第11話 嫌な予感
見物人の目がいっせいにシオンを捉える。肌に痛いくらいの視線が突き刺さり、すぐにでもこの場から立ち去りたい気持ちになってしまう。しかし、邪気のない笑みを浮かべて手招きしてくるルクレティアに敵うはずもなく、渋々と前に出る。
値踏みするような店主の眼差し。
「……坊主、資格を持ってるのか?」
「ここにありますよ」
首から下げたネックレスを外して店主へ差し出す。鎖につながった銀のプレートには、竪琴を構えた女性のレリーフが彫られている。教団が資格を与えた調律師の証明だ。これとは別に称号持ちの証である方位磁石も持っているのだけれど、流石に悪目立ちが過ぎるので見せるのはやめておいた。
「ふん、確かに本物だな」
投げ返されたネックレスをシオンが再び首に掛けると、店主は仕方なく、といった具合で頷いた。
「まあ、資格持ちだってんなら買取手数料だけでいいぜ。教団に喧嘩を売るような真似はこっちもごめんだからな」
あっさりと手のひらを返した店主に少女は悔しそう唇を噛む。その心中は推し量れたので、なるべく穏便に済むよう、シオンは柔らかな笑みと共にやんわりと声を掛けた。
「どうしようか? 僕でよければ確認するよ?」
気の強そうなもえぎ色の瞳は悩むように揺らめいていたが、
「……ああ、頼む。だが、買取書の鑑定人は私の名前にしてもらう。いいだろうか?」
正規の店であれば難しい注文だけれど、シオンはただ楽譜が正しいかを判断するだけ。この露店ならばそのくらいの融通は利くだろう。
頷き返すと、譜面石が手渡された。ひんやりとした冷たい石の感触は、馴染んだもの。
印章をかざして楽譜を呼び起こし、エーテル濃度の数値から調整されている音を判断しつつ、記憶している楽譜との整合性を確かめていく。
「焔の書【一の四番】かな……」
すでに発見されている既存の楽譜。一は階位を。四番はマリステラに登録された順番を示している。希少性は低いけれど、階位が高いのでかなりの高値で売れるはずだ。
「これ、君が調律を?」
「もちろんだ。知り合いから譲ってもらった石だが、鑑定も調律も、やったのは私だ」
「へえ、すごいね」
エーテルによって宙に投影された楽譜を垂直にスライドさせて旋律と詩を確認しつつ、感心する。
これだけの腕があるのなら資格も取れそうなものだけれど、マリステラまでの航界には危険が伴う。もしかすると家族が反対していたりするのかもしれない。
確認を終えたシオンは譜面石を少女に返し、店主に頷いてみせる。
「問題ないですよ。間違いなく、第一階位の焔の書です」
「間違いなく、ねぇ」
店主は意味ありげに呟いた後、少女を見やった。
「言っておくが、楽譜に欠陥があったら罰金はきっちり払ってもらうからな」
「いくらだ?」
「十万ゼニーだな」
「なっ、いくらなんでも高すぎる! そんな金額ありえない!」
あまりにも法外な値段に、シオンも目を丸くする。ふた月は生活するのに困らない金額だ。少女が売ろうとしている譜面石の相場の半分ほどの値だろうか。
「偽者を掴まされたら罰金があるのは道理だろうよ。嫌なら他を当たるんだな」
足元を見られている少女は、悔しそうに唇を震わせる。それから、シオンをちらりと見やってきた。その眼差しの鋭さは、睨んできた、が正しい表現になるかもしれない。
「……腕は確かなんだろうな?」
「シオンより腕のいい調律師なんてどこにも居ないわ」
シオンが答える前にルクレティアがきっぱりと言い切れば、少女は胡乱な面持ちになる。
「そんな風に推されると、逆に信憑性が薄れるんだが」
じっとりとした疑わしげな視線に、ルクレティアはちょっと納得いかなそうに眉根を寄せた。しかし、食って掛かるようなことはしなかった。
「大丈夫よね……シオン?」
彼女がシオンの調律の腕を疑うとは思えないので、万が一の何かが起きた場合に少女が困ってしまうのを懸念しているのだろう。
シオンはちらりと店主の様子を窺った。口元にはにやにやとした笑みが浮かび、懊悩する若者をからかって楽しんでいるようにも見えた。
「……ごめん、ちょっといいかな?」
少し考えてからシオンはルクレティアの肩を抱いてその場から離れ、少女にもそう断って、付いて来てくれるように手招きした。
「なんだ?」
「その楽譜の鑑定と調律だけど、僕も君と同じで自信があるよ」
シオンからしてみれば、息を吸うのと同じくらい簡単な作業なのだ。間違えるはずもない。だからといって――。
「でも、譜面石をあの店で売るかどうかは考え直したほうがいいかもしれない」
「は? なぜ? 楽譜に問題はないのだろう?」
「そうだけど、何かおかしい気がするから……」
やけに念を押してくる慎重さに、にやついた笑み。何か、を警戒するべきだと思う。
シオンの忠告に、少女は強く首を振った。
「そんなことを言われたって、資格を持たない私が譜面石を売れるのはこの店だけだ。引き下がるわけにはいかない」
「それなら、シオンに付き添ってもらって、きちんとしたお店で石を売ればいいんじゃないかしら?」
ルクレティアの尤もな意見にも、少女は首を縦に振らない。
「それもダメだ。それじゃあ、意味がないんだ」
シオンとルクレティアは顔を見合わせる。
言葉から推測するに、何か事情があるのかもしれない。どう説得したものかとシオンが考え込むと、少女の鋭い瞳に侮蔑の色が浮かんだ。
「あなたは国家調律師なんだろう? あんな風に腕を疑われても何も感じないのか? 調律師としての矜持は持っていないのか?」
店主が念を押すということは、シオンの腕が信用ならないと言われたようなもの。少女の言いたいことはわからないでもないけれど、問題はそこではないと思うのだ。
根が真っ直ぐな子なのだろう。
他人を疑わないという点ではルクレティアに似ているけれど、シオンを信頼してくれている彼女と違い、この少女は耳を傾けてくれないから困ってしまう。出会ったばかりの他人なのだから仕方がないことではあるのだけれども。
「そういう問題じゃなくて……」
「とにかく、前金の免除に関しては助かった。だが、これは私の問題だ。これ以上は口を挟まないでほしい」
くるりと踵を返した少女は、制止を振り切ってまた店に戻ってしまう。店主に譜面石を差し出すその姿をじっと見つめたまま、ルクレティアがぽつりとこぼした。
「大丈夫かしら……?」
「……どうかな。忠告はしたんだし、あの子の言う通り僕らは部外者だから。後はもう、自己責任としか言えないよ」
二人が見守る先で、作業台の上に譜面石と店のものらしき黒銃が置かれた。店主が立ち上がり、機械人形の背にあるスイッチを弄る。
【此に捧げるは奇跡の書。名もなき者が創りし調べの唄】
感情のこもらない歌声が街の喧騒に染み渡って伸びていく。
譜面石が青い輝きをこぼすさまをじっと眺めていたシオンは、鼓膜を震わせる歌声のそれに、気づいた。
――あ、と思った。
一音だけ、音程が半音ズレたのだ。ただ、それだけ。それだけのことだけれど、些細なズレで術式が成り立たなくなるのが聖歌というもの。
(……そういうことか)
店主の思惑を察したときには、もう手遅れだった。
少女や野次馬が遠巻きに眺める先で、ぱあん、と。甲高い音を響かせて、譜面石が砕け散った。




