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無力な男

「今日ね、あの人と別れてきたの」


「え?」


いきなりビックリしてしまった


「もうね。随分前から考えてたのよ。私達、もうダメなんだろうなぁ、って」


「...ううん、もしかしたらやっぱり最初からダメだったのかもしれないのだけど、それでも、私、頑張ってきた」


「あの人に愛されるために、幾つも努力して、頑張って、とにかく良い妻であろうとしてきた」


「近所の人達には、おしどり夫婦みたいに見られるように」


「会社の人達からは、良い奥さんだって言われるように」


「お母様には、非の打ち所のない嫁だと思っていただけるように」


「とにかくずっとずっと、私にできる事を頑張ってきた」


「頑張って頑張って、誰が見ても良い妻であるようにって」


「それで何とか、近所の人達からも会社の人達からも、お母様からだって、良い妻良い嫁だって思われるようになった」


「ほとんどの人達が認めてくれるくらい、私、頑張った」


「大変だったけど、頑張ってこれた」


「だって、私、あの人に愛されたかったから」


「けどね?結婚して5年間、私、あの人に、そんな言葉すら言われた事がない」


「ただの一度も、あの人に愛された事なかったの」


「だけど聞けない。どうして私を愛してくれないの?なんて...どうして私を見てくれないの?なんて聞けない」


「だって、怖いもの...全部お前のせいだろ?って言われるのとっても怖いもの」


「...でも、私理由は分かってる。知ってる。それが私達には子供ができないから、なんだって...」


「あの人、子供が好きだった」


「いつか、子供と野球ならわせたいんだ、とか...女の子なら可愛い子がいいなぁ、なんていつもいつも...」


「でも、私達には全然子供ができなくて」


「いつしかSEXすらなくなって」


「産婦人科の先生からは、私には問題ないって言われた。問題があるとすれば旦那さんかもしれません、って言われた」


「でも、あの人は、そんなの聞かないし、信じない」


「変にプライド高いから、病院に行ってみて、って言っても、あの人まるで行こうとしなかった」


「しかも、私がそう言ったことで、あの人拗ねて、怒って、それで、他の人と...」


「あの人ね?すごく分かりやすいようにしてたのよ?」


「ご丁寧に携帯の画面に別の人の写真貼り付けてるんだもの。私笑っちゃった」


「...耐えられなかった」


「...でも私それ見つけて、救われたの。ホント安心したのよ」


「もちろん許せないけど、それでも私、良かったって思っちゃった...」


「だって、これでもう、私、頑張らなくてもいいんだって、思えたから...」


「もう結果なんて着いてこなくて...もう決して、あの人に愛される事なんてないんだから、もういくら頑張っても無駄なんだからって...」


「それが分かって、自暴自棄になってたのかな?」


「インターネットであなたみたいな人のこと知って、それで電話かけて」


「すごく勇気がいったし、すごく怖かったけど、でも久しぶりに心臓がドキドキしてた」


「それで、随分着てなかった昔の服を着て」


「それが最近の服より派手なことに笑って」


「丁寧に、でも映えるようにお化粧をして」


「ボサボサだった髪を整えて」


「アクセサリーなんて付けてみちゃって」


「それで、全部終わって鏡見たら、自分の姿があんまりに滑稽で、似合ってなくて」


「だけど、昔に戻ったような気がして、教師やってた頃とか、大学生の頃、思い出しちゃって」


「それで、待ち合わせの場所に向かって」


「電車乗ってる間とか、道を歩いてるときとか...恥ずかしかったな」


「人の目が気になりすぎて。私変じゃないのかなって、どこかおかしいところないかなって」


「それに、誰かに見られたらどうしよう。あの人に見つかったらどうしようって」


「でも、それでもいいか、なんて思って」


「それで、待ち合わせの場所で、タバコ吸ってるあなたのこと見つけて」


「高橋君の姿、見つけて」


「少しギョッとして」


「最初は人違いだよねって思って話し掛けたんだけど、話してみたらやっぱりそうで」


「どうしようって思って」


「ホントは、逃げ出しちゃおうかなって思ったんだけど」


「何だか、それ以上に懐かしくなっちゃって...話してると楽しくて」


「でも、私が頑張らせて高校に残らせたキミは、会社辞めてて、それどころか水商売なんてやってて」


「全然大丈夫って風に話してたけど、どこか辛そうに見えて」


「...ごめんね?私、そんなあなた見て、安心してたの」


「あ、高橋君も私と一緒なんだな、って」


「この子にも、大変で辛くて、いくら頑張っても報われないことがあるんだなって」


「私、そんなこと、思ってたの」


「...ごめんなさい...私を軽蔑していいのよ?ううん、殴りつけたって構わないの」


「でもね、そんなこと思いつつも、私同時に、あなたのこと、助けたい...って、思ったの。本気でそう、思ったのよ」


「もしかしたら、何か希望にすがる思いだったのかもしれないけど...そう、思ったの」


「そしたら、あなた優しいんだもの...私を優しく抱いてくれて、話を聞いてくれて、それで強く抱き締めてくれて...」


「助けるつもりが、逆に、頼りたくなっちゃった」


「頼りたくなって、すがりたくなって」


「あなたに抱き締めてもらえるのが、嬉しくなっちゃってた」


「ごめんね?私みたいなオバサンを相手にさせて」


「今日もね?本当は、あの場所に行くつもりなんてなかったの」


「けど、気づけば会いに行ってて、会いたくなってて」


「もしかしたら会えるかな、って」


「私を見つけてくれるかなって?」


「そしたら、ホントに来てくれて」


「本当に私のこと見つけてくれて」


「嬉しくて...」


「私、辛かったの」


「すごく、辛かったのよ」


「今日、あの人に言われて...」


「お前となんて、結婚するんじゃなかった、って、言われ、て」


「子供も作れない、お前となんて、一緒になりたくなかった、なんて、言われて」


「あいつの方がよっぽどいい、なんて比較されて」


「何でもないような風に、でも、すごく蔑まれてる風、に、言われて」


「それで...飛び出してきて」


「もう、耐えられなくて...」


「雨が冷たくて」


「指先が凍えて」


「目からは涙が零れてきて」


「人からの視線が痛くて」


「ネオンがまぶしくて」


「自分がどうしようもなく惨めに思えて」


「もう、辛すぎて」


「でも、そこに、タクトが来てくれた」


「こんな私を、抱き締めてくれた」


「強く、抱き締めてくれた」


「優しく抱き締めてくれた」


「...ごめんね?」


「本当に...ごめんなさい」


「ごめんなさい...タクト...」


そう、言って


サヤカは笑った


泣きそうな顔で笑った


涙を零しながら、笑って


笑いながら、俺に、ごめん、なんて


そう、言って...


辛そうに、そう、言って


なのに


なのに俺は


一つの言葉も


出せずにいた


こんな時、俺は、言葉が出ない


言葉が思いつかない


気の利いた言葉が出せるほどのボキャブラリーがない


彼女に、何も言ってあげられない


本当は、サヤカの話の間にも、何かを言ってあげたかった


彼女に優しい言葉を言ってあげたかった


でも、何も言葉が出てこず、ただ、黙っているだけしかできなくて


何も、言えなくて


何も、癒せなくて


だから


「ぁ...」


だから、抱き締める事しかできなかった


優しく、その華奢な体を抱き締める事しかできなかった


それしかできない自分が嫌だった


そんな無力な自分が、嫌いになった


涙を流してしまう自分が、悔しかった


背中にまわされた彼女の手が、ひんやりとして、痛かった

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