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奏界のエデン  作者: 雪菜
第一章

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第6話 破滅の予言

 日もすっかり沈んだ夕食時。幻竜という脅威から解放された船内の食堂は、乗客と船員によって大盛り上がりだった。

 

 飛行船を救ってくれたお礼だと言って給仕の女性が運んできた料理はとにかく量が尋常ではなく、広いテーブルが大皿で埋まってしまうほど。とても二人で食べきれる量ではなかった。


 とはいえ、実際に食べているのはシオンのみで、ルクレティアの取り皿は一度も使われていない。彼女は食事をすること自体は可能なのだけれど味覚がないこともあってか、無理して食べると嘔吐してしまうのだ。


「誰かに感謝されるのって、とっても嬉しいことなのね」


 頰を上気させて、ルクレティアがにこにこと笑う。


「悪い気がしないのは確かだけど、空で幻竜と戦うなんて経験は二度としたくないかな」

「ふふ。わたしが操縦室に行った時ね、船員さんたちみんなびっくりしていたのよ? 幻竜に空で戦いを挑むなんて無謀すぎるって。バカか自殺志願者かのどちらかですって」


 本人が聞いていないからってずいぶんな言われようだけれど、シオンも自殺行為だなあと考えていたので、苦笑するだけに留める。


「でも、シオンにはわたしがいるんだもの。どちらでもないわよね」

「そうだね。ティアの聖歌にはいつも助けられているよ」

「それなら、シオンについてきた甲斐があったわ」


 ルクレティアはにっこりと微笑むけれど、その心中を推し量ると罪悪感で居た堪れなくなる。


 ルクレティアは未だにシオンがどうして彼女を知っていたのかも、帝国で何をしていたのかも、そして、神曲聖歌アステルト・ノートを完成させて何を願うつもりなのかすらも尋ねてこない。


 シオンにとって避けたい話題だということを察した上で、何も尋かずに寄り添ってくれているのだ。


 黙り込んだシオンを不思議そうに見てくるルクレティアに、慌てて微笑み掛けようとすると、


「なんだあ? 全然減ってねえじゃねえか」


 酔っ払った男の声と共に、横から伸びてきた大きな手が大皿に乗っていた魚のフライをつまみあげてしまった。


 目を丸くしたルクレティアが、乱入してきた男に非難の声を上げる。


「ちょっと! このお料理はシオンがもらったものなのよ? 勝手に食べるなんてひどいわっ」

「なんだよ、一緒に幻竜と戦った仲だろ? つれねぇこと言うなよ」


 不服そうに主張するのは、甲板で居合わせた聖術師の男。その右手にはグラスになみなみと注がれた麦酒エールが。


 図々しい男の態度にルクレティアは眉根を寄せているが、目の前の料理はシオン一人で片付けられる量ではない。苦笑しつつ、皿を男の方へとずらした。


 男はしたり顔で近くのテーブルから椅子を引き寄せ、シオンとルクレティアのあいだに座る。


「まだ名乗ってなかったよな? 俺はギデオン・クラーク」

「僕はシオン・スタンフォード。彼女はルクレティアです」

「スタンフォード? もしかして、空の調律師か?」


 シオンの肩書きは、この一年ですっかり有名になってしまっていた。


「そう呼ばれることも、あります」

「なるほどなあ。納得がいったぜ。嬢ちゃんの聖歌は聞いたことなかったからなあ。あれだけの術なら当然第一階位に属するだろ? 聞いたことねえなんて変だと思ったんだよ。ありゃあ、お前さんのお手製ってことか」


 聖歌は、歌が長く複雑になるほど威力と規模が増し、階位が上がるほどに楽譜コードを組むのが難しくなり、必然的に種類は少なくなる。なので、階位の高い聖歌は知名度が高い。ゆえに、馴染みのない第一階位の聖歌は独創楽譜オリジナル、ということになる。


「ええ、そうよ。光の投網とあみはシオンが作った聖歌なの。すごく綺麗な曲だったでしょう?」


 単純なルクレティアは大好きな聖歌の話題になって弾んだ声を上げる。


「称号の由来は作曲にかけては空で右に出る者がいないから……なんて噂は聞いたことがあったんだが、本当だったんだな。その年であれだけ複雑な聖術が作れるなら、よほど聖歌の神に好かれてるんだろうよ」


 拍数にもよるけれど第一階位の楽譜はだいたいが四十小節前後。特定の音と言霊ことだまで変化するエーテルの特性を把握し、すべての音と歌詞を計算して術にするのは想像を絶する難しさ。


「……そうですね。僕も神さまがくれた才能だと思っています」

「ならこっちの噂はどうなんだ? 称号持ちの調律師なのに教団に独創楽譜オリジナルを提供しない問題児ってやつ。これのせいで聖術師のあいだじゃ、お前さんの評判はよくないぜ?」

「それは……まあ、事実ですね」

「なんで提出しねえんだよ。とんでもない大金が手に入るじゃねぇか」

「…………」


 咄嗟に上手い言い訳が思い浮かばずに、シオンは言葉に詰まった。


 聖歌を作ることは大好きだった。新しい楽譜を生み出すたびに周りの大人たちが褒め称えてくれるのは幼心にも悪い気はしなかったし、何より、彼女が楽しそうに歌ってくれる光景を見るのが好きだったから。


 しかし、どれほどの才能に恵まれていようとも聖歌が人の手に余る代物だと思い知らされた時、シオンは途端に楽譜を書くのが怖くなってしまった。


 返事をできずにいると、ルクレティアが口を挟んでくれた。


「あの、えっとね、シオンはお金に興味がないのよ。大金持ちになりたいのじゃなくて、旅をするのに必要な最低限のお金があればいいって感じなの」


 ルクレティアなりにシオンを気遣って、一生懸命に考えた末、助け船を出してくれたのだろう。


 彼女はシオンがどうして聖歌を作るのをやめているのか、その理由も一度も尋ねてこない。それでも、こうして彼の心中を慮って必死に守ろうとしてくれる、優しい子なのだ。


「せっかくの大金をドブに捨てるなんざ、理解できねえ感覚だが……。調律師には変わりもんが多いとも言うしなあ」

「ティアが言うように僕はお金には興味がありませんし、教主さまにも許可を頂いてますから。ところで、ギデオンさんは飛行船の護衛が仕事なんですか?」


 気まずい話題を強引に逸らしてみても、酔っているせいかギデオンは嫌な顔一つせずに頷いた。


「ああ。そうだが?」

「飛行船が幻妖種ニーズ・ヘッグの襲撃を受けるのって、珍しくないんですか?」


 幻妖種が空の境界(アステルト・ベルト)より上空に上がってくることはほとんどない。


 そう聞いたことがあったのだけれど。


「まさか! 幻竜なんざ五十年に一度現れるかどうかって話だし、幻妖種ニーズ・ヘッグ自体、滅多に出くわさねえよ」

「やっぱり、そうなんですね」

「ただ、なあ……」


 ギデオンは酒で充血した目をすがめて、難しい面持ちになる。


「空に現れる幻妖種の数が増えてきてるって話は何年か前から出てるんだよなあ。いや、違うか。幻妖種の数が増えてるって言うより……」


 男が言わんとしていることはなんとなく察せる気がした。


「幻妖種全体がより強力な個体に成長しつつある、ですか?」

「それだよ、それ」


 飛行能力を備えた幻妖種は多い。だが、限界高度が異なるので空の世界(フル・フィアラル)まで飛べる個体というのはそれだけ能力が高いということになる。


「それって……幻妖種から生き延びるために空の世界ができたのに、空もいつか安全じゃなくなるかもしれないってことなの?」


 ルクレティアは不安そうに顔を曇らせる。


「人が空の世界に適応した結果として聖術師が生まれたんだし、幻妖種もそうなのかもしれないね」

「なにせ、幻妖種は人を滅ぼすために神が遣わした人類の敵だって説もあるくらいだからな。嫌な適応力を持っててもおかしくないんじゃねえか?」

「でも、人が生き延びるために空に大陸を創造したのも神さまなのでしょう? なんだかあべこべだわ」


 ルクレティアは納得いかなさそうだ。


 すると、ギデオンが神妙な面持ちで言葉を発した。


「なあ、お前らはシュヴァルティスの破滅の予言って言葉、聞いたことあるか?」

「シュヴァ……なあに?」

「三年くらい前だかに発表された、エリック・シュヴァルティスって調律師の予言のことさ」


 聞き覚えのある名だった。


真理しんりの調律師のことですね」


 確か、空の世界(フル・フィアラル)の創世について研究している調律師だったはず。ギデオンは頷き、


「シュヴァルティスの見解じゃあ、空の世界の未来は長くないって話でな」

「さっきの、幻妖種ニーズ・ヘッグがどんどん強くなっている気がするってお話のこと?」

「そいつも予見してのことなのかもしれんがシュヴァルティスの言い分はな、この世界はいつ均衡が崩れてもおかしくないってもんさ」

「均衡って……?」


 ルクレティアは不思議そうに目を瞠る。


「たぶん、帝国のことなんじゃないかな」


 シオンが口を挟むと、ギデオンはへえ、と口の端に笑みを浮かべた。


「お前さん、見かけによらず頭の回転が速いみたいだな」


 褒められているのか貶されているのか微妙な言葉に苦笑しつつ、


空の世界(フル・フィアラル)のどの国も帝国に資源の一部を頼っていますけど、空の文明が進むにつれて帝国との関係が険悪になってきているとも聞いています。そのことですか?」


 無人の浮島ラグーンを利用することによって農作物の栽培には成功しているが、水や鉄などの鉱物類は未だに空の世界では貴重だ。時には地上の広大な水場と採掘場を頼る必要がある。


「ああ。帝国からの援助がねえと資源不足で生きていけなくなる。だが一般人はそんなことわからねえだろ? 聖術で簡単に火を起こせるのに水や資源は作れないなんて話、納得がいかねえのさ。地上に頼らなくても聖術でなんとかできるだろ、ってな。だから帝国と縁を切りたいって意見が年々強くなってる」


 聖術で生成できるのは無機物だけだし、紡いだ物質も現世に留められるのは十分程度。


 水は無機物だから聖術で作り出すことは可能だが、飲み水にするための過程でエーテルに戻ってしまう。


 帝国からの輸入が途絶えれば、空の国は生活が立ち行かなくなる恐れがある。代わりに帝国は軍備拡張のための多大な資金を受け取っているが、力関係では帝国の権威はこのオルラントにおいて絶対だ。


「だんだん地上と空に温度差が出てきてるんだよなあ。昔は地上を取り戻すために帝国に従うのは仕方ねえって感じだったらしいが、今はほとんどの奴が空での生活に満足してるだろ? 今の空の一番の問題は、ようは帝国の気まぐれ一つで大陸が滅びるかもしれねえってことさ」


 ギデオンが唇の端を歪める。


「だいたいよ、帝国は神曲聖歌アステルト・ノートを持ってるだろ? その気になりゃいつでも空の世界(フル・フィアラル)を滅ぼせる。対等じゃねぇよなあ」


 ルクレティアがきょとんとした顔になった。


「滅ぼ、す? え? でも、終末の書(ラグナロク)は――」

「わ、っと……」


 目を丸くしたルクレティアが言い終える前に、シオンは水の入ったグラスを傾けた。半分ほど残っていた水がこぼれ、テーブルに小さな水たまりができる。


「おいおい、何やってんだよ、しょうがねぇなあ。おい、何か拭くもの持ってきてくれ!」


 カウンター前に控えていた給仕にギデオンが声を掛けている隙に、シオンはルクレティアに向けて唇の前で人差し指を立ててみせた。


 終末の書(ラグナロク)の話題には乗らないで欲しい、という意味を込めた仕草だったのだけれど、彼女は大きく首をひねっている。シオンの意図はたぶん伝わっていない。


 仕方がないのでテーブルを拭いてくれた女性に会釈をしてから、シオンは話題を無理やりずらした。


「その破滅の予言というのは、帝国によって空の世界が滅びるかもしれない、ってことなんですか?」

「そーいうこった。実際、共感する輩も多いらしくてなあ。空の解放軍(デュアル・サーペント)つって、反帝国を掲げる組織も出てきてるくらいだ。知らないか?」

「僕たちはずっとマリステラにいたので、空の情勢のことはあまり……」

「教団のお膝元か。それじゃあ知らねえのも無理ねぇか。いつか来るかもしれねえ大陸の老朽と帝国に対抗するために、神曲聖歌アステルト・ノートを探してるんだとよ」

「……っ!」


 飲んでいた水をあやうく吹き出しそうになって、シオンは盛大にむせた。


「だいじょうぶっ? シオン」

「だ、大丈夫。ちょっと、驚いただけから」

「なんだよ、そんなに驚くことか? まあ確かに掲げてる理念は壮大だが」

「いえ、そうじゃなくて。僕たちも神曲聖歌アステルト・ノートを探してるんです。だから」

「ヴェルスーズに行くのも、神曲聖歌を見つけるためなの」


 ギデオンがへえ、と顎を撫でた。


「まあ、神曲聖歌の伝説を追う奴はけっこういるからなあ」

「そうなの?」

「七つ集めりゃ願いが叶うって話は浪漫があるからな。実際には手掛かり一つ掴めずに挫折する奴しかいないらしいが」


 手掛かり一つ掴めずに、という台詞に、シオンはそっと目を伏せる。


 わかっていたことだけれど、これから始まる宝探しは一筋縄ではいかないのだ。


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