第24話 本当にあった怖くない話
これは、僕が以前体験した出来事です。
「お疲れさん」
「あ、課長。お疲れ様です!」
「どうだ、少しは慣れたかい?」
「い、いや~まだまだ……」
「ははっ、まだ一月も経ってないもんな。大丈夫、俺たちもそうだったから。頑張れよ」
「は、はい!」
「気を付けて帰んな」
「はい! お先に失礼します!」
当時、僕は最初に勤めていたブラック会社から同業他社に転職したばかりで、慣れない仕事を、何とか覚えようと必死でした。
新しい職場からブラックな雰囲気は感じられませんでした。仕事が立て込んでいなければ定時で帰る事が出来ますし、残業してもその分の賃金はちゃんと出るそうです。
そして何より、上司にパワハラされない! 社員同士の仲も悪くなくて、困った時は皆で助け合う! セクハラやいじめの噂も聞かない! 仕事が大変でも、それだけで頑張れる気がしました。
「パウーラ君、お疲れ様」
「あ、ブコさん。お疲れ様です!」
エントランスまで来た時、僕は受付嬢のラチカ・ブコさんに声を掛けられました。彼女も帰るところのようでした。
「んもう、ラチカって呼んでちょうだいって、いつも言ってるでしょ? 私だって、君の事は下の名前で呼んでるんだから。ね?」
「は、はい……」
「パウーラ君、この後用事ある?」
「え? いや特に何も」
「じゃあ、良かったら晩ご飯食べてかない? 駅からちょっと外れた路地裏に、とっても美味しい定食屋さんがあるんだけど」
「ほ、ほんとですか? ……是非!」
「フフッ、じゃあ決定! さ、行きましょっ」
ラチカさんは、いつも明るく爽やかで、美しい容姿と澄んだ声、モデル顔負けの抜群のスタイルを持つ、社内外で人気の女性です。僕は入社前の面接でこの会社を訪れた時に、すっかり一目惚れしてしまいました。
しかし、ラチカさんのような女性は、僕にとっては高嶺の花。ましてや、周囲に僕よりもあらゆる面でハイスペックなライバルが多いのですから尚更。挨拶出来るだけでも、下の名前で呼んでもらえるだけでも幸せ。
そう思っていたのですが……まさか! まさか彼女の方から食事に誘われるなんて!!
「明日は休みだし、お酒も呑んじゃおっかなー。パウーラ君は呑める人?」
「い、いやぁ僕はあんまり……」
まさかこの後、あんな出来事に遭遇するだなんて、すっかり浮かれていた僕には思いも寄りませんでした。
「ごちそうさま。本当に有難うね。誘ったの私だっていうのに」
「いえいえ!」
「双頭蛇焼き、美味しかったわ」
「僕の食べた毒豚丼もなかなかでした」
店を出ると、外はもうすっかり暗くなっていました。
僕はラチカさんの分も奢りました。定食屋さんのメニューはどれもなかなかいいお値段だったし、お酒も呑んだから、正直言うと懐へのダメージは無視出来ません。でも、ラチカさんがとても喜んでくれたので、悔いはありませんでした。
「じゃあラチカさん、駅まで行きましょう」
ここで「まだ帰りたくないわ」なんて言われたら……いやそれどころか「今日は帰りたくないわ」なんて言われたら……僕は仄かな期待を抱いていましたが。
「ええ、帰りましょ」
勿論現実は甘くありませんでした。
「パウーラ君、本当にあんまり呑めないのね~」
「あはは、そうなんですよ……」
店を出てあまり経たないうちに、前から酔っ払いの男二人が歩いて来ました。
「オネーチャンカワイイね~!!」
「一人? オレたちと呑まなぁ~い?」
すれ違う直前、酔っ払い二人はラチカさんに絡んできました。
一人は鬼族のようで、ガタイが良く、肌は酒に関係なく真っ赤。額から大きな角を二本生やしています。
もう一人は種族不明ですが、スキンヘッドで、ギョロリとした大きな一つ目が血走っているうえに、歯がギザギザで、噛み付かれたら痛いどころじゃ済まなそうです。
「一人じゃないので」
ラチカさんは素っ気なく言って通り過ぎようとしました。しかし、二人はしつこかったのです。
「じゃあ連れとは今ここで解散でいいじゃ~ん。次はオレたちとさ!」
「そうそう! せっかく出逢えたんだからさ!」
「結構です」
「オネーチャン名前なんてーの? 何処住み?」
「OLさん? この辺で働いてんの?」
「通してください」
「え~、何か冷てーんだけど~!」
「あれ、怒ってんの? ねえ怒ってる?」
「……いいか──」
「いい加減にしてくださいよ!」
とうとう我慢出来ず、僕は止めに入りました。正直怖くて内心ビクビクしていましたが、もうそんな事言ってられませんでした。
「……ああン?」
男二人は僕を睨み、舌打ちしました。まあ、だいたい予想通りの反応でした。
「オニーチャン、何歳ぅ? うん?」
「ゴメンねー、オレら君には用ないんだわー。先帰っててくれるぅ?」
まさか、ここまでしつこいとは。酔いっぷりの方は予想以上でした。
「無理です。他の女性を当たってください」
僕はラチカさんの手を取ると、男二人の横を擦り抜けようとしました……しかし。
「待てやコラ」
一つ目の男に肩を掴まれてしまいました。ああ、これも予想的中。
「何かムカつくわぁ~その態度」
「オニーチャンちょ~っとツラ貸しな!」
「なっ……やめてくださいよ! 離してください!!」
酔っ払い二人は僕を何処かへ無理矢理引っ張って行こうとしました。運悪く、周りには誰もいません。
「パウーラ君!!」
「ラチカさん、今のうちに行くんだ!! さあ早く!!」
僕が叫んだ、その時でした。
「ンフッ」
何処からか女性の笑い声が聞こえたような気がしました。どうやら僕だけでなく酔っ払い二人にも聞こえたようで、動きが止まりました。
「ンフフッ」
もう一度、今度は確実に聞こえました。酔っ払い二人はラチカさんを見やりましたが、笑い声は別人のものです。
「ンフフフフッ」
僕たちは全員で周囲を見回しましたが、他には誰もいません。
「……おい、聞いたか」
「ああ」
「ンフフッ」
「また聞こえた」
「誰だよ、おい」
「ンフフッフェフェフェッ」
「長くなったな」
「し、しかも気持ちわりーぜオイ……」
「それに……だんだん近付いて来てるわ」
ラチカさんの言う通りでした。しかし、やっぱり僕たち四人以外は誰もいません。
「お、おい、もう行こうぜ」
「ああ」
酔っ払い二人はすっかり怖気付いたようで──まあそれは僕も同じだったんですが──ナンパもケンカも放って走り出したのですが……
「フェッフェフェフェ……」
またあの笑い声が聞こえたかと思うと……
「フェフェフェフェフェェェェェェェェェェェッッッッ!!」
酔っ払い二人の目の前がパッと光で照らされ、その中心に、何とも恐ろしい笑顔が浮かび上がったのです!!
「ぎゃああああああああっっ!!」
「だあああああああああっっ!!」
酔っ払い二人は悲鳴を上げると、逆方向へと逃げてゆきました。
「わああああああああああっっ!!」
「キャアアアアアアアアアッッ!!」
僕とラチカさんもありったけの悲鳴を上げました。
唯一、僕がラチカさんや酔っ払いたちと違ったのは、その場で腰を抜かしてしまい、逃げ損なった事でした。
「ごめーん」
ライトが消えました。闇に浮かんでいた顔は、よく見れば髪の短い少女でした。
「あなたと女の人は脅かすつもりはなかったんだ。仕事でね、さっきの酔っ払い二人を捕まえなきゃいけなかったんだけど、先にちょっと脅かしてやりたくなっちゃって。リリーちゃんてばお茶目さん! テヘッ!
で、魔術で身を隠しながらここまで来て、解除すると同時に同じく魔術で顔を照らして……ってまあいいや、あの二人追い掛けなきゃいけないから! じゃあねっ!」
少女が去ってから帰宅するまでの間の事はよく覚えていません。
あの日以降、ラチカさんに食事を誘われる事はありませんでしたし、僕から誘う勇気もありませんでした。
あの少女が誰だったのか、仕事とは何だったのか、それは僕にはわかりません。
一つだけはっきりしているのは、あの夜は散々だったという事です。
「皆も、暗い夜道を歩く時は気を付けようね」
咲良はドヤ顔で話を締め括った。
「はい、咲良さん!!」
ファヴニルは元気良く返事した。
「いや君がだよ」
レイモンドは呆れたように呟いた。




