サトル
『お前の自転車、これ意外と楽しいな、はは』
学生寮に向かいながらカタノに電話をかけた荒木が聞いた第一声がこれである。
荒木は三人分の材料が入ったビニール袋を片手にカタノと電話越しに話す。
「悪いんだけど、後で学生寮の駐輪場に置いておいてくれないか?」
『いいぜ。それよりさっきは何かあったのか?』
「……今は話せない」
『そっか、じゃあしばらく乗せてもらうわ』
荒木はカタノに『見える』体質であることを伝えていない。
荒木とカタノはお互いが抱えている問題に干渉しすぎないようにしている。
それはお互いを巻き込ませないための配慮だった。
昔、ある事件に友達を巻き込んでしまった荒木が決めたことだ。
荒木は軽く別れを言うと電話を切り、先に向かってもらったコトハたちと合流するために走る。
行きで通った橋を渡ってしばらくすると、なぜか前を歩いていたはずの二人が立ち止まっていた。
「やっと追いついた……って、どうした?」
「荒木、あれ」
コトハの視線の先におばあさんと女の子がいた。
どうやらおばあさんがマンションの駐輪場にある自転車を将棋倒ししてしまったところを女の子が手伝っている、といった状況らしい。
「あれがどうしたっていうんだ?」
見るからに人助けだと思うが……。
「ドライな人間の街、東京でもあんなことがあるんだな、と」
コトハが妙に感心を示しながらそんなことを言う。
サトルはそんなコトハを不思議そうに見ていた。
「どんな偏見だよ!! そりゃ他のところより少ないかもしれないけど、別にそんなに珍しいことでもないよ。……あれ?」
コトハとの会話に気を取られてあまり女の子を見ていなかったが、よく見るとその姿に荒木は見覚えがあった。
「しおり先輩!?」
おばさんからのお礼を笑顔で返して、颯爽と立ち去る彼女に荒木は声をかける。
この人に会うとなぜだか声をかけたくなるのだ。
「しおり先輩!」
「その声は……」
彼女は呼ばれたことに気がつき、立ち止まると振り返りながら何かの確信を持っているかのように堂々と言い張った。
「荒木後輩!!」
大げさにも彼女は腕を伸ばし、人差し指を荒木に向けていた。
曇りのない笑顔とセットで。
決めポーズを終えた彼女はその手で自慢の長い黒髪をそっとかき上げた。
白のトップス、黒のパンツというシンプルな服装に羽織った黄色いコートがよく似合っていた。
学校や放課後に会う機会の多いしおりの私服姿は荒木にとって新鮮なものだった。
荒木からしたら学年が一年上のしおりはもはや大人の女性である。
同年代の女子より女性らしい体つき、自信に満ちたその目で見つめられたら一般男子高校生の荒木なんてイチコロである。
それに加えて見慣れない休日の眼鏡姿は年上女性のギャップダブルパンチである。
女性の魅力と強すぎない快活さを持つ彼女は荒木の憧れの人だった。
「恥ずかしいところを見られたな。全くうっかりしていたよ、うっかり八兵衛というやつだ」
と彼女は後半よくわからないことを言った。
「いえ、そんなことないですよ。今日もバイトですか?」
「まあそんな感じだよ」
彼女はこう見えて探偵事務所でアルバイトしている。
実はカタノと一緒に何度かお世話になったことがあったりする。。
「それはそうと荒木後輩はそんなに買い込んで……、さては誰かとご飯かな?」
早々に話を切り替えた彼女は荒木の持っているビニール袋に一瞬視線を向け、ニヤリとしながら荒木を見据える。
「一発で当てないで下さいよ」
「荒木のことは何でもお見通しさ。なんたって荒木は私の弟みたいなものだからな!」
会うたびに弟呼ばわりさわれているので荒木も彼女のことを姉のように慕っていた。
少しがさつなところもチャーミングポイントだと最近になって気づいた。
「その誰かは今近くにいるのか? 姉としては弟の交友関係は知っておきたいから、ぜひ紹介してもらいたいものだな」
しおりは満面の笑みでそんなことを言った。
「しれっと姉弟設定追加しないでください」
前権撤回。やっぱり掴めない人だと思った荒木だった。
「全くいつまで話しているんだか」
ちょうどそのころ荒木達の少し後ろでコトハが呟いた。
「荒木お兄ちゃん遅いね。まあ僕は別にいいんだけどね」
とサトルは子供の腰の高さくらいの花壇に座り、足をバタバタさせながら眠そうにつぶやく。
サトルの目から見てもコトハは少しいらだっているようだった。
暇つぶしついでにサトルは彼女を少し煽ってみる。
「コトハ姉ちゃん、嫉妬?」
「まさか」
そう言うとサトルの横に一緒に座っていた少女は、怪しい笑みを浮かべ、手足を回しながら立ち上がる。
その時サトルは思った。
荒木お兄ちゃん逃げて、と。
「いてっ」
荒木は背中につねられるような痛みを感じた。
「どうした、荒木?」
振り返ってみるとそこにはコトハがしおり先輩をにらめつけながら立っていた。
どうやら本当に背中をつねられているみたいだ。
どうりで痛いわけである。
「先輩、すみません……いてっ、今日はここら辺で……いてっ」
無言のつねりを食らった荒木は早々にしおりに別れを告げる。
「……そうか? それでは失礼するよ」
彼女はそう言うと何か悟ったような顔をして片手で軽い別れの挨拶をした。
そして一言付け加えた。
「それとお友達に、悪かったと言っておいてくれ」
「え……?」
荒木がその意味を問いただす前に彼女は悠然と立ち去った。
しおりが見えなくなったのを見計らってコトハは無言でつねったことを謝った。
その間なぜかサトルは終始ニヤニヤしていた。
「あの人は荒木が『見える』ことを知っているんだよね?」
「そうだよ」
「だったらあの人には気をつけて。多分僕とサトルのことを認識していた」
「そりゃあ、あれだけ盛大にやれば認識とまではいかないにしても、誰かいるくらいわかるんじゃないか?」
「でもそれだと順番がおかしいんだよ。僕が荒木に近づく前に彼女は僕たちを見て確かに笑ったんだ。それなのに荒木に自分が『認識』の力をもっていることを言っていない。彼女にはきっと何かある」
とコトハは真剣な目で荒木に語りかける。
まさか俺を心配してくれてしおり先輩から離れさせようとしていたのか?
「最初から彼女の周りは少し違和感がしたけど、荒木の知り合いっぽいから確信が持てなかったんだ」
それを言い終えると再びコトハは荒木に謝った。
「普通じゃないものはただそこにあるだけで周囲を歪める。僕みたいにね。と言っても僕とは対照的に存在感が強すぎる。彼女の場合はそれが顕著だった」
「そういうものなのか……」
それを聞いたからと言ってしおり先輩との関係を切ろうとは思わなかったが、姉のように慕っていたので少し複雑な気持ちになった。
「あとあんまりデレデレするな……」
ぼそっとコトハが何か言った気がしたが荒木には聞き取れなかった。
マンションから少し離れた神社に荒木達はいた。
神社の脇道を通ると荒木の学生寮に最短で行けると進言したところ、ついでだから寄ってみたいとサトルがぐずった結果がこれである。
荒木は本格的におやつになることを恐れて携帯電話を見る。
時計は午後の二時過ぎを示していた。家について準備をしたら確実におやつ時である。
荒木がそう思っていると、
「そういえば僕のお菓子ってどこ? ごはんの前だけど少しくらいならいいでしょ?」
とサトルが言うので、荒木は吹っ切れた。
荒木は一種の開き直りである。
「よし、食べよう、とっとと食べて鍋にしよう」
スーパーの袋を本殿の脇に置いてからお菓子を探して取り出す。
子供向けの玩具付きのお菓子だったので大した量はなく、昼食に影響はほとんどないと思っ手の妥協である。
それをサトルはおいしそうに食べる。
なんだかんだ言って年相応の男の子なのだ。
「そういえばさっきコトハお姉ちゃんがあの女の人に嫉妬してたよ」
「……へ?」
荒木は昼食の鍋の段取りを考えていたので急にそんなことを言われて変な声が出た。
サトルの言葉にもっとも反応したコトハは頬を少しだけ赤くした。
「……こいつ、」
コトハが怒りをあらわにし、追いかけようとした時にはサトルはもう走っていた。
後ろにいる荒木達に笑いかけながら、本当に楽しそうに。
それを理解しているのだろう、コトハも口元が少し緩んでいた。
しかし。
「危ないから前見て――」
荒木がそう言おうとした時には遅かった。
そう、気がついたときには致命的に遅かったのだ。
何もかも。
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