あなたには私はヒヨコでありピンクのバラ?
私が泣いても叫んでも、ヤスミンが前線基地から戻るはずはない。
ヤスミンのルールを失った私だが、失ったからこそ彼のルールをひたすらに守ろうなんて思いついた。
「そうよ!嫌がらせの様に守ってやるわ!」
しかし、考えてみれば、彼のルールは私の安全を願ってのものばかりだ。
1,知らない人と会話しない
2,知らない男から何でも貰わない
3,知らない男の後を(一人の時は)ひょいひょいとついて行かない
4,淑女だったらヤスミン様のお言葉の真似をしてはいけない
五番目のベッドに連れていく気が無いに関しては、私自身が記憶の中から抹消したいルールそのものである。
そしてそのルールこそ、私自身を諫めてくる。
あなたはヤスミンにとっては子供でしか無かったんだよ、と。
「そうよ!あれを書いてくれた時こそ、五歳児に言い聞かせをするように、だったじゃないの!」
思い出せば自分の情けなさで顔を覆いたくなるばかりである。
良かったな、俺で。
「あなたの後ろだからこそついて行ったのだと、今の私だったら言い返してやると言うのに!見ず知らずの私に最初から優しかったじゃないの!」
いつだって私一番だったじゃないの!
涙が零れ落ちそうになって下を向けば、私が今日身に着けているドレスの淡い水色が目に眩しく映った。
今日の淡い水色のドレスは、ヤスミンへの抗議も込めて自分的に一番似合わないドレスを選んだ、と思い出してほんの少しだけ気分が晴れた。
違う、落ち込んだ。
ヤスミンがいたら、あの日の様にバラを髪に飾ってくれたかもじゃない?
「似合わないと思った色でもあなたが綺麗に見える。あの子は一体どこでドレスデザインなんて学んできたのでしょうね。」
バルバラのうっとりした溜息まじりの言葉に、今度こそ完全に涙が引っ込み、私の付添人をしてくれるバルバラを驚きを持って見返した。
彼女こそ驚いた顔で私を見返した。
「あら、知らなかったの?あなたのドレスは全部ヤスミンが煩く注文を付けてきたものなのよ。」
その色はきっと映えないからさ、あいつの鎖骨が見える襟ぐりにしようか?
そのドレスはつまんなさすぎるからさ、前身ごろの裾は少し短めにしてくれ。
それが最初のデビュタントドレス?
だったらレースもリボンも無しの真っ新にしようよ?
「え?最初のデビュタントドレスはヤスミンこそ?」
自分のドレスなのに他人事だねぇ。
ヤスミンの意味ありげな視線は、あれは、自分のデザインしたドレスを私に見て欲しかったから?
「いやだ!初見の時に面白みのない生贄ドレスって叫んじゃっていたわ!」
「ぷぷ。酷い子ね!でも、そういう所があの子があなたに惹かれた所以かもね。」
最初はバルバラは奇をてらわずに普通のドレスを作るつもりで、衣装屋のマダム・ソブリエと相談していたらしいのだ。
ええ?あの方がマダム・ソブリエ、だった?
「そ、そそんな有名なドレスデザイナーを私の為にお呼びに!」
「それぐらい!あなたが私のいとし子なんだから当たり前でしょう!大変だったのよ。部屋から出てこないあなたの代りに出張る男がいて!」
バルバラの夫のようにして横に座った男が、身振り手振りどころか、適当な紙にドレスの形を書き出してマダム・ソブリエに注文し始めたそうである。
バルバラは笑いながら、その時のヤスミンの台詞を繰り返してくれた。
「同じ白だからって生クリームを絞るみたいにレースとフリルを飾りこんだ同じドレスで溢れているんだろ?そんな騒々しい世界に、何の飾りも無いラインだけが美しいドレスが出現したらどう思うかな?着るのは可愛いヒヨコ少女だよ。絶対に人目を引く。」
「ヒヨコの部分はいらないわ!」
「あらそう?採寸に来たあなたを見て、マダム・ソブリエはヒヨコに間違いないわって褒めていたじゃないの?」
「ヒヨコって褒め言葉なの?」
「うーん。そうね、そう言えば。ヤスミンがヒヨコヒヨコっていうから、私達もヒヨコが凄く可愛い代名詞に思い込んでいたわ。そう言えば、そうね、女の子を褒める時に使う比喩では無いわよね。」
素晴らしきヤスミンマジック?
でもそこで、私は誰からもヒヨコって呼ばれていた日々を思い出した。
クラルティ!
私の脳裏に懐かしい街並みが浮かび上がり、それがために今いる世界の風景が一瞬にして形骸化してしまった。
凄く凄く華やかだけれど、全く色味を感じない世界。
お前には色味が足りないな。
ヤスミン!
「踊って頂けますか?」
私は男性の声にはっともの思いから覚めた。
私の目の前に黒髪の黒いダンススーツ姿の男性が立っていた。
ヤスミンの出現から、若い男性はこぞって黒や濃いグレーなど、色味がなくシンプルな装いをするようになっているのだ。
「あなたは?」
「僕はエクロイド男爵家三男、ピエール・ブリューと申します。こちらのお嬢様のダンスのパートナーを務めさせていただく栄誉を頂けませんか?」
バルバラはブリューに微笑み返し、私の耳に、合格、と囁いた。
もう!娘に花婿を探す母親になり切らないで!
ちなみに、ルクブルールの母は、今朝届けられた干からびた蛙と虫の詰め合わせ箱に酷く脅えて、今夜のパーティには参加していない。
私もバルバラも、嫌がらせを受けたからこそ表に出るべきだと意見が一致しており、私はバルバラとデビューを迎えられたこの現状に感謝ばかりである。
きっと母と父だけでは、その日のうちにルクブルールに戻っていたわね。
そしてきっと罵られたのだ。
お前が上手くできないから、と。
いいえ、ちょっと待って。
私の目の前は急に開けた。
失っていた色味だって戻って来たような気がした。
私はそんな気持ちのまま差し出された手に自分の手を重ね、心から素直にありがとうと青年に答えていた。
だって、彼が声をかけてくれたから、私は連想ゲームのようにしてこの思考の転換に至れたのだもの。
ブリューは頬を赤らめ、必要以上に私の手を強く握り返した。
少しだけぞわっとしたが、ヤスミンのルールによれば大丈夫なはず。
だって、バルバラがダンスを許してくれた相手よ?
私はなんとなくバルバラを見返し、あら、バルバラがなんだかハッとしたような顔をしていらっしゃる?と気が付いた。
でも異常に気が付いたところで、私に何かできはしなかった。
私の手は少々乱暴にブリューに引っ張られ、ダンスホールの中心へと引っ張り込まれてしまったのである。
曲は、なんてこと!ワルツだわ!
今日はアランと既に踊っている!
二曲目なんか踊ったら、私はコンラッド伯爵夫人の面目を潰した事になる!
そして、そして、ダンスを許したのがバルバラなのだから、いままで友好だったコンラッドとラブレーの仲に亀裂だって入ってしまうかも。
「あの、あの、ブリュー様。私は思い違いをしておりましたわ。カドリールだと思っておりましたの。」
「ああ、君の為に僕が曲を変えさせた。だが心配いらないよ。ワルツが一回だけなのは何も決まっていない未婚者だけだ。」
「いえ。私はマールブランシュ様とは何のお話もありませんから。」
私はブリューの手を振り払おうとしたが、ブリューは私の手を放すどころか、さらに引っ張って私を無理矢理に歩かせた。
ダンスホールの人々の輪の中さえも突っ切って、中庭を見晴らす事の出来る大きな両扉が開かれている位置まで!
「ラブレー様のところに私は戻りたいわ。」
「君を中庭に連れ込んでも構わない。ここで僕とワルツを踊るか、みんなの見ている前でそのドレスを中庭で脱ぐか決めてくれ。」
黒髪の男は、髪の色よりもどす黒い正体を現わせて、にやっと笑った。




