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奏界のエデン  作者: 雪菜
第一章

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第4話 ドールと呼ばれる少女は独りの少年と邂逅する 

 狭い地下部屋に、少女は独り幽閉されていた。


 覚醒してから一番初めに教えられたことは少女は自立型歌唱人形ドールと呼ばれる兵器で、限りなく人に近いけれどその身は人ではないのだということだった。

 聖術と呼ばれる奇跡の御業によって造られた、人間そっくりの特別な身体。人のために造られた人形ドール。それが、少女の存在理由。


 月の光を溶かし込んだかのような長い銀の髪も。くるりとカールした繊細な睫毛に守られた瑠璃の双眸も。ぬくもりのある柔らかな白磁の肌も。それらすべてが作りものでしかないのだと教わった。

 鏡に映る黒のネグリジェに包まれた少女の姿はどこからどう見ても人のそれで、俄かには信じられなかった。


 しかし、周りの大人たちが言うように、確かに少女は人ではなかった。


 触覚はあっても痛みを感じることはなく。食事を摂らずとも飢えることはない。髪や爪だって伸びない。それでようやく納得した。機械人形というのはいまいちピンとこないけれど、少なくとも自分は人ではないのだと。


 少女は特別な役目のために作られた機械人形で、一日中部屋に閉じ込められていた。部屋から出たことは数えるほどしかなくて、少女の世界は天蓋付きの大きなベッドと、壁にずらりと並ぶ本棚だけで構成されていた。


 ある日、少女の下に一人の訪問者が現れた。鉄扉の鍵を開けて入ってきた人物に向けて、ベッドの上にぺたりと座ったまま首を傾ける。


「だあれ?」


 薄闇に包まれた廊下の奥からやってきたのは、綺麗な男の子だった。おそらく十代半ばごろ。柔和な印象を受ける、優しげな面立ちをしていた。


「僕は……」


 少女が尋ねると、少年はとても悲しそうな顔になる。それがなんだか申し訳なく感じられて、いつものように疑問に思う。


 少女は人形ドールだ。


 終末の書(ラグナロク)と呼ばれる特別な聖歌を歌うためだけに造られた存在。人形に心などあるはずないのに、どうしてこんなにも感情豊かなのか。


「僕は、君に頼みがあって来たんだ。僕と一緒に来て欲しい」

「どこに行くの?」

「……空。この国のずっとずっと上にある、空の世界(フル・フィアラル)だよ」


 空の世界のことは、本で読んだことがあった。真っ白な雲の上にあるという、六つの大陸と無数の浮島から成る世界はなんだか幻想的で、直接目にしたいと思ったこともある。


 しかし、少女ははっきりと首を振る。


「わたしには、役目があるの。ここから出ることはできないわ」

「それは、終末の書(ラグナロク)を歌うこと?」

「……どうして、知っているの?」


 少女はびっくりした。この帝国でそのことを知っている者は少ないと教えられていたからだ。


 終末の書(ラグナロク)を歌えば、広範囲の幻妖種ニーズ・ヘッグを一気に殲滅することができる。しかし、終末の書はとても難しい聖歌で、術が成功したことはないらしい。


「この国のことは、よく知ってる。明日、君が終末の書(ラグナロク)を成功させるために人格を消されちゃうってことも、知ってるよ」


 少女が造られてから、一年以上が経過していると聞いた。少女の記憶は定期的に削除されていて、古い記憶はひと月前までしか遡ることができない。


 その一年のあいだに終末の書(ラグナロク)が成功したことは当然なく、皇帝はそれを、機械に相応しくない人格が備わっているからだと考えているらしい。だから明日、少女は特別な処置を受けて自我を消してもらうのだ。


「君は、それでいいの?」

機械人形ドールに自我があることがおかしいんだもの……」


 機械人形は読んで字のごとく、機械だ。感情など本来は持ち合わせてはいけないのだ。


「それは君が特別な機械人形ドールだからだよ。君が君じゃなくなってしまったら、終末の書(ラグナロク)は余計に成功しなくなると思う」

「でも、陛下は……」

「自我が消えた後でも、終末の書が成功しなかったら? きっと後悔することになるよ」


 少年の言葉にずっと押し込めていた不安の種が芽吹いて、少女はだんだん怖くなってくる。それでも、初めて目を覚ましたときに教えてもらった言葉を思い出せば、怯むわけにはいかなかった。


「……機械は、人の役に立つために造られるものなのでしょう? わたし、誰かの役に立ちたいの」


 役に立たなければ廃棄される。それが機械どうぐの運命だ。少女も終末の書(ラグナロク)を成功させることができなければ、そうなるだろう。


 要らない、と捨てられてしまう未来は、想像するだけで怖ろしい。


「それなら、僕を助けてくれないかな?」


 少年は縋るような眼差しで少女を見つめてくる。


「僕は、どうしても空の世界(フル・フィアラル)に行かないといけない。でも、僕一人じゃ帝国を出られない。君の力を貸して欲しいんだ」

「でも、わたしには大事な役目が……」

「ルクレティア」


 少女は息を呑んだ。


 ――ルクレティア。


 それは紛う方なき少女の名で、記憶を削除されてもなお失うことのなかった、たった一つの宝物。どうしてこの少年はそのことまで知っているのだろう。これまでその名を呼ばれたことは、一度たりともなかったのに。


「お願いだ。僕と一緒に来て欲しい」


 差し伸べられた手のひらに、心は迷った。自分がいなくなったらこの国はどうなってしまうのだろう。他にも終末の書(ラグナロク)を歌える機械人形は存在するのだろうか。


 目の前の少年が心の底から自分を必要としている、というのは確かな気がする。だからといって役目を放り出すわけにもいかない。


 少年の頼みを引き受けることも突っぱねることもできずにいた少女は、おずおずと尋ねた。


「どうして空の世界(フル・フィアラル)に行きたいの?」


 こんなに必死になって少女を連れて行こうとする理由は何なのだろう。


「僕には、どうしても叶えたい願いがあるんだ。そのために空の世界にある神曲聖歌アステルト・ノートを見つけないといけない」


 空の大陸を創造するために神が創ったとされる神曲聖歌は七つあって、それらすべてを集めて一つの曲にすると願いが叶う、という伝承がある。それはあくまでおとぎ話で、九百年の歳月の経過で帝国以外の神曲聖歌は失われてしまったと本で読んだことがあった。


神曲聖歌アステルト・ノートは、ただの伝説だわ」


 少年はかぶりを振った。


「帝国には残ってるんだ。他の国にだって存在してるはず。幻なんかじゃないよ」

「そうかもしれないけど……ううん、やっぱりだめよ。一緒には行けないわ」


 少女もまた、首を横に振る。少年の叶えたい願いがどのようなものなのかは知らないけれど、そんなあやふやなことのためにこの国を出ることはできない。


 申し訳なさからついうつむいてしまった少女の視界に、ぱたり、と。毛足の長いよもぎ色の絨毯に染みができるのが映った。顔を上げて、息を呑む。


 目の前に立つ少年が、泣いていたからだ。


 自分はそんなにひどいことを言ってしまったのだろうか。予想外のことにオロオロしていると、伝い落ちた涙に少年もまた、驚いた顔になる。そろそろと自身の目元に手を伸ばし、


「う、わ……。ごめん、びっくりしたよね」


 こぼれ落ちた涙に少年の方がびっくりしているみたいだった。彼は手の甲でぐい、と涙の雫を拭う。


「どうして泣くの……? わたしが、あなたの頼みを断ったりしたから?」

「これは、その、違うんだ。そうじゃなくて……」


 少年自身もよくわかっていない様子。すでに涙は引っ込んでいて、擦った頰がわずかに赤くなっているのみ。しばらく悩むような間を置いてから、少年はぽつりとこぼした。


「僕は……不安なんだ、すごく。これからやらないといけないことを考えると……怖くてどうすればいいのかわからなくなる。いっそ全部投げ出してしまえたらいいのに、って思うくらい……そんなの、許されるはずないのに」


 囁くように吐き出された言葉はひどく苦しげだった。少年の事情がよくわからないので、少女は素直に尋ねてみる。


「そうまでして叶えたいお願いって、なあに?」

「……どうしても、取り戻したいものがあるんだ」


 まっすぐに見下ろしてくる翡翠色の瞳はどこまでも真摯なもの。


「どうしてわたしを誘うの?」

「……君が隣にいてくれたら、最後まで投げ出さずにいられるって、思うから」

「わたしが? どうして? わたしのことをどうして知っていたの?」

「……君のことは、最初から知ってるよ」


 答えになっているようで、まったくなっていない。少女が困惑から眉をひそめてしまうと、少年は微かに表情を和らげて言う。


「君が歌おうとしている終末の書(ラグナロク)は、僕が作った聖歌なんだ」


 びっくりしすぎて、深く考えないままに尋ねてしまう。


「あなたは、神さまなの?」


 目を丸くした少年は、途端に声を上げて笑い出す。無邪気で、年相応な笑みだった。


「違うよ。僕は他の人よりちょっと聖歌を作るのが得意なだけの、普通の人間。ええと、どう説明すればいいのかな。君の知っている終末の書(ラグナロク)は確かにラグナロクなんだけど、神曲聖歌アステルト・ノート創造の書(ラグナロク)とは違って……つまり、名前が同じなだけで本物の神曲聖歌ではないってこと」


 そうだったのか。何となく納得した少女はすぐに、申し訳なさからしょんぼりと肩を落とした。


「あの、ごめんなさい。わたし、あなたの作った曲をうまく歌えなくて」

「……君が謝ることは何もないよ。陛下や宰相たちはムキになって色々と試しているみたいだけど、あの曲は君が歌うべき聖歌ものじゃないから。何度試したって成功なんてするわけない」


 自嘲気味な、どこか仄暗さを潜めたような囁きは、聞き捨てならないものだった。


「どういう意味?」


 少年はためらうように一度口を噤んだ。それから、意を決したように答えをくれる。


「……僕が創作した終末の書(ラグナロク)は、ある人のために書いたんだ。だからその人じゃないと歌えない。想定している歌い手が違うから、誰が歌っても術式が成立しないんだよ」


 どうして最初にそれを言ってくれないのかと思ったけれど、感じたのは腹立たしさよりも強い落胆の気持ちだった。


「それじゃあ、わたしはこの先もずっと終末の書を成功させることはできないのね」


 それはつまり、少女の存在には何の意味もない、ということだ。衝撃で言葉を失う少女をじっと見つめていた少年は、


「……僕と、取引する?」


 硬い面持ちでそう告げた。


「君が一緒に来てくれるのなら、僕が終末の書(ラグナロク)楽譜コードを書き直すよ。時間はかかると思うけど、必ず君が歌えるようにする。僕との旅が終わったら、帝国ここに帰ってきて新しい聖歌を歌えばいい」


 一息にそう言った後、少年は申し訳なさそうに続けた。

 

「ごめんね。凄く狡いことを言ってるのはわかってる。でも、今の僕にはこれが精一杯なんだ。どうする? ルクレティア」

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