変態痴女
「痛っ。いや~やられた、今回もやられちまった」
夜の裏路地で一発も殴ることなくケンカに負けた荒木は、仰向けのままどこか楽しげにそうつぶやく。
ケンカになったのはもちろん相手が口より先に手が出るタイプだったことが一番の理由だが、荒木に原因がないわけでもない。
とある事情に気を取られていた荒木が、街中の曲がり角で偶然不良とぶつかり、絡まれたにもかかわらず、逃げるという選択肢をとらなかったからだ。
それに加えて「……さっきまで全裸の少女とかいう正直いろいろアウトな変態痴女を相手にして疲れているから見逃してくれないっすか」と、誰が聞いても嘘だとわかるセリフで逆撫でしたからである。
つまり、荒木は致命的にバカなのである。
昼間に変態痴女、夜は不良。
一日に二人を相手にした倦怠感を振り切るように、無理やり体を起こし、傷だらけの顔を手で押さえ、最悪のゴールデンウィークだな、と笑顔でつぶやく。
五月になったばかりなので肌で感じる風はこんな路地でさえ心地いい。
大してきれいでもない都会の夜空を見上げながら、感慨にふけっていると、
「……えっと、なにカッコつけてるの?」
自己陶酔気味な荒木を聞き覚えのある声がぶち壊した。
声が聞こえた方を振り返ると女の子があきれたような顔を向けて仁王立ちしていた。
「…………どなた?」
「……え? 人違い? いやでも、会話が成り立ってるし……」
と、彼女はさっさと仁王立ちをやめて、きれいな長い黒髪をゆらしながら取り乱した。
それに合わせて赤いリボンのようなチョーカーが彼女の首元で一緒に踊った。
年相応の女の子っぽい服装から判断すると荒木と同世代だろうか。
少女は人差し指をこめかみにあてながら少し悩み、言葉をひねり出す。
「あ、あれよ、あれ! 昼間に会ったじゃない。ちょうどこのあたりの交差点でさ!」
昼間……。交差点……。
「わっ、変態痴女!? なんでここに!」
「ちょ、その名前やめ! 変態でも痴女でもないわ!!」
「全裸じゃなかったからわからなかった、わりぃわりぃ」
「っ!! 確かに、確かに、認めたくはないけど全裸だった……。だけど……!」
「それはもう絶対に隠すべきところまではっきりと……」
荒木が昼間の事を思い出しながら目を閉じると、少女の裸体が浮かんできた。
年はわからないが一般的な女性の体まではもう少しかかりそうなのに、出るところはそれなりに出ていた。
肌は白く、つやと弾力があり、昼間の強い日差しでより輝いて見えた。
しかし、残念なことに彼女のきれいな長髪に隠れ、肝心なところは実は見えてなかったりする。
荒木は少女の裸というものを初めて見たのだが、もう少し心の準備が欲しかったものである。
今日、つまりゴールデンウィーク初日の昼間、荒木は交差点の人ごみの中で全裸の少女、もとい痴女を見かけたわけである。
変質者の被害にあった人の気持ちが初めてわかった気がした荒木だった。
わかりたくはなかったが。
「あー、妄想はそこまでにしてくれませんか、荒木……」
「ウィッス」
目が笑ってない彼女の笑顔に素直に従う荒木であった。
「素直でいいと思います、はい。さっきから気になっていたけど、その傷ってもしかして私のせいだったりする?」
「ん、いや。これはまったくの別件だよ」
「そっか……。でもよかったよ、荒木が殴られてくれて! ふふ」
「……、」
「きっとその人は私の代わりに荒木を殴ってくれたんだね、ふふ」
てっきり傷の心配をしてくれると思ったのだがどうやら違うみたいだ。
「裸見たことまだ気にしてるの?」
「当たり前だよ! そもそも荒木は私の裸を見ただけでしょ? ねぇ、裸を見られた側の気持ち考えたことある? 恥ずかしいのはこっちなのっ!」
と訳の分からない弁明をしてきたので荒木は質問返しを試みる。
「そりゃそうだけどさ…。じゃあ聞くけどお前は裸を見せられた方の気持ち、考えたことあんのかよ?」
「くっ、それはないけど……。きっと気分が高ぶることはあっても、不快に思うことなんてそうそうないと思うよ!」
片腕をビシッとのばし、人差し指を荒木に向けながら言い放つ。
「この女、全裸である自分の価値を知っていての犯行か……。ギルティですこいつ」
「やっぱり荒木は殴られでもしないとなんか悔しいし、荒木が一方的にいい気持ちになるのが許せない!! あーもう!!」
地団太を踏みながら奇声を上げる少女はやっぱりどこか変だった。
できるならここから早く立ち去りたいが、放っても置けないのでもう少し付き合ってみる。
というか彼女からすると不良の行いは善良な行動だったらしい。
それにしてもよくわからないな、この女の子。
「私の裸を見たことが荒木にとってプラス一〇〇万点くらいだとすると不良に殴られたのなんてマイナス3くらいなものだからずっとつけ回して、マイナス一〇〇〇万くらいにしてやるから、覚悟してね」
「大罪だ!! この痴女!!」
「はぁ」
荒木はため息をつくと、立ち上がり、話を切り替える。
「まあ、その、何かあったのか? あの件はひと段落ついて、後で俺が話に行くって方向でまとまったんじゃなかったっけ」
荒木の真剣な目をくみ取ってか、少女は素直に受け答える。
「うん、私自身の問題はそれでどうにかなりそうなんだけど……」
彼女は言いよどむが、核心に迫ろうとする。
「荒木と出会ってからずっと気になってたことがあって、でもあの時はそんなことを聞いていられる状況じゃなかったから……。それを聞きたくて後をつけてたの。途中で見失っちゃったけどね」
そう言い終わると、いきなりしゅんとなってしまった彼女はまるで告白をためらい、もじもじしてしまう、内気な少女にも見えた。
口を少し開けてはまたつぐむ。
しばらくたってから意を決したのか、彼女は言った。
「……今日はありがとね、感謝してる」
昼間に出会い、夕方に別れ、彼女の抱えている問題が一応は解決に向かったことの感謝を告げる彼女は暗闇の中でもはっきりわかるくらい、顔を赤くしていた。
それでも目はしっかりと荒木に向けていた。
彼女は芯が強い、そんなことを思ってしまった荒木は少女の質問に真剣に答えようと目を向け直す。
顔が少し熱く感じるのは気のせいだろう。
ゆっくりと瞬きすると、彼女は言った。
「荒木、私の質問に答えて」
そして神妙な面持ちでこう続けた。
「どうして荒木には私が『見える』の?」
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