王様と王子様とヒヨコ
六月十四日、社交シーズン開始の日だ。
この日、王城に若きデビュタント達は集められ、王に謁見した後に王城のダンスホールにて開催されているパーティに参加する事になる。
女の子も、男の子達も、この時点ではパートナーはおらず、ぞろぞろと列を作って自分達の挨拶の番を待つのである。
勿論、まだまだ雛鳥でしかないデビュタントであるからして、男女たがわず、付添いという家族女性や男性が横にいるという一人前にはまだまだな姿で。
ついでに言えば、私の横に母と父が立つのは当たり前だが、そんな私の後見人という風にバルバラとその夫というラブレー伯爵夫妻も立っていた。
けれどもバルバラは社交界のご意見番の一人だ。
こんなあからさまに、私のいとし子よ、と周囲に知らしめて良いのだろうか。
「ああ~。前にのろまがいてウンザリだわ。」
「あら、ルクブルールのマルファ様と言えば、男性に関しては電光石火と有名な方よ。いつのまにやら、あのアラン様を虜にされていたそうじゃないの。」
「ふふ。だからおいたができないように親戚一同で囲まれているのね。担ぎだされちゃった太っちょオバサンにオジサンなんか、きっといい迷惑ね。」
私の後ろで私を揶揄する小声が交わされた。
だが少女達よ、デビュー前で知らないからといえども、あなた方の目の前のふくよかな方はラブレー伯爵夫人ですのよ。
「マルファ、気になさっては駄目よ。」
ふふんと妙に嬉しそうな声でバルバラは私に言葉を掛けた。
社交界は恐ろしい所とデビュタント達に教え込むときの生贄を見つけたと、彼女は喜んでいるのかもしれない。
「気にするなという方が無理ですわ。社交界でラブレー伯爵夫人のお姿をご存じない方がいらっしゃるのですもの。」
私達の後ろで貴婦人らしからぬゲゲっという声が上がり、その声を上げた中年の貴婦人達は自分の娘達の腕を掴むや列から飛び出し、そのまま私達とは離れた後ろの方へと逃げていった。
「まあ!逃げたところで覚えましたのに。」
ああ怖い。
これで私は同い年の方々から遠巻きにされる運命決定ね。
私は笑顔だけは顔に貼り付けて、この面倒なしきたりを早く終わらせようと一歩前に出た。
「ミラ!」
突然の大声に私は声がした方を見返した。
あと数組の後に私こそ謁見の恩寵を賜れるはずだが、その王様そのものが威厳なく椅子から立ち上がって、なんと、私の方を見つめているのだ。
亡霊を見つけた様な青ざめた顔で。
私はそれで自分の後ろを振り向き、数分前とは何も風景は変わっていないと思いながら前を見返した。
前方風景は変わっていた。
王様は消え、王様の椅子の横に立っていた王子二人のうち、年上の方が王様の椅子に座るというものになっていたのだ。
「何が起きたの?」
「何が起きたのでしょうね。王様もお年ですもの。」
「ディアーヌ、マルファ、いいこと?第一王子に何を言われても笑顔でなさい。受け答えは私が受け持ちます。」
私と母の囁きに対し、バルバラが小声で割り込んだ。
その声はなんだか緊張しているものである。
「ま、ああ、バルバラ。どうなさって?」
母が急に不安そうになって聞き返すのも仕方がない。
だって、バルバラの隣に立ついつも笑顔のジャン・クリストフ様、つまり、小柄でふくよかなそのお姿が天使のお人形にしか見えないラブレー伯爵まで、真っ青という天使にあるまじきお顔をなさっているのですもの。
父は最愛の母を守るように母を抱き寄せた。
しかし、バルバラは無駄に場数を踏んでいない。
彼女の笑顔は私達の不安を一瞬で掻き消すようなものだった。
「お若い方には知らなくて良い事ですから気になさらないで。私のような年配者が忘れていた事を思い出しただけですもの。」
忘れていた事とは何だろう?
私は首を傾げながら前方を見つめた。
そこには王子達がデビュタントに言葉を与えている風景があるだけだった。
摂政王子と呼ばれる第一王子のエドガー様。
大学で教鞭をとっていて、臣民から人気のある第二王子のジョルジュ様。
同じ白いカツラを被り盛装というお姿であるが、私は彼らには今一つ足りない、と不敬にも思った。
侯爵家の次男でしかないアランが本物の王子達を差しおいて王子と持て囃されるのは、彼ら王子にカリスマがないからなのかしら?
いいえ。
カリスマが無くたって、第二王子のジョルジュ様は人柄が物凄く良い方だ。
一般貴族の普段着で街に出て来られた時は、私もリリアーヌも彼が王子だなんて気が付かないどころか、散々に生意気な言葉を返したと思い出す。
ああ、イネス様!
エイボンのせいで一度は命を絶とうとまでされたあの方、今はどうしていらっしゃるのであろうか。
「ルクブルール嬢、今宵は楽しんでください。」
懐かしいお声にはっとすれば、私はもう王子達の真ん前に歩いていた。
そして、第二王子が優しそうな緑色の瞳で私に微笑んでいた。
本当であれば、彼の横にはイネスが立っていたはずですのに……あら?
彼の胸元には勲章のような形のブローチが飾ってあるが、それがイネスが得意としていたビーズブローチに似ているのである。
ブローチに釘付けになった私に気が付いたか、ジョルジュはさらに笑みを大きくすると、私の方に首を伸ばして囁いた。
「熊蜂は飛べると思い込む限り飛べるんだよ?僕は恋している方にも同じことを伝えてね、そしたら一緒に飛んでくれると答えを貰った。」
「ま、あああああ!」
「しぃ。まだ内緒。いいかな?」
「もちろんですわ。大騒ぎの声を上げたいところですけれど。」
「まだまだだよ?今度こそ僕達は一緒になるんだからね。」
私は王子に頷きながら、胸元で神様に祈るように両手を組んだ。
素晴らしい事を聞いて、神様に感謝を捧げないわけにはいかない。
「君がルクブルール嬢?女は身元が不確かでもどこにでも潜り込めるんだね。」
ジョルジュとよく似ているが、ジョルジュは絶対に出さない皮肉めいた声が私に向けられた。
エドガー第一王子様である。
ジョルジュと同じ格好をして、ジョルジュと同じ目の色の彼は、きっとカツラを外せば同じようなダークブロンドの髪をしているのであろう。
外見は似ているけれども、十歳近く年齢の違う兄弟の内面は似ても似つかないようである。
十三年前に亡くなった王妃様はイネスに似てとてもやさしい方だったと聞くから、王とコートドールによる母親への所業に対して、エドガー王子はきっと傷つかれたのに違いない。
だから彼は、……結婚なさっていらっしゃったわよね。
それでエイボン夫人を?
エイボン夫人への偏愛は父親への意趣返しだったのでしょうけれど、妻に対しては不誠実この上ないではありませんか!
言い返したかったが私は気持ちを押さえ、ドレスを広げての最上の礼を王子に対して行った。
それから顔を上げて王子に微笑み、王子に言葉を返していた。
ここは反発するよりもご機嫌を取るべきよね?
「お会いできて光栄ですわ、エドガー王子。お立ちになれなくなったとお噂をお聞きして心配しておりましたが、お元気そうなお姿でいらっしゃいまして何よりでございます。」
バルバラは珍しく小さな悲鳴を上げ、ジャン・クリストフ様はふっくらした無害な外見からは考え付かないぐらいの大笑いを上げるや、私と彼の妻を引っ張って列から逃げ出した。
私の両親は慌てたようにしてジャン・クリストフ様の後を追う。
ジャン・クリストフ様に引っ張られる私は、遠ざかる王子様達の風景を眺めながら、かなり憤慨している第一王子のご様子に驚いていた。
あんなにお怒りなさるなんて!
私の言葉のどこが悪かったのか、後でヤスミンに聞こう。
すぐに会えるわ。
だって彼は私と踊るために、今日のこのパーティに出席なさると約束されたはずなのだから!
あのダンスを踊った夜からお会いできなくなっていた彼に、私はきっとお会いできるはずなのよ!
お読みいただきありがとうございます。
設定として第二王子は大学で航空力学教えています。
そして、航空力学的に熊蜂は空を飛べるはずはないそうで、熊蜂が飛べるのは何故なのかって色々な説があります。
蔵前は「熊蜂が飛べると信じているから!」という説がトンでも過ぎて好きです。




