で初めて自分で稼いだお金。
「悪くないな」
満足げに頷く。
このペースで行けば、すぐに自立できる。
マリアに世話になりっぱなしじゃなく、ちゃんと家賃も払えるようになるだろう。
そして――いずれは、自分の家を持つ。
小さくていい。畑があって、釣りができる川が近くにあって、のんびり暮らせる場所。
それが、俺の目標だ。
ベッドに横になって、天井を見つめる。
――順調だ。
異世界に来て、まだ数日。
でも、もう生活の基盤ができつつある。
定期的な収入源も確保した。
村人たちとの関係も良好。
これなら、本当にスローライフが送れそうだ。
ふと、窓の外を見る。
今夜も、満天の星空が広がっている。
「ありがとうな、神様」
また、呟く。
この世界に来られて、良かった。
前世では味わえなかった平和な生活が、ここにはある。
目を閉じる。
明日は、村でのんびり過ごそう。
釣り竿を作って、川で釣りをする。
そして、釣った魚を料理して、みんなに振る舞う。
――楽しみだな。
そう思いながら、俺は眠りについた。
◇ ◇ ◇
翌日。
村の大工に頼んで、釣り竿を作ってもらった。
「釣り竿? 珍しいもん頼むな」
大工のおじさんは、不思議そうな顔をしていたが、快く引き受けてくれた。
「竹があるから、それで作ってやるよ」
「ありがとうございます」
釣り糸は、村の女性たちが使っている糸を分けてもらった。
針は――鍛冶屋に頼んで、小さな鉤針を作ってもらった。
そして、浮きは木を削って自作。
餌は、その辺の土を掘って、ミミズを確保。
――完璧だ。
こうして、即席の釣り竿が完成した。
「よし、行くか」
釣り竿を担いで、村の近くを流れる川に向かう。
途中、何人かの村人とすれ違った。
「エリナちゃん、それは?」
「釣り竿です。魚を釣ろうかと」
「へえ、釣りができるのかい」
「前に、やったことがある気がして」
記憶喪失のフリをしつつ、適当に答える。
川に着くと、適当な場所に腰を下ろす。
針に餌をつけて、川に投げ込む。
――久しぶりだな、釣り。
前世では、月に一度くらいしか行けなかった。
でも、この世界では好きなだけできる。
浮きが、水面に浮かんでいる。
じっと、それを見つめる。
時間が、ゆっくりと流れる。
川の音。風の音。鳥のさえずり。
――ああ、最高だ。
これが、俺の求めていたスローライフだ。
何も考えず、ただ釣りに集中する。
時間に追われることもなく、誰かに急かされることもなく。
しばらくすると――浮きが沈んだ。
「!」
咄嗟に、竿を引く。
手応えがある。
慎重に、リールを――いや、この世界にリールはない。手で糸を手繰り寄せる。
水面から、魚が飛び出す。
「やった!」
三十センチほどの魚。
種類は分からないが、綺麗な銀色の魚体。
これは、美味そうだ。
「よし、あと数匹釣るか」
その後、一時間ほどで合計五匹の魚を釣り上げた。
どれも、食べ応えのありそうなサイズ。
「これで今夜の夕食は決まりだな」
満足げに、魚を見る。
村に戻って、これを料理しよう。
前世で培った料理スキルを、存分に発揮する時だ。
◇ ◇ ◇
夕方。
マリアの家の台所を借りて、魚を料理する。
「エリナ、本当に料理できるの?」
マリアが、心配そうに見守っている。
「はい。なんとなく、身体が覚えてるんです」
嘘じゃない。
この身体は初めてだが、脳に刻まれた料理の知識は健在だ。
まず、魚を捌く。
包丁を握る。
――ああ、この感覚。
三十八年間、料理を趣味にしてきた。
包丁の扱いは、お手の物だ。
ただし――この身体は非力だ。
いつもの感覚で力を入れると、包丁が滑る。
慎重に、丁寧に、魚を捌いていく。
内臓を取り出して、三枚におろす。
骨を抜いて、切り身にする。
「すごい……上手ね」
マリアが、驚いた顔で見ている。
「ありがとうございます」
次に、調味料を確認する。
この世界にも、塩、胡椒、ハーブ類はある。
醤油や味噌はないが、なんとかなるだろう。
魚に塩を振って、少し置く。
その間に、ハーブを刻む。
そして――フライパンで焼く。
バターがあればベストだが、ここにあるのは動物性の油脂。まあ、これでもいい。
ジュウジュウと、いい音がする。
香ばしい匂いが、台所に広がる。
「いい匂い……」
マリアが、鼻をヒクヒクさせている。
魚が焼けたら、皿に盛る。
ハーブを散らして、レモン――はないので、この世界の酸っぱい果実を絞る。
「できました」
完成した料理を、テーブルに並べる。
焼き魚、ハーブ添え。
シンプルだが、美味そうだ。
「いただきます」
マリアと一緒に、食べる。
一口、口に入れる――
「美味しい!」
マリアが、目を輝かせる。
「こんな美味しい魚料理、初めて食べたわ!」
「そうですか?」
「ええ! エリナ、料理の才能あるわよ!」
褒められて、少し照れる。
でも、悪い気はしない。
自分でも一口食べてみる。
――うん、美味い。
前世の知識が、しっかり役立っている。
「これなら、村の祭りで出店できるわよ」
マリアが、興奮気味に言う。
「来月、収穫祭があるの。そこで、この料理を出したら絶対人気になるわ」
「収穫祭……」
「ええ。村中の人が集まって、食べ物や飲み物を持ち寄るのよ」
――面白そうだな。
祭りで料理を振る舞う。
村人たちに喜んでもらえる。
そして、俺の評判も上がる。
「じゃあ、やってみます」
「本当!? やった!」
マリアが、嬉しそうに手を叩く。
こうして、俺のスローライフは順調に進んでいった。
薬草採取で定期収入を得て、釣りで魚を捕まえ、料理で村人に喜んでもらう。
これ以上、何を望む必要があるだろうか。
――幸せだ。
心の底から、そう思った。




