18.呆気ない終わり
ウォルフが帝都からエルメスの離婚裁判結果を携えやってきた。
「ずいぶん大きな猫ですね」
「とても人に慣れているけれど虎の子らしいわ」
「ひっ! 虎!?」
ソファーに座っていたウルフが腰を抜かして床に倒れこんだ。エルメスを守ろうと手を伸ばすが立ち上がれていない。
「ウルフさま、イムカンくんはとても賢くて紳士的なのでご安心ください」
「でも虎ですよ。小生が聞いたもので、商品として運ばれていた虎が逃げ出し人が襲われ討伐したら商品を傷つけたとして損害賠償請求されたという事例があります」
「イムカンは、人を襲いませんよ。僕が保証します」
神獣ワアドの息子なのでそこら辺にいる虎とは異なるのだろう。駄目と教えたことは二度としない。
「イムカンというのですか。慎重そうな侯爵がそういうのなら問題ないのでしょうが」
「そこは高く評価してくれるのですね」
「領地経営や自衛の仕方を見れば何となく。一定間隔で詰所を設置する領地などないでしょう。お金はかかるでしょうがお陰で安全に物を運べ、人が行き来する。そういう所に気がつくのは、慎重さ故でしょう」
アフェクシオン侯爵領では、十年前位から道中休憩出来る宿場の他に中継地点に詰所を設置していた。道中の犯罪率
「まぁ! エイダー、それって私が学園時代に書いていた論文の内容と同じだわ」
「そうですよ。あの論文は、とても画期的でした。海の貿易は、儲けが大きいのですが天候に左右されやすいので国内の交易を強化したいと思っていたんです」
「でも運用が難しいと酷評されたのよ。確かに運営費がかかるけれど長期でみたら十分回収可能だから軌道に乗るまでの資金調達がね」
「それはですね」
エルメスは、こんな風に領地経営の話が出来たことがないのでとても楽しくもっと話したくなった。しかしウルフが大きく咳払いをしたので、裁判の内容を聞くために来てもらったことを思い出した。
「一緒に住んでいる方と仲がよさそうなのはよいですね。それで裁判の結果なのですが、こちらが全面勝利です。妨害や隠ぺい工作もありませんでした」
「なかったですって? なんだかよくわからないのと手を組んだと言っていたじゃない。だから気を付けてはいたのだけれど」
「そのことなんじゃがな。二、三人ほど生け捕りしているぞ。本当は、もう少しいたんじゃが自決しとる。簡単に自決するなど情けない」
それは情けないで、すまされる内容なのだろうかと全員が内心思ったが口にはださなかった。
「侯爵家の尽力があったということがわかりました。まぁ、あちらの請求がエルメス様の使い込み分と浮気と精神的な苦痛に対する慰謝料でしたが証拠不十分で棄却されました」
「その言い方では全ての請求が却下ということかしら。確かに身に覚えがありませんが時間があったのですからいくらでもやりようがあったのではなくて?」
「それについては相手の弁護士の経験不足ですな。伯爵家にいた時に弁護士と契約なさっていましたか」
エルメスはたぶんいたはずだと、思い出そうとした。前伯爵が亡くなった時に手続きをしてくれた弁護士は、これを最後の仕事にして引退すると言っていた。その後後任はいないような気がする。
「いなかったような気がするわ。そうだわ、前の方がお辞めになった後、次の方と契約なさってと言ったら自分が問題を起こすわけがないと契約料をケチってましたわ」
「そこを払わないとは、前伯爵はどういう教育をなさったのか。法律は、自分で学べる内容もありますが専門的な指摘が必要な所もあるでしょうに」
「小生もそう思います。それでついていた弁護士が可哀想なくらい経験の浅い弁護士でした。こちらが異議を出す度に泣きそうでしたな」
ウルフは、その時のことを思い出しているのか眉間に皺を寄せた。
「元々そんな事実がないのですからそうなりますわね」
「はい、こちらの要求である伯爵がエルメス様に行った非道に対しての慰謝料は可決されました。元執事長の言葉がよかったですな」
「その様子なら執事長は、元気なのね。よかったわ」
エルメスは、執事長と一緒にどうやって領地経営をするのか何度も話し合ったものだった。伯爵領に長く住んでおり様々なことを知っていた。牛肉を特産にしようとしたのは、農地に肥料として牛糞を混ぜていると聞いたからだった。
「非常に元気でしたな。エルメス様がどんな様子か前のめりで聞いてきて驚きました」
「元夫に振り回された同士ですからね」
執事長と侍女長以外は、新しい職場についたと姉から連絡があった。執事長と侍女長は、夫婦で王都にいる息子夫婦のところでお世話になっているらしいい。
「慰謝料の支払いは、一括支払いとしましたがよろしかったですか」
「えぇ、あの男が分割で支払い続けるとは思えませんしいいわ。でもよく一括で払えましたわね。お金を貯めたり運用するという考えがない人物だったはずだけど?」
「あぁ、商会長に聞いたのですが家宝を売ったらしいですよ」
「伯爵家の家宝って皇室から賜った短剣だったはずよ。売れるわけないじゃないの」
皇室に忠誠を誓う貴族なら売るなんて真似は出来ないだろう。ましてやジャンは、騎士団長なのだから皇室に叛意があると思われかねない。
「そういうことなら多分皇室御物管理課が買い取ったんでしょう。皇室関連のものが他国に流れないようにするのが仕事ですから」
「騒ぎになっていないところを見るとそうでしょうね。いっそ騒ぎになってくれた方がすっきりしたでしょうに。現役騎士団長、皇室に叛意かと」
「ウルフ、あなた新聞記者でもいけるんじゃないかしら。きっと売れるわよ」
「弁護士は、小生の天職なのでそれはないでしょうな」
ウルフは、笑みを浮かべ書類を差し出した。裁判の同意書と慰謝料を受け取ったというものだ。これにサインすれば書類上の離婚騒ぎはおさまる。
「呆気ないものね」
エルメスがサインしたものをウルフが受け取る。婚約五年、結婚五年の十年がこれで終わったのだった。これからは、少なくとも自分を理解し尊重してくれる相手と結婚したいと思う。




