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奏界のエデン  作者: 雪菜
第一章

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第7話 創世記とシオンの見解

 ――奏空歴フィアル・アスタルト〇〇一年。


 幻妖種ニーズ・ヘッグの出現によって滅びへと向かう人類を不憫に思った神は、御使いである七匹の竜を地上へと遣わせた。

 竜は神から授かったそれぞれの力を聖歌に込め、人々に慈悲を与え、幻妖種の脅威から救った。


 魂の竜(エインヘリヤル)は失われた魂に祝福を。


 知識の竜(アナティウム)は人々に聖術の知識を。


 始祖の竜(ファフニール)空の境界(アステルト・ベルト)による大陸の繁栄を。


 光明の竜(レヴィアタン)は空に太陽と月の光を。


 豊穣の竜(ミストルティン)は浮遊大陸に自然の恵みと命を。


 戒律の竜(レーヴァテイン)は幻妖種に立ち向かうための武具を。


 このように六匹の竜は原初の竜(ラグナロク)の意志に従い、空の世界(フル・フィアラル)という安息の地を人類に与えた。それから原初の竜(ラグナロク)はわずかに残った地上の人々を見守る役目を己へと課し、力を使い果たした六匹の竜は自らの魂を神曲聖歌アステルト・ノートへと封じ、長い眠りについた。


 これが、創世記に書かれた大まかな空の歴史。


 事実と創作の境目は定かではないけれど、オルラントの人々はこの歴史を史実として受け入れている。


 神曲聖歌アステルト・ノートが砕けてできた石がアルテウスの譜面石だという一説もあれば、知識の竜が授けたものこそが譜面石に込められた楽譜コードだと主張する学者もいる。


 結局のところは、九百年の年月が経過しても空の世界の成り立ちは謎に包まれているのだ。


 何度も目を通した創世記をぱたりと閉じたルクレティアは、ベッドにぺたんと座ったまま両腕を広げて伸びをした。


 肩が凝る、なんてことはあり得ないのだけれど、ルクレティアはなんとなくこの仕草が好きなのだ。


 食事を終え、シオンと二人部屋の客室へと戻ってきてから順番にシャワーを浴び、寝間着に着替えて寝る準備を整えた。

 今日はルクレティアが先にシャワーを使い、シオンに髪を乾かしてもらってからは創世記を読み耽ってしまった。


 窓の外には楕円の月と小さな星が散りばめられた夜空が広がっていて、昼間幻竜に襲われたことなんて嘘みたいな和やかさ。心臓部エンジンの駆動音が微かに聞こえてくるくらいに、静かな夜だった。


 視線を滑らせると隣のベッドは空っぽで、シオンはソファに座って本を読んでいた。

 

 二人で過ごす時間はひたすら穏やかで、ルクレティアはこの時間が大好きだ。


 今日みたいに各々で読書に励むこともあれば、博識なシオンが聖歌やオルラントの知識を教えてくれることもある。帝国で籠の鳥だったルクレティアにとっては知らないことばかりで、本では得られなかった知識が増えていくのは楽しかった。


 ぼんやりとシオンを見つめたまま、食堂での会話を思い返す。創世記を改めて読み返したのは、ギデオンの話に驚いたからだ。


 空の世界(フル・フィアラル)がいつか滅びるかもしれないなんてこと、想像したことすらなかった。


「……どうかしたかい?」


 いつのまにか、穏やかな色を湛えた翡翠の瞳がこちらを見つめていた。その瞳の色があまりにも優しくて――。


「シオンは嘘がとっても上手なのね」


 こぼれ落ちたのは、不用意な本音だった。やってしまった、と思った。


 シオンが目を瞠る。綺麗なその瞳に明らかに傷ついた色が浮かんだのを見て、ルクレティアは迂闊な自分を叱りたくなった。


 これまでずっと、シオンを困らせるような発言はしないように意識してきたのに。


「どういう意味、かな?」


 尋ねてくるシオンの声音はひどく硬い。ルクレティアはおずおずと白状した。


「夕ご飯の時に気づいたの。シオンは、嘘を吐いても顔色ひとつ変わらないわ」


 それは、ギデオンとの会話で気づいたことだ。


 ギデオンは終末の書(ラグナロク)を空の世界を滅ぼせる力だと言った。それをシオンは否定しなかった。それだけではない。後から気づいたが、その前にもシオンはたぶん、水をわざとこぼしてルクレティアの言葉を止めた。


 あの時の態度はとても自然で、ルクレティアから見ても彼が隠し事をしているだなんて思わない。


「……あの時のことか」


 すぐに思い至ったらしいシオンは、困ったような顔で言う。


終末の書(ラグナロク)のことを隠したのは、知られるとよくないことだからだよ。九百年以上のあいだ、天上人フィオル終末の書(ラグナロク)の力をギデオンさんみたいな認識を持っていて……それで特に問題はなかったんだから」

「でも、空の国をいつでも滅ぼせるだなんて大きな誤解だわ」


 ルクレティアが帝国で教わった通りであれば、終末の書(ラグナロク)はあくまで効果範囲内の幻妖種ニーズ・ヘッグを消滅させる聖術であって、人や建造物へのダメージはまったくない。


 きちんとした認識を持てば、帝国への恐怖心も薄れてもっと良好な関係を築くことができるのではないだろうか。


 シオンは思い悩むような間を置いた後に、ため息と共に尋ねてきた。


「ティアは、前に僕が話したヴェルセーヌ条約のことを覚えているかい?」


 現在から六百年以上前。奏空歴フィアル・アスタルト三〇四年に空の六カ国と帝国のあいだで結ばれた条約のことだ。オルラントの貿易の細かな取り決めと、帝国兵の空の国への常駐を認めること。空の世界では帝国の言語であるヴェルセーヌ語を公用語とすること。

 それから、空の国が戦闘目的の兵器を開発することを禁止する旨が取り決められたと教わった。


 ルクレティアが頷くと、シオンが首を傾ける。


「それじゃあ、空の国がどうしてその条約を守ってきたか、わかるかい?」

「え……?」

「条約が空にとってものすごく不利な条件なのは明らかだよね? それなのにどの国も律儀に守り続けている。どうしてだと思う?」


 帝国が地上で幻妖種ニーズ・ヘッグと戦っているからだと答えようとして、ギデオンの話を思い出す。天上人フィオルは、地上への執着はとうに失っているみたいだった。

 地上と空とで戦争になった場合、困るのは明らか。それでも空の国々が帝国に従い、軍備拡張をしない理由――。


「……もしかして、帝国に終末の書(ラグナロク)がある、から?」

「そう。終末の書っていう抑止力があるからオルラントの均衡は保たれているんだよ。不用意に僕らが終末の書の力のことや、今の帝国に終末の書を扱える術者がいない――なんてことを話して情勢がよくない方向に傾いたりしたら、ティアは責任を取れるかい?」


 返す言葉もなかった。立ち上がったシオンがルクレティアの頭をそっと撫でてくる。


「みんながみんな、ティアみたいに純粋だったらいいんだろうけど。ギデオンさんが言っていたようにオルラントの均衡は危ういから」

「だから、嘘を吐かないといけないの?」

「隠さないといけないことについてはね」


 含んだ物言いに感じるものがあったルクレティアは、シオンの瞳を覗き込んだ。


「シオンも、わたしに隠していることがあるの?」

「…………」


 そっと目を伏せたシオンは、答えない。たぶん、それが答えだ。


 彼に話したくないことがあるのは察していたけれど、それはシオンにとって苦しいことだから口にしたくないのだと思っていた。それがルクレティアに故意に隠しているのだとわかれば、なんだか悲しい気持ちになる。


「シオンはわたしにも嘘を吐くのね」

「……ごめん。でも、あの部屋を出てから僕がティアに嘘を吐いたことはないよ。信じてもらえないかもしれないけど、これは本当」


 あの狭い地下部屋での、彼との会話を思い出そうとする。


 とても大切なことをたくさん話したはずなのに、どの言葉が嘘だったのか、今となってはもう、思い出せなかった。



◆◆◆◇◆◇◆◆◆



 気まずい沈黙が漂う中、もう寝ようか、と切り出したのはシオンだった。


 ルクレティアは素直に頷き、互いにおやすみを言ってシーツに潜り込んでから、時計の針が一周した頃。


 小窓から差し込む月明かりだけに照らされた部屋で、ルクレティアはシーツの上で膝を抱え、隣のベッドで眠るシオンの寝顔を見つめていた。


 シオンはルクレティアに嘘を吐いたと言った。しかし――。


「……わたしも、シオンに隠していることがあるわ……」


 ルクレティアの身体は、眠れるようにできていない。そのことを、シオンに話してはいなかった。隠すようなことでもないと思うのだけれど、シオンはルクレティアの人とは違う点が明らかになる度に、悲しそうな顔をするのだ。


 外的なショックで意識を失うことはあるけれど、意欲的な睡眠を取ることはできない。


 そのことを伝えた時シオンはどんな反応をするのか。想像すると気持ちが沈んでしまい、どうしても打ち明けることができなかった。


 ルクレティアにとってシオンにおやすみを告げてから朝日が昇るまでの時間は、ひたすら孤独だ。彼と過ごす眠る前の穏やかな時間がひどく愛しいのは、そのせいもあるのかもしれない。


 ルクレティアがシオンに隠し事をしているのは、不必要に彼を悲しませたくないから。


 それなら、シオンがルクレティアに隠し事をしているというのも、彼女を慮ってのことなのかもしれない。


 あの日、シオンがどんな嘘を吐いていたとしても――彼の流した涙は本物に違いない。


 不安そうなシオンを放っておけずにその手を取ったのはルクレティア自身。彼を助けたいという想いはこれから先もきっと変わらない。


 たぶん、それでいいのだ。

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