待つ男
今日も、見知らぬ誰かに呼び出された
相手は、30歳くらいの女性
まぁ、比較的若いだろうか
最近は、妙齢を過ぎた人ばかりを相手にしてきた分、少しマシに思える
7つ上なら別段抵抗感もない
むしろ嬉しいぐらいだ
まして、最近は男ばっかりだったので気分も滅入っていたし
それが、こんな若い女を抱けるなんて本当に運がいい
...とか、今更考えるようなことはしない
これは仕事だ
個人の価値観なんて意味はない
まして、こんな外れた仕事では尚更
例え相手が誰だろうと、金さえ受け取れればそれでいい
俺を潤してくれるなら何でもやるさ
俺はコールボーイ
そんなのを生業としてやっているのだから
『 C a l l 』
昔から貧乏だった
物心ついた時には、自分が他の子達よりも、ずっと貧相であることを嫌でも理解した
特に、初めて友達と言える子が出来て、その子の家に遊びに行った時とてもショックだったのを、今でも覚えている
その日は、つい遊ぶのに夢中になってしまい、時間も遅かったので、その子の善意で夕食に呼ばれたのだ
俺は、他人からの優しさがすごく嬉しくて、満面の笑みで「ありがとうございます」とそう言った
でも、すぐに後悔することになる
「こんな有り合わせでごめんなさいね」
その子のお母さんは、どこか恥ずかしそうに言ったのだ
最初、その言葉と、そのやや困ったような顔の意味が理解できなかった
こんなご馳走なのに...と
家では、一年に一回有るか無いかのご馳走なのに、と
一口食べて、それが今まで食べた事のないほど美味しくて
唖然とするくらい美味しくて
でも、その友達は、こんな美味しい料理をいつも食べているみたいで
そこで、俺は激しく理解した
あ、これが普通なんだ...と
その日以降、俺は友達と遊ぶことはなくなり、今まで以上に母さんを手伝う事にした
父親はおらず、母さんだけが俺の家族だった
二人力を合わせて生きていた
母さんは、いつも酷く辛そうに仕事をしていて、毎日毎日、朝から晩まで、日によっては寝ないで仕事をしていた
その顔は痩せこけ、今にも倒れてしまうのではないかと思ってしまうほどだった
それでも、母さんは苦言も漏らさずに、仕事をして、俺にはいつも笑顔を向けてくれていた
俺は、そんな母さんを少しでも助けたくて、母さんの仕事を手伝っていた
でも、報われない
誰も助けてはくれないし、ただの一人も手を差し伸べてくれる事なんて無い
夏は、猛烈に暑く、冬は凍えるほどに寒かった
食べ物も、どこかの店の残飯を漁るような毎日
鏡に映る自分が、どうしようもなく惨めに写る日々
辛くて、悔しくて、情けなくて、嫌で嫌で、生きていることすら止めたくなる
そんなのが、俺の日常だった
待ち合わせの場所に立ち尽くす
壁を背に、上手くもないタバコを吸っていた
立ち上る煙が、眩暈がするくらいの鮮やかな彩の中に消えていく
ここは、多くの人が通り過ぎるネオン街
様々な人の縮図がここにある
これから飲みに行くであろうホワイトカラー達
すでに何件もはしごしているオッサン達
そんなキチンとした白い連中やオッサンを餌とするホスト、ホステス、風俗嬢
あちこちで眠っている酔いどれとホームレス
ヤクザ、暴力団の姿もちらほらとある
見え隠れする弱肉強食の現実
そんな現実を前に思う
俺も、やはり弱者なのだろうか、と
自分を見下ろせば、黒のスーツ
首もとの金色のネックレスと両指のリング
個人的には好きではないが、香水なんかも使っていて
靴は特に意識してブランド品
中途半端に長い髪の毛も、今はもう気にならなくなっていた
...なんて、滑稽な姿なんだろうか
あんなに苦労して高校を卒業したというのに、こんな恰好をして、こんな歓楽街で客を待っているなんて
あまりに情けなくて笑えてしまうほどだ
「...止めよう」
くだらない事だ
今更考えても、俺はただのコールボーイ
金さえ貰えれば、誰にだって、どんな要求だってこなしてみせる
相手が男だろうと、年輩の女だろうと、サディストだろうと、マゾヒストだろうと関係ない
時間一杯キスを迫られても、激しく体を打ちのめされても構わない
俺は、金さえ貰えればそれでいい
「あの...タクトさん...ですか?」
「...ああ、そうだけど」
さぁ、仕事の時間だ
吸っていたタバコを落とし、足で踏みつける
そして、気の抜けた本性の上に、仕事の仮面を貼り付けた
「サヤカさん、だっけ?」
「あ、はい。そうです...」
少しオドオドしたような言葉
その目は、しきりに辺りを気にしている
恰好は、少し大人しめ
でも、やや無理をして派手目の服を選んでいるようではあるか
「...初めて?こういうの」
ぶしつけに尋ねる
「あ、え、その...はい...」
「そう...」
何となく察した
恐らく人妻なのだろう
その態度が、罪悪感に怯えながらも背徳感に震えているように見える
なに、よくあることだ
前にも、何人かそういう客を抱いてきた
旦那に女として見てもらえないとか、毎日に疲れたとか何とか、そんな感じ
贅沢な話だ
日々を生きているだけで、どうして満足できないのだろうか
どうして、何の問題のない生活に苦言を呈するのだろうか
俺には分からない
だが、客は客
それに見た目や立ち振る舞いは、上客と言えそうだ
色気というものが少し薄いが、でも品のある出立ち
自己主張はせず、大人しめの性格
化粧も上手く、自然な感じに仕上がっている
顔も、まぁ美人だ
よく手入れしてあることを感じさせる
恐らく、良いとこに勤めている旦那でもいるのだろう
「じゃあ、まずは食事にでも行こうか」
馴らしを含めて食事に誘うことにする
こういう場合、俺はいつもそうする
「あ、安心していいよ。払いは俺がする」
どっちでもいいことだが、これからのことを考えれば、最初くらい払っておいて損はない
上手くいけば、これからも先の長い客になるかもしれないし
「あ、はい、分かりました...」
特に異論はないようで、大人しくついてくる
こういう初めての客は楽でいい
ある程度、言う事は聞いてくれるし、早々無茶をいうこともないだろう
たまに、余りの無知さから限度を越えた事を言う奴もいるが、この人なら大丈夫そうだ
「...あの」
振り返ると、何となく所在なさ気な様子の客
全身から心細さが溢れているような、そんな感じがした
「おっと、悪い」
そう言って、手を差し出す
つい、楽観視しすぎて手を握る事を忘れていた
「え?えっと?」
でも、差し出された手に戸惑うその人
態度が、どうすればいいの?と俺に問うている
「?...違うのか?」
比較的普通の事だし、てっきり、デート気分でも味わいたいのだろうと思ったのだが
「ごめんなさい...私こういうの分からなくて...」
その態度がさらに、オドオドとしだす
その顔に、やや恐怖が差し込んでいるのが分かる
「そうか...なら」
俺は、彼女の隣に並び、その手をとる
一瞬、その手がビクッとなったが気にもせずに、そのまま俺の腕に絡ませた
「え?あの、え?」
「腕を組んでいこう。それらしいしな」
「え、えっと、その...」
戸惑いはもっともだが、だからこそ最初からやや大胆そうなことをさせといた方がいい
それに、人に触れる、というのは安心感を与えさせる
ここまでビクついているなら、多少なりと効果はあるだろう
「大丈夫。ここには、あなたを知っているような人はいない」
「あ...はい。そうです...よね」
言葉に寂しさが込められていた気がするが、それも気にしない
旦那を見返すとか、近所の人にでも見られたい、実はそんなことも考えていたのかもしれない
なに、それもよくあることだ
でも、大抵その願いは叶わない
そんな偶然なんてそうはない
それに叶っても困る
「あの...訊いてもいい?」
「何?」
腕を組んだまま歩く
こうして、くだらないことを話すのも仕事のうち
あまり話は得意な方ではないが、他愛無いことくらいなら問題はない
「私の気のせいかもしれないんだけど...」
「ん?ああ」
「あなた...私と会ったことがない?」
「...はぁ?」
随分と古めかしい口説き文句TOP3
まさか、こんな言葉を使う人間がいたとは思わなかった
心中で少し笑ってしまう
「ああ、もしかしたらあるのかもな」
でも一応、社交辞令で返す
笑って返してもいいのだが、この手のタイプは結構傷つきやすい傾向がある
「あ、別にその、口説いているとかじゃなくて、本当に...」
思わず、また「は?」と訊き返したくなるが、それを留める
客の気分を害するわけにはいかない
そして、何も答えずに、その顔をよく眺めてみた
次に用意していた言葉はあった
後は、適当にお茶を濁すつもりだったのだが
「...え?」
思わず驚いていた
俺にも、その顔には見覚えがあったからだ
動作や挙動は見ていても、人の顔そのものをちゃんと見ていないもんだから気づかなかったが、よく見れば、その顔を確かに俺の知っているものだった
「...せん、せい?」
さやか先生
高校の時の、俺の担任の...竹ノ内さやか先生