恋バナもする同士
「ヒヨコ!お前の荷物はあたし一人ではって、臭い!……で、ああ!ちょっと。」
突然に部屋のドアが開き、いつもは私の部屋まで来ることはないソフィが顔を出して、それでもっていけないものを見つけたという風に真っ赤に顔を染めた。
私こそ慌てるなんてものではない。
「あ、ああ、あ、あ!ノックぐらいいしてええええ!」
急いでイーゼルに乗せてあるカンバスに布を被せようとしたが、部屋に飛び込んできたソフィに私が取り押さえられる方が早かった。
「ダメよおお。」
「隠すなヒヨコ!あたしにも見せてくれよ!ヤスミンをあたしだって久々に見たいんだよ!」
「だってこれはあああ!」
私は必死に隠したかった。
だって、私が油絵の具で描いていたヤスミンは、ヤスミンの姿は!
「上半身だけだけどさ。どうしてまる裸で、前髪をぼさぼさに前に下ろしているのか分らないけど、いや、だからこそ懐かしいヤスミンだよ。あいつがそのまま映りこんでいるじゃないか。」
私は体から力を抜いた。
もう観念したって気持ちだ。
猫よりも好奇心が強いソフィが知りたい事を知るまで追及して来ることは確実だし、何よりも、私が描いたヤスミンがヤスミンでいた事にほっとした。
記憶だけ頼りに描いていたからこそ、私は実は不安だったのだ。
私の描くヤスミンがヤスミンで無い単なる絵になってしまったとしたら、と。
「似ているって、そのままだって言ってくれてありがとう。これは出会った時なの。汚いシャツを羽織っていて、それでも私を慰めようと手を差し伸べてくれて、でも、私は臭いって彼を嫌がったの。そうしたら、彼は着ていたシャツを脱いだのよ。これでいいだろ、ほら抱きしめてやるからおいでって。」
「で、そのままやったの?」
「何をですか?」
ソフィはなんてことない顔をして、肩を竦めて、その上で十三歳でしかない子の癖にヤスミンみたいな汚い言葉を吐いたのだ。
「男と女の行為?裸ん坊での繁殖行為?」
「なななな!そんなはずは無いでしょう!わ、私は、や、やや、ヤスミンに、裸ん坊で何をしているのってちゃんと叱りつけましたわよ!」
ソフィは、そう、と言って再び私の描いたヤスミンを見返した。
「だからこの絵のヤスミンはちゃんとヤスミンなんだね。だからヤスミンはマルファに恋をしたんだね。」
彼女は私を見返して顔を見せる事は無かったが、右手で軽く顔を拭う仕草をしていたことで、彼女が涙を流してしまったのだとわかった。
私も自分の涙を左手の指で拭っていたのだもの。
はあ、ふぅ。
ソフィは大きく息を吸って吐くと、今度こそ私に振り返った。
彼女は既にいつもの笑顔を取り戻しており、私こそ彼女のその健気さに更なる涙に襲われそうになったぐらいだ。
私もごくんとつばを飲み込むと、彼女に負けないように笑顔を作った。
「そうだ。ご用があったのよね。」
「そう。下にヒヨコ宛のお届け物がある。重くってあたし一人じゃ運べない。」
「あ、届いたのね!」
「あれは何?」
「図鑑よ。この世界には鳥ぐらいに大きな蝶々や色とりどりの鳥がいるのよって、子供達に教えてあげたくって。」
「へえ、凄い!私も見てみたいな。図鑑だけじゃなくてさ、それらが生きているその場所に行って、そこで本当に生きている奴を。」
「あなたはアランみたいなことを言うのね。」
「みんなそう思うだろ?」
「あら。私は博覧会で見られればいいなって思うぐらいよ。だって、ジャングルなんてヒルや蛇が沢山いそうでしょう?」
「そんな危険をかいくぐるから、きっと最高の達成感があるんじゃない?」
「本当にアランそっくり。アランがあなたを大好きなわけね。」
大学の授業に大忙しとなった彼であるが、私やソフィに気遣いのあるカードや手紙などを毎月一回贈ってくれるのだ。
ソフィはヤスミンに手紙を書く事を約束していたそうで、その手紙がヤスミンに読まれる前に軍から返送されてしまっている。
彼女のその時の落ち込みをアランに知らせたら、アランはソフィにも手紙を出してくれるようになったのだ。
アランは本当に優しい人だ。
「あたしに手紙の返事を要求して来るくせに、単語の綴り間違いを丁寧に指摘して来る陰険野郎だけどね。」
私はソフィの返答に笑いながらイーゼル前の椅子から立ち上がり、今度こそヤスミンの絵に布を被せた。
それから図鑑を運ぶために階下へとソフィと連れ立って部屋を出て、狭い階段ながら並んで下へと降りていった。
きっと互いに離れがたかったのだろう。
私達は同じ男性に恋をして、その男性の無事を祈りながら待つ同士なのだもの。
「ヒヨコとヤスミンは似ているのかな。それじゃあ聞いていい?どうしてヒヨコはアランを好きにならなかったの?アランは凄く良い奴じゃないか。」
私は瞬時に、ヤスミンでは無いから、と言いそうになった。
でもそれは、あなたは私ではないという意味ともなり、ソフィを傷つけてしまうからと思った私は口を噤んだ。
「いいよ。ヒヨコ。あたしは失恋を受けいれている。」
「ああ!良い女すぎ!」
「そう言ってくれるのはヒヨコだけだよ。」
「違うわよ。あなたは年若過ぎただけ。私がアランに恋をしなかった理由に似ていると思う。アランは私には、たぶん、近すぎたのよ。そばにいるのが当たり前で、互いに好意を持っているのが当たり前だったから、異性として意識をする事が無かったのだと思うわ。」
「あたしは若過ぎたってだけか?じゃあ、あたしが大人になった時、ヤスミンは改めてあたしを女として見るって事かな?」
寂しそうな表情で、でも、もしかしたらの希望を仄かに両目に灯らせたソフィは、誰が見ても抱きしめたくなる美少女でしか無かった。
私は火傷した様にしてソフィから離れた。
壁に後頭部をぶつけてしまったが、今の私の混乱した頭を冷やすには丁度いいに違いない。
「どうした?ヒヨコ?」
「駄目だ!敵わない!」
ああ、私は混乱したままだ。
だって考えても見てよ。
ソフィがこのまま大人になったらって考えたら、サファリスーツを着た恰好良い女冒険家を簡単にイメージできたのよ?
「絶対に、ぜったい、ヤスミンはあなたに恋をするわ!ああ!うそ!私は今だけなの?ヤスミンと恋が出来るのは今だけなの?」
ぱし。
ソフィが私の顔面を軽く叩いた。
彼女は本気で怒った顔を向けていた。
「ソフィ。」
「あんたはさ、アランが素敵になっていたら、アランに恋をし直すのか?」
私は自分の顔を両手で覆い、頭を深々と下げた。
自分の情けなさに穴に潜ってしまいたい。
「ヤスミンもそうだろ?」
「ええ、ええ。そうだ――。」
「てめえ!いい加減にしろ!」
「きゃあああ!いやだあああ!」
男性のがなり声のその後すぐにマリーの悲鳴。
私達ははっとして顔を見合わせ、慌てたようにして階段を駆け下りた。
そして次々に台所に飛び込んだが、時すでに遅し、台所の裏口のドアが開け広げられ、マリーが彼女の父親に引きずられていくところだった。
「てめえこそ!いい加減にしろよ!」
ソフィは乱暴な言葉を吐きながら追いかけていった。
私もテーブルの上のめん棒を掴むと、ソフィの後を追いかけた。
だが、私が棒を振るう必要も、ソフィが何かをする必要も無かった。
旅装束といえる地味なドレスに真っ赤な髪を貴婦人風に結ったポーラが、すでにマリーの父、ジュベットを地面に仰向けに倒して、顎を掴んでいたのである。
「あら、出過ぎた真似だったかしら?」
「い、いいえ。ありがとうございます。でも、この人。ポーラが放したらまた襲い掛かって来ますわよね?」
「じゃあ、もっと出過ぎた真似を私がしますわねえ。ソフィかヒヨコ、台所に戻って水を持ってきてちょうだいな。」
マリーを庇っていたユーリアがマリーを手放すとずいっと前に出てきた。
彼女もポーラと同じような旅用のドレスを着ている?
私はこの二人がクラルティから消える可能性に気が付き、急に押し寄せた不安から動けなくなった。




