愚かな新婚夫の悩み 3
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ハーブティーのお店、それから次に向かった香水店では、クリフ様の初恋の女性に関する情報は得られなかった。
それとなくクリフ様がお店を訪ねたときのことを訊いたのだのだけど、ハーブティーのお店も香水店も、クリフ様はわたし以外の人を伴ってきたことがないらしい。
どちらのお店もクリフ様が教えてくれたお店なので、てっきり彼が昔から通っていたお店だと思っていたのだけど、そう言うわけではないようだ。
「わたし、てっきりクリフ様のお気に入りのお店だと思っていたわ」
アガサとチーズを扱っているカフェに入って、アイスティーとブルーチーズに蜂蜜をかけたものをいただきながらこぼせば、アガサはくすくすと笑った。
「ハーブティーのお店は、あのお店で扱っているハーブティーを奥様にお出しした際に美味しいと喜ばれたからで、香水のお店は、大奥様が贔屓にしているお店ですよ。大奥様が奥様にプレゼントした香水があったでしょう? 奥様がその香りをお気に召したと大奥様から聞いた旦那様が覚えていらっしゃったんだと思いますよ」
「そうだったの?」
「ええ。それまで旦那様はハーブティーなんて飲みませんでしたし、香水にはまったく興味をお持ちでいらっしゃいませんでしたからね」
「そ、そうなんだ……」
……でも、それだとまるで、わたしのためにそのお店に連れて行ってくれていたように聞こえるわ。
そうだとしたら、好きでもない女のためにクリフ様はどうしてそこまでして下さったのだろう。
初恋の女性への想いを胸に秘めたまま、クリフ様はわたしに歩み寄ろうとしていたのだろうか。
そうしてたくさん努力してくださったけれど、どうしても初恋の女性への想いが消えずに、とうとう思いつめて忘却の魔法を……。
……なんてこと!
わたしがクリフ様のお気持ちに気づいていたら、クリフ様は自分の記憶を消し去るような暴挙に出なくてもすんだのに。
貴族の中には、結婚後に昔からの恋人をお妾さんとして屋敷や離れに住まわせる人もいると聞くのに、真面目すぎるクリフ様はご自分の気持ちを封印することを選んだのだ。
……失ったクリフ様の記憶を取り戻す方法はないのかしら。
そうすれば初恋の女性を探すのも容易だろう。
クリフ様の初恋の女性の情報を集めつつ、忘却の魔法で失った記憶を元に戻す方法も探った方がいいかもしれない。そんなものが、あるのかどうかはわからないが。
残念ながらわたしは魔法の才能に恵まれていないので、クリフ様のように魔法は使えない。
だから魔法がなんたるかはよくわかっていないのだ。
この国には魔法省という部署があり、魔法を効率的に使う方法や、魔法を使った便利な道具などを開発している。あとは禁忌とされている魔法を使用した人物の特定と捕縛などだ。
……そういえば、忘却の魔法は聞くからに危なそうな魔法だけど、禁忌魔法じゃないのかしら?
ちょっと気になったが、クリフ様が禁忌とされる魔法を使うはずがないので、特に使用が制限されているものではないのかもしれない。
「ん。このブルーチーズは美味しいわね。クリフ様がお好きそうなお味だわ。お土産に買って帰りましょ」
「奥様、ハーブティーも香水店で購入したルームフレグランスも、全部旦那様のお土産しか買っていませんよ」
「あら本当だわ。使用人のみんなのものも買わないと」
「そうじゃありません奥様。奥様のものを買いませんと。これでは旦那様のお使いです!」
「お使いってわけじゃないけど……」
とくにこれと言ってほしいものは思いつかない。
わたしはもともと物欲があまりない方だし、ラザフォード公爵家は嫁いでくるわたしのためにたくさんのものを取り揃えてくれている。追加で買う必要のあるものは何もないのだ。
「うーん、ハーブティーはわたしも一緒に飲むし、チーズだってわたしも一緒に食べるから、わたしのものを買ったようなものよ」
「奥様は本当に、昔から旦那様中心で考えるんですから」
「あら、そうかしら?」
「そうですよ! 結婚前から大奥様に旦那様が何が好きかとか、子供の頃はどんな子供だったのかとか、そんなことばかり質問されていたじゃないですか。大奥様は、息子のことが大好きな嫁が来ると言ってお喜びでしたけど、もっとご自分のことを考えてもいいと思います」
そう言われたら、お義母様にはクリフ様のことばかり質問していた気がするわね。
でもあれは、わたしが知りたかったから質問したのだ。好きな人のことを少しでも多く知りたいと思うのは、わたしだけではないはず。世の中の女性は誰だって、好きな男性の情報を欲しているはずなのだ。
……だから結局のところはわたしは自分のためにクリフ様の情報を集めたってことよ。
「アガサだって好きな人のことは知りたいでしょ?」
「奥様は本当に健気です……」
微妙に会話がかみ合っていない気がする。
どうやら昨晩のことでアガサは相当わたしを不憫に思っているのだろう。
わたしは肩をすくめて、アガサにブルーチーズを進めて見た。
「アガサも食べてみて。このブルーチーズ、あんまり癖が強くなくて食べやすいわ。蜂蜜もよく合うの。アガサがよければほかにもいろいろ食べてみて、美味しかったチーズをいくつか買って帰りましょ。そしてみんなで食べるのよ。ほら、ラザフォード公爵領は酪農が盛んでしょ? 前々からわたしのお父様とお義父様の間で、チーズ工場を作って国外に輸出したらどうかって話が出ているのよ。そのためにどんなチーズが美味しいか研究するのも公爵夫人の務めだと思うの」
よし、これならクリフ様のためじゃなくて公爵家のためだから、アガサも「旦那様のことばかり」なんて言わないわよね。
実際、チーズ工場の話はわたしがクリフ様と結婚する前からお父様とお義父様の間で計画が進められているのだ。
バレル王国では、チーズは各家で作ったり、あとは地元で消費される分くらいしか製造されていなかった。
国内消費だけで考えると、大量に作ったところで余るからね。
でもお父様が、バレル王国はほかの大国と比べて物価が安いから、チーズを作って輸出すれば需要はかなり出るだろうって言ったの。
試しにラザフォード公爵領で作られいたチーズをいくつかカンニガム大国にいる親戚に販売させてみたところ、バレル王国で売るより値段を釣り上げたのにあっという間に売れたらしいのよ。
フレッシュチーズは日持ちしないけど、白カビや青カビタイプ、ハードタイプなど、加工に時間はかかるけど日持ちする種類のチーズはたくさんある。
それらを製造して輸出すれば、かなりの儲けが出るはずだとお父様は睨んでいるの。
……お父様は、この手の勘は外さない人だから間違いないと思うわ。
産業革命に乗り遅れたバレル王国が他国の真似っ子をはじめただけでは、経済が大きく発展することはないとお父様は睨んでいる。
だからこそ、バレル王国の良さを生かしつつ他国に輸出できるものを増やすべきなんですって。
そうすれば自領も潤うし、国に納める税の金額も上がるから、国も潤う。
前王陛下の新興貴族制度で危機的状況は脱したけれど、まだ経済的に苦しいバレル王国は、早く各地からの税収をあげないといけないのよ。
経済を回すには、人々が潤わなくてはならないとお父様は口癖のように言っているの。
公爵領に大きな産業を作ることは、その地に生きる人の懐を温かくすること。収入が増えれば人はお金を使うから、それによって回収される税金はまた増えるの。
わたしは嫁ぐ身だから、弟のように商売のことはそれほど学ばされなかったけれど、家が商家だから多少は知っている。
そして貴族相手に長らく商売してきたおじい様の背中を見て育ったお父様は、貴族を動かすには上から落とし込むのがいいとよく理解していた。
わたしが公爵家と縁を結べたおかげで、王族でもある公爵領から改革が勧められるとお父様は喜んでいたわ。ちなみにお義父様も前王陛下もお喜びだったわね。それこそ、前王陛下が望み、お義父様が同調した新興貴族制度の目指すところだったから。
……うんうん。期間限定とはいえ、国のために結ばれた縁だもの。わたしだって公爵夫人らしいことをしないとね。
わたしにできることは少ないけれど、美味しいチーズの情報くらいは提供できるからね!
アガサはわたしが勧めたブルーチーズを一口食べて、むぅっと口をへの字に曲げた。
「美味しくなかった?」
「美味しいですよ。美味しいですけど、そうじゃないんです。わたしは奥様に、奥様のことを考えてほしいですよ。わたしはそれほど奥様を知っているわけではありませんけど、昔から人のことばかりでご自分のことを後回しにする方だというのはなんとなくわかっています」
「そんなことはないわよ」
「あるんです! いいですか奥様! 奥様には幸せになる権利がございます。奥様は国のために旦那様に嫁ぎました。すでのその時点で国のための犠牲になっているんです。だから奥様はほかの方よりもずっと幸せにならないといけません」
……犠牲になったつもりはないけどね。
むしろ、こんなに素敵な人と結婚できるのかと舞い上がっていたくらいだ。だから昨日、夫婦になるつもりはないと言われて傷ついたわけだけど。
「アガサもドロシアもほかのみんなもとっても優しいから、わたしは充分幸せよ?」
「もう、どうしたら奥様はもっと欲張りになってくださるんでしょうか」
「充分欲張りだと思うわよ」
だって、クリフ様の初恋の相手を探して離縁すると決めたのに、まだ心の奥底ではクリフ様の愛を求めている自分がいるもの。
わたしを愛してくれないかしらなんて、未練がましく考えてしまう自分がいるのよ。
アガサがぷりぷりと怒りながらブルーチーズを頬張っているので、わたしはほかの種類のチーズも追加しようと店員を呼ぶ。
「カプレーゼと、あと、カマンベールチーズを生ハムで巻いたもの、それからこの三種類のチーズの盛り合わせをお願い」
「奥様、注文はわたしがしますから」
「いいのよ」
公爵夫人になったけれど、実家が新興貴族の伯爵家であるわたしは、何もかもを使用人に任せる生活はしてこなかった。お店で何かを注文するくらい自分でできる。
……このカマンベールは塩味がちょっと強いわね。白ワインによく合いそうだわ。こっちのハードチーズはちょっと固いけどナッツのような香りがするわね。ウイスキーとかブランデーに合いそう。でも、あんまり女性受けはしなさそうだわ。
「そういえば、ラザフォード公爵は昨日が結婚式だったわね」
そんな話声が聞こえてきたのは、わたしが新しく運ばれて来たチーズの味をひとずつ確かめていた時だった。
ハッとして耳をすませつつ周囲を伺えば、店の奥に座っている少女が発したものだとわかる。
少女は同性のお友達と一緒で、服装から貴族令嬢だろうと思われた。ただ、お供を連れていないので高位貴族ではないと思う。
「そうらしいわね。すごく豪華な結婚式だったって聞いたわ」
「ビアトリスがまた荒れそうね」
「そうね。あの子も未練がましいったらないわね」
……ビアトリス?
名前からして女性だろう。「荒れる」ということは、ビアトリスという女性はクリフ様と何か関係がある人なのだろうか。
……その人がクリフ様の初恋の相手なのかしら?
気になったが、二人の少女に突撃するわけにもいかない。
もう少し核心に触れる話をしてくれないかと耳をそばだてるも、二人はそろそろ帰るところだったようで、話ながら席を立つと店の外に出て行ってしまった。
……ビアトリス、ね。クリフ様の初恋相手の候補として調べた方がよさそうね。
チクリと胸が傷んだけれど、気づかないふりをして、わたしはその名を何度も反芻しながらチーズに手を伸ばす。
次に食べたチーズは、何の味もしなかった。
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