第10話 英雄の代償
収穫祭の翌日。
目覚めると、身体が重かった。
「うう……」
全身が、筋肉痛。
昨日の戦闘で、思った以上に身体を酷使したらしい。
ゆっくりと身体を起こす。
窓の外を見ると、いつもの平和な朝の風景。
――ああ、また平和な日々が戻ってくる。
そう思っていたのだが――
甘かった。
◇ ◇ ◇
朝食を済ませて外に出ると、村人たちが集まってきた。
「エリナちゃん!」
「昨日は、本当にありがとう!」
「あなたは、村の英雄よ!」
口々に、感謝の言葉を述べる。
「いえ、そんな……」
照れくさくて、頭を掻く。
「エリナちゃん、これ、お礼の品なんだけど」
一人の女性が、焼き菓子の入った籠を差し出す。
「あ、ありがとうございます」
「私からも!」
「俺からも!」
次々と、村人たちが贈り物を持ってくる。
野菜、果物、パン、手作りの小物。
「こんなに、もらえません……」
「遠慮しないで! あなたのおかげで、村が救われたんだから!」
断りきれず、受け取る。
――嬉しいけど、ちょっと困るな。
こんなに注目されるのは、苦手だ。
◇ ◇ ◇
午後、リバーサイドの町のギルドに向かった。
薬草採取の定期納品の日だ。
ギルドに入ると、受付のミラが驚いた顔で迎えてくれた。
「エリナちゃん! 噂、聞いたわよ!」
「噂?」
「ゴブリンの群れを、一人で撃退したって!」
「一人じゃないです。村の人たちと一緒に……」
ミラが、目を輝かせる。
「すごいわ! Fランクの冒険者が、魔物の群れを撃退するなんて!」
「そんな大したことじゃ……」
「大したことよ!」
ミラが、興奮気味に言う。
「それで、ギルドマスターがあなたに会いたいって」
「ギルドマスター?」
「ええ。ランクアップの話があるみたい」
――ランクアップ?
嫌な予感がする。
「あの、断れませんか?」
「え? なんで?」
ミラが、不思議そうな顔をする。
「ランクが上がれば、報酬も増えるし、受けられる依頼も増えるのよ」
「それが、困るんです」
きっぱりと言う。
「私、楽な依頼だけ受けて、のんびり暮らしたいんです」
「……エリナちゃん、本当に変わってるわね」
ミラが、苦笑する。
「でも、一度会うだけ会ってあげて。ギルドマスター、いい人だから」
「……分かりました」
渋々、承諾する。
ミラに案内されて、奥の部屋に入る。
そこには、五十代くらいの男性が座っていた。
筋肉質な体格。傷だらけの顔。元冒険者だろう。
「初めまして。ギルドマスターのガロンだ」
男性が、立ち上がって握手を求めてくる。
「エリナです」
握手を返す。
ガロンの手は、ゴツゴツしていて大きい。
「君が、ゴブリンの群れを撃退したエリナか」
「はい……でも、村の人たちと一緒に……」
「謙遜するな。報告によると、君の水魔法が決定打だったそうじゃないか」
ガロンが、ニヤリと笑う。
「それでだ。君を、Eランクに昇格させたい」
「お断りします」
即答する。
ガロンが、驚いた顔をする。
「……なぜだ?」
「ランクが上がると、難しい依頼を受けなきゃいけなくなるからです」
「そうだが……それが嫌なのか?」
「はい。私、危ない依頼は受けたくないんです」
ガロンが、しばらく俺を見つめて――笑った。
「ははは! 面白い娘だ!」
「……はい?」
「普通の冒険者は、ランクアップを望む。でも君は、拒否する。面白い」
ガロンが、満足そうに頷く。
「分かった。無理強いはしない。でも、もし気が変わったら言ってくれ」
「ありがとうございます」
ホッとする。
なんとか、ランクアップを回避できた。
「ただし」
ガロンが、真剣な顔になる。
「君の実力は、もう知れ渡っている。他の町のギルドからも、引き抜きの話が来るかもしれない」
「引き抜き……」
「ああ。強い冒険者は、どこでも欲しがられる。覚悟しておけ」
――面倒くさい。
有名になるのは、こういうデメリットがある。
「でも、大丈夫。うちのギルドは、君の意志を尊重する」
ガロンが、力強く言う。
「ありがとうございます」
部屋を出て、受付に戻る。
「どうだった?」
ミラが、興味津々な顔で聞いてくる。
「ランクアップ、断りました」
「やっぱり……」
ミラが、呆れたような顔をする。
「でも、エリナちゃんらしいわね」
「すみません……」
「謝ることないわよ。自分の生き方は、自分で決めればいいの」
ミラが、優しく微笑む。
「それじゃあ、薬草の納品ね」
「はい」
薬草を渡して、報酬を受け取る。
いつも通りの、銀貨五枚。
この安定した収入が、俺の生活を支えている。
◇ ◇ ◇
町を出て、村に戻る途中。
また、立派な馬車とすれ違った。
――嫌な予感。
馬車が止まる。
中から、見覚えのある顔が出てきた。
神官のバルトロメウス。
「エリナさん!」
「……神官様」
逃げたいが、逃げられない。
「あなたの活躍、王都でも話題になっていますよ」
「そうですか……」
「ゴブリンの群れを撃退するなんて、やはりあなたは聖女の素質を持っている」
神官が、熱心に言う。
「もう一度、お願いします。王都に来て、聖女として――」
「お断りします」
きっぱりと断る。
「なぜです? あなたには、才能があるのに」
「才能があるから、やらなきゃいけないわけじゃないです」
真剣な顔で言う。
「私は、自分の人生を、自分で決めます」
「しかし……」
「神官様、お引き取りください」
神官が、困った顔をする。
「……分かりました。でも、いつでも待っていますからね」
馬車は、去っていった。
――ふう。
また、断れた。
でも、何度も来られるのは面倒だ。
◇ ◇ ◇
村に戻ると、また村人たちが集まってきた。
「エリナちゃん、お願いがあるんだ」
村の若い男性が、真剣な顔で言う。
「何でしょう?」
「魔法、教えてくれないか?」
「魔法?」
「ああ。俺たちも、エリナちゃんみたいに強くなりたい」
他の男性たちも、頷いている。
「でも、魔法は適性がないと……」
「試してみたいんだ。お願い!」
――面倒くさい。
でも、断れない雰囲気。
「……分かりました。でも、適性がなかったら諦めてくださいね」
「ありがとう!」
こうして、俺は魔法の先生になってしまった。
◇ ◇ ◇
翌日。
村の広場で、魔法の講習会が開かれた。
参加者は、村の若い男性たち十人ほど。
「じゃあ、まず、マナを感じる練習からです」
俺の指示で、みんな目を閉じて集中する。
「体内を流れる、エネルギーを感じてください」
しばらく待つ。
「……何も感じない」
「俺も」
「難しいな……」
みんな、苦戦している。
「まあ、最初はそんなもんです。毎日練習すれば、そのうち感じられるようになります」
気休めを言う。
本当は、適性がない人は一生感じられないんだけど。
「次は、水を感じる練習です」
桶に水を入れて、持ってくる。
「この水に、手を入れて、水の感覚を掴んでください」
みんな、手を水に入れる。
「……冷たい」
「それだけ?」
「うーん……」
やっぱり、適性がないようだ。
一時間ほど練習したが、誰も魔法を発動できなかった。
「今日は、これで終わりにしましょう」
「もう少し、やりたいんだけど……」
「焦っちゃダメです。魔法は、じっくり練習するものですから」
適当に言って、講習会を終える。
――疲れた。
人に教えるのは、難しい。
◇ ◇ ◇
午後、久しぶりに一人で森に行った。
温泉に入りたかった。
温泉までの道を、のんびりと歩く。
誰もいない、静かな森。
――ああ、やっと一人になれた。
ここ数日、ずっと人に囲まれていた。
感謝されたり、頼られたり、期待されたり。
嬉しいけど、疲れる。
温泉に着いて、周りを確認する。
誰もいない。
「よし」
服を脱ぐ。
全裸になって、温泉に入る。
「ふう……」
温かいお湯が、疲れた身体を包み込む。
――最高だ。
目を閉じて、リラックスする。
何も考えない。
ただ、お湯に浸かる。
これが、俺の求めていた時間だ。
しばらく温泉に浸かってから、岩に寄りかかる。
空を見上げる。
青い空。白い雲。
――平和だ。
こういう時間が、もっと欲しい。
でも、英雄扱いされてから、こういう時間が減ってきた。
村人からの期待。
ギルドからの誘い。
王都からの使者。
全部、面倒くさい。
「俺、ただのんびり暮らしたいだけなんだけどな……」
呟く。
でも、断れない。
村人たちの顔を見ると、断れない。
ここは、俺の居場所だから。
「はあ……」
ため息をつく。
そのとき――
茂みが、ガサガサと音を立てた。
「!」
咄嗟に、身体を隠す。
誰か、来た?
茂みから出てきたのは――鹿だった。
「……びっくりした」
ホッとする。
鹿は、俺をチラッと見て、去っていった。
――一人で温泉、やっぱり最高だな。
でも、たまには村人たちと一緒に来るのもいい。
バランスが大事だ。
しばらく温泉に浸かってから、お湯から上がる。
岩の上で、身体を乾かす。
風が、濡れた肌を撫でる。
気持ちいい。
髪も、だいぶ乾いてきた。
服を着て、温泉を後にする。
◇ ◇ ◇
村に戻る途中、川で釣りをすることにした。
釣り竿を手に、川辺に座る。
餌をつけて、川に投げ込む。
――久しぶりだな、釣り。
ここ数日、忙しくて釣りする暇もなかった。
浮きを、じっと見つめる。
時間が、ゆっくりと流れる。
――これだよ、これ。
この、何もしない時間。
この、のんびりとした時間。
これが、俺の求めていたスローライフだ。
しばらくすると、浮きが沈んだ。
「!」
竿を引く。
手応えがある。
慎重に、糸を手繰り寄せる。
水面から、魚が飛び出す。
「やった」
大きな魚だ。
今夜の夕食が、決まった。
その後、もう数匹釣って、村に戻る。
◇ ◇ ◇
夕方。
マリアの家の台所で、魚を料理する。
「今日は、たくさん釣れたわね」
マリアが、嬉しそうに言う。
「はい。久しぶりに釣りできました」
「最近、忙しかったものね」
魚を捌きながら、今日のことを話す。
「ギルドで、ランクアップを断りました」
「そう。エリナらしいわね」
「王都の神官も、また来ました」
「また? しつこいわね」
「それも、断りました」
マリアが、微笑む。
「エリナは、本当に自分の意志をしっかり持ってるわね」
「そうですか?」
「ええ。普通の女の子なら、周りに流されちゃうところよ」
――まあ、中身おじさんだから。
心の中で付け加える。
三十八年生きてきて、自分の意志を持つことの大切さは学んだ。
他人の期待に応えようとして、疲れ果てた経験もある。
だから、今は自分の意志を優先する。
「でも、大変ね。色々な人から期待されて」
マリアが、心配そうに言う。
「大丈夫です。自分のペースでやりますから」
「そうね。無理しないでね」
魚が焼けて、夕食の準備ができた。
マリアと二人で、食卓を囲む。
焼きたての魚。温かいスープ。柔らかいパン。
素朴だけど、美味しい。
「やっぱり、エリナの料理は最高ね」
マリアが、満足そうに言う。
「ありがとうございます」
食後、自分の部屋に戻る。
ベッドに横になって、天井を見つめる。
――今日も、色々あったな。
英雄扱いされること。
期待されること。
頼られること。
嬉しいけど、疲れる。
でも――
村人たちの笑顔を思い出す。
子供たちの笑い声を思い出す。
それを守るためなら、多少の面倒は我慢できる。
「でも、やっぱりスローライフがいいな」
呟く。
のんびり釣りして、料理して、温泉入って。
そんな生活が、理想だ。
目を閉じる。
明日も、自分のペースで生きよう。
誰にも流されず、自分の意志で。
◇ ◇ ◇
翌朝。
目覚めると、いつもの平和な朝だった。
窓の外から、鳥のさえずりが聞こえる。
「よし、今日は薬草採取の日だ」
身支度を整えて、外に出る。
村人たちは、いつも通り朝の仕事をしている。
「エリナちゃん、おはよう!」
「おはようございます」
挨拶を交わして、森に向かう。
いつもの道。いつもの森。
薬草を採りながら、のんびりと散策する。
――これだよ、これ。
この平和な日常。
これが、俺の求めていたものだ。
英雄だの、聖女だの、そんなのはどうでもいい。
ただ、こうして平和に暮らせれば、それで十分だ。
薬草を十本集めて、村に戻る。
昼から、また釣りをして、夕方は温泉に入る。
そんな、いつもの一日。
――幸せだな。
心の底から、そう思う。
この平和が、ずっと続きますように。
そう願いながら、俺は今日を過ごす。




