07.楽しみというのは人それぞれ
エルメスが食堂に行けば、先に朝食を食べ終えたらしいアフェクシオン侯爵が新聞を片手にお茶を飲んでいた。
「よく眠れましたか」
「えぇ、心地よい目覚めでしたわ。小鳥のさえずりで起きるなんて久しぶりよ。ご飯を食べて後はその手の物が読めれば言うことなしだわ」
アフェクシオン侯爵は、エルメスの言葉に新聞に目を丸くして視線を降ろしてまた見上げた。
「三日前の新聞なのだがそれでも良いのなら喜んで」
「三日前のものなんてとても早いわね。てっきり二週間前だと思っていたわ。もしかして新聞用に鳩を飼っているのかしら」
「はい。ここから帝都は、一週間かかりますが情報は早く知った方がいいですからね。知らないと田舎者だと侮るものも出てくる」
「そうですわね。そういう方に覚えがありますわ。ですが知らないのなら知ればよいことですし、悪しざまにいうのは品格を下げるだけだとわからないのかしら。あら、おいしそう」
エルメスの前に置かれたのは、パンと色々な魚と野菜が煮込まれたスープだった。ゴロゴロとしたスープは、帝都の料理ように繊細だったり複雑なものではない。しかし思わず食べたくなる香りがした。
「ここらへんでよく食べられるスープです。魚の身や骨など色々入っているのでコクがあって美味しいですよ」
「魚のスープ。生臭くなりそうだけど軽く炙っているからかしら」
「炙ったものと臭みけしに生姜を入れておりますよ。野菜もしっかり煮込んでいるのでよい味をだせていると思います。温かいうちにお召し上がりください」
「えぇ、いただくわ」
ボレの言う通りスープを飲めば、魚の風味が口に広がった。野菜の甘みが体に沁みるようで思わずため息が零れる。それと臭み消しに入れた生姜が味を締めているようだ。それにしっかり煮込まれた魚は、口の中でほろほろ崩れる。
「とてもおいしいわ。魚と野菜、それに生姜がどれが欠けてもこの味わいにはならないでしょうね。それに不思議と体がぽかぽかするわ」
「生姜は、土の中で火の気を貯めこむので食べると温かくなると東の国の職人に聞きました」
「東の国でそういうのね」
「生姜って見た目は木の根にしか見えないのにすごいですよね。僕は、これも好きなんですよ。朝食べると不思議と体が軽くて」
「朝に体が軽いというのはいいですわね。今日も屋敷内を探索させてもらおうと思っていましたの」
確定するにはまだ不安だったが、エルメスを大事に思ってくれているという心遣いはとても理解出来る。だからこそ人や領地をもっと知りたいと思っていた。
「ここは広いですからね。危険な場所もあるのでサージュにしっかり聞いてくださいね」
「そうしますわ」
「本当は私が案内したいのですが……。そうだ明日は、休みなので一緒に港に行きませんか」
「私とですか。せっかくの休みなのですからお休みなさればよいのに」
身目が良いほうではないと自覚しているので連れ歩いても楽しくないだろうにと可愛くないことを考えてしまう。エルメスも素直に喜べればいいのはわかっているが、期待して裏切られるくらいなら最初から否定したくなってしまう。
「あなたと出かけられるのがとても楽しみなんです。明日が絶対晴れて欲しいと願うくらいなんです。港は、楽しいですよ。様々な人や物が行きかうのでいつも新鮮な気分になります」
子供のような好奇心溢れる目が眩しく思う。なぜ侯爵という地位にいるのに腐らず曲がらずまっすぐに見て行動出来るのだろうか。
「だから明日は、少し動きやすい恰好をしてもらっていいかな。サージュ」
「エイダー様、そういうことはもっと早く言ってくださいませ。動きやすく可愛らしい恰好にしなければ。でもお美しい恰好の方がいいかしら」
「動きやすい恰好というのは町娘とかそういう目立たない恰好をお願いしたくて」
「奥さまは、目を惹きますし旦那様がバレていないつもりのお忍びはバレていますから目立たない恰好という縛りはいりませんわ」
アフェクシオン侯爵は、反論が思いつかないらしく赤面させたまま口をパクパク開いていた。サージュは、得意げに鼻を鳴らしていたが仕える身がこんなにモノ申すのは珍しい。
「あの私は、伯爵夫人の時に着ていた時のドレスで十分ですわよ」
「それはそれ、これはこれです。部屋で過ごす分にはかまいませんが屋外ではあのドレスは暑いと思いますわ」
「そういえばここはだいぶ南でしたわね」
アフェクシオン侯爵領は、最南端に位置している。雪など降らず、年中温かいのだが夏は、北に住みたいと愚痴が出るほど暑い地域であった。しかしまだ本格的な暑さの時期が到来していないため、屋内では帝都で一般的な服装で問題なかった。
「快適に過ごせて素敵な服装をしていただきたいと思います」
「ならおまかせするわ」
サージュのやる気を見ればエルメスでも着れる秘策があるのだろう。エルメスの胴は、一般的な布の幅を二枚合わせなければ作れないので特注だ。なんどお針子を泣かせたか思い出せないほどである。
「とても楽しみですわ」
「サージュほどほどにね? くれぐれも暴走しないように」
「何を言っておりますの。当たり前ではないですか」
アフェクシオン侯爵の顔がひきつっているのが見えたが、体力と物事を楽しむ能力は高いと思っているのでなんとかなるだろうとエルメスは考えていた。
しかしやる気満々のサージュだけでなく通いのメイドまで仲間に引き入れて試着大会が催されるなど考えもしなかった。