全てを振り切る決意と裏切り
リリアーヌは無邪気で無垢にしか見えない美少女顔を私に見せつけ、私は何か間違っているかしら?という風に小首を傾げた。
少しだけぞわっとした。
「りすと?」
「まあ!何を驚いていらっしゃるの?アランと二人で聞き込みなどを頑張りましたのよ。アランったら素晴らしいのよ。あなたの事は何とも思っていない振りをしたり、こんな悪い男はいないでしょうってくらいに悪い男になったりして、全員を信用させて虐めっ子達の繋がりを全部あぶり出しちゃったわ。」
彼女はそこでうっとりした様にして、揃えた両手に夢見がちのようにして頬を当てて、幸せそうにクスクス笑い出した。
「ウフフ、私が途中で楽しんでしまったのはお許しになってね?だって、私こそ恋人みたいにして、あのアラン様と一緒に行動できるなんてと、夢のようでしか無かったのだもの!」
そう言うや彼女は夢が覚めた様に両目をぱっと開けて、私の方へと身を乗り出して私の左手を掴んだ。
そして、熱病に掛かった人が医師に生かしてくれと縋りつくようにして、必死な願いを両目に浮かべて私に懇願してきたのである。
「後生ですからそれを終わりになさらないで!」
リリアーヌのアランへの気持ちは本物だったようである。
彼女は私へのいじめを知るや、多分最初は本気で怒り、その後はアランと行動するうちにもっといじめが長引けば良いと望んだのだろう。
だから、煽ったりもしてしまったかもしれない。
リリアーヌはアランは優しいだけの男でも無ければ、敵と見做した人を欺くことだって出来る人だと知ったのに、彼が自分を観察していたとは考えなかったのだろうか。
彼が昨夜のダンスの時に、私に全部報告していたって事にも。
「君には辛いかもしれないけれど。」
「女同士の喧嘩は陰険なものなのよ。」
「君はそれでいいのかな?」
「誰にだって悪意はあるわ。」
「僕は君がデジールに夢中だと知っても、君を虐めようなんて思わないよ。」
前言撤回だ。
アランはそれほど人の心が分かっているとは言えない。
「あなたの事を好きすぎて、あなたが自分を見てくれない妬みを私にぶつけてしまっただけの事なのよ!」
「僕も君が好きすぎて、僕を見てくれない鬱憤をデジールにぶつけていたね。」
「うっ。」
こ、この流れは、人の心が分かっていない私が反省するように、というアラン様の思し召しだったのだろうか!
彼はふふんと笑うと、私を放り投げる勢いでターンさせ、それから自分に引き戻し、王子様そのものの人畜無害な笑顔を向けた。
つまり、腹に一物がありありそうな、嘘くさい笑顔である。
「わかった、リリアーヌのことは君に任せて君の判断に従おう。」
僕が納得できない結果は全部君のせいだからね、そんなプレッシャーをかけてくれたなと思い返しながら、私は現在に意識を戻した。
私は自分の手を掴むリリアーヌの手を握り返し、彼女に本心から答えていた。
「ごめんなさいね。もう決めたの。」
「ここで逃げ出したら、二度と社交界に戻って来れなくなるかもよ!」
「それは全くかまわないわ。」
リリアーヌは私の手を振り払った。
少々乱暴に、怒りをぶつけるようにして。
「かまわない?私はどうなるの?あなたはご自分の事ばかり!分らないの?あなたが帰ったら終わっちゃうの!アランと私はもうお出掛けなんか出来なくなってしまうじゃないの!どうしてなの!どうしてアランはあなたを選んだの!」
リリアーヌは自分のカップを掴むと、それを私に投げつけた。
そのカップは私に全く触れる事も無く、私の後ろへと落ちて割れた。
「うん。ごめんなさいね。あなたは本当に優しいのね。私は怪我をするどころか、お茶の一滴だって被っていないわ。あなたこそ辛かったでしょう?」
リリアーヌは机に突っ伏した。
その姿は幼い頃に記憶を呼び覚まし、私達の関係が壊れてしまったことこそ責め立てる。
ほら、友人を慰める事も出来なくてよ?
「どうして、どうしてなの!アランはどうして私を見て下さらないの!あなた抜きであんなにも二人でお出掛けしたのに、一度だって私に男性として好意を寄せてくださらなかった。今回のデビューだって、男の人はあなたばかりを素敵だと褒めているそうじゃない!誰よりも地味なドレスの癖に!」
そこは私は自分の肩を竦めるしかないが、頭の中でヤスミンが、どうだ?と偉そうな顔付をして見せた映像が浮かんだ。
「アランに出会ったのは私の方が先だったのに!」
アランは自分を称賛する女性達を嫌がっているところもあったから、友人としか見ない私がアランには気楽なものだったのではないのか?
そこは彼女には言えないだろう。
「ごめんなさい、私こそあなたに言われて驚くばかりよ。でも、私はあなたに伝えなければいけないことが一つだけあるの。」
リリアーヌはゆっくりと顔を上げ、私を睨みつけた。
涙の痕も見えない目元に、そう言えばリリアーヌの泣き顔はいつも可愛らしく綺麗であったと思い出していた。
「まあ!嘘泣きだったの?今までも?」
「女はか弱い方が良いのでしょう。それで、私に教えて下さる男を虜にできる秘訣とは何かしら?」
「あら、そういう事じゃないの。単なる忠告よ。ほら。」
私は先ほどリリアーヌに見せたばかりの箱を再び持ち上げ、今度こそは箱の蓋を外して中を見せた。
「嫌がらせで蛙や虫の死体を贈る時は、標本箱のものを使うのでは無くて、道端に落ちているものを拾う方がよろしくてよ?ってだけ。」
箱の中には私宛に届いた虫と蛙の死骸以外に、私が道端で拾ったばかりの鼠の死骸も入っている。
ごそっ。
「きゃああああああ!」
よく見えるように箱を思いっきり斜めにしたせいで、箱の中身がごそっと動いてリリアーヌに向かって生きているように飛び出しかけたのである。
リリアーヌは大きく悲鳴を上げて、白目をむいて意識を失った。
「ごきげんよう、リリアーヌ。」
私は箱に蓋をし直すと、箱を抱いたまま席を立って部屋を出た。
扉の前には心配と脅え顔をした召使い達が数人ほど立っており、私は今までよく知っていた彼らに別れの様に頭を下げた。
「マルファ、様。あの、リリアーヌお嬢様のことは?」
「仲よくして下さってありがとうございました、と。」
「ですが、あの!お嬢様は出来心で!」
「ええ、存じております。縁が続く限り、また私達は同じような関係に戻ることができると信じております。」
部屋を完全に出て玄関に向かうと、すでに帰りの用意をしていたアンナが私を待っていた。
「お嬢様。」
「ええ、アンナ行きましょう。友人とのお別れはすみました。あなたをこれからも色々と連れまわすことになって申し訳ないわね。」
「そこはご心配なく。私はお嬢様がお行きになるところには、お嬢様が嫌がってもどこにだってついて参る所存でございますから。」
「では、まずはラブレー伯爵家に戻りましょう。その次はマナーハウスに。」
その次はクラルティに。
私は絶対にぜったい、クラルティに戻る。
七月十二日、ヤスミン・デジール大佐が前線基地から姿を消した。
彼の机の上に上着から剥がされた階級章が放ってあったことで、彼が軍を脱走して亡命したのか、あるいは怖気づいて自殺したのかと、彼を知りもしない人々によって勝手な推測をされている。
つまり、彼は国の英雄では無くなったのだ。
お読みいただきありがとうございます。
これで九章は終わりとなります。
ヤスミンは不在となり、友人とも決別していくことで、マルファは自分が生きていく場所を自分で決める事になりました。
今度は捨て子としてクラルティに迷い込むのではなく、営巣していくために戻るのです。




