ピンクのバラを受けた者として
ブリューは私に選べもしない選択肢を突きつけた。
彼とワルツを踊ってコンラッドとラブレーを戦争させるか、中庭に連れ込まれてドレスをブリューに剥ぎ取られるか?
どちらも私の破滅じゃないの。
彼は既に勝利を確信している。
そこで私をさらに追い詰める?余裕の笑み?を私に見せつけた。
ヤスミンだったら悪辣でとっても魅力的な笑みになるはずだが、まだ十代か二十歳になったばかりの経験値の少ない若者には、本人が底が浅くて品が無い人だという証明にしか見えなかった。
私は目の前の男に完全に白けた。
けれども経験値の浅いブリューは、私が彼の笑みに脅えたと思ったようだ。
「僕と婚約発表をここですればいい。君が王様の隠し子だったなんてびっくりだよ。王様からの持参金はいくらぐらいなんだろうな。」
「な、何をおっしゃっているの?」
私の顔でコートドール夫人を思い出した人がいたのだろうか。
それに、デビューの時の王城で、私はあんなにもあからさまに王様の侍従に呼び寄せられたのだから、連想するなという方が出来ない話よね。
「君は母親が王様の誘いを断りきれなかった結果なんだろ?結果がルクブルールの影か。母親似だったら良かったのにな。」
!!
お母様が王様と浮気した子供と勘違いされている?
「どこからそんな情報を?」
「ぱっとしない君みたいな女が社交界のババア達に持て囃されて、あのアランが纏わりつく理由だと、僕達にお知らせの手紙が届いたのさ。」
私はアランとワルツを踊っていた時の事を思い出した。
君には辛いかもしれないけれど。
彼はとっても心配してくれていたわね、と。
今朝届いた蛙と虫の死骸の贈り物が脳裏に浮かんだ。
私は悲しい気持ちになったが、それは目の前の私を貶めようとしている浅はかな男の台詞に傷ついたからではない。
普通だったらここで泣くだろう。
でもね、私は伯爵令嬢として今も昔も生きてきたのです。
それは爵位のある貴族という意味よりも、人として気位を持って生きてきたという事ですわ。
私は挑むように顎をあげると、ブリューに微笑んだ。
それから、思いっ切り彼の顔を正面から打っていた。
横から叩かずに、羽虫を潰すように正面から思いっ切り叩いたのである。
ブリューは叩かれた顔を両手で押さえ、すぐに私に憎々しい眼つきでを向けて罵りの大声をあげた。
「この薄汚れた私生児が!」
「失礼な!」
私こそここでブリューに対し、糞野郎、とヤスミン風の汚い罵声を浴びせてやろうと息を吸い込んだが、途端にヤスミンのルールを思い出してしまった。
思い出して、私は言葉を飲み込んだ。
ヤスミン様のお言葉をマネてはいけない。
彼が私からルールを取り上げて私を置いて行ったのならば、私は彼のルールに縛り付けられる必要なんか無いのだわ。
もう一度声を絞り出そうとしたが、その行為こそヤスミンが私に望んでいた事のような気がした。
彼への恋心を振り切って、彼以外の男性に目を向ける心持になれ、という。
そうよ、ヤスミンは社交界に私を戻そうと必死だった。
だからこそ、私を恋人には絶対にしてくれなかったのね?
最初から最後まで、彼の私への愛情が父性愛に近いものでしかなかったのならば、彼が私を恋人にするはずないじゃないの。
だから私に自分のルールを守れと教え込んでおきながら、私に別れの挨拶をしていくどころか、私からルールを奪っていったに違いない。
たぶん、私が誰かと結婚した時に、自分というよすがを私が大事にしていると、私の結婚相手と私の関係性が悪くなると思ったからであろう。
なんて自意識過剰なナルシスト!
ええ!ええ!あなたのものが手に残っていたら、私はそれを一生大事にして他の男性なんか目移りする事など無いでしょう!
だから、だから!盗んでいったのね。
あなたはどこまでも私が大事だから!
なんて憎い男と思いながらも、私はヤスミンのルールに縛られる事を選んだ。
ヤスミンを想う限り、私はヤスミンへの恋心に縛られるのだから。
私はブリューを蔑むように見返した。
「あなたが信じるその噂が真実であるというのならば、私に無体な事をすればご自分の身に何が起きるかご存じでございますわよね?結婚式が終わったその場で流れ弾が当たって死んじゃうなんて、うふ、よくあることだと思いません?」
イモーテルの結婚時にオーギュストがルクブルールの父に吐いた台詞を真似してみたのであるが、ヤスミンの汚い言葉を浴びせるよりもブリューには効果があったようだ。
彼は口をぱくぱくと動かすだけとなってしまったのである。
「その不慮の事故に私も積極的に関わりたいな。」
ブリューが一瞬で青くなったのは、私の脅しではなく、私の真後ろにいる方への脅えだった?
私は慌てて振り返ると、私の目の前には大きな壁が聳えていた。
「小気味よい一声だったよ。美しきヒヨコ様?」
「オーギュスト様!」
彼は有無を言わさずに私の手を取り、まるで保護者の様にして私の横に立ち、ブリューなど最初からいなかったようにして歩きだした。
月の神様のような淡い金髪と美しい水色の瞳をした男性は、ヤスミンと違って黒ではなく濃紺のダンススーツを着込んでいた。
そして、胸元には見慣れたピンクのバラが飾られている。
私がバラに目が留まった事を知ったオーギュストは軽く笑い、自分の胸元を軽く見下ろした。
「おかしいかな。」
「いいえ。お似合いですわ。そのバラは綺麗ですよね。色味はとっても濃いけれど品があって。ヤスミンもよく胸に飾っていましたわ。」
「エマの大好きな花だ。我が家の温室に植えたばかりで数が無いのに、咲けばあいつが勝手に持って行ってしまって困りものだったよ。あいつが消えてようやく私もエマも花を手に入れられた。」
私は思わず、すいません、と謝ってしまっていた。
だって、ヤスミンはそのバラを私に渡してくれたのだもの。
「良いよ。あいつはナルシストでロマンチストすぎる馬鹿だ。エマがこのバラを好きな理由を知って、君に贈りたくなってしまったのだろう。仕方がない。」
「ピンクのバラの花ことばは、感謝、あるいは可愛い人、でしたかしら。」
お別れにはちょうど良い花ことばですわね。
子供のような女の子を褒める時にも。
「君もか!」
侯爵様は気さくな笑い声をあげた。
笑い方がヤスミンに似ていて、なんだか嬉しい気持ちと寂しい気持が混ざって、胸につかえができたようになった。
オーギュストはそんな私に気が付くどころか、楽しそうにして言葉を続けた。
「私も君と同じ花言葉しか知らなかったがね、エマが言うには、濃いピンクのバラの花ことばは、愛の誓い、なんだそうだ。真っ赤なのは激しく?とっても?愛していますと情熱的なだけですけれど、ピンクの愛には誓いが入ってるからピンクの方が良いわって、全く。デジール家はロマンチスト揃いだ。」
私は心臓が止まった気がした。
だって幸せで心臓が止まったと思ったの。
だから私は行動を起こす決心をした。
私はあなたのピンクのバラなのだから。
翌日に私は親友の家にアンナと一緒に訪問しており、リリアーヌに近いうちにマナーハウスに戻ることを伝えた。
彼女は私を出迎えて喜んでくれたが、私の訪問の意図がお別れを言いに来ただけだという事を知ると不機嫌になった。
「ほら、こんな箱が送られるようになったの。潮時なのよ。」
我が家に送られた箱を私は持ち上げて見せた。
リリアーヌは嫌なものを見たという風にして、頬をピクリと痙攣させた。
「それでも反対よ。どうしたの?あなたがマナーハウスに逃げ戻るなんて!」
「私はアランに友情はあっても結婚は考えられない。私が愛しているのはデジール様だけなの。だから家に戻って彼の無事を静かに祈っていたいのよ。」
「お馬鹿さんね!待つんだったら、それこそ毎日を楽しまなきゃではなくて?」
私は唇をきゅっと噛んだ。
貴族社会のパーティに参加するよりも、クラルティに戻って自分の出来る事を探していく方が充実した人生だと言えば彼女を侮辱することになりかねない。
「せっかく嫌がらせをしている人達のリストを作り上げたって言うのに!」
私は、はい?とリリアーヌを見返した。




