第23話 無法者
「少なくとも一時間は待つな」
「うひゃあ……」
まんまるな金色の月がギラギラと輝く夜。
自分へのご褒美として、スペシャルディナーセットを満喫しようと〈ハルピュイア亭〉へ足を運んだ咲良だったが、店の外には順番待ちの客たちがズラリと並んでいて、牛頭の店主が声掛けをしているところだった。
「じゃあ今日はいいや……また来るね、てんちょさん」
「ああ、また来てな」
──こりゃ、早くしないと他の店もヤバいかも!
咲良は急いで近隣の飲食店を回ってみた。麺類中心の店、怪獣・珍獣料理の店、軽食喫茶チェーン店……。何処もかしこも混み合っていて、そう簡単に食事にあり付けそうにはなかった。
──ほとんどいつも家で食べるから知らなかったけど、この辺結構混むんだ!?
咲良の腹が盛大に鳴った。
「お……お腹空いた!!」
諦めて帰ろうかとも思ったが、この空腹状態で森の中を歩くなんて想像しただけでも辛い。転移魔法は使えるが魔力を多く消耗するし、魔力の消耗は体力の消耗にも繋がる。無事に転移出来たとしても、食事を支度するだけの力は残らないかもしれない。
──この際全然豪勢じゃなくていいから、とにかく何か食べたいっっ!!
咲良は必死の形相で、少しでも早く席に着けそうな店を探し回った。野菜・果物料理の店、ファミレス、居酒屋、ファミレスその2……。
「だ、駄目だ……全部混んでる! 絵に描いたような長蛇の列!!」
咲良はよろめきながら道の端に寄ると、小さなビルの壁に背を付けてズルズルとしゃがみ込んだ。空腹の限界が近付いている。
「や、やっぱり大人しく転移魔法で帰る方がいいのかな……」
諦めかけたその時、目の前をゆっくり通り過ぎてゆくカップルらしき男女の会話が、咲良の耳に入ってきた。
「そういやこの辺だったかな、あの店が隠れてるってのは」
「あの店って?」
「〈Outlaws〉っていう、ダイニングバーだよ」
──おっ?
「ダイニングバーが隠れてるってどゆコト、ハニー」
「特殊な魔法が掛かってるから、高い魔力を持った奴じゃないと存在を認識出来ないんだよ。僕が聞いた話だと、この辺の路地裏にあるらしいんだが」
「えー、そのお店行ってみたーい!」
「いやあ、見付かるかなぁ……」
──おっしゃ。
咲良は立ち上がった。
──わたしは見付けちゃうもんね~!
「魔法で隠されたダイニングバー?」
咲良がカップルの会話を耳にしていた頃。
ウィルと共に〈ハルピュイア亭〉でスペシャルディナーセットを満喫中のレイモンドは、皿の上の豚肉をナイフで切りながら、吸血鬼の友人が口にした言葉を鸚鵡返しにした。
「ええ。この先の繁華街の何処かに存在しているけど、並の魔力の者じゃ認識出来ない特殊な店、だそうです」ウィルは、一口サイズにちぎった焼き立ての白パンにバターを塗っている。「伯父は何度か行った事があるみたいですが」
「流石はコリン・ルフソーマ。苦手な事なんてないんじゃないか?」
「この間旅行した時、滞在したホテルの中で迷って従業員に助けて貰ったらしいです」
「あー……それはホテルが広くて、ちょっと複雑な構造をしてたとか」
「本人もそう言ってましたけど……どうでしょうね」
ウィルは小さく笑うと、パンを口に運んだ。レイモンドは豚肉を刺したフォークを口元に近付けたところで、ふと思い出したように手を止めた。
「そのダイニングバー、今度一緒に探しに行かないか」
「一緒に?」
「ああ。そんな面白い話を聞いたんじゃ、探してみたくなるだろ。でもおれ一人じゃ自信ないからさ」
「いいですよ」
ウィルは平静を装っていたつもりだったが、新たにちぎったパンにバターを塗る時、無意識に鼻歌を歌っていた。
「それともう一つ」
ウィルは顔を上げた。
「もうそろそろ敬語は使わないでくれよ。咲良にだって使ってないだろ」
「……うん」
レイモンドが安堵したように微笑むと、ウィルの頬も自然と緩んだ。
「やあっと見付けたぁ~っ!!」
とある路地裏の一角。
咲良は大きく息を吐き出しながら、堪え切れずに苦笑した。
頭上のスポットライトでぼんやりと照らされた青色の扉。コンクリートの壁面に取り付けられた黒色のアクリル看板には、金文字で〝Outlaws〟と記されている。
目の前を何度も何度も通り過ぎていたにも関わらず、咲良がそれらの存在を認識するのに、かれこれ三〇分近くは掛かってしまった。
──この超一流魔術師をそんなに長く欺くなんて……やるわねこの店!
空腹のピークは過ぎていたが、どんな料理が揃っているのかと想像したら、すぐに食欲が戻ってきた。
「ウラアッ!!」
咲良は勢い良く扉を開いた。
店内は想像していたよりも明るく、広さもあった。向かって右側には一〇席程のカウンターと、反対側には二人掛けのテーブル席が数卓。どちらも客がいっぱいで、手前の何人かがこちらに振り向いた。
──あー……ここでもまさかの満席?
「あら、新顔だね」
髪を複数の色に染め、濃いアイメイクをバッチリ決めた細身の女性店員がやって来た。背中の小さな黒い翼が、挨拶でもしているかのように小刻みにパタパタ動いている。
「一人?」
「うっす」
「カウンターの一番奥が空いてるよ」
「ラッキー!」
咲良がヴィンテージ調のハイチェアに腰を下ろすと、右隣の小柄な男性──座高は咲良より少し高いくらいだ──が、左手で弄んでいた空のゴブレットから顔を上げた。
「えー、どれどれ?」
薄紫色の肌の女性店員がメニュー表を持って来ると、咲良は早速メインディッシュの一覧に目を通した。バイコーンのステーキ、クラーケンの唐揚げ、豚とドラゴンのクリームパスタ……。
──うーん、どれも迷う!!
「コカトリストマトリゾットなんてどうだ、おねえちゃん」
咲良はメニュー表から隣のアドバイスの主に視線を移した。
「肉に齧り付きたきゃバイコーンやドラゴンでもいいが、ここは肉よりも米や麺の方が美味いぞ」
「何回も来てるの?」
「飽きる程にはね」
男性がニカッと笑うと、大きな前歯が目立った。まだ若く、咲良と大して変わらないくらいの年齢に見えるが、魔界人は判断し難い。黒地に白色の刺繍が入ったウェスタンシャツと、濃紺色のジーンズは小綺麗だが、被っている黒いボーラーハットは年季が入っている。
「それじゃ、勧めてくれたのを食べてみるね、常連さん」
「ハリーって呼んでくれ、一見のおねえちゃん」
「わたしはリリーって呼んで」咲良もニッと笑ってみせた。「超一流魔術師よん」
「へえ、ハリーちゃん魔界一周の旅してるんだ。どれくらい進んだの?」
「世界地図見た感じじゃ、まだまだ五分の一程度ってとこだな。この世界は広過ぎる」
コカトリストマトリゾットとお喋り草のサラダセットを胃に収めた咲良は、食後のホットコーヒーをゆっくり味わいながら、すっかり意気投合したハリーとの会話を楽しんでいた。
ハリーはカラフルなカクテルに少しずつ口を付けている。咲良が来る前から既に数杯呑んでいるらしいが、全く酔った様子を見せていない。
「それに、この街がすっかり気に入っちまってさ。もうしばらく滞在するつもりだ」
「いいんじゃない、気の済むまでいれば。急ぐ旅じゃないんでしょ?」
「まあな」
「元々何処に住んでたの?」
「遠くだ……ずっと遠く」
「ふーん……」
会話が途切れると、咲良は店内を見回した。カウンターの客はだいぶ減り、ハリーの隣から三つくらいまでは空いているが、テーブル席の方はまだほとんどが残っていて賑やかにしている。
「ここにいる皆、なかなかの魔力の持ち主って事だよね」
「うん? まあそうみたいだな」
「魔術対決してみたいなあ」
ハリーは一瞬目を見開いたが、すぐに納得したように笑った。
「魔術師の血が騒ぐって?」
「そりゃもうね!」
「よっぽど自信があるようだな」
「言ったでしょ、超一流だって。目指すは魔界最強!」
「魔界最強、か。そりゃいいね」
「ハリーちゃん、一度勝負してよ」
「いやいや、魔術はさっぱりだ。だが……」ハリーは左手で拳銃の形を作り、ゴブレットを撃つ真似をした。「射撃なら負けないね」
「ガンマンなの? 確かに服装がそれっぽいとは思ったけど」
「超一流のな」
「それじゃ、ビリー・ザ・キッドみたいな? 無法者と一緒にされちゃ嫌か──」
そこまで言って、咲良はギクリとした。
──ヤバい、ついうっかり。
「あー、ビリーってのは、前に読んだ本に出て来たキャラクター」
嘘を誤魔化すように、咲良はほとんど冷めたコーヒーの残りをグイグイと飲んだ。
「どんな奴?」
「えっ」
自分が知っているだけの知識──といっても大して詳しくないが──を披露するか、口から出任せを言うか、咲良は迷った。
「あー……えーとね──」
「俺は知ってる」
「え?」
「そいつは射撃だけじゃなくて、ピアノとファンダンゴも上手いぞ」
ハリーはポカンとしている咲良にウィンクしてみせると、残りのカクテルを一気に呑み干し、立ち上がった。
「用があるから俺はもう行くが、帰り道は気を付けるんだぞ。じゃあな、一流魔術師リリー」
「……咲良」
「うん?」
「咲良って言うんだ、本当の名前」
二人はどちらからともなく微笑んだ。




