第25話 パイナップル姫と空っぽの愛の話
咲良が自室のベッドに寝転がりながらスマホでアニメを観ていると、玄関ドアが強く叩かれた。
「んんん……今いいところなのに……」
シロクマとネコとウサギの子供たちが、悪の秘密結社に捕らえられた褌一丁のおじさんを助けるため、各々が武器を片手に秘密結社に潜入を試みているシーンだ。
「誰かいらっしゃるー?」再びドアが強く叩かれ、女性の声がした。
「はいはーい」
咲良はアニメを一時停止し、スマホをキュロットのポケットに突っ込むと玄関に向かった。
──くだらない勧誘だったら簀巻にして東京湾に投げ込んでやる! ここ魔界だけど!
「はいいらっしゃいますぇ~」
ドアを開けるとそこには、一五〇センチ前後の褐色肌の少女が一人。ハイビスカス柄の水色のワンピースとサンダル姿で、頭のてっぺんで一つに纏めた緑色の髪が目立つ。
「こんにちは。突然だけど、お宅に匿ってくださらない? 礼金は後日たんまりお支払い致しますので」
「マジ突然~! え、どしたの。何で」
「事情は中で話したいんですけれど、よろしくて?」
「まあ、よろしくてよ~。さ、入って」
「有難う、美しいおねえさん」
「一番高くていい紅茶淹れてあげる!」
「申し遅れましたわ。あたくしは第6地区在住の、パイナップル・カーン・ジューク。人は皆、パイナップル姫と呼びますの」
咲良が淹れた一番高くていい紅茶を一口味わうと、少女はそう言った。
「パイナップル姫。何処かのお姫様なの?」
「いえ、概念と言いますか」
「概念」
「あなたのお名前は?」
「リリーって呼んで」
「リリーさん。お紅茶、破茶滅茶に美味しゅうございますわ」
「滅茶苦茶に有難きお言葉~。で、姫ちゃんはどうして匿ってほしいの?」
「話せば長くなるのですが……実は、愛のない結婚を強制されそうになっておりますの」
「詳しく」咲良はティーカップを脇に除けて身を乗り出した。
パイナップル姫はコホンと咳払いすると、静かに語り出した。
「今朝の事ですの……」
五時間と二四分前。
「ああ、今日もいい天気! 赤い月がギンギラギンに絶好調ですわ!」
パイナップル姫はパジャマ姿のまま自室からバルコニーに出ると、大きく伸びをした。
「おまけに学校は物理的にぶっ潰れやがりましたし……ウフフ、マジで最の高ですわ!」
パイナップル姫が通う私立女子高校は、前日の午前中、突如現れた二体の仔ドラゴンの暴走によってほぼ全壊してしまい、代理の校舎が用意出来るまでの間は臨時休校となった。高校の周囲にドラゴンの生息地はなく、これまで同様の被害を受けた事はないため、何者かが召喚して故意に襲撃させたのではないかという憶測が広まっている。
「コラコラ、喜んでどうするんだい、可愛い娘よ」
パイナップル姫の父親が、右隣のバルコニーから声を掛けてきた。
「あ、父様っ! おはようございます!」
「そうよパイナップル姫。死者が出なかったのは不幸中の幸いなんだから」
パイナップル姫の母親も、左隣のバルコニーに姿を現して言った。
「母様もおはようございます!」
三人でご機嫌な朝食を取った後、自室に戻ったパイナップル姫がテレビでホラー映画を観ていると、部屋のドアがノックされ、爺やに呼ばれた。
「んんん……今いいところなのに……ですわ。爺や、どうしたの?」
「姫様、お客様が二人おいでなすってますぞ」
「だあれ?」
「ニック・ホウダイベッター様とアブラハ・ネール様でございますぞ」
「げえっ!?」
ニック・ホウダイベッターとアブラハ・ネールは、パイナップル姫の父親が勝手に用意した、婚約者候補その一とその二だ。ニックはパイナップル姫より七歳年上で、アブラハは同い年。どちらも超が付くほどの名門に生まれた幻魔で、顔立ちもまあ悪くはないが、どちらも嫌味な喋り方と見下した態度だし、若いうちからハゲそうな髪質をしているので、全然好きになれそうになかった。
──父様は全然わかってくれないんだから……!
普段は娘に甘いところのある父親が、この件に限っては何度嫌だと言っても白紙に戻してくれないのは、それだけ政略結婚を重要視しているという事だろう。
「爺や、出掛けたって言っておいてちょうだいな」
「ええ、そんな。旦那様と奥様もお待ちになられて──」
「どうせまたデートしろだの何だの言ってくるに決まっているから、どっちにも会いたくねえですわ! それじゃ、頼みますわよっ!」
言い終わるや否や、パイナップル姫はお気に入りのワンピースに着替え、スリッパから部屋の隅に置いてあったサンダルに履き替えると、バルコニーから飛び立って脱出したのだった。
「ひ、姫様~!」
「愛のない結婚なんてマジご勘弁ですわ~!!」
「へえ、姫ちゃん飛べるんだ」
「ええ、精霊ですから多少は。長距離は厳しいですけれどね」
「果物の精霊なの?」
「いいえ、光の精霊ですけれど。どうして果物?」
「いやだって名前がさ……」
空を飛んだり大地を駆けたりを繰り返しているうちに第7地区の端までやって来たパイナップル姫は、スマホや財布などの貴重品やその他諸々を自室に置いてきてしまったという事実に気付き、肩を落とした。
「ガッデム!! せめて財布くらい持って出れば良かったですわ~……」
無一文で慣れない土地をうろつくのは心許ないが、かといってすぐに帰宅するわけにもいかない。
──はあ……何処に行きましょう。
瘴気漂う小さな町を歩いていると、井戸端会議をしている女性たちの会話が聞こえてきた。
「へえ、あの〈歌魔女の森〉の魔女、いなくなったんだ?」
「そうみたいよ~。死んだのか引っ越したのかは、ちょっとわかんないけど。でね、今は別の若い女魔術師が暮らしてるみたいなんだけど、それがまたなかなか強力な魔法を使うらしいわ」
──気になりますわね。
「何でも、万引き常習犯の魔女をシメたとか、吸血鬼一家を苦しめていた怨霊の大群を三〇秒以内に全部浄化させたとか、汚れが酷い池の水を全部抜いちゃったとか」
「それじゃ魔女の娘か孫?」
「さあねー……」
──そんなに強いお方なら、是非一度面を拝んでみたいですわ!
パイナップル姫は元気を取り戻すと、力強く大地を蹴り、空へと舞い上がった。
「……というわけですの」
「池の水は心当たりないけど、わたしが最強の魔術師なのは間違いないわよん。匿うのだって、まあいいけど……」
咲良は炎魔法を応用して指先に熱を集中させると、だいぶ冷めてしまった紅茶が残っている自分のカップにそっと近付けた。かつて魔界で有名だった炎魔法使いが、こうやって冷めた飲食物を温め直していたらしい。
「でも、どうするつもり? ずっとそのままってわけにもいかないでしょ」
「そうですわね……まあとりあえず一週間程ここに住まわせていただいて、その後一緒にあたくしの家まで行ってもらったら、あなたの魔術でちょっくら父様を脅していただけないかしら」
「ええ? いや、いくら何でもそこまでは──」
「この先二〇〇年以上は働かずに暮らせるだけお支払い致しますわ」
「やりましょう!」
咲良は元気良く言い切ると、残っていた紅茶を一気に飲み干した。紅茶は全然温まっていなかった。
「はあ……結婚云々前に、素敵な恋人が欲しいですわ」
「姫ちゃんはどんな人が好み?」
「あたくしに尽くしてくださる、美形で細身で優しい殿方ですわね。あと出来れば年収高めで」
「いや、なかなか高望みじゃないのそれ」
「そうかしら。ああ、この間学校の近くでお見掛けした殿方なんて、見た目どストライクでしたというのに。青いメッシュの入った銀髪と赤紫色のお目目の可愛らしい顔立ちをした、一人称がボクの、弟系なあのお方……せめて名前だけでも聞いておけば良かったと後悔しておりますの」
──あー何か聞いた事あるぅ~その殿方!
該当する友人を一人知っていたが、咲良は黙っておく事にした。
「リリーさんには恋人は?」
「いないよー。そんなに興味もないかな」
「あら、そうなの。じゃあ好みのタイプも特には?」
「マッチョかなーやっぱ」
「マッチョ」
「そういえば前に、わたしに運命の相手がいるって占い師に言われたんだよね」
「あら本当? どんな方ですの」パイナップル姫は目を輝かせた。
「筋肉モリモリマッチョマンのツンデレだって」
「筋肉モリモリマッチョマンのツンデレ」




