翠玉楼探偵事務所の業務日誌──浅見詩乃のケース
『翠玉楼探偵事務所』、とある寂れたビルの一角にある小さなオフィス。夕日の差し込むその部屋で、探偵事務所の所長である翠玉楼 葵は彼女の唯一の助手へと依頼内容を解説していた。
「分類は人探し、対象は浅見 詩乃、17才女子」
翠の髪をした長身の女性、葵。彼女の前でソファに座りお茶を啜っているとても小柄な少女が唯一の助手、黒井 八重。現役の女子高生であり、つまりはただのバイトである。
「身長162cm体重47kg、スリーサイズ……葵さん、これ本当に大丈夫な依頼?」
「話を持ってきたのはお父上だから大丈夫だと思うが?」
「……なーんか引っかかるんだよなあ」
そう呟く彼女の前には、葵が作った依頼票と調査票が置かれている。依頼票の方で八重が違和感を感じるのは1点、依頼人の住所。少し、いやかなり遠方なのだ。あり得ないと言うほどでは無いが、なんで態々ウチに持ってきたのかという疑問を抱くには充分なポイントだ。
ただ八重が気になったのはそちらではなく、寧ろ調査票の浅見詩乃に関する項目だった。依頼人の出してきた情報がどうにも外見的要素に偏っている気がする。外見写真は色々な方向と服装で複数あるし、データとしても身長体重だけではない物が含まれており、人形でも作れそうなぐらいには精緻だった。だと言うのに、内面に関する情報は何だか歯抜け、というか感想ばかりでどうにも八重には浅見詩乃という人物が思い描けない。
それが親の提示する情報だろうか……と八重は思うが、八重には『親』と言うものの事はさっぱり分からない。だからその疑問は脇へと置いた。
「まあ何はともあれ行方不明になってから3ヶ月ってのは心配なので、調べるだけ調べますけども」
「随分渋るな、八重」
「まあ……なんか嫌な感じとしか言えないですけど」
どうにも煮え切らない様子の八重。その様子を見て葵は考える。何が八重のセンサーに引っかかったのか。葵の知る限り、八重の勘は外れたことがない。ある種の未来予知じみた所がある。悪い運命へと繋がる流れをあっさり乗り越えるその姿はある意味予言者よりも予言者らしい。
そんな彼女が何かあると言うのなら、まあ実際何かはあるのであろう。そう葵は考える。その何かが分かれば話は早いのだが。
「分かった。依頼人の方は私が洗っておこう」
「じゃ、詩乃さんを探してみますね」
話がついた所で改めて資料を読み直す八重。あくまでもバイトなので授業を吹っ飛ばすつもりはあんまり無いし、安楽椅子探偵で事が済むならそれに越したことは無いという判断だ。
「出身は東逢来。小中は東逢来で、高校は隣町の逢来と」
地図とネットを見ながら八重は情報を補足していく。東逢来は文字通り逢来の東にある山間の小村。八重が気になって調べてみると、バスは一日に朝晩の二度しか来ない、最寄りの駅まで車で30分と中々の片田舎であった。隣接しているのが割と都会な逢来な事を思えば不思議なぐらいである。
八重の調べる限り、東逢来には小中は一個ずつ、高校は無い。廃校とかではなくシンプルに存在した形跡が無いあたり、東逢来の人口が多かった時期そのものが無さそうに見える。
「行方不明になったのは9月、夏休み明け一発目の登校で駅まで届けたきりで行方知れず」
そして3ヶ月経っての今である。居なくなってから捜索開始まで三ヶ月も経ってしまったとなると常識的にはまず見つけられない。悪意を持っての拉致誘拐パターンだととっくに処分まで終わってるだろうし、迷子の類だったらとっくに野垂れ死んでるだろうという話なのだ。
しかも八重が記録を見る限りだと警察への届け出はしていない。ネットでいくつか見出しにあり得そうなワードをいくつか打って地方新聞のアーカイブを洗ってみるが、女子高生がいなくなった……という様なニュアンスの記事は無い。何だかどんどんきな臭くなってるなあ……と八重は頭を抱えた。
◇
結局のところ、調べ物の基本は知ってる人に聞く、である。人間社会で起こること、大抵のことは誰かが知っているものである。
翌日の昼休み、八重は学校の屋上で有識者に話を聞いていた。
「逢来か……そこウチのシマじゃあないのよな」
「そうなの?」
「というか、どこの組のシマでもねえのよ。諸事情で土着の組がトんだっきり。おかげで道もクソも無い連中が蔓延ってるとは聞いとるの」
そんな逢来裏社会事情を語るのは八重の同級生の少女、御覡姫咲。御覡の家の一人娘にして次期当主である。御覡はその筋でも有名な一大集団である。
「へーえ?」
「余所者が取るのは義が通らんし、義を捨てて取るほどの利はない。消し飛ぶ前に委託の一つもあれば話は別だがそういうわけでもない」
「それでなあなあで放置してるうちに、ヤクザとすら呼ばれないもっとヤバいのが根付きました、と」
「じゃの。そういう訳で儂らの網にはあそこは乗っ取らんよ」
うへえ、という顔をする八重。既にある情報網を使えたらそれほど楽な話は無かったが、そう上手くは行ってくれない。そして同時にそれは極めて厄介な情報も含んでいる。
姫咲の話によれば逢来にヤクザは居ない。だけどそれはやくざ者が居るような隙間が無いからではない。たまたまヤクザが居なくなってただけ。そしてその隙間を埋めるように仁義や義理人情というものを鼻先で笑ってしまうようなよりやくざな者が居着いてしまっている。
八重はそういう手合いの相手は得意ではない。何を考えているかがさっぱり読めないし、価値観的にも相容れないからだ。
「そっか。じゃあ仕方ないから行ってくるか……」
「なんぞまーた危ないことに首突っ込んどるのか」
「今回は違う……と思うよ? 大体それ姫咲が言っても、って話だし」
そうからから笑う八重。ぐうの音も出ない程にド正論だったので姫咲も釣られる様に笑ってしまう。彼女たちの初対面でやったことと言えば殴り合い。そこから今の関係に落ち着くには大分厄介事もあったのである。
そんな話をしながらしみじみとグラウンドを眺める2人の耳に爆発音が入る。出所は2年Z組、姫咲も所属するクラスであり、本質的には隔離クラスである。
「……うん、今日は何があったんだろうね」
「どうせまたばかばかしいことじゃろ」
二人揃って爆発から目を逸らし、空を眺める。冬にしては珍しく、青空高く晴れ渡っていた。
綺麗な風景に現実逃避をしたいがそうはいかない。なにせ悲鳴が響き渡っているのだから。どうして隔離クラスなんて物があるのか、という問いにはそれがほぼ答えである。様々な特異な背景を持つ者たちを一箇所にまとめてしまうことで、それによって巻き起こる事件や事故とその被害もその枠内に抑えてしまおうという思惑によるものだ。
「……問題はもう予鈴間際ということか」
「がんば」
騒ぎが起ころうが授業のスケジュールは変わらない。Z組の学級担任も教科担任もそういう先生しか居ないのだから。諦めた姫咲は、まさに騒ぎの渦中のである己のクラスへと帰った。
「そこで飛び降りるから頭おかしいって言われるんだけどなあ……」
それを見送った八重は呆れた声を漏らす。普段は『なんで自分はこんなマトモなのに……』という顔をしている姫咲でも、一皮剥けばこれである。本校舎の屋上から柵を乗り越え軽くぴょいと跳んでグラウンドに着地する。本校舎は10階建て、階層移動はエレベーターが基本の建物なので、かなりおかしな所業だった。
しかし予鈴目前なのは八重も同じ。いくらネジの外れた行動にドン引いていようが騒ぎが起ころうが全ては対岸の火事な上に日常茶飯事なので態々構っていられるものでもない。
「また?」
「うん、また」
「八重、いっつも忙しくない?」
「晴海……錯覚って言いたいんだけど……」
「月の半分は出てるじゃん」
教室に帰った八重は書類を埋めていた。職場実習の申請書だ。学生たるもの、物事の優先度は学業が最上位である。
しかし、八重たちの通う学園は極めて特殊で現代的なシステムを採用していた。つまるところ極端な能力主義への偏重であり、それが能力を伸ばす行いであるならばかなりの高確率で書類を出すだけで許可が下りるのだ。場合によっては成績への加算も行われる。
もちろん普通はただの私立探偵の事務所で依頼を熟します、だと通る可能性はあんまり高くない。しかし、そこの不思議は翠玉楼葵が所長という一点で突破される。しかるに、八重は書類さえ出せばいつでも何でも出来る不思議な立場となっていた。
翌日、新幹線に揺られること数時間。八重は無事に昼過ぎに逢来に到着した。最初は自転車で来ることを考えていた八重だが、シンプルに遠くてしんどいなと考えて経費で落とす前提の行動を取った。場合によっては東逢来まで足を伸ばすことを考えると、四輪が欲しいところだが八重は生憎未成年。わざわざ法律をぶっちぎるような真似をしてまで急ぐ必要があるとまでは思えなかったのでそれは避けたのだ。
「お姉さんたち、浅見詩乃さんを知らない?」
変装をしながら夕方まで時間を潰していた八重が話しかけたのは、失踪前まで通っていた学校の生徒。親戚のお姉さんに会いに小さな女の子が来たという雰囲気を演出する。八重が150cmすら切っているレベルだからこそ出来る芸当だ。
「詩乃ちゃん?」
「知ってる知ってる、あのね」
あっさり答えを貰えた。あっさり過ぎて拍子抜けをするレベルだった。それで話はついたので、残る悩みどころは東逢来を覗くかだけだった。物事をはっきりさせるには見に行っておいた方が良いのは確かだが……と悩む八重。
それが与し易そうに思えたのか、背後より忍び寄る影が一つ二つ。
「……白昼堂々人さらいとは……」
二人のろくでなしが八重を襲おうとした次の瞬間にはあべこべに二人が打ち倒され、その手に持っていた紐で縛られていた。
そんな馬鹿なという顔をする二人だが、それを言いたいのはむしろ八重だった。確かに人通りの少ない道なのは確かだったが、だからといって黄昏時にすらなってない様な時間にこうも堂々と襲いに来る輩が居るとは流石に思っていなかったのだ。本当に秩序も何も無い裏社会のある街という物を舐めていた気分だった。
「さて、お兄さんたち。怖いヤクザのお兄さんたちに引き渡されるのと、遵法意識のあるお巡りさんに引き渡されるのだとどっちが良い?」
「なんだその選択肢!? ──ぐっ」
「命以外のものは保証できない相手と、五体満足を保証できる相手のどっち引き渡されたいか、って話だよ」
しかし都合は良かった。割と容赦なく尋問を出来る相手が向こうから転がり込んできたのだから。下手な事をすると指を詰めさせられたりするかもね、などという脅迫も織り交ぜながら幾らか情報を引き出す。
「東逢来……? あそこ余所者にやったら厳しいんだ」
「商売なんぞ出来るわけねーだろ。一瞬で全員に知れ渡ってるような場所だぞ」
「なーるほど……ありがとうね」
それでパズルのピースも揃ったので、後は答え合わせをするだけだった。さっくりその二人組を警察に引き渡すと、お土産だけぼちぼち買って帰りの新幹線に乗ったのだった。
◇
翌日、放課後。再び八重は事務所の方に来ていた。諸々の報告のためだ。
「随分早かったな。見つかったのか?」
「ええまあ。というか今朝会ってきました」
『えっ?』という驚いた顔をする葵。流石に急展開にも程があるという話なので、八重に目で続きを促す。
「うちの学園に編入してましたね、夏休み明けから。今回の件は要するに事件じゃなくてただの家出です」
「ほう? の割には引き戻すつもりも無さそうだが」
「そりゃまあ……」
今朝のことを思い返す八重。前日貰った話では、浅見詩乃が八重の通う学校に転校したという話だった。実際確認してみると、生徒名簿の中にちゃーんと浅見詩乃の名前もあったのだった。一学年が万を超えるとは言え、あんまりにもすぐ側過ぎて灯台下暗しという奴だな、なんて思った八重。
とりあえず一旦会って見るかとそのクラスに行くと、至極あっさり見つかった。色々込み入った話にもなるかもな、とは思ってたので先に押さえてあった個室に連れて行く。
「それで何の用でしょうか。えっと……」
「八重だよ、黒井八重。えー、まあ何と言うか。探偵です」
「……なるほど。それで私を探していたと?」
「そ。父親から娘が失踪したんで探してくれと依頼がね」
「そう」
「おわっ」
詩乃の父親で貴方を探していた、というところまで八重が告げると、相槌を打つようにどこからか取り出した日本刀で斬り掛かる詩乃。あまりにも予備動作の無い動きによる斬撃立ったが、八重はあっさりそれを弾いていた。その手には鞘に収められた黒い短剣が握られている。
「タンマ、タンマ。別に言うつもりはないから」
「……何で?」
「逃げたんでしょ? 生きるために逃げた奴を殺すようなこと誰がするか」
「いやそれは嬉しいんだけどそうじゃなくて……何で弾けたの?」
「慣れ。それ瀧禍の方の技法よね? こっちに編入したのってソレ絡みなわけ?」
あまりの想定外に詩乃の動きが止まり、八重のペースに持ち込まれる。八重が詩乃の斬撃を弾いたのは強いて言うなら経験則に基づいた勘。しかしその攻撃の身体の動かし方には見覚えがあったし、自身の在り方の邪魔になる奴を自然体で始末してしまうようなマインドセットを行うグループなんて限られているので、八重は即座に流派を言い当てる。
「……いいえ。私が見込まれたのは物書きの方。こっちの才能は来てから目覚めたの」
「まあ、その辺りは何だって良いのよ。それが何であろうが、その人がそうすると決めたなら口を挟めるものじゃないし。それより私的には答え合わせが欲しいなあって」
即座の迎撃からの技術体系の看破によって完全に空気を持っていかれた詩乃は、八重に促されるままに八重の疑問に答え合わせをする。
「って言っても大したものじゃないけど。言ってしまえば東逢来ってのはクソ田舎な訳。立地がとかじゃなくて、男尊女卑は酷いし。男が生まれたら駄目になるまで甘やかして、女が生まれたら家事と生殖を行う機械に仕立て上げるっていう」
「……あー、だからあんな機械の寸法を入力するかのような調査票が出来るのか」
「?」
「ああこっちの話。探す相手のデータを教えろって言われて人間性が何も分からないものを渡されてビビっただけだから」
「でしょうね。それでその環境が嫌だったから、逢来高校でここへの編入の話が回ってきた時に渡りに船と乗ったわけ」
「あー、うちの学校、才能はあるけど親との折り合いが悪い人を引き取るためのノウハウは色々あるか」
まあそんなところ、と肯定する詩乃。それで話は全部だった。人として生きるために逃げた奴を元の場所に連れ戻すのは、その人物を殺すようなもの。さっぱりやる気は起こらない八重であった。流石に生きる道に、瀧禍みたいな物騒な物を選ぶのは辞めておいたほうがいいとも思ったが。
八重が話し終えると、葵は納得の声を漏らす。そして真相が明らかになってみれば、八重が何故渋っていたのかも明らかだった。真相が闇なら、何も起こらなかったはずなのだから。
「てなわけで」
「分かった。適当に誤魔化してやろう」
「葵さん、お願いします」
「それ聞いてそのまま真相を話せる訳無いの分かった上で言ってるよな、八重」
言いながらも葵は八重の買ってきたお土産のお菓子に手を伸ばす。逢来の名菓というだけあって美味だった。
黒井八重:視点人物。とても暢気に生きている。いつか主人公の長編を書きたい
浅見詩乃:捜索対象。文才を認められて学園に編入されたが、殺し屋稼業の方の才能も見つかってしまった。二足の草鞋を履いているが日々を楽しんでいる
翠玉楼葵:八重のバイト先の所長。なんか色々と有名人で有力者らしい。探偵業は7割趣味。翡翠の魔法使いを名乗る
御覡姫咲:御覡組の一人娘。超能力者。元は色々尖った性格だったが、八重とのガチバトルなどを経て丸くなった。良いヤクザの類
学園:なんか色々すごい学園。若い才能が集まる人材の宝庫。社会的な扱いは最上位の大学にも近い
2年Z組:色々すごい学園の中でもなお超有名な超濃いところ。遠くに見る分にはエンタメ、近寄るのは絶対勘弁扱い
瀧禍:殺しの界隈では極めて有名なとこの一つ。自然体で自然に殺しそのまま流れる様に去る、そういう一派。詩乃は三ヶ月足らずで概ね技法を習得した天才さん。




