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待つ女

サヤカを抱いて、3ヶ月が過ぎた


季節が秋から冬に変わろうとしていた


その間も、一週間から二週間のうち一度、サヤカを抱いていた


あの晩で終わると思っていた関係は、今も続いている


お互いの呼び方も名前に変わり、サヤカは俺の上客となっていた


それに、最近特に思うのだが、今のサヤカには、どこか色気が漂ってきている


化粧はやや濃いものとなり、服装もそれに合わせている


いや、そんなことよりも立ち振る舞いに自信が表れていて、どこか堂々としていた


もう所帯じみた印象はなく、誰から見ても綺麗だと感じられるようになっていると思う


特に、待ち合わせの場所で、俺を見つけたときの最初の表情が、とても可愛らしく思えた


そんな、昔とは、また違う魅力に溢れていた


これは、嬉しいと思うべきだろうか


正直、今は分からない


ただ、サヤカと会える時は、どうしようもなく心が弾んでいることに気づいていた


サヤカと会う時は、普通に街中をデートすることもあれば、飽きるまで体を求め合う事もある


少ない時間ながら、二人の時を積み重ねていった


けれど、時間のある時は、もはや規定の時間など関係なく、サヤカに会える日は、次の日の朝まで彼女を求め続けていた


あの頃、感じていた憧れがそうさせているのかもしれない


けれど、それ以上の別の想いが生まれてきていることを否定できなかった


抱いてはいけない感情であると分かりつつも、想いが募っていった


これは...不倫になるのだろうか


ただの、金だけの関係なのだろうか








その日は雨だった


冬の、冷たい雨が降っていた


そんな中を...サヤカが一人、歩いていたのを見つけたのだ


彼女は、傘も差さずに、雨に打たれながらトボトボと歩いていた


行き交う人達は、訝しげにその姿を眺めては、でもすぐに、まるで最初から気にとめなかったかのように通り過ぎていく


そこは俺とサヤカが出会った歓楽街


サヤカを見た瞬間、俺は察した


その時、俺は別の客の相手をしていたが、でも、そんなサヤカの姿を見てしまっては、もうどうにもできなかった


俺は、その客に丁寧に詫びをいれて、その場を離れる


恐らく、この客は、もう俺のことを呼ぶ事はないだろう


もしかすると、後で上から何か言われるかもしれない


それでも、俺はサヤカの側に駆け寄りたかった


彼女の側に、いてやりたかった


「サヤカっ!」


雨の中を叫ぶ


でも、雑踏に阻まれて、声は掻き消えてしまう


雨の冷たさが、顔や手を冷やしていく


冷たい


それに、傘なんて意味がないほどに、俺の黒のスーツは濡れていった


「サヤカっ!!」


人ごみが邪魔だった


掻き分けても掻き分けても、別の誰かが邪魔をする


しかも、差していた傘が、誰かにはじかれて落ちてしまう


知るかっ


俺は、彼女の側に行きたいんだ


彼女の側にいたいだけなんだよっ


「サヤカっっ!!!」


そして、ようやく、俺は彼女の側に辿り付いた


「ぁ...タクト...」


俺を見て、呆然とした様子のサヤカ


「はぁ...はぁ...サヤカ...はぁぁ...」


一方の俺は、どうにも息が切れてしまっていた


くそっ運動不足だ


なんて、だらしない


「タクト...」


じわ...


「...ぁ」


俺を見た瞬間、彼女の目に涙が溢れていた


彼女の手に握られた携帯が、力なく地面に落ちて、小さな波紋を作る


「タクト...タクトぉ...」


でも、顔には笑みが漏れており、どこかホッとしたように見えた


それだけで、俺はもう耐えられなくなっていた


気づけば、何も言わず彼女を自分の胸元に引き寄せ


その華奢な体を、強く強く、抱き締めていた


冷たい雨も、人からの視線も気にすることなく、サヤカの体を抱き締め続けていた







「ほら、コーヒー」


マグカップを渡す


その白みがかった茶色の表面が、くるくると円を描きながら回っていた


「ありがとう...」


サヤカは、それを両手で受け取る


その瞬間、彼女の濡れた髪の毛から、一粒の水がはねた


サヤカはそれに気づくことなく、カップにしずしずと口を寄せる


「あちっ...」


コーヒーの熱さに思わず片目を閉じる彼女


そんな姿を見て、つい苦笑してしまう


「やっぱりまだ、猫舌なんだな」


「う゛...そうよ。悪い?」


「いや?別に」


ただ、何となくおかしくて、何となく懐かしい気分になっただけだ


昔、飯を奢ってもらった時の事を思い出しただけだ


あの後、俺はタクシーをつかまえて、サヤカを自分の家に連れ込んだ


家につくと、すぐに彼女にシャワーを浴びさせ、俺は彼女の服を用意する


さすがに、女物の服なんて持ち合わせていないので、結局、ジーンズとシャツとトレーナーを用意した


なんだか、恰好がつかないと思う


いっそ、男物のワイシャツとかの方が色気が出ただろうか、なんてことも思ってしまうが止めておいた


それこそ、歯止めが利かなくなってしまうかもしれない


すでに、サヤカの表情や仕草、何でもないことにすら感情が揺れ動いているのだし


ちなみに、サヤカが着替える時は、部屋の外に出た


彼女は「今更気を遣わなくてもいいのに」と言ったが、なかなかどうしてそういう風に思えない自分がいた


意外とウブらしい自分に笑ってしまった


「でも、ほんのちょっと意外だったかな。タクトがこんなとこに住んでるなんて」


ベッドの上に座りながら、サヤカは辺りを見回してそう言う


「おい、そんなにジロジロ見んなよ。恥ずかしいだろう?」


俺は、少し離れた場所に座り、そんな彼女を制す


つい、自分も見渡してしまうが、別になんてことない部屋だ


3点のユニットバス


カーペット直の7帖の部屋


都心からは場所が離れている分、家賃は安め


特に、目新しいものはなく、ベッドとテレビと衣装ケースだけの部屋


何も特質したものはない


ないのだが、恥ずかしいものは恥ずかしい


「へぇ、こんなことで恥ずかしがるのね。いつものタクトから見ればそれも意外かしらね」


フフッっと微笑むサヤカ


無意識になのだろうが、その口元に寄せた手が微笑ましい


どうやら、気持ちは落ち着いているようだった


タクシーの中じゃ黙りっぱなしだった分、余計に安心してしまう


「...うるせぇよ」


だから、軽口を叩いた


案外、もう大丈夫なのかもしれない


そう思った


でも、それは一瞬のことで


「...今日は、ごめんね」


彼女はすぐに、その表情は暗くなり、その言葉が重くなった


「あ?ああ...気にしないでいいよ」


俺は逆に、その変化に戸惑ってしまう


一瞬、サヤカを分かった気になっていたことが情けなく思えた


「...何が、あったの?」


だから、尋ねた


せめてものと思い、尋ねた


答えてくれないかもしれないことが怖かったけれど、聞きたかったのだ


「聞いて、くれるのかな?」


「...ああ」


迷うことなく答える


それに、彼女が話してくれることが純粋に嬉しかった


だから、どんなことでも受け止めようと思った


「ありがとう」


小さめのお礼の言葉


彼女は一口だけ、コーヒーを飲み


しばらくしてから


そっと...


話し始めた

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