第12話 シオンの矜持
「嘘だっ? どうしてっ!」
少女が声を上げた。
彼女は機械人形の音程のミスには気づかなかったようで、血色のよかった顔色は一気に蒼白に。
「おいおい、どういうことだ?」
「やっぱり調律が違ってたんじゃねえの?」
「資格を持ってるだなんて言っても、まだ子供ですものね。あり得るわ」
囁きは、すぐにざわめきへ。少女は瞳を大きく見開いたまま、すっかり固まってしまっていた。
機械人形が聖歌を失敗することはありえない。きっと最初から端末にプログラムされていたのだろう。もしかすると、客を見定めて失敗するように操作していたりするのかもしれない。機械いじりに関しては素人のシオンが真実を暴くことは難しい。そもそも、機械人形の仕組みすらまともに知らないのだ。証拠はないし、一瞬の音程のズレに気づいた見物人もいないだろう。
「……っ、どうしてッ! 調律は正しかったはずだっ!」
「って言われてもなあ。石が砕けたってことは、楽譜が間違っていたってことだろうよ」
肩を竦める仕草は、シオンからすればどこまでも白々しい。だが、不正を証明するのは難しく、気づいていてもシオンにはどうすることもできない。
可哀想だとは思うが、世の中というのは悪意が溢れ返っているのだ。今回の件は社会勉強だと思って諦めるしかないだろう。罰金はどうするのかな、とシオンが成り行きを見守っていると。
「だが、そうだな。お前さん、金を持ってるようにも見えねぇし十万は高えよなあ」
呆然と立ち尽くす少女を値踏みするように上から下まで見下ろした男は、名案を思いついたとばかりにその視線をルクレティアへと移した。
「そうだ。坊主を紹介したのは、あんただったな? それなら責任はそっちの嬢ちゃんが取ってくれよ」
そう言って店主が指名したのはルクレティアだった。
「は?」
言いがかりも甚だしくてシオンはいつになく低い声を出してしまったのだけれど、急に矛先を向けられたルクレティアはすっかりうろたえている。
「わ、わたしのせい? え、でも、シオンが楽譜を間違えたりするはずないわ」
「石が砕けちまったのは見ただろ? 楽譜が違ってたから反発した。それ以外に原因があるか? 体つきは貧相だが嬢ちゃんは抜群に顔がいいし、十万くらいなら簡単に稼げる。なんなら、俺が手取り足取り指南してやってもいいぜ?」
はは、と嗤う男の下劣さは、聞くに堪えないもの。
「しなん、って、何を……?」
幸いなことにルクレティアには意味が伝わらなかったようだけれど、それでも何か嫌な雰囲気を感じ取ったようで、その瞳は不安そうに揺れていた。
シオンは拳を握りしめた。これほどまでに腹が立ったのは、いつ以来か。ルクレティアの善意をこんな形で踏みにじられて黙っていられるほど、お人好しのつもりはなかった。
素直に頭を下げようとする彼女を制して、男の前に立つ。
「この店、譜面石の原石は取り扱っていますか?」
「あん? 話を逸らすんじゃねえよ。責任取ってもらえるまで俺は引き下がらねぇぞ」
どこまでも粗野な店主の態度。シオンは懐から金貨の入った革袋を取り出し、台の上に放り投げた。
「お望みどおり、責任なら僕が取りますよ。あるのかないのか、答えてください」
袋の中身を改めた男はあからさまに目を瞠る。十万ゼニーを優に超える大金が入っていたからだ。
驚きからまん丸になった双眸を見下ろして、シオンは淡々と告げる。
「そのお金で譜面石の原石と、それから、紙のもので構いませんから合成の楽譜を貸してもらえますか?」
「なんだよ、さっきの機械人形の楽譜にケチつけようってのか? 俺は機械のことはさっぱりだから、組み込まれた楽譜の確認の仕方なんて知らねえぞ」
「まさか。あなたの機械人形はアテになりませんから、僕の相棒に歌ってもらうのに必要なだけですよ」
店主は疑わしげな眼差しをしていたが、大金の魅力には抗えなかったのだろう。差し出された石と紙束を受け取ったシオンは、記憶にある合成の楽譜に相違ないか確認したあと、ルクレティアへと手渡した。
「どうするの、シオン」
「簡単なことだよ。合成を成功させるんだ」
不敵な笑みを返し、楽譜の書き込まれていない真っ新な譜面石を起動させる。先ほどと同様にエーテルの濃度を頭に入れ、今度は一から楽譜を組み上げていく。
「おまえ……」
迷いなく音符を打ち込んでいくシオンの手腕に驚いたのか、少女が息を呑んだ。先ほどの問答を思い返し、微笑んでみせる。
「僕にも矜持はあるからね」
ルクレティアの善意を無駄にされた挙句にめいっぱいの悪意で返されたのだ。引き下がれるわけなかった。
出力鍵に指を走らせていた時間はどれほどだろう。たぶん、十分はかからなかったと思う。既存の楽譜を調律するのなんて、パズルに近いただの作業だ。
完成した譜面石を銃の隣に置いて、ルクレティアを振り返る。
「ティア、歌って」
促すと、楽譜に視線を落としたルクレティアがすう、と息を吸い込んだ。
【此に捧げるは奇跡の書。名もなき者が創りし調べの唄】
桃色の唇から零れ落ちた歌は一節だけで空気を一変させた。
機械人形が歌うような無機質なものではない。滅多に聞けない生の聖歌。ざわめきが刹那で静まり返る、圧巻とした歌声。
譜面石がどろりと溶け、銃身に吸い込まれていく。うねる青い液体は意志を持つかのように蠢き、這いずり、複雑な紋様を描いていく。
ルクレティアが歌い終わると銃には白く変色した刻印がしっかりと刻み込まれていた。
唖然としている男の前でシオンはその銃を手に取り、銃口を空に向けてエーテルを刻印へと流し込み、引き金を引いた。
打ち出された弾丸が青空で弾け、焔が渦を巻く。間違いなく、焔の書【一の四番】だ。
ルクレティアの歌に聴き入り、放心していた見物人からわっ、と歓声が上がった。
「これで、問題ありませんよね?」
「……あ、ああ……」
銃を返しても店主はぎこちなく頷くのみ。構わず、シオンは畳み掛けた。
「第一階位の譜面石です。相当な価値があると思いますけど、代金はきちんと彼女に支払ってくださいね。そうでないと、あなたの不正に気づいた見物客が悪評を広めてしまいますよ」
それだけ告げて、ルクレティアに視線を向ける。
「行こう、ティア」
「え、でも……シオンのお金が」
「大した金額じゃないからいいよ。行こう」
宿代と小金はトランクケースに分けてあるし、調律師の仕事なんて探せばいくらでも見つかる。手に職を持っているシオンはいざというときに稼ぐ手段に困ったりしないのだ。
「でも……」
これ以上見世物になるのは遠慮したかったので、シオンは迷いを浮かべるルクレティアの手を引き、その場を後にした。




