コトハの秘密
公園を出た荒木御一行は、食糧調達のためスーパーに向かった。
当然、コトハに「のんきにごはんなんて食べている時間なんてないよ?」と反対されたが、荒木は聞く耳を持たなかった。
荒木が話を聞かなかったのでコトハはそっぽを向いている。
しばらくは閑静な住宅街なので二人でこの空気は気まずい。
そんな二人とは対照的にサトルの足取りは軽く、クロスバイクを押しながらコトハと並んで歩く荒木よりも先に進んでいた。
お昼時も過ぎ、このままいくとおやつになりかねないと思い、早歩きを始めた荒木は、その道すがら見覚えのある一人の青年に偶然出会った。
「よ、荒木」
荒木とコトハはその声に立ち止まる。
話しかけてきたのはカタノと呼ばれる荒木の悪友であった。
高校で知り合ってたった一か月だが割と学校帰りや休日に遊ぶくらいに仲が良い。
荒木の高校は一応制服があるのだが、私服登校が認められており、また校則といったものに細かい制限はない。
そのためカタノは入学以来、金髪にピアスで私服といった風貌をしていたりする。
中身は意外とまじめで常にいいお金の使い道を模索している。
しかし、そのお金の大半は金持ちから巻き上げたものであるから驚きである。
彼自身、金持ちをよく思っていないらしく、そう言った理由で金を回収することに心地よさを感じているのだとか。
当の本人は不正を働いた人からしかお金を取っていないので何も問題はない、と言い訳をしている。
そして、金を使わないとカタノ自身が金持ちになりかねない、と荒木が指摘したのをきっかけによくつるむようになった。
日夜、荒木といいお金の使い方を研究しているのだ。
というのは建前で、二人ともアホなことばっかりにお金を使っている。
そして最後には経験をお金で買ったとかいう身もふたもない理由をつけて二人して笑うのである。
それを思い出しながら荒木は適当に返事をすると、
「こんな中途半端な時間に何しているんだ? せっかくのゴールデンウィークだっていうのに」
カタノはそのまま自分自身にも当てはまる質問をしてきた。
「荒木さんは昼ごはんの材料を買いにスーパーへ、ってところだ。ゴールデンウィークだからって贅沢はしていられないんだよ。お前こそどうしたんだ」
荒木はテンプレートな質問をしてみたが、答えは大体わかっていた。
「ああ、いつも通り、小遣い稼ぎだよ」
カタノが言う小遣い稼ぎとはバイトとかではもちろんなく、危ない橋を渡ってそれ相応の見返りを得られる行為のことである。
休日に荒木がクロスバイクで東京巡りをしているように、カタノにもやることがあるのだ。
それが偶然お互いに被ると一緒に行動したりするが、基本的にはお互いの領分には立ち入らないことにしている。
ここでそんな当たり障りのない近況報告に飽きたのか、
「ところで荒木、彼女の一人でもできたか? ええ?」
カタノは久しぶりに会った息子に父親が投げかけるような質問をしてきた。
ニヤニヤしながら聞いているところを見ると、冷やかし半分なのだろう。
「うるせぇな、いいだろそんなこと」
荒木はコトハを横目で見つつ、複雑な気持ちになる。
これからスーパーに行って荒木の家で一緒に食事をとって、それから同じ目的地まで向かう。
それはデートとは言わないだろうか。
コトハは相変わらず帽子を深くかぶって俯いているので表情は読み取れない。
しかし、よく見るとほんの少し、肩が震えていた気がした。
もしかしてさっきからコトハを放置していることに怒っているのだろうか。
「先に行ってる」
そういうとコトハはカタノの横を通り過ぎていった。
「ちょっ……、」
いったいどうしたっていうんだ。
「どうしたんだ、荒木?」
「悪い、カタノ。俺はさっきの女の子を追いかけなきゃだからここら辺で」
「女の子?」
カタノは不思議そうに聞き返してきた。
荒木は自分やサトルと同じカタノの反応に正直笑ってしまった。
ここにコトハがいたらカタノもサトルみたいにやられていたのかなと思った荒木は、悪友に一応忠告しておく。
「あの子の前でその話は厳禁な。怪我するぜ」
「……、」
そこでカタノの雰囲気ががらりと変わった。
何かを考えているのか急に口を閉じ、カタノが難しそうな顔でこちらを見ている。
荒木はその表情に見覚えがあった。
不正を行っている金持ちかどうかを見極めるときにカタノがよくする、何かを推し量っている目だ。
「荒木、さっきから何を言っているんだ? 話が全然かみ合ってない」
カタノにこの視線を送られると荒木は少しだけ不安になる。
そこには決定的な間違いをしているのではないかと思わせる力があるからだ。
「何って……、お前も見ただろ? さっきまでここにいた女の子を」
荒木は何か根本的にお互いの認識に齟齬があるような気がした。
まるで自分に言訳をしているみたいに。
そんな荒木にカタノの次の言葉が強く胸に突き刺さる。
「俺にはお前ひとりしか見えなかったけど?」
空気が、息が、凍った。
見えない?
コトハが?
どういうことだ?
カタノは冗談を言っているようには見えない。
そうなるとおかしいのは荒木かコトハということになる。
否定したくなるようなことを思わず考えてしまう。
そんな、そんなことってあるのか?
呼吸は焦りと共に早くなるが、頭はそれに追いつけない。
荒木の全身から力が抜ける。
緩んだ両手からはクロスバイクが離れ、倒れた。
それにつられて荒木自身もその場に倒れそうになる。
しかし、踏みとどまる。
あるがままの現実を認識し、向き合う。
荒木は良くも悪くも切り替えが早い。
「くそっ!!」
確信のない思考を遮るように荒木は顔をしかめながら叫ぶ。
荒木は気がつくと一歩、また一歩と足を前に運んでいた。
次第にその間隔は短くなり、力強くなり、全力で走っていた。
息を整える前に走ったからか、すごく息苦しい。
「おい、荒木!!」
後ろからカタノが何かを言っていたが、荒木には聞こえなかった。
コトハのことで頭がいっぱいになる。荒木はなんだかこのままコトハに会えなくなるような、そんな根拠のない不安が胸をよぎった。
それを断ち切るように、断ち切るために、荒木は走り続けた。
住宅地を西に抜けると川にぶつかり、そこの橋を渡り、また少し行くとスーパーがある。
荒木は息を切らしながら、橋の前で立ち止まった。
荒木の視線の先に、橋の上を歩くコトハの姿があった。
人と人とがやっとすれ違えるほどの幅しかない橋。
そこにいるはずの少女の後ろ姿はとても心もとない。
「コトハ!!」
彼女はその声に立ち止まるが、振り向かない。
近くまで駆け寄った荒木は手を伸ばすが、コトハに届く前に止める。
コトハの背中が、気丈にふるまういつもとは違い、どこか儚げで、触れたら壊れてしまいそうなほど繊細に思えたからだ。
少しの沈黙の後、コトハは静かに荒木に問いかけた。
「……幽霊でもないのに普通の人には見えない。そんなの気味が悪いよね?」
「……、そんなこと……ない」
言葉を詰まらせた荒木を、ふふ、と自嘲気味に笑うコトハはどこか投げやりで危うさがあった。
それと同時に彼女は振り返った。
こんな状況であるにもかかわらず、コトハの顔はごめんね、と荒木を気遣っているようだった。
そして彼女は今まで言えなかったことを荒木に語りだす。
しっかりと荒木の目をとらえながら。
「僕はね、予言の力を手に入れてからすぐに人に認識されなくなった。僕のことを気づけるのは『認識』の力を持つ人だけ。組織いわく、正確には僕に関することは普通の人の記憶に残らなくなったらしい。予言の力を持つ存在を普通の人が認識することはそれだけで、間接的にも未来を知ることになりかねないから。『知識』にたどり着いた人は何人もいるけどこんな事例は初めてだって」
そんなことってないよね、と彼女は小さな声で続けた。
今までに例がないということは現状有効とされる方法がないということに等しい。
それはコトハにとってどれだけつらいことであったのだろう。
そのつらさを誰かと分かち合うことはできたのだろうか。
一人で抱えるにはあまりにも重すぎる孤独。
荒木は自分の状況を淡々と説明するコトハがどうにも見ていられなかった。
「僕は……、確かにここにいるのに……どうして、どうして……」
荒木はもういいよ、と彼女の言葉を遮るとコトハを引き寄せて、そっと抱きしめた。
その今にも消えそうな、薄く曖昧な存在を壊さないように。
その存在が確かにここにあるんだと自分に実感させるために。
こんなのはズルいんだろうけどそうせずにはいられなかった。
「……、荒木……、独りは……、痛いよ……」
気がつくと彼女は泣いていた。
今の荒木はその言葉の本当の意味を知ることはできなかった。
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