コトハ
『次のニュースです。近頃東京都で大きな問題となっている、学生の連続失踪事件についてです。警察庁の調べによりますと、地域別での事件発生率を比較した場合、とある地域だけが突出していることが明らかになりました。その地域は――』
テレビのニュースを聞き流しながら荒木は携帯電話をいじっていた。
高校進学を機に上京した荒木にとって休日を朝早くから一緒に遊ぶ友人は五月上旬の現在、一人もいなかった。
ゼロである。
いると言えば一人いるがそいつは悪友なのでノーカウント。
荒木は部活も入っていないので休日はクロスバイクで東京巡りをすると決めていた。
本当は男子高校生としては女の子とデートでもしたいのだが、いかんせん相手がいない。
幼いころからいわゆる『見える』体質の荒木にとって普通の人間ではない存在が身近にいたことにより、誤解や妙な噂が後を絶たず、不幸にも知り合いと呼べる人はほとんどいない。
中学校卒業くらいには気を許せる友達は何人かできたが別々の高校に行ったため、そううまく都合は合わないだろう。
しかし、この前どういうわけかこの『見える』ことに興味を持たれたらしく同じ高校の二年生の女子の先輩と親しくなった。
入学早々連絡先を手に入れられたのがこの体質のおかげだと思うと悪い気はしない。
むしろこんなことは今までにはなかったので連絡先の名前を見る度に少し頬が緩んでしまうのは荒木にとって仕方がないことなのだ。
「はぁ」
荒木はベッドから身を乗り出し、ニヤニヤしながら見ていた携帯電話をそばにあったテーブルに投げるように置く。
学生寮のワンルームに一人暮らしをしている荒木にとって生活費は両親からの仕送りに頼っている面があるため、できるだけ節約して、欲しい漫画の一つや二つ買いたい。
だから休日は朝食兼昼食にして食費を押さえている。
というのは建前で本音は休日の日くらい昼くらいまでゆっくり寝ていたいのだ。
時計を見るとまだ午前十一時。
昨日は昼から変態女の相手をしていたこともあって、今日はなおさらクロスバイクを走らせたい気分だった。
人助けとか言ったらおこがましいし、そもそも人ではない存在なので言葉に語弊があるけれど、実はそういった何かを抱えた存在に協力したいという気持ちもあって休日を利用して東京を巡っていたりするのだ。
荒木は空腹に限界を感じ、そろそろごはんの準備でもするか、と冷蔵庫の中身を確認しつつ、今ある食材でどうやら簡単なチャーハンくらいはできそうだと思った。
しかし、どうせならスープも横にあった方がいい。
近くのスーパーでさくっと買い物をしてくるか。
そんなことを考えていたゴールデンウィーク二日目の昼下がり。
来訪者を告げるインターホンが荒木の部屋に鳴り響いた。
「はーい」
と言いつつも、荒木はネットで何か頼んだ覚えはなく、友人からの連絡も、両親から宅配で何かを送るという連絡も来ていない。
つまり、アポイントなしの突然の訪問者というわけだ。
荒木は宗教か何かの勧誘だったらそれとなく理由をつけて穏便に断ろうとした。
そんなことを考えていたら、一回目のチャイムの直後に、二回目、三回目……と断続的に耳障りな音が荒木の頭の中を埋め尽くした。
「…………、」
一体何回連打すれば気がすむんだよ、と少々あきれ気味になる。
この手のものは無視を決め込めばいいのだが、これから買い物に行くとなるとどうしても玄関を突破しなくてはならない。
その時、この訪問者と鉢合わせはできるだけ避けたいし、訪問者がいつ去るのかという読み合いも面倒くさい。
というわけでドアノブと鍵に手をかけ、両方ともほぼ同時にひねり、ドアを開けた。
すると薄暗い玄関に光が満ちた。
そこにいたのは同い年くらいの少年?だった。
てっきりスーツ姿のサラリーマンとか、聖書片手におとなしめの服装を着た女性とかを予想していたので意外だった。
その子は上着が青いプルオーバーパーカー、下に短パンとスニーカーといった服装をしていた。
パーカーの中に白いワイシャツを着ているのだろうか、首元から少しだけ襟が顔を出していた。
頭にはワークキャップを深くかぶっているため顔がよく見えない。
「…………えっと、誰?」
荒木の当然の質問に少年は淡々と答えた。
「僕はコトハ。荒木、君に危険が迫っている。だから一緒に行こう」
コトハという少年は右手でキャップのつばを持ちながら顔をあげてそういった。
聞き取りやすい澄んだ声だった。
真っ先に悪友による盛大なドッキリが浮かんだが、彼の目は真剣そのものでとても冗談を言っているようには見えなかった。
しかし、内容そのものはとても意味不明で分かったのはコトハという名前だけだった。
「何を言っているのかさっぱりなんだが……」
「とりあえず、ここは危険だ。すぐに離れよう。早速だ、今すぐだ、さあ早く」
これだったらスーツ姿のサラリーマンとか、聖書片手におとなしめの服装を着た女性とかの方がだいぶマシだった気がする……。
詳しい説明もなしにここは危険だから離れろとか、怪しい占い師が高額な魔よけの壺を買わせる手口じゃない?バカでもわかる、こいつは危険だ……。
見知らぬ人にホイホイついていくのも気が引ける。
変なところに連れていかれて変なことをされた挙句、気づいていたら海に沈められていましたなんて嫌すぎる。
「どうした? 行かないのか?」
しかし、何より怖いのが、今コトハがこうして荒木の部屋を特定し、ここにいることだ。
適当にあしらうと、後々厄介になりかねない。
中に入れるのはまずいと思い、荒木は部屋の外に出て、後ろ手でドアを閉める。
「わかったよ。でもとりあえず聞きたいことがあるんだ。コトハだっけ? なんで俺がここに住んでいるってわかったんだ?」
「……詳しいことは後で話すよ。でも荒木がここに住んでいるっていうことはなんとなく知っていた気がする」
「…………、」
全然わからねぇ…………。
普通の人間が、何のヒントもなく、たまたま用がある人の部屋の前まで来られるはずはない。
いやまてよ。もしかしてこの子、妄想癖でもある子?学生寮の入り口にあるポストに苗字くらいは載っているし、部屋番号も書いてある。
「はぁ」
そう考えると少し神経質に警戒していた自分が途端にバカらしくなり、一気に疲れが来た。
この子の妄想に付き合ってさっさと買い物に行こう。
徒労に終わりそうで何よりだ。
気が抜けた途端、この子にいじわるがしたくなった。
「ところでコトハ、ちょっとその帽子見せてー」
そういうと荒木はコトハの帽子のつばを持ちあげた。
「あっ、ちょっと!!」
「借りるよー。へへ」
「返せよ、返せ! 荒木!!」
荒木は目の前で両手を必死に伸ばすコトハのその姿を、帽子を取られないように注意しながら横目で見た。
そこにいたのはショートカットが良く似合う普通の女の子だった。
茶髪で髪の毛の先までつやつやできちんと手入れがしてあるのが遠目でもわかる。
肌は白く年相応以上のハリときめ細やかさがあり、黒い瞳は静かで奥ゆかしいが決してはかなさといったものは感じさせなかった。
荒木はどこかで見たことがあるその瞳から視線を下に移す。
桜色の唇は少し動いており、何か言葉を発しているのだろう。
荒木は彼女を見るのに夢中で何を言っているのか、何をそんなに険しい顔をしているのか、わからなかった。
というか自分が何をしていたのかさえ忘れていた。
荒木が単純にバカだからではなく、そういったこの世の些末なことなどどうでもよくなるそんな容姿だった。
目や鼻そして口と全体的に整った、いわゆる美少女がそこにいた。
思わず帽子を落としてしまい、目を見開いたまま、なぜか少しうれしそうに荒木は大変失礼なことを言ってしまう。
「コトハ……」
「何?」
コトハは帽子を拾い、かぶり直し、なんでそんなに嬉しそうなんだとでも言っているかのような視線を向けている。
「お前、女の子だったのか……」
「……どっからどう見ても女だろうが!!」
「痛ってぇぇ!! むこうずね、むこうずねがぁぁぁあああ!!」
荒木はコトハからの鋭いローキックをむこうずね、通称弁慶の泣き所にもらい、その場で泣
き崩れた。
やっぱり荒木はバカなのである。
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