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奏界のエデン  作者: 雪菜
第一章

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第34話 満月の下で決着をⅠ

「シオン、シオンっ」


 歌い終えたルクレティアは歌の余韻も何のその。弾かれたように、ずっと手を握って見守ってくれていたシオンの瞳を振り仰いだ。


「歌の最後にわたしの名前が出てきたわ!」


 どうして楽譜コードを見たときに気づかなかったのか。たぶん、シオンに聖歌を作ってもらえたことの嬉しさに舞い上がってしまっていたのと、旋律メロディにばかり気を取られていたせいだ。


 興奮から詰め寄るルクレティアの熱に押されたようにちょっと引いたシオンが、おずおずと頷く。


「……そうだね。出てきたね」

「わたしの名前はアステルト語だったのね! わたしの名前には、どんな意味があるのっ?」


 目を覚ましたときにルクレティアがたった一つ記憶していたこと。それが自らの名前。聖歌を奏でるために創られた機械人形ドールだから、アステルト語に因んだ名前だけは記憶を削除されても残っていたのかもしれない。


「んー」


 ルクレティアがワクワクしながら返事を待つと、シオンは苦笑した。


「これに関してはティアが自分で調べたほうがいいと思うよ。それに――」


 困ったような口調は途端に真剣なものへと切り替わった。周囲を見渡したシオンが眉をひそめる仕草に、ルクレティアもようやく気づいた。


「どうなっているの……?」


 静まり返った洞窟内からは赤い光が失われ、まるで周囲のエーテルが枯渇してしまったかのように光の粒が消え去っていた。赤く輝いていた月は黄金色に戻り、自ら燐光を放っていた青色の水晶もただの石になったかのように輝きを失っている。


 夜空に瞬く星と満月に照らされた洞窟内はすっかり様相が変わってしまっていた。


「ティアっ!」


 突然呼ばれて何事かと振り返ると、シオンに抱え込まれ、強引に地面に引き倒された。ランタンが割れる音と共に、頭上を勢いよく何かが駆け抜けていく。豪風が全身を叩き、ルクレティアは意識しないままに悲鳴を上げた。


 強風に髪が煽られ、目を瞬かせる。シオンの鋭い視線を辿ると、頭上には月明かりを浴びて空を泳ぐ幻竜の姿があった。ふたりを睥睨へいげいした竜は翼を折りたたみ、二度目の突進を仕掛けてくる。


「く……っ!」


 抜き打ちにシオンが剣を横に薙ぐ。青い刀身が輝き、光の刃が天井付近の岩肌に激突。突き出た水晶が中途から折れて地面に落下し、ガラスの割れるような甲高い音に混じって砂埃が盛大に舞い上がった。


 ぐい、と腕を引かれたルクレティアは、もつれそうになる足を懸命に動かしてシオンに引かれるままに走る。


 視界を奪われ、薄い闇の中で目標を見失っている幻竜から離れた位置の岩陰に押し込まれたとき、ルクレティアはようやく理解が追いついた。シオンは剣の制御が効かなかったわけではなく、視界を奪うためにわざと攻撃を外したのだろう。


 困惑がおさまってやっと状況を整理できるようになると、深刻な問題に気がついた。幻竜がふたりを襲ったということは――。


魂の竜(エインヘリヤル)は、目覚めてはくれなかったの……?」


 幻竜を鎮めると伝えられていた魂の竜の姿はどこにも見当たらなかった。


 ルクレティアの歌声がダメだったのだろうか。瞳を曇らせると、シオンは悩ましげな顔で囁いた。


「……わからない。エーテルの濃度が正常になっているから何かしらの変化は起きたはずなんだけど。もしかすると聖歌が……いや、考えるのは後回しにしよう。まずは、目の前の問題を片付けないと」


 すっかり輝きを失った巨大な水晶の陰から身を乗り出し、シオンは幻竜の様子を窺っている。彼の肩越しにルクレティアもそっと顔を覗かせてみる。


 太く強靭な後ろ脚が地面を捉えて踏み締めると、洞窟が揺れた。地響きのような足音に、背筋が凍るような錯覚を覚える。


 遠くで獲物を求めてさまようルビーをくべたような瞳はギラつき、そこには濃密な殺意が灯っていた。全長はおよそ五メートルほど。尻尾を含めればその倍はあるかもしれない。

 空で対峙した幻竜が他愛なく思えるほどの巨躯から立ち上る殺気は恐ろしくて、ルクレティアは怯んでしまう。無意識のうちに、シオンの肩をぎゅっと掴んでしまった。


 鎧のような鱗に守られた全身。人間のひとりやふたりなら簡単に捻り潰せてしまうであろう、鋭い爪が生えた前脚。針のように細く尖った鱗がびっしりと並んだ長い尻尾。瞼の上からは左右に一本ずつ角が伸びていて、爬虫類めいた顔はどこまでも凶悪だ。


 どこをとっても、到底、人間が敵うような存在には見えなかった。


 ――けれど。


 指先に優しいぬくもりを感じた。肩越しに振り返ったシオンの左手がルクレティアの手を握りしめて、目の前で不敵に笑む。


「大丈夫。今なら聖術が使えるし、前と違って相手は一匹だよ。このあいだの借りを返してやろう?」

「……うんっ」


 怖いけれど、シオンが信じてくれるのなら、ルクレティアは頑張れる。少なくともルクレティアは、彼とはそういう関係でありたいのだ。

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