ファーストダンスは誰のもの?
「ププリエ伯爵様、私はリリアーヌ・キュプレットと申しますの。あなたがお気に召されたマルファ・ブーケの親友ですわ。」
気さくな笑い声を立てたヤスミンに対して、初対面のリリアーヌは脅えもせずに話しかけていった。
彼女は乱暴者だと思った兄が単に爬虫類や両生類に愛情を持つ人だとわかったら、兄の為に兄の持ち物に次々と蛙やトカゲや恐竜などの刺繍を施すようになった人なのである。
しかしながらどんなに美しき若者でも、ドレスシャツの右胸にブローチの様にヤドクガエルの刺繍があれば、パーティではダンスを断られて変人と噂もされる。
これはもしかして過去の仕返し?と私もアランも首を傾げたが、古生物学に進んでいったリリアーヌの兄は妹にとても優しい兄になったのだ。
そこで、私もアランもリリアーヌが腹黒いのではないかという疑惑については黙ってはいる。
私の手を取っていたヤスミンは、リリアーヌの指摘に対して、獲物を見つけた猫のような笑顔となった。
「麗しのお嬢様がここにも。」
それからリリアーヌの手を私にしたように恭しく受け取り、私にしたようにして甲にキスをしたところで、リリアーヌの腹黒さ?を黙っていたくなくなった。
ところが、ヤスミンが気さくな声で揶揄うような台詞を口にした方が早かった。
「では、私めは次はあなたのお隣のその金銀に輝く青年の手の甲にもキスをせねばならないのかな?」
「まあ、おかしな方。でも、マルファとアランもお友達だと知っていての台詞ですわね。以前からマルファとお知り合いでしたの?」
腹黒さなどとんでもない。
くすくすと深窓の令嬢の笑い方をなさっているが、私はリリアーヌの真髄を見たような気がして少しぞわッときていた。
少しだけね。
だって目の前の男は百戦錬磨の英雄なのよ?
「凄いな。このヒヨコと比べ物にならない頭脳明晰なお嬢さんだ。」
なぬ!
あ、リリアーヌは頬を赤らめて満更じゃ無い顔をしてなさる!
「デジール。セレストと呼んだ方が良いか?リリアーヌ、この年かさなデビュタントは、馬市場で出会った僕のお友達だよ。僕が両手に花なので奪いに来たんだよ。なにせ老眼で葦毛が白馬に見える男だし。」
「ハハハ、その通り!賭けは俺の勝ちだな、デュボア!ヒヨコもこちらのお嬢さんも俺に頬を染めてくれたぞ。」
「ハハハ!恥知らずだと頬を染めただけですよ。ねえ、リリアーヌ?」
「まあ!アランったら。あなたがそんな憎まれ口を人に叩かれるなんて!本当にあなたとププリエ伯爵様は仲がよろしくていらっしゃるのね。ただし、ププリエ伯爵様?私の親友のマルファをヒヨコ呼ばわりは酷いですわ。マルファは金髪じゃない髪色を実は気にされているのよ?この国では腐るほどいる金髪よりも特別で、とってもきれいな髪色だと私は思いますけれども。」
私はリリアーヌに謝らなきゃだわ。
腹黒なんて考えてごめんなさい。
ヤスミンは、まあ!蕩ける様な笑みをリリアーヌに返した。
「天使みたいな金髪の君こそどこにでもいないと思いますよ。ただね、私はこの世でヒヨコほど可愛い生き物はいないと思っているんです。ですから褒め言葉につい使ってしまった事をお許し願わねばですね。」
嘘吐き。
だけど、目の前の嘘吐き男は、いけしゃあしゃあとさらに嘘を重ねた。
「一目惚れをしてしまった、それも許して貰わねば。」
私はごくりと唾を飲み込んだ。
だって、でないと心臓が口から飛び出てしまいそうよ?
一目惚れ?
冗談にしたって、私はとっっても嬉しいわ。
今日というこの日をありがとう、神様!
「だが、残念だったなデジール!君の恋はこれで終わりだ。僕がもうマルファのファーストダンスは奪っている!」
は、そうだダンス!
賭けに負けた風にしてヤスミンがこの場から去ったらお終いじゃないの!
私は慌てて自分のダンスカードを両手に持つと、思いっ切りヤスミンに向けて押し付けるようにカードを差し出していた。
「わ、私のダンスカードはまだまだスカスカですから!どうぞ。アランの後になりますが好きな場所に名前をお書きになって!」
「君は意外と薄情だな!僕への配慮は無いのか!」
「だって!」
「ハハハ、お前ら。本当に雛鳥でしかねえな!」
ヤスミンは豪快に笑い、リリアーヌはアランの大人の友人が急に乱暴な言葉遣いをしてきた事に目を丸くした。
ヤスミンは私達に対して、軽く片目を瞑って見せた。
「このヒヨコどもめ!俺がカドリール何ぞ死んでも踊るか!」
ヤスミンは言うや私からダンスカードを奪い取り、私のダンスカードに名前を記入して、私に押し付けるようにして突きつけて戻した。
私は急いでカードを見返した。
いくつめの曲を彼はご指名だったの?
あら?まあ!
デビュタント用のカードにはワルツ曲など最初から無い。
そこで彼はファーストワルツと勝手に記入して、彼の名前をそこに書き込んでしまったのである。
何という機転?
「ま、まああ?」
「でた。君の若くない悲鳴。で、何か言う事は?」
「真に残念ながら、デビュタントはワルツを踊ってはいけません。って痛い!」
「もっと普通の女の子なリアクションしてくれよ!」
「え、ええと。お、お髭を剃られたのですねって、痛い!」
こんなパーティの席で私の頭をぐりぐりするなんて!
ほら、リリアーヌが呆れた顔をして見せているじゃないの!
ヤスミンは彼こそ呆れた様にして溜息を吐くと、ぷいっと私から身を翻して、私を見捨てた様にしてダンスを踊る人達の中に入って行ってしまった。
で、ダンス中の男性を押しのけて、その男性が踊っていた女性、社交界のご意見番であるコンラッド伯爵伯爵夫人を奪ってしまったのだ。
「まあ!デジール大佐。いいえ、ププリエ伯爵。ご乱行がおすぎですわよ?」
「お許しを。あなたに惑わされた私は、思いつめてしまったようです。」
「あらあら。お若いあなたは若き乙女の所にいらっしゃいな。」
「ああ手痛い仕打ち!私は心が張り裂けます。そんな私に癒しを与えてくださいませんか?私の出来たばかりの悩み事の解消でもいい。」
「まあ!喜んであなたの悩み事を聞いて差し上げますわよ?」
ヤスミンはコンラッド伯爵夫人に、それはもう、絶対に彼女の腰の骨が抜けてしまうような甘い甘い笑みを顔に浮かべた。
ホール中の女性達が同時に溜息を吐いた。
彼の三文芝居を呆気に取られながら眺めていた私とリリアーヌでさえ、だ。
世界が自分一人に注目していることを知っている男は、世界に知らしめようとするように高らかに宣言の声をあげた。
「デビュタントにもワルツを!俺はカドリールなんざ踊りたくないんですよ!」
「ま、まあ!」
コンラッド伯爵夫人は、そこで進退窮まった。
ワルツが社交界で嗜まれるようになってから続く伝統、子供には早すぎる、それを目の前の色男に、いいわ、なんて答えて簡単に覆してしまって良いものだろうか?という葛藤だ。
だが、フロア中のデビュタント及び、その付き添いの親達から、ヤスミンという優良物件とお近づきになりたいからワルツを解禁しろという脅迫的な視線さえも彼女に注がれているのである。
彼女はヤスミンの誘導によって優雅にターンを踏んだ後、彼の腕に引き戻され、再び蕩ける様な眼差しを彼から向けられた事で簡単に崩壊した。
また、社交界のライバルであるラブレー伯爵夫人がワルツ解禁を言い出す前にと、彼女は計算したのかもしれない。
「よろしくてよ。ただし、デビュタントは一曲だけ。」
彼女の言葉にフロアが沸いた。
デビュタントにワルツを与えたププリエ伯爵は、一夜にして人気者となった。
ええ、私は嫌われ者に転落したようですけれど?
だって背中に突き刺さる視線が痛い、どころか、どこからか飛んできた紙くずが背中に当たって落ちたのだから、……確実よね?




