09.景色より気になるもの
エルメスが馬車から降りてすぐに非常に暑さと明るさに驚いた。思わず目を閉じると横からエイダーの声が聞こえる。
「明るくて驚きましたか」
「えぇ、数日前はそう思わなかったのに」
「今日は、朝少し雨が降ってからよく晴れていたので余計に眩しいのでしょう。ゆっくり目を開けてみてください。先ほどよりましだと思います」
ゆっくりと目を開ければ、温かみを感じる青空と鮮やかな色合いの旗や屋台が見える。何より元気よく働く商人やそれを買う人々の顔が生き生きとしていた。
「良いところね。どんな絵画よりこの景色の方がいいわ」
「それは頑張っているかいがあります。私もこれを見るのが好きだから頑張れるんです」
「エイダーじゃないか! 隣の人は誰だ。嫁か」
「馬鹿かいあんた話かけるのが早すぎて割ってはいれないじゃないかい! エイダーは、あんたと違って繊細なんだよ」
「お二人は、いつも仲が良くていいですね」
エイダーがぽやぽやした笑みを浮かべているが、エルメスは久々に感じた下町の雰囲気に圧倒されていた。夫に蔑ろにされていても帝国法で定められた伯爵夫人を前にして、夫婦喧嘩をするものはいない。
「驚かせちまったかい。あたしゃ、この港町の顔役をしているハニーンってもんさ。こっちの飲んだくれは、船乗りしてる旦那のナズワ」
「女性が顔役をしているのですか」
「ここの男どもは大抵船乗りで日中いないからね。丘のことは、女が仕切った方が早いのさ」
「理にかなってますね。ですが外からの方は、男でなければ納得しない方もいるのではないの?」
姉のシャネルが商会長になった直後は、若い娘ということで舐められた態度や信用出来ないと取引停止を求めた所が多いようだった。一人になって部屋で泣いていた時もあった。目元が赤くなっていたからエルメスも気がついていたが、姉の矜恃なのか泣き言も弱音もエルメスに言ったことがない。
その後、グッチが後見人となり女子爵として名が売れるようになるまで続いていたようだった。
「そういう連中と話してるのは、エイダーだからね。いつも助かっているよ」
「僕の仕事ですから。ハニーんさんは、家のことと顔役をしていてすごいと思っているんです」
「褒めても何も出やしませんよ! 耳よりの情報くらいなら出せるけどね。贈り物をしたいんならこの通りにある青と緑のテントの品揃えは良さそうだよ」
「ありがとうございます」
軽快に笑うハニーンと赤ら顔でへらへら笑うナズワに挨拶をして歩き出した。
「とても気さくな人たちですわね」
「はい。あの二人には、小さいころからお世話になっていましてね。幼いころは、ナズワさんに船に乗せてもらったことがありました」
「侯爵家の継嗣が漁船に乗ったのですか。誰も止めるでしょう」
旅船ならともかく漁船では、エルメスがその場にいたら危ないと止めた。人を安全快適に乗せることに特化させた船ではない。
「昔の僕は、やんちゃ坊主で両親もやりたければやってみなさいという人たちでしたから色々しました。中には後悔するような出来事もありましたが、それでも無駄になったことは一つもなかったと思います」
その顔が泣いているような笑っているような感情の判別がつきにくい顔をしている。
「ハニーンが言った店に着きましたよ」
「あら宝石が小ぶりだけどデザインがいいわ。華やかで可愛らしい」
「確かに目を惹きますね」
露店の一番目立つ場所にあったのは銀の枝を思わせるデザイン、花の花弁に見立てた宝石がところどころついているネックレスであった。まるで妖精が身につけているような可憐で神秘的なところもある。
「いい目だねお客さん。これを作った奴は、元々貴族の鎧や剣に彫金してた職人だからこういうのが得意でね。あとこれ宝石に見えるだろ。細かく砕いて加工したガラスなんだ」
「ガラスに見えないほど美しいわ」
均一でとても美しいカットをしているため宝石で行えばさらに美しいだろう。
「そいつは、支援してくれていた貴族がどっか行っちまったらしくて仕事がないかってここに来たらしいんで」
仕事がないというのならエルメスとしては好都合だ。色々作って欲しいものが思いついた。
「職人の方々にお会いしたいのだけれど会えるかしら」
「今なら昼前だからまだいるはずだから問題ねえけども何か失礼がありやしたか」
「素晴らしい腕だと思うので会ってみたくなったの。エイダー様いいかしら」
「エルメス嬢が楽しそうだからいいですよ。案内していただけますか。案内料としてこれで足りるかな」
「へっへい。うわっ、旦那こんなにいいんですかい」
露店の店主が目を剥いているがいったいいくら渡したのだろうか。後で聞いて同等の品物を渡そうとエルメスは、考えていた。
露店の店主は、領主の顔を知らないらしく鼻歌を歌って案内を始めるのだった。