気まずい朝と謝罪 3
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ドロシアは、本当にクリフ様の首根っこを掴んでやって来た。
長身のクリフ様がドロシアに後ろの襟のあたりを掴まれて体をかがめて部屋にやって来たのを見た時は、わたしも驚きすぎてぽかんとしたものだ。
「さあ坊ちゃま‼ どういうことか説明していただきますよ‼」
「坊ちゃまはやめてくれ、ドロシア……」
部屋に連れてこられたクリフ様は、腰を当ててお説教モードに入っているドロシアにすっかり弱り顔だ。
クリフ様はわたしを見て「うっ」と言葉を詰まらせると視線を彷徨わせる。
「あー、ドロシア。夫婦の問題だ。少し二人きりに……」
「その前に! 説明を‼」
「いや、だから……」
「坊ちゃまは、結婚式を挙げたばかりで不安でいっぱいの奥様を寝室に一人残して、いったいどこで何をしていらっしゃったんですか⁉ ええ⁉」
「だから坊ちゃんは……」
「新妻を放置するような方は坊ちゃまで充分でございます‼」
クリフ様は両手で顔を覆ってうなだれる。
ドロシアの剣幕に、わたしも口を挟めずに、おろおろとクリフ様を見つめることしかできなかった。
「も、もちろん部屋にいたよ」
「奥様を放置して、自分の部屋で呑気にお過ごしになったのですね⁉」
「そ、その通りだが、その言い方はちょっと……」
「なにか⁉」
「いや、なんでもない……」
どうやら、クリフ様はドロシアに弱いようだ。
クリフ様が生まれた時からドロシアは勤めていたそうなので、第二の母のような存在なのかもしれない。
ドロシアがわたしのために怒ってくれるのはありがたいが、クリフ様をこのままにしておくのも忍びない。
「ドロシア、クリフ様とお話ししたいのだけどいいかしら?」
「奥様がそうおっしゃるのなら……。ではわたくしは一度下がりますね。何かあればお呼びください。ああ、お食事はダイニングになさいますか? それともこちらで?」
「クリフ様、どうなさいますか?」
「こちらに運んでくれ」
ぐったりしたままクリフ様が言う。
ドロシアはクリフ様をじろりと睨んだのち「ではこちらに運びますが、もしまた奥様を泣かしたら坊ちゃまは食事抜きですからね!」と告げて部屋を出て行った。
……ドロシア、強い。
主人であるクリフ様に「食事抜き」なんて言えるメイドはそうそういないだろう。
「ええっと、クリフ様、お座りになりますか?」
「ああ、そうさせて――」
はあ、と息を吐き出して改めてわたしに向き直ったクリフ様が、途中で言いかけてぎょっと目を剥いた。
「アナスタージア! 上に何か羽織ってくれ‼」
ボッと音がしそうなほど勢いよく顔を赤く染めたクリフ様が目の上を手のひらで覆いながら叫ぶ。
わたしはハッとした。
……しまった、ナイトドレスのままだったわ!
クリフ様とわたしはは夫婦なのだ。ナイトドレスを見られたところで問題はない。問題はないが……うん、無理っ!
わたしは恥ずかしくて顔から火が出そうになりながら、慌ててナイトドレスの上にガウンを羽織る。
「も、もういいか?」
「はい、大丈夫です」
律儀にも目の上を手のひらで覆ったままのクリフ様に答えると、彼は恐る恐る手をどけた。
わたしがしっかりガウンを着こんでいるのを見て、ホッと息を吐く。
もうじき夏が来ようという時期だ。ナイトドレスの上にガウンを羽織ると少々暑いが、体の線が浮き出る薄いナイトドレス姿のままクリフ様とお話しする度胸はないので仕方がない。
ソファに移動して、ローテーブルを挟んで向かい合わせに座る。なんとなく、隣じゃない方がいい気がした。
視線が絡む。
なんとなく……気まずい。
一睡もできなかったわたしも大概ひどい顔をしていると思うけど、クリフ様の顔色も悪かった。目の下に隈ができている。彼も眠れなかったのだろうか。
だけど、そんな彼もやっぱり素敵に見えて、わたしは困ってしまった。
クリフ様には初恋の女性がいる。わたしは彼の初恋の女性を見つけて潔く身を引く予定なのに、こんなにクリフ様が好きで大丈夫だろうか。昨日の決意が早くもぐらぐらと揺らぎそうで、わたしは自分の優柔不断さに嫌気がさした。
……クリフ様の幸せのためにちゃんと身を引くって決めたでしょ、わたし!
クリフ様の初恋の相手を探す傍ら、この気持ちも整理しなければならない。そう思うとずーんと胸が重くなったが、それをクリフ様に気取らせないように口元に微笑を作る。
クリフ様が意を決したように口を開いた。
「ア、アナスタージア!」
「は、はい!」
お互い緊張して声が上ずってしまう。
「き、昨日の件だが」
「は、はい! わかっております。わたしはクリフ様のお気持ちは、よくよく、わかっておりますから」
また同じ言葉を言われたら、泣かないでいられる自信がない。
ちゃんとわかっているから、昨日の言葉を繰りかえすのだけはやめてほしい。
だが、クリフ様は戸惑ったように瞳を揺らした。
「お、俺の気持ち? 俺の気持ちをわかっている、のか?」
「もちろんです!」
わたしは大きく頷く。
クリフ様は不思議そうに首を傾げ、「ええっと」と戸惑ったように瞳を揺らした。
「それならじゃあ……ええっとだから、昨日はすまなかった! 結婚したばかりの君に、あんなことを言うなんてどうかしていた。だから、今日はその、これからのことを改めて話し合いたいと思うんだがいいだろうか」
「い、いえ、それは大丈夫です!」
わたしはぶんぶんと首を横に振った。
だって、どうせまた初恋の人がいるから夫婦にはなれないとか、あとはたとえば、実態はないが夫婦のように装うことにしようとか、そう言うようなことを言われるのはわかっているからだ。
分不相応な願いは抱かないから、これ以上心の傷をえぐるのはやめてほしい。
クリフ様の口から、わたしにとっては鋭いナイフも同然の言葉が飛び出す前に、わたしは先手を打つことにした。
「クリフ様のお気持ちはよく理解しました。王命でわたしとの結婚が決まってさぞおつらかったでしょう。だから大丈夫です。安心してください。わたしとの夫婦生活は、仮初で問題ございません! すぐに離縁とはいかないでしょうが、いずれクリフ様を自由にしてさしあげますので、今しばらくお待ちくださいませ!」
「………………え?」
クリフ様が大きく目を見開いた。
「ま、待ってくれアナスタージア。俺は、今後の……」
「はい、ですからこれから仮初夫婦として暮らすんですよね、わかります! 今日中にこの夫婦の寝室から出て行きますので!」
「待って、待ってくれアナスタージア」
「大丈夫ですクリフ様。ええっとええっと、そう! わたしだって、自分を愛してくださらない方と夫婦になるのは嫌ですので問題ありません‼」
クリフ様が気に病まないように無理をしてそう言った瞬間、彼の表情が凍り付いた。
なんか、ショックを受けた顔になっているが、わたしは間違ってしまっただろうか。
……さすがに「夫婦になるのは嫌」は失礼だった? そうよね、新興貴族の伯爵令嬢が偉そうにって思うわよね。どうしよう。
「え、ええっとですねクリフ様。ですから、お互いに気持ちがないと、夫婦生活は苦痛でしかありませんから、表面上だけの夫婦にしましょうと、えーっとぉ……」
だめだ、フォローしようとすればするほど失礼なことを口走る気がする。
わたしが泣きそうになっていると、タイミングのいいことに、ドロシアが朝食を運んで来た。
このまま言い逃げしてしまえと、わたしはクリフ様ににこりと微笑む。
「そういうことですから、これからどうぞよろしくお願いいたしますクリフ様!」
クリフ様は、何もおっしゃらなかった。
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