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奏界のエデン  作者: 雪菜
第一章

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第5話 調律師の資格

 時は、一年と少々、遡る。


 直径三キロほどの浮島ラグーンにアステルト教団の総本山――聖地マリステラがある。アステルト教は八百年以上の歴史を持つ空の世界(フル・フィアラル)で最も古く、広く信仰されている宗教だ。聖術を築き上げた祖とされる賢人アナティウムを象徴として祀り、広い空で絶大な影響力を誇っている。


 空の世界における教団の役割は大きく、その最たるものが楽譜コードの管理と空で最も敬意を持たれる職――調律師の資格を認定することだ。

 

 日付も変わった深夜。大聖堂の祭壇前に佇むアナティウム像を見上げながら、アステルト教の教主を務める女性――エレノア・マリステラは人を待っていた。


 壁に据えられた燭台の炎に照らされた聖堂に、蝶番の軋む音が響く。振り返ると、大扉を開けて一人の少年が入ってきた。


 柔らかそうな蜂蜜色の髪に、人懐こそうな翡翠の瞳。わずかに幼さを残した端整な面立ちは優しげで、他者を惹きつける静謐な雰囲気を帯びている。

 五年ぶりに会う九歳年下の知人は、青年と少年の狭間といえる年頃にまで成長していた。


「お久しぶりです、猊下げいか


 礼儀正しく腰を折る所作には育ちのよさが滲んでいる。エレノアは、困惑を隠せない声で少年の名を呼んだ。


「シオン・スタンフォード……」

「覚えてくださっていて光栄です」


 昨夜届いた手紙には、内密に面会を求める旨が彼の名で記されていた。無下にするにはこの少年の立場は特別で、仕方なく人払いをして待っていたというわけだ。


「どういうことでしょうか? なぜあなたがマリステラにいるのです? 帝国から容易に出られる立場ではないはず」


 この少年は、空の世界で畏怖される、彼の大国の要人なのだ。


 その証に、上着の袖から覗く左手の中指にはアクアマリンを削って作られたような印章指輪が輝いている。楕円型のルビーでできた印章には雄々しい獅子が印刻されており――それは、帝国における彼の身分を示すものであり、調律を生業とする者の証明でもあった。


 エレノアの問い掛けに、少年はゆるやかに首を横に振る。


「僕はもう帝国の人間ではありません。半年ほど前に出奔したんです」

「俄かには信じ難い発言ですね。皇帝があなたを手放すとは思えません。あなたは空の竜(ラグナロク)の――」


 ラグナロク、という名にぴくりと反応したシオンは、澄んだ薄緑の瞳を翳らせた。


「帝国で、何かありましたか?」

「……いいえ。猊下の案じるようなことは、何も」

「では、質問を変えましょう。あなたに何が起こったのでしょうか?」

「僕は調律師の称号を得たくてここに来ました。ただ、それだけです」

「それなら認定試験をお受けなさい。あなたなら試験を受ければ資格だけではなく、自ずと称号がつくでしょう」


 この大聖堂で行われる調律師認定試験に受かれば、晴れて一人前の調律師として認められる。実績がすべての調律師は教団の認定がなくてはどこの国でも仕事の請け負いが難しく、どれだけ腕がよかろうとも自称しているだけ、ということになってしまう。


 資格を持つ中でも極めて素質が高いと認められた調律師には特別な称号が与えられ、空の世界でさまざまな特権を得ることができる。存命している調律師の中で称号を持つのはオルラントでわずか六人のみ。狭き門だがこの少年なら問題ないだろう。


「次の試験は二年後です。そんなに待てません」


 試験の開催は二年に一度で、先月終えたばかりだった。


 エレノアはため息を吐く。


「特例を作ると厄介な事態を引き起こします。欲深くも後に続こうとする者が現れては困ります」

「資格があることは認めて下さるんですね」

「あなたほどの腕の調律師は、この広い空のどこを探しても見つかりはしません。それは心得ています」


 エレノアが素直に称賛の言葉を贈ると、少年は複雑そうな顔になる。心からの賛辞だったのだけれど、まったく嬉しそうではなかった。


「なぜ称号が欲しいのです?」

「あると便利ですから。どの国でも特権階級の身分証として使えますし、一般の調律師では閲覧できない聖歌の資料も制限が取り払われます」

「今更聖歌の何を調べると? あなたに必要があるとは思えませんが」

「……神曲聖歌アステルト・ノートを見つけたいんです」


 さらりと投下された発言に、エレノアは返す言葉を失う。すると、シオンは心外そうに眉をひそめた。


「そんなに驚くことでしょうか? 一般の人からすれば夢物語かもしれませんが、僕や猊下にとっては伝説とは言い難いでしょう」

「……確かに、神曲聖歌アステルト・ノートはただの伝説ではありません。実在しています。ですが、この九百年のあいだ空で神曲聖歌が表に出たことは一度としてありません。だから、夢物語なのです」


 オルラントで唯一神曲聖歌を所持しているからこそ、帝国は畏怖されているのだ。


「実在しているのはわかってるんです。見つかる可能性は十分にあります」

「なぜ神曲聖歌アステルト・ノートを求めるのです? 人は神に近づいてはならない。その戒めが幻妖種ニーズ・ヘッグです。あなたなら、理解しているはず」


 創世記には幻妖種は人の傲慢さを戒めるために神が遣わした異形だと記されている。教養の確かな彼がそのことを知らないはずはない。


「わかっています。それでも、僕は神曲聖歌を探したいんです。探さないと、いけないんです」


 ゆずらない強情な態度に、エレノアは再びため息をく。


「では、あなたは調律師としてこの空に何を還元してくれるのですか?」


 尋ねると、シオンが首を巡らせた。彼の視線はアナティウム像で止まる。


 像の両手には聖術刻印が刻まれた聖杯が掲げられており、そこには青の輝きを放つ水晶――譜面石が組み込まれていた。


 シオンが譜面石を台座から取り外すと、聖堂を照らしていた炎がすべて消え去る。松明にくべられた炎は、マリステラの中枢に設置されている夢幻むげん機関から供給されるエーテルを動力に、譜面石を制御装置として灯っていたのだ。石を取り外してしまえば聖術は成り立たたず、炎はたちまち消えてしまう。


目覚めろ(ru erue)


 静寂と暗闇の中でシオンが指輪の印章を石にかざし、そう詠じた。彼の手の中で輝きを取り戻した譜面石がふわりと宙に浮く。


 それから、水晶を中心にして手のひらより一回りほど大きな長方形の立体映像が現れる。演算機コンピュータの電子画面に似たそれは、エーテルの粒子が寄り集って形成された、五線に音符が並んだもの――つまりは、楽譜コード


 続いてシオンの手元に文字を打ち込むための手のひら大の出力鍵キーが。彼の持つ指輪は鍵器アーティファクトと呼ばれる譜面石を加工して作られた装飾品だ。楽譜を書き込むための外部出力器の役目を果たす、調律師にとっては必需品とすら言えるもの。


 譜面石には、楽譜コードを封じることができる。


 空で採掘される譜面石は初めから楽譜として完成されているものもあれば、長い期間放置されたことによって傷つき、内部情報が破損しているものもある。あるいは、譜面石を残した故人があえて暗号化させているものも。


 欠けた音色と歌詞を想像し、術として完成させることもまた、調律師の腕の見せどころというわけだ。


 譜面石に封じられた楽譜の種類を鑑定し、復元をこなすのが調律師。そして一から作曲と作詞を行い、独自の聖歌を生み出すことができるのは選ばれた才能を持つ、ひと握りの人間だけだ。


「何色がいいですか?」


 薄い光の中でシオンがそう尋ねてきた。何を訊かれたのかすぐには察せなかったけれど、彼がちらりと燭台に視線を向けたので、明かりとなる炎の色だと判断できた。


「虹色、なんてどうでしょうか」


 明るいかどうかは別として、虹色の炎なんて見たことがなかったので試しに言ってみた。


 それは、聖歌を一から創作するのと変わりない作業。難題なのでないかと思ったのだけれど、シオンは特に悩む様子もみせずに鍵器キーに指を走らせ、音符を書き換えていく。


「……これでいい、かな」


 一つ頷いた彼が再び台座に譜面石を戻すと、ぼう、ぼう、と燭台に火が灯り始める。


 先ほどは違う、今度の炎の色は指定どおりの虹色。というより、一つの炎の色がどんどん変化していく。赤から青。青から緑。緑から黄色、といった具合に。炎の色はぜんぶで七色。


「……お見事です」


 熟練の調律師ですら数ヶ月は悩みそうな工程を数分で終わらせてしまった。久しぶりに目の当たりにしたシオンの才能は、やはりとんでもない。


 振り返ったシオンは、神妙な面持ちで告げる。


「僕が教団に提供できるのは譜面石の鑑定と復元。あとは、帝国が独占していた楽譜コードの共有。それでどうでしょうか?」


 悪くない条件だった。彼の調律師としての腕は超がつく一流。鑑定に手間取っている多くの譜面石が日の目を見ることができるだろう。だが、それでも足りないものがある。


「あなたの創作した聖歌は? 称号を与えるには、独創楽譜オリジナルを提供することが絶対の条件です」

「独創楽譜は……」


 シオンの顔がみるみる曇っていく。彼の力量ならば独創楽譜の創作は問題ないはずなのに、なぜそれほどまでに苦悩の色を浮かべるのか。


「聖歌を作るのは、今は……」

「新しく創作せずとも構いません。あなたが過去に書いた楽譜コードはいくつかあるはず。それを提出してくれれば問題ありませんよ」

「……それも、できません。僕の楽譜は彼女だけのものだから」


 エレノアの脳裏に、少年と仲睦まじく語らうプラチナブロンドの髪を持つ少女の姿が浮かんだ。


「ずいぶんと、わがままですね」


 ため息混じりにぼやいてしまうと、シオンは表情を引き締め、決然とした口調で言う。


「それでも、猊下は認めて下さるはずです」

「なぜ?」

「僕が、スタンフォードの姓を持つ調律師だから」


 スタンフォードという姓は、帝国で特別な意味を持つ。オルラントで神とあがめられる七神竜セブン・オラリオンの一柱――空の竜(ラグナロク)に愛された一族を示すのだ。


「あなたは特別な人間です。空の竜(ラグナロク)の加護を持つ、神に愛されし人。ですが、神は自らに近づきすぎた者に容赦をしません。神曲聖歌を求めることは、あなたの神から与えられた才能を穢すことに繋がるかもしれない」


 彼の調律師としての才能は素晴らしく、これからいくらでも賞賛を浴びる機会が巡ってくるはず。見つかるかどうかも定かではない楽譜探しに時間を無為にするのはもったいない。


「それでも、見つけないと」


 少年の目には焦燥と、張り詰めた色がない交ぜになっていた。危うい色だと思う。だからつい尋ねてしまった。


「フェリシアは、どうしているのですか?」

「…………」


 シオンは何も答えない。ただ、ほんの少しだけ瞳の翳りが増したように見えた。それが、答えのようなものだろう。


 そもそもが、おかしかったのだ。


 帝国を裏切る道を生涯選ぶことはないであろうあの少女の側を、彼女の片翼たるこの少年が離れるはずがない。


「……シオン。喪った人を取り戻すことを、神はお許しにはならないでしょう。過ぎた望みはあなたへの神の祝福を呪いに変えることになるかもしれません」


 エレノアなりの精一杯の忠告。シオンは凪いだ水面のような瞳に思案の色を浮かべ――ゆるやかに否定の仕草を取った。


「……ええ、そうですね。でも、そうじゃないんです。僕はその呪いを、解きたいんです」


 よくわからない言葉だった。


 シオンが神曲聖歌を集め、何をしようとしているのかはわからない。しかし、その意志が曲げようのないものだということを悟る。


「一年」

「え……?」

「一年のあいだ、このマリステラで調律師の仕事をこなしなさい。その実績を功績として、あなたに空の称号を与えましょう」


 シオンは迷うような顔をする。一年自由を奪われるということが納得できないのかもしれないが、これがエレノアにできる最大限の譲歩だった。


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